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☆擬人化と日本文化

2679年(平成31年・新年号元年)2月9日改稿
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今日、平成29年2月9日(木)は「漫画の日」だっていうんだけど、調べてみたら7月17日、11月3日も漫画の日で、年に3回もあるぞ? 
2月9日は手塚治虫の命日だがこれを漫画の日にきめたのは「まんだらけ」。一私企業が勝手にきめていいのか?
7月17日は、1841年にイギリスの絵入り諷刺週刊誌『パンチ』が創刊された日で、文久二年(1862年)には日本語版『ジャパン・パンチ』が刊行。本家『パンチ』は1992年に廃刊(151年間)。ふむ。どうもこれはイギリスの漫画の日みたいだな。でも手塚治虫より前なんだからこっちに敬意をはらうべきじゃないのか?
11月3日は手塚治虫の誕生日。また手塚か、誕生日か命日だったらどっちがより適切ともいいにくいな。これを決めたのは日本漫画家協会と出版社5社で平成14年(2002年)年8月に制定。「まんだらけ」に対抗したのか? たしかに「まんだらけ」が勝手にきめるよりは公式な感じはするけど、「まんだらけ」に対抗するためわざわざ別の日にするのはおとなげないぞw それにこれ明治節(文化の日)じゃねーかw わざわざ文化の日にぶつけるってのは好意にも悪意にもとれる。彼ら自身は「漫画を文化として認知してもらいたい」ということから文化の日にしたと自称してるようだが、いまどき漫画を文化として認めないなんてやついるのか?漫画だけが文化じゃないだろうに、文化を独占して、漫画が文化の中で特権的な地位であるかのように宣伝してるみたいでいい感じがしない。日程も「さまざまな文化」の日の中に埋没する危虞とか考えなかったのかね?文化の日をまっさきに思い出すからむしろ漫画の日って忘れられるだろうに。
擬人化とアニミズム
(※内容は後日に記入)

擬人化の物理的表現の世界的起源
(※内容は後日に記入)

仏教伝来の衝撃
鳥獣戯画
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(※内容は後日に記入)

・古事記と「平和思想」・後編

平成30年12月改稿 H29年12月20日(水)初稿
忘年会で見せられたんだが、新聞の切り抜き。これは反核平和団体「ICAN」がノーベル平和賞を受賞した件で皇后陛下が誕生日に談話を発表した記事、どの新聞かわからないが例えばこれなんか近い→「皇后さま83歳 核廃絶、平和の願い込め(毎日新聞2017年10月20日)」。忘年会の席なんだが、今年はこれで1人づつ、平和について感想なり意見なりを言っていくという流れに…。ご馳走とお酒を飲み食いしながらなので、酔っ払ってあれこれつまらぬことをしゃべってしまった。
古事記と「平和思想」・前編」から続き


(※日向三代と平和、まとめ。多忙につき後日かきます)

・古事記と「平和思想」・前編

平成30年11月改稿 H29年11月15日(水)初稿
最近の北朝鮮のミサイル問題で世の中物騒な雰囲気になってきたのを受けて、思いつきの平和思想を語りだす人も多い。で「平和」思想についての議論会みたいな流れもあちこちであるわけだが、古事記に描かれた素朴でノドカな古代のイメージに「理想の平和社会」を見出す一種のロマン主義な発想も、津田左右吉特有のものでなく、そういう人は昔も今も一定いる。ある人は古事記の中から平和主義の要素を17項目もあげていた。
e1a87_1456_266ecd28_e7a8cbc4.jpg(※動画、画像は本文とは関係ありません。雰囲気カットです)
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※↑これ見て「かまなら祭」という言葉が浮かんでしまう俺もたいがい平和ボケしてるのかもしれんが、まぁ面白ければいいっていう80年代の人なんで赦してくれ
「古事記は平和の書である」?
だが古事記には皇位継承争いや内乱といった、戦いがたくさん出てくるから、平和とは程遠いイメージを抱く人もいあるだろう。だから反発する人がいるのはごもっとも。むろん戦争とは同時に平和の希求のことだとも言いうるのではあるが、反発する人は「古事記に書かれている事実と違うじゃないか」という論理的な反論からだけではないように思う。第二に、北朝鮮のミサイル騒ぎで「平和が大切だ」と言い出すまではわかるが、そこから北朝鮮がけしからんという方向にいかずに、日本で憲法改正の動きが加速するのが問題だ、みたいな発想ってどうなのよ、とウヨなら誰でも思うだろ。思うよな?w
三つ目に、人間ってのは「時代」の制約からまぬがれ難い。どんなに客観的な意見のつもりでも、ずっと後になってから誤りに気づいたりする。そういう時「あの時代ではそう思い込むのも仕方なかった」ということがある。どんなにオリジナルな思想のつもりでも、時代環境の影響が実は大きくて、本人の独自性の発揮などではなかったりすることもある。言葉の意味やニュアンスも変化していく。戦争経験者にとっては「平和」という言葉は、尊く、ありがたく、清らかで、大切なイメージがあるのだろう。しかしそれは万人の共有するイメージではありえない。ある人々にとっては、ウサンくさく、詐欺っぽく、ゲスで、偽善がましいイメージしかない。「平和」という言葉に悪いイメージしかない人にとって、「古事記は平和の書である」と言われると、なんとなく神聖な古事記が穢されたような気になるのではないだろうか。そういうイメージの問題は、感情論でもあり、古事記の素晴らしさを称揚したいが余り「平和の書」といおうが、「平和の書」といわれて穢されたと怒ろうが、いずれも「個人の感想です」ということにしかならない。そういう「感情をこめた」言葉ではなく、客観的に「平和とはなにか」を冷静に考えてみたいもの。「冷静に」とは「冷酷に」という意味でもある。とはいえこのブログ含めてネット上の有象無象の凡人の議論が実際に客観的だったためしはそうそう無いんだけどねw 本人が誠心誠意、誠実なつもりの議論ほどおかしな方向に曲がってったりな。

「平和」という言葉
この言葉の最大の問題は大和言葉(やまとことば)でないことである。ヘイワという漢語だ。これを「たひらかなごみ」と直訳したら翻訳語っぽくてこなれた大和言葉とはいえない。平安京を「やすのみやこ」とか「たひらの京」と読んだ例はあるのでいっそのこと「平和」という語彙は「やす」とか「たひら」みたいに単純な言葉に訳すほうが、仰々しい言葉や雅にすぎる言葉よりは、へんに観念肥大しなくていいのかもしれない。しかしそれでは中二ごころが満たされない。で、古典をまさぐるに日本の雅称に「浦安国」(うらやすのくに)というのがある。「浦安の舞」という神楽舞のタイトルにもなってる。ウラヤスは直訳すれば「心がやすらか」の意味だが、「浦安国」となれば「平和な国」ってことだろう。「浦安の舞」は「平和の舞」と意訳できる。「平和」にあたる大和言葉としては「ウラヤス」を推奨したい。他にも、国名つながりでいえば「大和国」と書いて「ヤマト」ではなく字のまま「オホヤハシ」とか「オホニギ」とか「オホヤハラギ」等と読んでいた時期もあったと思われる(詳しくは「継体天皇にはなぜ物語がないのか」のページを参照)。しかし言葉を置き換えただけで満足しては、固有の思想性はあきらかにならない。「平和」はあくまで漢字語であり、中国語由来の言葉なのだから。

「平和」とはなにか
中国語ではあまり「平和」とはいわない。中国語新聞などでは「和平」という文字は目につく。自動翻訳ページで「平和」を中国語に翻訳すると「和平」と出るんだが、しかし日本語の「平和」と中国語の「和平」は完全に同義ではなく、微妙なニュアンスの違いがある。日本語の「平和」は、平和主義者にとってはそれ単独で存在するユートピア的な観念なのに対し、「和平」は「戦争」と対になった概念であり、平和が続くと人心だらけて国の仕組みが崩れて戦乱へと転落し、戦争はいつか敵を殲滅して終結し平和が到来する。陰きわまって陽となり、陽きわまって陰となるごとく、平和と戦争は交互にくりかえすもの。それが中国人にとっての「平和」であり、日本の平和主義者のいうような「絶対的な価値」ではなく「相対的な現象」である。どちらの意味で「平和」といってるのかで議論の結果が大違いになるし、ここを確認しないで議論しても永遠に噛み合わない。だが俺はどちらかが間違いでもう一方が本当の平和だというつもりはない。前者は「広義の平和」、後者は「狭義の平和」として区別したらよいだろう。区別した上で、では、我々ウヨとしては前者の「平和」を廃し、後者の平和概念(「和平」)を推奨すべし、と言いたいのかというと、それがそうではない。「和平」でもまだまだ甘いのじゃないか? 戦争と平和はくりかえすのが当たり前の単なる現象だと思ってる国が実際に核ミサイルと膨大な軍隊をもっている北朝鮮以上の軍事国家であり、日本はその隣国なんだから、国内に大量に抱え込んだ絶対平和主義のお花畑脳の持ち主がどれほど危険な存在かわかるだろう。誤れる平和思想を撲滅するためにも、ここは一つ、「平和」でも「和平」でもない、「平定」という言葉を推奨したい。英語でも "pacify" (動詞「鎮める・なだめる・平和を回復する・鎮圧する」)とその名詞形 "pacification" (名詞「講和・和解・鎮定」)という言葉があり、これの語源は「平和(peace)にする」ってことだから、まさに "pacify" は「平定する」ということだ。ここに三つの平和観が出そろった。非武装中立論なみのお花畑、絶対平和主義が一つ。戦争と平和が運命論的にあるいは自然現象的に、あざなえる縄のごとくくりかえすというのが中国的な歴史観なら、主体的、意図的に自助努力で平和を実現する。それが第三の平和思想、「平定」の精神である。これからは平和主義でなく平定主義でいこうw 古事記は「平定の書」である!w

「コトムケヤワスの精神」とは何か
で、そうなると、「平定」をウラヤスとかオホニギとか言ったのであろうか? どうもニュアンスが違うようである。平定を古典和語でいうなら、有名な「言向け和す」(ことむけやはす)があるだろう。平定もしくは「平」の一字でも「ことむけやはす」とか「ことむく」と読み、和と書いて「やはす」でも同義。名詞形は「コトムケ」だが、平和を意味する語源とのつながりからいえば、コトムケではなく「ヤハシ」(和)が良いか。
で、有名な「コトムケヤワスの精神」とはなにかというと、いきなり武力行使ではなく、まず「話し合いで平和にもっていく」、その精神が「コトムケヤワス」という言葉にあらわれている、というのだ。こういう主張は我が師匠、吾郷清彦先生のみならず、古来からあって保守系の思想家や神道家の定番のネタでもあり、それ自体は結構なお話だとして好意的に展開しているブログも世の中にはあろう。しかしどうも胡散臭くて個人的には好きになれない。これは左翼にあらざれば人にあらずというキチガイ的風潮が世間を支配していた戦後すぐから70年代にかけて、なにかと色メガネで見られがちだった神道が「神道は軍国主義ではなくて平和主義なんですよ~」というアピールをしていたのである。よくいえば生き延びるためのイメージ作戦だが、世に媚び、衆愚におもねろうとする邪念が感じられる。なぜなら「コトムケヤワス」という言葉が本当にそういう意味ならば戦闘開始の前段階の「外交交渉」をこそ「コトムケヤワス」というべきに、実際の用例みると、外交交渉があったか無かったかにかかわらず(あるいはあったか無かったか不鮮明なまま)武力侵攻によって帰順服属させることを「コトムケヤワス」といってる例が多いからだ。なので、もとは「言葉を向ける」ではなく「(こちら側に)傾かせる」等の意味から派生して武力行使をいう言葉かもしれないし「和す」(ヤハス)の部分が「帰順服属させる」ことに相当しよう(今回はそこらは深く追求しない)。もっとも今みたいに右傾化しておらずただでさえ風当たりの強かった70年代に「軍国主義でなにがわるいw」なんて開き直ってたらそりゃさぞかし生きづらかったろうが、それはそれw 実行可能かどうかという戦術レベルのことは建前上の正しさを書き換える理由にはならない。こっちは言うだけなんだからせめて倫理(観念上の正義)を示し置くのが役割だろう。当時だって極論をいう右翼団体はいくらでもいたんだし。世間からどう思われていたかは別としてw いや世間からどう思われようが「田中角栄を有罪にした裁判官を吊せ」とテレビで騒いで排除された小室直樹がやっぱり正しかったわけだろ。「コトムケヤワス」を平和主義にこじつけるようなのを「曲学阿世」というのであって、今でもマスコミに出て世間からちやほやされてるような学者なんてWikipediaなみに信用ならない。よく使ってるけどさ。
話を戻そう。ウラヤスもオホニギも日本の雅称に残った言葉だが、同じく日本の雅称として細矛千足国(くはしほこちたるのくに)というのがある。最新鋭の軍備が整った国、軍事国家のことだよw なぜウヨともあろう者が「細矛千足国」という素晴らしい美称を都合よく忘れて「日本は昔から平和主義でござんす」みたいな主張をするのか意味がわからないw ヤマトが「浦安国」でありえ「大和国」でありえたのは「細矛千足」つまり軍備が充実していたからなのであって、非武装だったからではない。今の日本が国際社会でまともな外交交渉ができるのは米国がバックにいる時だけで、それに逆らっての外交なんて不可能だろう。武力行使ができないんだから朝鮮にも中国にも足元みられるだけで外交交渉も糞もない。外務省に仕事はない。金ばっかばらまきやがって。そんな話はいいや、つい脱線しました。とにかく、保守派神道界隈では大昔から代々の先輩から「コトムケヤワスの精神」ということが言い伝わってきた。これが「戦争反対、なんでもお話し合いで解決しましょう」というヌルい話だってのは左翼全盛期の嵐を乗り切るための偽装で、本当の意味は平和主義ならぬ「平定主義」のことなのである。さぁ皆さん一斉に唱えましょう「コトムケヤワスの精神だ」!

個々の具体論
そういう理屈はともかく先生はいかなる理由で平和の書だというのだろうか。上述の17項目を俺なりの理解で再要約すると以下の8項目となる。

1)神話:神々が職掌分担、絶対支配神がいない。(参考:原住民史観の誤り
2)「神議り」…神々の合議制(民主主義?)
3)日向三代の后選び、山の娘と海の娘を娶っていること
4)「うしはく」と「しらす」(参考:「しらす」と「うしはく」
5)「ことむけやわし」(言向け和し)
6)異族の帰順(帰化人の忠誠(例:田道間守、新羅、百済の朝貢、天之日矛、阿知直を蔵官に)、吉野国栖の服属)
7)宇治の和紀郎子の歌(実は謀反人を殺していない?)(参考:古事記はなぜ敗北者にやさしいのか
8)雄略天皇の全編(とくに三重の采女の歌)(参考:雄略天皇

以上の8項目を検討してみるに、どれも「古事記は平和の書である」という根拠にはならないと思う。では、俺は「古事記は平和の書ではない」と言いたいのかというと、そういうことでもない。これらの8項目は「直接には」根拠にならないと思うのであって、「古事記は平和の書である」というテーゼを(ある一定の条件つきで)肯定するものである。どういうことか、まずはこの8項目が直接の根拠にはならないことを、一つづつとりあげて詳細に説明しなければならないが、このブログを以前から読んでる人には説明不要かもしれない。
古事記と「平和思想」・後編」に続く

☆神話にねざした歴史観とは…?

H30年9月改稿 H28年9月21日(水)初稿
今回は「神話にねざした歴史観」を改めて考え直そうという話なのだが、神社参拝などを通じてもなかなか神話までには思い及ばないことが多いのではないか、とか、お伽噺の類から入っていくのがいきやすいのではないか、っていう人もいるだろう。仁徳天皇陵を大仙陵古墳といいかえるような左翼的風潮を怒って公教育の場での神話教育が大事だという人もいるかもしれない。
あまり仰々しく歴史観といっても普通の人は急にはなかなか言葉にならない。それは当然でしょうがない。「歴史観」というのも、具体的な話がなかなかでてこないで本人自身がもどかしがる、ということもある。俺などは「神話にねざした歴史」といえば一言「神国日本!」「天皇陛下万歳!」「万世一系!w」「八紘一宇!ww」でおしまいなのだが、やはり年配の人だと古事記の神話はけしてウヨチックなものではないのだという戦後的な神話擁護のスタイルから抜けられない。万世一系とか天壌無窮とかの言葉は、皇国史観でももちろんある(むしろそうでないと困るw)が、本来は歴史を飛び越えて神話とつながってる感覚を表わした言葉だろう。それから延長していけば、神国とか国体とかの言葉は、神話と繋がってるのが自分一人の身体ではなく、自分が住む地域の「共同体」が神話とつながっているのだという言葉だ。
とはいえ「神国日本!」だの「八紘一宇!ww」だのの一言でおしまいにすると、伝わらない人にはまったく生産性のない決まり文句の羅列にしか聞こえないだろうから、もうちょっと寄り添った議論をすると、やはり「生活にねざした何か」につながってないと、普通の人は日常生活の中で神話だの歴史だのについてゆっくり考える機会もないわけで、歴史だけなら自分の住む街のあちこちの歴史の旧跡、あるいは大河ドラマの話題から思い及ぶことはあるが、神話まではなかなかいかない。そこで最近の風潮としては「神社」に参拝する老若男女(特に若年層)が爆発的に増えてきているので、神社がとっかかりになるのではないかと思える。そこの御祭神についてどういう神様かわかれば、大抵の場合、古事記や日本書紀の神話にでてくる神様であることが多いから、そこで神話への関心につながってくることもあるだろう。女性の場合は神社が好きな人でも「あらきれいな神社ね」で終わってしまってその先にいかないという人もいるんだが、そうかなぁ。アベック(俺はおっさんなのでカップルとは言わないw)で来る人も多いので、そこは男にがんばってもらおうw 男は「なんで?」って納得ほしいし「なんだろう?」って関心むけるからそういうの調べるだろう、たぶん。知的好奇心のない男は存在価値なしw
あとは年中行事の復活ということが考えられる。例えばお正月なら、1月3日は「元始祭」の日でこれは天孫降臨の神話に基いて、国の始まりである邇々藝命(ににぎのみこと)が高千穂にあまくだったことをお祝いすべき日だろう。2月は、11日の紀元節はいうまでもないが、節分の豆まきだって中国伝来の行事だとは言い切れない。実は伊邪那岐・伊邪那美の神話と関係しているのだ(詳しい話はまた2月にでも)。3月の雛祭りが天照大神と須佐之男命の誓約(うけひ)の神話と関係してるってことは予告編だけだが前回かいた(http://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-160.html">八王子と八幡神http://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-160.html)。以下毎月一年中、いろいろな伝統行事や祝祭日があるわけだが、それらは明治以降に制定されたものであろうと、江戸時代以前からの習俗であろうと、ともに、実は神話と密接に関係している場合が多いのだという点では共通しているのであって、漫然とやりすごすべきではないことを世に広めるべきだろう。そういう趣旨でこのブログには「祭祀・暦・行事」というカテゴリーが設定してあるし、そのカテゴリー以外の記事も大抵は特定の日付かまたは特定の伝統習俗から話題を起こしている記事が多い。民間の伝統行事のすごさは年月に鍛えられて洗練されているために、お金がなくても、あるいは時間がなくても、あるいは深い知識がなくても、一般庶民が楽しめるようになっているところ。例えばお花見とか。たまたま今日9月22日は「秋分の日」で戦前なら「秋季皇霊祭」といってた日。で、各地の神社でも名称はいろいろだが祭儀が催行されている日である。「秋分の日」は民間習俗では「秋のお彼岸」で仏教行事になってるが、この件に関してはhttp://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-79.html">「仏教伝来以前「お盆」はどうしてたのか?」http://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-79.htmlという頁をみてください。
あとは居住地の地元の「お祭り」(定例行事)にどれだけ馴染んでるか、関心寄せてるか。関心寄せてるだけでもかなり違ってくる。「地元の暮らし=>神社=>神話」というつながりが自覚できるようになることが、たぶん、いわゆる「神話にねざした歴史観」になっていくんじゃないかと思う。
ただのお伽噺や地元に伝わる民話の類を、いくら盛り上げて町おこしに役立てようとしても神話にまではつながっていかない。民話ってのは「昔々、あるところに…」で始まるパターンが有名な通り、「いつ・どこで・誰が」ってのがすべて不明瞭で物語の筋しかない。現実世界から切れて宙に浮いてる。しかし神話はそうではない。神々の時代から現代まで連綿とつながっている(「いや、神話に『いつ』はないだろ」といわれるかもしれない、しかし確かに絶対年代は不明だが、時系列があって一回性の事件の連続だから神話も擬似的に歴史の型をもってそのまま実際の歴史に接続させることが可能なようにできてるのだ)。神話にでてくる神が、人々が住む街の中に鎮座して、その神を祭る神社の祭りが定例行事として盛大に催される。祭りそれ自体は圧倒的な事実だから、後はちょっとしたきっかけさえあれば神話を想起させるエネルギーとして十分だろう。そして、たまには祭りを見物したり参加したりすることもあり、普段は頻繁に神社参りしている人たちが抱くであろう「日々の生が、神話とつながっている感覚」を、どのような言い方で表わすのも各自の好きにすればいいが、俺なら「萬世一系の國體」といいますね、それを。

・「対馬の日」を日本も制定しようw

平成30年6月19日(火)改稿 平成29年6月19日(月)初稿
なんだ「対馬島の日」ってw
今日、6月19日って韓国では「対馬島(テマド)の日」らしいなw 日本の「竹島の日」に対抗して作ったとか。なんで6月19日なのかなと思ったら、これは室町時代の応永二十六年(AD1419年)の「応永の外寇」の日だという。wikipediaでみたら伏見宮貞成親王の『看聞日記』にもでてくるとかw 応永の外寇はしたらなんだが貞成親王は一時期南北朝時代にハマってたので名前みると急に親しみ感じるなぁ。で、「応永の外寇」って李氏朝鮮が対馬を侵略したけど撃退されたって話みたいだな。それなのに対馬を自国の領土だって思える神経がすごいなw この事件は日本側が侵略されたんだから、本来なら日本人が「対馬の日」として記念すべき日じゃないのか? 対馬防衛、国土防衛の日って意味で。韓国人もおかしいがこういう発想しない日本人も危機管理意識とか国土防衛意識なさすぎだろう。

「対馬は韓国の領土」って理屈の根拠
(※以下、続きは後日かきます)

「冊封」や「朝貢」はどの程度有効なのか
(※以下、続きは後日かきます)

・靖国神社は戊辰東軍を合祀できるか

H30年4月22日(日)改稿
今日、H28年10月18日(火)は靖国神社の秋季例大祭だった。靖国神社というと「みたままつり」が有名で俺もそっちのほうが好きなんだが、我々ウヨ仲間のうちでも敬虔な人はミタマなんかどうでもよくて例大祭を大事に思ってる人がけっこう多い。イベントの趣旨からして当たり前っちゃ当たり前だが、しかし一方で、みたままつりも社会文化的にあれはあれで大きな意味が戦前も戦後もあって、リア充のたまり場ってだけのぺらいものではない。…いや、今日はみたままつりの話ではなくて、例大祭の期間中に天皇陛下の勅使が下向してくる日があって、数年前まで知人とそれを見物にいってたんだよね。今日の10時頃だったはず。なんで見物の対象になるのかというと、衣冠束帯っていうの?神主みたいな服装で、長持ちだか籠みたいのに乗ってくるんだよね。いや乗ってくるわけじゃなくてあれには陛下からの御幣(みてぐら)が入ってるのかな? なんだったか細かい映像は忘れてしまった。あれを見物した後は境内もしくは靖国の近所で昼間から飲んでウヨ談義で盛り上がったりしてたもんだが、最近はなかなか体が空かない。まぁ、いい齢して平日の昼間から暇な方がおかしいっちゃおかしんだがな。
混迷きわめる靖国問題
さて本題に入ろう。靖国といえば最近、戊辰東軍の合祀について話題になってる。徳川宮司が積極的で、これに石原慎太郎が便乗してる。が発端は亀井静香らしいな。今日はその議論をしたい。
だがその前に靖国問題ってのは20年置きか15年置きにウヨ界隈で話題になってきたような気がするが、解決はしないね。この問題ってのは複数の(3つか4つの)別次元の問題が絡まってるのに、議論したがる人はその中の一つの問題にしか興味がなかったりする。それじゃ本人は「はい論破」って言った気になってても世間は納得しないわな。複数の問題系のうち、重要なのは「右vs左」あるいは「保守vsリベラル」の問題ではない。そっちの問題はそっちの専門家があれこれと長年やってきてるが、そもそも前提になってる歴史観や価値観が違うから噛み合う議論など成立すべくもないわけで、畢竟議論というより政治的な争いの一面にすぎない。いや「すぎない」って言い方はよくない、大事なことだとは思うがこのブログでは触れない。他には、元A級戦犯(あくまで「元」な)の分祀をめぐる問題でその是非可否とは別に「神道の教義上分祀はありえない」という説がある。これは実は間違いで、正しくは「宗教法人靖国神社の教義」であって神道の一般的な教義ではない。この議論も詳しくやったら面白いがこのブログではスルーしとこう。あとそれと、靖国神社は国民国家に必須の戦死者顕彰の施設でどこの国にもあるものだという話。西部邁とその取り巻きみたいな近代主義保守にはいちばんすんなり来るんだろうが、実はこれがいちばん問題含みなんだよね、俺みたいなアンチ近代主義者(≒封建主義者)からすると。「国民であるとはどういうことか」ってかなり現実的な問題から始まって最後はやはり近代国家批判までいってしまうんだが、まぁこの問題も今回はスルーだな。4つめに、これは保守派や右翼でも頻繁に間違えた前提で議論してることが多いんだが、靖国神社は慰霊のための施設ではない。「慰霊」という機能もあるけどこれは派生的・二次的なもので、本来は英霊を神として祭るための祭祀施設なのであって慰霊が本義なのではない。さきほどは「靖国神社は国民国家に必須の戦死者顕彰の施設でどこの国にもあるものだ」といったがここで「顕彰」とは言ったがあえて「慰霊」とは言わなかった。むろん諸外国の場合でも、慰霊施設という一面もないではない。しかし靖国神社と同じく、諸外国の場合でも派生的、二次的な機能として慰霊があるのではないだろうか。百歩譲っても靖国神社での「英霊祭祀」には「英霊崇拝・英霊信仰」という本義がまずあって、しかるのちに、顕彰なり慰霊なりの要素が結果的に派生するのである。英霊は死して「護国の鬼」となって今も日本を守り働いているのであって、永遠の眠りについてるわけでも永遠に休息してるわけでもない。慰霊という湿っぽいイメージをメインで捉えるのは英霊に対してかなり失礼な感じがする。海外のもので靖国神社のイメージにいちばん近いとまでは言わないまでも比較的近いのは北欧神話の「ヴァルハラ」だろう。『銀河英雄伝説』で帝国軍の将校や将軍が玉砕する時に「ヴァルハラで会おう!」と言うセリフは日本軍の将兵が「靖国で会おう!」と約束しあうことのパクリだろう。ヴァルハラでは戦死した戦士の魂たちが次の戦争に備えて軍事訓練してるという。永久の眠りなんてものじゃない。戦争を肯定的に捕らえているのであって、反戦平和思想なんて微塵もない。

今回の問題
…というような話は、今日の本題ではない。本当に問題なのは15年前にも議論しつくした感はあるんだが、右翼の内部、もしくは保守派の内部の問題だよね、戊辰東軍の霊が祀られていないという。最近思うのは、東軍派としては「けしからん」と感情論をいってればよかった時期があまりに長すぎたのではないか、ということ。大東亜戦争ばかりみてると、「靖国で会おう」と誓いあって戦死していった英霊のことばかり浮かぶ。だから靖国神社が国民(=ネーション)の神社であるべきだとどうしても思ってしまうし、このことが間違ってるとも断言しにくい。「東軍も祀れ」という主張は、「靖国神社は真に国民統合の神社であれ」という主張なのである、と東軍派の人は考えているだろう。しかし実際はそういうわかりやすい話にはならない。一つには霊璽簿を作成する際に「どこの誰」ということがわからないと合祀できないのだが、1人の英霊を追加するだけでもその調査のための時間と費用がかかり、何千人もいるであろう戊辰東軍の戦死者を今から調べ上げるというのは膨大な時間と費用がかかり、物理的に困難だという説がある。しかし物理的な障壁はなんとでもしようがあり、そんなことで理念を曲げるのは筋違いも甚だしいだろう。どこの誰とも明確にできなくても抽象的に「戊辰東軍の英霊」として祀ればよいという考えもある。しかしそれでは西軍と東軍の「祀り方」に均衡を失する、という問題がでてくる。また靖国神社境内には「鎮霊社」がありここに戊辰東軍も祀られてるからいいだろ、という意見もあるが、まったく賛成できない。(鎮霊社については後述)

靖国神社は国民のための神社ではない
それをどう解決するかという問題の前に、一つ確認したいのは、そもそも靖国神社の英霊は単に国を守って戦死した人なのではない。ペリー来航の嘉永六年以降に戦死した人に限られてる。誰もいう人がいないので俺がいうが、これはおかしくないか。蒙古襲来で戦死した武士たちは「護国の英霊」じゃないというのか? 百済を防衛すべく戦った倭兵は「護国の英霊」じゃないというのか? もし、戊辰東軍兵が合祀された暁には、かならず今いった元寇の英霊はどうなるんだ、百済防衛戦の英霊はなぜ祀らないんだ、という話になるのは必定である。あるいは日本人同士が戦った戊辰戦争で両軍とも英霊と認められるのなら、南北朝の戦いで戦死した武士たちも英霊として合祀しないと筋が通らない。どちらも天皇のために戦ったのだから。こういう流れにならざるを得ないのは「戊辰東軍を祀れ」という主張の裏には靖国神社は薩長ら一部の日本人のものではなく「全日本国民の神社」なのだという考えがあるからだ。そして日本人は嘉永六年になっていきなり発生したわけではなく、そのはるか以前から永々として歴史を歩んできているのだ。そうであるならば嘉永六年で区切る意味など何もないではないか。ではなぜ靖国神社は嘉永六年ペリー来航で区切ってきたのかといえば、それは簡単で、そもそも最初から本質的に、靖国神社は「無条件に全日本人の神社」などではなく、「明治維新という一つの大事業に殉じた人々を祀る神社」だからである。そうである以上、戊辰東軍を合祀するわけにはいかない理由も、感情的に納得できるかどうかは別として理解はできるだろう。戊辰東軍は「アンチ明治維新」派なのであって、「そんなことはない」という擁護論はいっさい成り立たない。明治維新は後付の名称ではあるが、御一新は日本人にとって未知の近代国家を建設すべく幕府を全廃したからこそ世が「一新」されたのであって、これは薩長方の国家戦略だった。対して幕府方の国家戦略は「大政奉還」で、幕府や大名を全廃するという趣旨は含まれていない。幕府もまた近代化をめざしていたし着々と実績を積みつつあったのではあるが、その先にあったのはドイツのような連邦国家であって、中央集権的な統一国家ではない。もし戊辰東軍を合祀するなら、東京招魂社まで遡って靖国神社の最初の趣旨から全廃して、元寇の英霊や白村江の英霊まで合祀しなければ筋が通らない。現在の靖国神社の歴史観のままでは、近代日本とは薩長政権「だけ」の延長であって、旧幕府軍の歴史を包み込むことなく逆に排除した上で展開したものである、ということになる。つまり大東亜戦争で散った英霊たちは、薩長を守るために死んだのであって日本を守るために死んだのではない、と靖国神社は言っているに等しいのである。

北白川宮合祀と鎮霊社は事態を悪化させた?
ところがその筋の通らないことをいくつも積み重ねて訳が分からなくなってるのが今の靖国神社なのだ。なんのことかというと、筑波藤麿氏(旧山階宮藤麿王)が宮司だった時に、2つの大きな変化があった。北白川宮合祀と鎮霊社建立である。
まず昭和四十年(1965年)に建立された「鎮霊社」だが、これは「嘉永六年(1853年)以降の戦死者・戦災死亡者(靖国に合祀されてない人々)」と「同年以降、戦争がらみで死んだ世界の人々(外国人)」を祀っている。ただこの祭神は無名不特定の集合霊であって、どこの誰だか知られる具体的な人物であった霊璽簿の英霊とは違うが、それはまぁさしあたりは大きな問題ではない。山階宮様の意図としても、なんとか東軍兵の霊を同じ靖国の境内で祀りたいという善意からでたことだったろう。その善意を疑うつもりはない。東軍派の合祀に反対する人は鎮霊社には祀られてるだろうというのだが、鎮霊社の御祭神は「奉慰」の対象だが、御本殿の御祭神は「奉慰顕彰」の対象だとして差をつけており、本殿とも隔離され人目につかない小さな祠でもあり、あまりの待遇差に到底納得できるものではない。もう1つここでもまた嘉永六年(1853年)にこだわってることだ。せっかく海外のすべての戦死者を祀るという気宇壮大な大神殿であるのに、なんで嘉永六年(1853年)以降なのか。世界人類史の始まりからすべての戦死者を祀るべきじゃなかったのか。これは「薩長のための神社」という靖国アイデンティティーの核心を山階宮様が思想的に崩せなかったということを意味する。
さて次にもう1つの事績、北白川宮合祀について。靖国神社は昭和三十四年(1959年)に創建90年を記念して、北白川宮能久親王と北白川宮永久王の両殿下の御霊をを合祀した。北白川宮能久親王は台湾神宮をはじめとして台湾各地のほとんどの神社で祀られていた。永久王は中国の蒙彊神社に祀られていた。この2柱を「遷座」合祀したというのだが、この時期には台湾や中国の神社はとっくに廃絶されて久しく、これを「遷座」と言い張るのはむちゃくちゃではないか、単に「合祀」と言うんじゃだめだったのかと思うが、おそらくそういうことにしないと両殿下を合祀する名目が立たない等の建前的な事情でもあったのだろうか。それはともかく、ここで重要なのは、この合祀が246万柱の英霊の中の2柱として合祀されたのではなく、英霊とは別枠で御祭神になってるということだ。今の靖国神社は英霊を祀る1座と、能久親王永久王を祀る1座で神座が2つになっている。通常こういう神社は合併前の2つの神社名を連称することが多い。つまり今の靖国神社の実態は「靖国神社」と「台湾神宮」が合併した「靖国台湾神社」なのである。こんなことをして内部で揉めなかったんだろうか。たった2人だけで246万の英霊と対等、同等に並べられるようなどんな必然性があるのか理解できない。両殿下を祀る神社が廃絶しているから復興しようというのはわかるがなぜ靖国神社なのか。北白川宮は明治天皇の対立君主で東軍に擁立されていた東武天皇その人であるから、この合祀には一部から激しい拒否にあったはずだと思うのだが、誰も何もいってないのはどうしたわけか。山階宮様の意図としては戊辰東軍のシンボル的な人物を合祀することで、せめて「東軍を祀れ」派と和合し、東軍を賊軍視していないことを表明しようとしたのかもしれない。しかし東武天皇は降伏し悔悟し、謝罪したことで明治政府から赦されたことになっているのだから、その人を合祀したとて東軍の賊認定が解除されたことにはぜんぜんならない。両殿下は明治政府のために戦い戦死されたんだから靖国神社に祀って問題ないという筋の通り方もあるわけでそれは薩長派を納得させる言い訳にはなっても、東軍兵が英霊からはずされたままで東武天皇だけ合祀するというのは例えば「西南戦争の薩摩兵は相変わらず賊だけど西郷隆盛だけは靖国に祀るよ」っていうのと同じだろう。東軍兵とその精神的支柱とを切り離すということであり、失礼にもほどがある。自分の号令下で戦い死んでいった者たちを切り捨ててのこの神様扱い、あの世で喜んでるわけないだろ。…という憤りは百歩譲って俺の個人的な感情としてもだよ、山階宮様はまさか「薩長のための神社なのに拝礼すれば自動的に東軍の天皇にも拝礼することになる」という皮肉をしかけたわけではあるまい。これもまた、すべて東軍派の子孫の方々とも和合したいという善意からでたことだとは思うが、靖国神社の本質についてややこしい事態になったことは否めないと思う。

お国のために死んだ人だろうと「戦死でない者」は英霊と呼ぶな
山階宮様の善意からでたこととはいえ、ここまでの段階でもすでに十分訳の分からないことになっていたのがわかると思う。さらにややこしさを加えたのがA級戦犯の問題で、山階宮様の目の黒いうちはA級戦犯の合祀もなかったわけで、悪い意味で戦後的な平和主義者だったようだ。善意の人であることは疑わないが思想的に浅い人だったといわざるをえない。次に宮司になった松平永芳は確固たる信念をもってA級戦犯の合祀を断固実行した。松平永芳は立派なウヨで尊敬すべき人だとは思うし、「いわゆる」A級戦犯(松平永芳は「昭和殉難者」というが)の名誉を守り、顕彰することも大事だとも思うのだが、「靖国神社に合祀する」ということでなければならないことだったのか。A級戦犯を崇め尊ぶことには何一つためらいは無いが、彼らは法務死であって戦死じゃないのがどうしても気にかかる。実はwipedia等で適当に調べてもわかることだが靖国神社での英霊認定は基準が一貫していないため、戊辰東軍にしろA級戦犯にしろ、合祀のための理屈も、分祀のための理屈も、合祀に反対するための理屈も、いろいろな解釈がでてくる。出だしの出発点たる幕末動乱の有名人を死に方と無関係に入れてしまったから、当初から基準が曖昧化していく必然性が内在しており、現に「戦場での戦死者」以外も含めるようになって、ずるずるに拡大されてしまった。戦死でなくても「お国のために死んだ人」なら英霊だというのは1つの立派な見識ではあるが、範囲が際限なく広がってしまう。第一に天皇のため、第二に戦場で戦って戦死した、第三に中世なら武士、近代なら正規の軍人、この3点を条件とすべきだろう。「天皇のために戦死した軍人」これに限る。それ以外の死者は無宗教の国立慰霊施設と各家庭の仏壇で慰霊するか特別な人物ならその人のための神社を建立すべきであって、なんでもかんでも靖国神社にぶちこむのはよくない。また幕末の幕府は天皇の信任を受けたもので当時の日本の正統政府なのであるからそれに背いた薩長は謀反を起こした賊軍であって今すぐにも分祀しなければならない。吉田松蔭は獄死だし高杉晋作なんか病死であってぜんぜん関係ないんだから祭神からとっととはずさないと筋が通らない。たかがそんなことすらできないんだから田中清玄から「あんなものは長州藩の守り神にすぎない」と言われてしまうんだよ。

・「民族」とはなにか

H28年2月11日(祭)の紀元節は、とあるところで新年会、お酒入っての雑談。俺も調子にのってあれこれの議論を展開したけど、だいたいほとんど忘れてしまった、民族がどうのって話だったかな。日本人は単一民族だって話と、混血民族だって話がどっちも肯定的な流れでごっちゃに出てきたから少し整理しなきゃと思ったんだった。
「日本人は単一民族である」という話はどの程度正しいか
別に、これはこれである意味正しいんだよね。問題はその「ある意味」ってことなんだが。
(※以下、多忙につき続きは後日かきます)

「日本人は混血民族である」という話はどの程度正しいか
これも、正しいといっていえなくもない。「度合い」の問題だけど。
(※以下、多忙につき続きは後日かきます)

縄文と弥生
縄文がー、弥生がー、って話も好きな人多いよねw ホントにもうどうしたもんだか。アイヌがー、琉球がー、って話は胡散くさがるのに平気で「日本人は北方系だ」、「いや南方系だ」って言いあってる神経がわからんねw
(※以下、多忙につき続きは後日かきます)

帰化人系氏族は「帰化人」ではない
(※以下、多忙につき続きは後日かきます)

平和と同化
(※以下、多忙につき続きは後日かきます)

民族国家から帝国に進むのではない、帝国が民族国家になる
(※以下、多忙につき続きは後日かきます)

・神話と「国のなりたち」?

H29年6月14日(水)初稿
表題に「『古事記』の構成」とあり。
(※多忙につき後日に加筆)

・東京大空襲か陸軍記念日か

(※多忙につき途中まで書いてはいるんですが、後日、完成してからアップします)

・「私は好きにした、君らも好きにしろ」→陛下も好きにして

この夏は本当にいろんなことがいっぺんに起こった。

7月29日(金) 『シン・ゴジラ』公開
7月31日(日) 都知事選、小池百合子圧勝
8月3日(水) 北朝鮮ミサイル発射、秋田沖に着弾。破壊措置命令が常態化。
8月6日(土) 中国海警局の船6隻と漁船230隻が尖閣諸島に侵入、外務省が抗議。
8月8日(月) 譲位の詔

どれ一つとっても時代を画する重大事件ばかり。で、これ4件とも微妙に内容が重なっているので、バラバラの四つの事件ではなく、ひとつながりの大きな流れなんだと思いたい。
『シン・ゴジラ』には秀逸な批評がネットに多く転がってるので、わざわざ駄文を加えることになるが、古事記がらみでいえば「ヤシオリ作戦」や「アメノハバキリ」という特殊ポンプ車両の名前が出てくる。ヤシオリは八岐大蛇を酔わせた酒、アメノハバキリは八岐大蛇を斬り殺した剣の名だから、ゴジラを八岐大蛇に喩えている。ゴジラを退治するのは太古、神話時代の日本人がすでにやったことの再演にすぎない、だから成功するのだといっている。今回のゴジラは露骨に原発事故の喩えでもありこのアメノハバキリという冷凍凝固剤のポンプ車は原発に放水したポンプ車のイメージを援用している。八岐大蛇を退治する創作劇なら「出雲神楽」(いずもかぐら)が浮かぶ。『シン・ゴジラ』は原発事故の完全な終焉を祈願する現代の出雲神楽なのだ。ゴジラ自体が人類を滅ぼしかねない脅威であるが、同時にエネルギー問題を解決する福音になるかもしれない、そして放射能汚染問題を解決する鍵までもゴジラから発見されるという話は、アメノハバキリで斬り殺された八岐大蛇の尾から、三種の神器の一つ「アメノムラクモノツルギ(=クサナギノツルギ)」が出てきたという話とパラレルである。悪から善が生まれ、凶が吉に転じ、災厄から幸福が生まれる。道理や宿命によって自然勝手にそうなるのではなく、道理や宿命に背いてまでも戦い続けることでそうなる。その戦いの象徴が剣だ。三種の神器は神話学でいう「三機能(主権・戦闘・生産)を象徴する王権のレガリア」であり、この映画では鏡(=主権)でもなく玉(=生産)でもなく剣(=軍備)が象徴効果に使われている。それと小池百合子を思わせる女性の防衛大臣が登場したのが印象深い(女優は余貴美子)。北のミサイルを受けて、稲田朋美防衛大臣は自衛隊に「破壊措置命令」を出した、これは事態が解決するまで自動延長していくという。破壊措置命令が常態化するわけで、考えようによってはただならぬ事態ではなかろうか。中国の漁船は事実上、民兵のようなもので民間人ではなく、あからさまな侵略行為だ。だが戦争となると、日米安保の議論はさけて通れない。『シン・ゴジラ』でも日米安保は大きなテーマになっている。最後はいつも外国に頭をさげてばかりいる総理大臣が、部下から「たまには好きになさってもよいのじゃないですか」といわれてヤシオリ作戦に判子を押す。映画冒頭ででてくる牧二郎博士の「私は好きにした、君らも好きにしろ」という謎のメッセージがここで生きてくる。これはもう日本は米国に縛られることなく勝手にやってくよっていう意志にもきこえるが、映画の中の登場人物たちはそこまで過激なことは考えてないようにみえる。あくまでも選択肢として確保しつつ、自分の意志と自分の覚悟で決断し、行動を決めるのだ、誰かに押し付けられてのことではないのだという「ありかた」を描いてると思う。憲法にしろ原発にしろ単純な現状肯定や単純なアンチであってはならない。
神話学の三機能体系を現代日本の問題に引き寄せていえば、鏡(=主権・祭祀機能)は天皇や憲法の問題の象徴であり、玉(=生産・豊穣機能)は国民経済の問題の象徴となる。国民の社会問題・経済問題はこれはこれで近緊の大きな問題ではあるが、それはさておいて、三機能体系では「鏡は王や神官、剣は貴族や軍人、玉は庶民」というふうに階級(≒職分)にも対応しており、『シン・ゴジラ』ではそれぞれの立場にいる人々が自分の持ち場で全力を尽くす。しかし役割をはたすというのは、型にはまってロボットのように動くことではない。それをいちばんわかっているのは今の日本では天皇陛下をおいて他にないだろう。今上陛下はお気持ちを表明されたが、その趣旨は、譲位のご意向という報道は本当だったのだということ。国民のほとんどは賛成だろう。なぜこれが憲法問題になるのかわからない。これにこじつけて改憲だの護憲だのいう言説はあさましい政治利用にしかみえない。保守派でもたとえば百地章先生などは、譲位には反対だとしてあちこちに書いてるが「殿、それはなりませぬ」というご家老の役どころ、演劇性と様式美が王権には必要だが、それを言うこと自体に意味があり、百地章先生の主張を落ちにすべきではない。天皇陛下におかれては、「象徴が~」「立憲制が~」の話よりも自分が端的にどうしたいのかって話を直接いってほしいと多くの国民は思ってるんじゃないのかな。立場上いえないというのは「頭のいい人が作った立派な仕組み」とはいえないし、普通は「立場上いえない人=可哀相な人」と感じるのではないか。天皇陛下の好きになさることがすなわち国民の喜びである。

・今上陛下の琉歌

H27(2015)年11月11日(水)初稿
「歌声の響」というタイトルで、「天皇陛下 御作詞(琉歌)」「皇后陛下 御作曲」とある。

ダンジュ カリユシヌ  ウタグイヌ フィビチ
だんじよかれしよしの歌声の響き

ミウクルワレガウ ミニドゥヌクル
見送る笑顔目にど残る

ダンジュ カリユシヌ   ウタヤ ワチャガタン
だんじよかれよしの歌や湧上がたん

ユウナ  サチュル  シマチムニヌクティ
ゆうな咲きゆる島肝に残て


わたしの個人的な感想などはまた後日に…

・新日本建設の詔書(俗称:天皇人間宣言)

H26年10月18日初稿
今日は靖国神社の秋季例大祭。午後、もう勅使はお帰りになった後だけど参拝してきた。参拝客かなり多め。
先日15日、とある集まりで、俗にいう「天皇人間宣言」、正しくは「新日本建設の詔書」の話題がでた。この問題については詔書それ自体も有名だし、これをめぐるあれやこれやの議論も良質なものが数多く出回っていると思うので改めてわたしがなんだかんだいうことはない。そういえばこんなページがあったな↓
■■■ いわゆる「人間宣言」について(オロモルフ)■■■
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/ningen_sengen.htm
(↑オロモルフ先生(石原藤夫先生)のサイトより)

…といいつつ。以下は以前、日本についての知識がほとんどない外国人向け(具体的にはフランス人を想定)に、天皇の人間宣言について解説する文章を書こうとしていた友人に対して、叩き台として草稿を提出した時の文。あくまでも一般の日本人向けではないのでそこらは納得できる人だけ読んで下さい。↓H23年(2011年)の4月から6月の間(正確な日付は不明)に書いたものなので今では考えの変わったところもあります、念のため。

「無題」(内容:昭和天皇の人間宣言について)

(前略…)かつて天皇は「神」として崇められ、絶対的な権力をもって日本人に君臨したが、第二次世界大戦に敗北し、米国に占領された。その結果、民主主義を受け入れて国家制度を改変し、西側=自由主義かつ民主主義の国家として生まれかわることになった。この時、天皇は自ら自分は神ではなく人間であると宣言。
その中では「朕と国民との絆は、単なる神話に基づくものではない」と語られている。
これを通俗的に「人間宣言」と呼び習わしている。これで天皇は形式的な存在=立憲君主となり、権力は天皇から国民へ移った。
…以上が、一般的な「人間宣言」の理解である。しかし日本において、右翼よりな解釈としては、神とはキリスト教でいうような意味での神ではない、ここで否定されたのは「天皇が(キリスト教でいうような意味での)神である」ということがよく言われる。実際、「人間宣言」はGHQに対する「上手い言い逃れ」という側面をもつ。その文面を子細に検討すると、単ならざる神話「にも」基づくことは否定されてないか、少なくとも重きを置いてないのである。しかしこれは以下の重要項目を取り落とすと日本の右翼内部での辻褄合わせに堕してしまう。
「人間宣言」で重要なのは、「朕と国民の絆は、相互の信頼と敬愛によって結ばれたものであり、単なる神話や架空なる観念に基づくのではない」というところである。もし国民からの信頼と敬愛が、神話を否定した後でも天皇が存在し続けるための言い訳であるならば、この人間宣言は取るに足らない敗北宣言にすぎない。しかし、もし本当に天皇と国民の相互間に信頼と敬愛による絆があるならば、確かに個人を絶対神聖視する迷信的な個人崇拝よりもはるかに美しくかつ恐るべき国家であろう。それは、その後の昭和天皇の全国巡幸によって明らかになった。

とはいえ、戦前でも日本人一般が天皇を神であると信じていたか、神話を真に受けていたかは微妙である。微妙というのは日本人は信じるか信じないかに二分して受容するようなことはあまりしないから。そういう話があるってままに受容してそれが本当かどうかにはあまりこだわらない。なぜならわかりっこないから。追求されれば「そりゃ嘘だろう」というけれども、「虚偽だから信じるべきではない」という展開にはならない。「虚偽じゃないかな、と思う」のは「虚偽と確定した」という意味ではなく、まぁいいんじゃないの、という態度を許容する範囲内だと感じるらしい。日本人は仏教とキリスト教を同時に信じることが可能。ただし「信じる」の意味がクリスチャンやムスリムとは異なる。

明治以降の皇室は、西洋の国民国家におけるキリスト教の役割を期待され、皇室はその期待に応えてきた。キリスト教的な美徳を発揮することが、GHQに対する最大の防御である。日本ではクリスチャン人口が1%より増えたことはない。しかし聖書を読むことを楽しんだことのある人は人口のほとんどに至るであろう。神道の神としての天皇を信仰することと、キリスト教を信じてその美徳を我が物とすることは、日本人において矛盾しない。

このような日本人の独特な感性は、西洋を含め世界のほとんどの地域(中東・インド・シナ)においては部族時代の原始的な宗教を捨て去り合理的に構成された理知的な宗教に転向することで文明を形成したが、日本では原始的な感性を基礎に生かしたまま他国の諸々の高度文明を御都合主義的に輸入しては改変し、高度文明に同化されることを拒んできた歴史に由来する。西洋においてはゲルマン神話もギリシア神話も過去の異物で博物館に所蔵される死体にすぎないが、日本ではそれが「神道」として生きていて、論理に価値をおかない文化が根付き、それが長所にも短所にもなっている。(…後略)
プロフィール

浅草橋キッド

Author:浅草橋キッド
どこから見ても平凡な、一介の町人です。

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