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このブログの6つの基本原則

2679(R1)・11・24 SUN 改稿 R1・5・26 SUN修正 H30・7・28 SAT修正 H26・10・16初稿
【1】問い合わせや連絡などはコメント欄で、もしくはメールフォームからお願いします。

【2】※このブログには『古事記』の原文も現代語訳もありません。
議論の流れや説明上、最低限必要な分は載せることがあります。『古事記』の内容が頭に入ってないと議論が唐突でわかりにくいでしょうが、それは「古事記ぐらい読んでるし頭に入ってるわい」という人向けに書いているからです。そうでない人は別のウインドウかタブで別サイトの『古事記』を開いてそっち見ながらでもいいでしょうし、なんなら文庫本(電子書籍も可)を買って先に関連ページを読んでからこのブログの議論を読むのがもっとよい。ちなみに『古事記』の文庫本だと岩波文庫(倉野憲司)や講談社学術文庫(次田真幸)のはおすすめできない。角川文庫の『古事記』それもできれば中村敬信の新版でなく、武田祐吉の旧版が良いです。

↓これ。左の方がより良い。どれも無かったら中村敬信のでも仕方ないが、それでも岩波や講談社のよりはマシだと信じたい、武田祐吉の弟子なんだろうし。
角川古事記3冊揃い
↑クリックで大w
なお武田祐吉の古事記は青空文庫にもあります
読み下し
https://www.aozora.gr.jp/cards/001518/files/51731_50813.html
口語訳
https://www.aozora.gr.jp/cards/001518/files/51732_44768.html

【3】このブログは、わたし(ブログ主)が古事記の感想や個人的な意見をまとめた個人ブログです。

といっても、古事記が編纂された奈良時代には、公式の正史である『日本書紀』も同時進行で編纂事業が進んでいたため、当然『日本書紀』が主に読まれるという予想が前提となって『古事記』は設計されていると考えられます。特に中巻・下巻がそう。つまり古事記の中巻・下巻は日本書紀を修正あるいは補完するという面が強くある。それで古事記と日本書紀を併読し、両者あわせて考察しています。上巻だけは日本書紀なしで単独で完結しているので、日本書紀の神代巻(第一・二巻)とは対等に比較照合して参考にしています。(詳しくはブログ内の各所にて)


【4】※このブログは日付の順に読む意味はありません。カテゴリー欄から興味あるところをクリックしてランダムに読んで下さい。あるいは検索窓に興味あるキーワード入れて検索して出た記事から読むもよし。記事の順番、前後などはごく一部の例外を除きほとんど意味ないです。
カテゴリー欄はPC版では画面左側に(都合により右側になってることもあり)、スマホ版では左上のプルダウンメニューにあり。
検索窓はPC版では画面右側のいちばん上といちばん下の2ヵ所に、スマホ版ではスクロールしていちばん下にあり。

【5】このブログを始めるまでの過去の経緯についてはこちらをクリックして下さい。
   →https://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

【6】このブログの基本原則

1) 『古事記』を架空のお伽話とはみなさない。すべて事実であると、なるべく信ずる。例えば、進化論を否定する聖書原理主義者のような気持ちになって、古事記に書かれていることすべてを、極力、真に受ける。

2) 『日本書紀』に書かれていることも、格別古事記の内容と矛盾しない部分に関しては、同じくなるべく事実として受け入れる。

3) 『古事記』と『日本書紀』の間で矛盾がある場合、極力その両者が両立するような理屈を徹底的に考えぬく。

4) もしそれが不可能な場合、『古事記』が正しいとして『日本書紀』を誤りとするが、必ず、なぜ日本書紀がそのような意図的な改変をしたのかという理屈を考える。

5) 例外的に『古事記』より『日本書紀』が正しいとした場合も、なぜ古事記がそのような誤りを犯したのかという合理的な理屈を考える。

6) ただし、『古事記』も『日本書紀』も完本ではなく文章の誤写や文字の脱漏、伝承の摩耗、欠落、断片化などがありうるので、意味不明なところや、一見したところ不合理なところは推理の余地がある。聖書原理主義者でもなければ古田武彦でもないので「古事記には一字一句も誤りはない」、とは考えない。

7) 神武天皇以降の諸伝承は歴史であり、神話ではないとする。事件の背後には国内政治・外国関係・古代信仰・経済・軍事・社会・習俗文化・歴史地理・地政学など、膨大な「事実」からなる「世界」があって、記紀に語られた物語はその世界の中で展開したのである。しかし世間には、背後の世界から切り離した「ストーリー構造」だけを物語として扱っている議論が多すぎる。これは畢竟、歴史事実ではなくただの神話、伝説だと決めてかかってるからだろう。このブログでは神武天皇以降はすべて史実として扱うので、具体的な世界と連動した解釈をめざす。

8) 神代については、神話であり、歴史ではないとする。神話学は単なる西洋の学問ではなく、その先駆者は日本の平田篤胤なのである。従って、世界各地の神話を比較検討して、日本神話の解釈に役立てるべきである。世界各地の神話が似ているのは原始時代にはもともと同じ話だったから。複数同時発生説は採らない。従って神話は、数万年前にも遡るものであって、神話の中に活躍する神々が、たかだか古墳時代や弥生時代あたりの「人間」だったなんてことはありえない。神々を人間だとはみなさない。ただし「もとから神であって人間ではなかった」という言葉には「だから実在しなかったのだ」という意味を一切含まない。またここで先からいっているところの「神話」という表現には「事実ではない」という意味を一切含まない。

☆中国や韓国の神話は記紀と似ているか

H30年10月改稿 H27年10月25日(日)初稿
H27年10月25日(日)は14時から15時半まで、東西線西葛西駅歩6分「江戸川区立西葛西図書館」3Fギャラリーにて、古事記に関する講演会を聴講。定員80名のところ85人もくる盛況だった。
会場のお客さんから「こないだ別の講演会で、日本の神話は韓国や中国の神話と似てるって話があったんですが中国や韓国の神話から影響を受けているってことはないんでしょうか」という質問があった。これは講話の中で、中国式を除去して純然たる大和言葉で書こうとしたのが古事記だ、というような趣旨の話が出ていたのでそれを受けての質問だろう。そして質問者がいっていた「似てる」ってのは中国神話で「盤古」という巨人の右目が太陽に、左目が月になったとか、朝鮮の神話で「桓雄」という天の神が天符印というもの(鏡・剣・鈴)を父神から授けられ妙香山にあまくだったとかの話をいっているのだろう。まぁ確かに似ています。それは否定できない。もちろん講演者は「中国や韓国の影響はまったくない、なぜならそういうのを排除して作ったのが古事記だから」と答えていた。その通りと思います、私もw 会場での質問はもう一人ぐらいあったが忘れた。

中国の神話や韓国の神話と「古事記が似ている」のはなぜなのか
ところで、似てるのならそれはなぜだ、と誰でも考える。もっとも安直な答えは「影響を受けたから」。もっとはっきりいえば中国や朝鮮の神話が伝わってきてそれが日本で変形して日本の神話ができたんだという説。これに対する反論として、朝鮮の神話は記紀よりずっと後に書かれた(上述の桓雄あまくだりの話が出てくるのは『三国遺事』で十三世紀、記紀よりも500年も後)のだから、そっちから影響うけたはずはない、ということをいう人がいるが、それなら中国神話が書かれた『三五歴紀』は三世紀だから記紀より500年も古いわけで、じゃすべて中国から来てるのか。
古くていいならギリシア神話の方が古い。『イーリアス』や『オデュッセイア』が書かれたのは紀元前六世紀頃だというから、中国神話より900年も前になる。なんでギリシア神話をもちだすかといえば、今「似てる」って話だから。日本神話とギリシア神話が似てるって話は有名で、朝鮮や中国の神話が日本神話にいくらか似たところもあるっていう程度の話とは段違いに激しく似ている。これに比べると中国や朝鮮は「あまり似てない」(似てはいるのだが度合いが低い)。これは騎馬民族がシベリア経由で神話をもってきたという説もあるが、じゃ書物に編纂された時代が後なだけで内容は中国神話や朝鮮神話より古いわけだ。
…と言いたいところだが、騎馬民族はギリシア人でもないのになぜ自分らの神話でなくわざわざギリシア神話をもってこなきゃならないのか、中国神話や朝鮮神話の影響が今度は比較の上で薄すぎるのはなぜなのか。それに日本神話が全部ギリシアからきたという話でもない。南洋諸島や東南アジアと似ているところもあって、単純に「ギリシアと日本が…」という話でもない。神話学では、全世界各地の神話が驚くほど似てる話が多いということはずいぶん前からわかっている。いろいろ説明つかない。格別に「中国と日本が…」とか「朝鮮と日本が…」という話では全然なくて、全世界なの。古代オリエントの粘土板にかかれた神話から、ケルト神話、北欧ゲルマン神話、インド=イラン神話、アフリカ、シベリア先住民、アメリカ先住民の神話…。
そもそも「伝わった」という場合、つい二千年前とか三千年前のことを想像する人も多いだろうが、そんなに最近のことなら名前とか粗筋とかはもっとそっくりでないとおかしくないか。日本の神様の名前は、朝鮮語でも中国語でもギリシア語でもない。日本では縄文土器の造形に日本神話の原形を見出す研究もある。全世界規模ということは二千年前とか三千年前とかではありえず、数万年前にわかれたのだと考えるしかないだろう。
ギリシアと日本を例にするなら、時代も地域も遠く離れた方がそっくりで、時代も近く同じ極東の方がかえって似てない。これはギリシアと日本に格別の交通ルートがあったからではないだろう。もしそうならそのルート上にはそっくりな神話がいくつもあって然るべきじゃないか。そうじゃなくて、もともと世界のすべての民族は同じ神話を共有していたのである。多くの民族は伝承が途絶え神話が断片化してしまったので、世界中の神話はどれも中途半端に似ているわけだが、たまたま日本とギリシアでは古い形のものが記録され伝承が途切れなかっただけなのだ。
そして数万年前ということはつまり石器時代、原始時代ということで、その頃はまだ日本人とかギリシア人とかインド人とかエジプト人とかの「民族」はまだ誕生していなかった。原始時代にすでに神話は存在し、それは民族に先行する。だからこそ世界中の神話は、民族を超えて「似ている」のです。だから、どこそこの民族の神話が元で、それが別の民族に伝わって…という話ではないわけ。
ちなみに平田篤胤がやろうとしたことは今でいう神話学の走りですよ。平田篤胤はキリスト教をパクったとか言われてるがトンデモないw まだ中国神話とインド神話と聖書神話ぐらいしか参考にできなかったというだけで、神話の原型を追求する上で海外の神話を参考にしなければならないというのは、神話学としてはまったく正しい。一例として、篤胤がいうには、大国主は閻魔様のようなもので、人間は死後、あの世で大国主神の裁きを受けるのだといってる。批判する人は、これは古代の日本にはなかった信仰で、江戸国学が作った教義だというのだが、比較神話学的には、インド=イラン神話のヤーマ(イマ)というのは日本神話の大国主神やエジプトのオシリス神に該当する神だと考えられる。さすれば、仏教伝来以降には薄れて消えてしまい記録からは辿れないだけで、本当に「死後のあの世は大国主神が統治している」ぐらいの信仰があった可能性が高いのではないか(記紀にはだいたいそれに近いことは書いてあるが、それがヤマト朝廷が勝手に作った話じゃなくて本当に当時の庶民を含めた人々の信仰だったということ)。こんなのはほんの一例で、江戸時代の国学神道の教義はでたらめに作ってたわけではない。ちなみに今でも出雲大社の公式な教義は江戸時代の国学のままですからね。

・オリエントの秘密と三笠宮殿下の研究

H28・12・15(木)改稿 H28・10・28初稿
皆様ご存知の通り昨日(10/27)は三笠宮様の薨去のニュースあり、100歳の天寿を全うされてのこと。深くご冥福をお祈り申し上げます。
オリエント文明を研究する意味とは
さて、三笠宮様といえば「日本オリエント学会」の創設者であらせられ、古代オリエント文明の解明にただならぬ貢献をされてこられましたが、その目的、趣旨の根源には天皇の起源、天皇の本質という問題意識があったことはいうまでもないでしょう。これが表面的で短絡な話になると、皇室の祖先は中東から渡来してきたとか、スメラミコトはシュメールの訛りだとか、日猶同祖説とかの「ムー」ネタになっていくわけですが、そういうのは戦前から元ネタがある。

『世界的研究に基づける日本太古史』木村鷹太郎(上m44・下m45)
 ギリシア・ラテン人説。ご存知キムタカ、借地史観の元祖。借地史観ってのは鹿島昇の説みたいなやつね。日本書紀にかかれているのは実は日本列島での出来事ではなく百済や新羅での出来事で、富士宮下文書の皇統譜は朝鮮の『桓檀古記』の檀君のことだっていうんだけど、その檀君朝鮮・馬韓・番韓は中国の戦国時代の三晋(趙・韓・魏)のことだっていうんだけど、古代中国の戦国の七雄ってのはぜんぶ古代オリエントの諸王朝のことだっていうんだよw 鹿島昇とキムタカではもちろん世界像はちがうけれども、借地史観というものがどういうものかはわかると思う。で、キムタカは原田実のおかげで今じゃ「邪馬台国エジプト説」ばかりが有名になったような感じだが、これは時代もいろんな出来事の時系列がめちゃくちゃで世界規模で地名と地理がこんがらがった独自の世界での話だから、普通の「邪馬台国どこそこ説」と一緒にならべてはいけない。たしかにギリシア神話と日本神話は似てるから、比較神話学って発想がないとどちらも同一の古代史実の伝承だって話になる。だが実際の地理と古地名をバラバラにしたり時系列も任意にいれかえて歴史の流れをめちゃくちゃにするやり方は俺の好みではない。八幡書店は売らなきゃならんから「時空を超えた大パノラマ」と煽ってるが物は言いようだな。が、明治の段階で早くもこんな突拍子もないものが有名になって、しかもキムタカが普通の学者に一喝されるのではなく学界のお歴々に煙たがられる存在だったってのは、やりたい放題の素人研究家が声にあげやすくし、アカデミズムとは別の「トンデモ古代史界隈」の戦前における形成に一役買ったのではないかと思う。戦後は鹿島昇よりも先にこれをパクったのが八切止夫(一説では後述の三島敦雄が八切のネタ本というがこれは何かの間違いでキムタカのパクリと思う)。で、キムタカはnameが「名前」、boneが「骨」とか、人名語尾の「~~ウス」を「~氏」だとか、落語みたいな言語学を駆使してるのだが、使ってるのは英語、ドイツ語、フランス語ほか多く、別にギリシア語とラテン語に限っていない。それで日本人の起源がギリシア・ラテン人だといいたいのか古代のギリシア・ラテン人は実は日本人だったといいたいのか、そもそも日本人とギリシア・ラテン人は同じものといいたいのかよくわからない。が、ギリシア人とラテン人がそもそもかなり違った民族なのに平気で並べてるところをみると、ギリシア人・ラテン人・日本人の三者の距離が等距離だと言いたいのかなとも思うが、ギリシア語もラテン語もインドヨーロッパ語族のいろいろある中の一つってだけで、特にギリシアとラテンが近いわけではない。つまり日本語はインドヨーロッパ語族であり、日本人はアーリア人だと言いたいわけだ。当時は人間といえばヨーロッパ白人のことで有色人種はものの数に入らなかったわけだが、当時の人類学ではヨーロッパ白人とは「アーリア人」であり、欧米に追いつけ追い越せを自己目的化していた日本人としては最終的にはアーリア人だったことを証明するのことが、わざわざ江戸時代をやめて近代化をめざした日本民族の最終目的となるわけだろう。当時は学問の世界だろうが人種差別あたりまえの時代であり、海外留学してきた学者はそれを体験しているから、建前ではキムタカを「あんなの学問じゃない」と言うのだが、一方では「欧米も人種差別で学問を捻じ曲げてるんだから日本人もこれぐらいの放言してもいいのではないか」と心情的に擁護する声もあった。確かに日本人がこんなにすごい、欧米に負けてなかったって話だけでできてる本だから差別に苦悩してた人ほど読めばスカッとしただろう。学説史としてはアーリアよりは日猶同祖説のほうがずっと古いが、ユダヤ人なんてのは欧米では被差別賤民みたいな連中だって知られてくると、日本人がわざわざそんなのにアイデンティティファイするのは違和感がでてくる。まぁ「日本人はユダヤだった!」も「日本人はアーリアだった!」も「(精神的に)さまよえる日本人」の妄想説としては大差はないが、ヨーロッパの思想史はヘレニズムとヘブライズムの相克といわれ、両者は水と油のように混ざらないともいわれている。その両者を内面化しているのがヨーロッパ文明ならば、日本人もいっそのことアーリア人とユダヤ人の混血でできたってことでもいいのではないか。また混血説かよw 戦前には「ギリシア人よりギリシア的な日本人、ユダヤ人よりユダヤ的な支那人」という言い方があったらしく、日本人の国民性はユダヤより古典ギリシアに似てると思われていたようだが、実際は日本人と古代ギリシア人とでは真理や歴史の捉え方がかなり違う(ユダヤ教とはさらに違うが)。古代ペルシア人のほうが近いかもしれない(これもアーリアだが)。八幡書店の復刻版は神保町でみたことがある。俺も復刻版を先輩からもらって読んだ、金がないからなw 大きな大学なら大学の付属図書館にも割りと入ってることがある。キムタカは他にも珍説をあれこれ著述していて、神保町で「え?こんな本も書いてたのか」と思うような面白げな本を発見することがある。買わないが。

『古事記神話の新研究』石川三四郎(t10)
 日本ヒッタイト起源説。石川三四郎は本業はアナキストで有名な人。アナキストっつったって奇声を発しながら物をぶっこわしてる人は単なるアナーキーな人であってアナキストではない。あとアナキズムは左翼でもなく、むしろ極右に通ずる要素も濃厚にもつ。無政府主義とイコールでもない。無政府主義ではないアナルコサンジカリズムもアナキズムの一種であり、石川は日本で最初に労働組合をつくった男ともよばれる。イタリアファシズムはこのアナルコサンジカリズムと国家階級論を組み合わせたものだ(と、学生時代の恩師で『戦士の革命・生産者の国家』という中二がかったタイトルの本かいた桐生尚武先生がいってたよw)。日本では「天皇制アナキズム」ってのがあるぐらいで、本物のちゃんとした本来のアナキズムは左翼でなくて右翼なんだなぁ。石川三四郎もそれ。このおっさんは正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)という名の「カチ」に注目、これがヒッタイト(旧約聖書ではヘテ人とよぶ)の本来の名「ハッティ」だとする。これが東に移動して「月氏」となったと。まぁこのへんは取るに足らないコジツケだが、大正時代の段階で、エジプトでもバビロニアでもなくヒッタイトをもちだすセンスに痺れるw し~びれちゃったし~びれちゃったし~びれちゃったよ♬(古すぎて何の歌だかわからんか)。評論家の望月百合子(石川の養女)が石川をパパと呼んでるんだが、この時代の知識人はみな外国かぶれだからしょうがないにしても、現代の一般庶民としてはいい歳してパパって、しかも著作の中で、違和感ありまくり。唐突だが『天は赤い河のほとり』が描かれるよりさらに10年も前になんかの事情でヒッタイト脳になっていた厨二女子と文通していた黒歴史(当時はネットも携帯もなかったんで。いや携帯電話はあったかな?ポケベル時代だったか?)が思い出される(あの時の彼女が若き日の篠原千絵なんてことはあるまいな?)。石川三四郎のヒッタイトも、木村鷹太郎のギリシア・ラテンも、どっちも「アーリア人」だ。『古事記神話の新研究』は石川三四郎全集の第一巻に入ってるのを神保町の古本屋で何度もみた。全集じゃなくてもとの原書も一度神保町で出てたの見たこともあるがそっちはボロいのに高価だったから全集版を買ったわw

『天孫人種六千年史の研究』三島敦雄(s2)
 シュメール・バビロニア説。三島敦雄って愛媛の大山祇神社の神主だったんだな。文明はシュメールから始まるわけで最古がえらいのならシュメール説が望ましいw シュメール人からみればアーリア人だろうがユダヤ人だろうがそこらの野蛮人みたいなもんだから、なにも「日本人はアーリア人だった!」などと欧米コンプ丸出しな珍説を唱える必要はないってことなんだろう。日本人の起源がシュメールだってのはなにも三島敦雄が元祖ではないのだが、この本がベストセラーになったので、シュメール・バビロニア説のネタ本みたいなことになった。まぁ、メソポタミアのニンギルス神が瓊々杵尊(ににぎのみこと)だとか、お定まりのコジツケのオンパレードなんだが、これが売れまくったために一部の奇矯な日本人の歴史観に影響を与え、石原莞爾の『世界最終戦論』ではシュメールに発した文明が東へ発展して日本となり、西へ発展したのが米国で、地球を一周して太平洋でぶつかるとかの与太噺を生んだ。実際の世界史はそんな単純な流れではない。この本の版元は「スメル学会」となってるが、むろんまともな学術団体ではない。この説の信者が大量に湧いて、天皇(すめらみこと)はスメルだスメルだってうるさいもんだから、かしこきところの某高貴な方の思し召しにより、戦後の日本語ではわざわざシュメールと表記することになったのは隠れもない事実であると存じ上げ奉るものだ。宸襟を悩ませおって不敬者どもめw あとこの本は日猶同祖論を「悪魔的」とよぶほど嫌悪してるが、理屈はわかる。旧約聖書にでてくる古代ユダヤの風習ってのは(全部ではないにしても)かなりの程度周辺のオリエント諸民族にも共通したものだったりする。ベストセラーになった割りには神保町でみたことは長い神保町人生の中で一度しかない。一説ではGHQが回収、焚書したというがホントかね。

『古代埃及と日本』徳政金吾(s8)
 日本エジプト起源説。日本では昔から「エジプトマニア」がいて一定の趣味者勢力となっている。ツタンカーメンの黄金のマスクとかピラミッドとかミイラとか、ビジュアルになじみがあるってのもあるんだろうか。金ピカのアクセサリーで飾り立てた女性をツタンカーメンみたいとかいってたな、ビートたけしが。高校の時の彼女がエジプト大好きで、辛島宜夫の古代エジプト神大アルカナカードをあげたなぁ。これは絢爛豪華なタロットカードで、アレキサンドリア木星王先生には不評だったが、素晴らしいものよ。タロットの話は関係ないのでさておいて。現在ではエジプトといえば吉村作治になってしもうた。もう何年も前の話だが、早稲田大学の構内でエジプトビールが飲めるというので、みんなで飲みに行くついでにレジュメつくってこの徳政金吾の日本エジプト起源説について講釈をしたことがある。懐かしいなー。古代エジプトのアマルナ改革の時に、アテン信仰が強要され、迫害された「アメン神団」は「太陽の船」にのってインド洋を渡り日本にやってきたという。日本の神々の名の「天之(あめの)なにそれ」という語源が太陽神アメンからきているという、誰でもきいたことありそうな話から思いついんたんだろう。エジプトの古名「ケムト」は「神土(カムト)」だとかいう。本当は「黒土」の意味で英語の化学(ケミストリ)の語源になったのは知られた話。あと神代文字の一つ、豊国文字がヒエログリフだって説も有名だが、調べてみたら見た目が似てるだけで音価はぜんぜん違ってたぞw ちなみにユダヤ教のヤハウェ神のルーツとしてアテン信仰をあげる説も(必ずしも最有力説ではないが)あるから、そうすると、アテン神団とアメン神団の対立抗争が、かたやユダヤのヤハウェ信仰に、かたや日本の天照大神信仰として残ったという歴史像もすぐできる。こりゃ日本とユダヤの友好は三千年越しの和解となるな、同祖説は否定されるけどw いや日本もユダヤもエジプト起源説に回収されてしまうのか? このように、この説も使い勝手のよい面白いネタ満載。ただ、まじめにいうと、文化・風習・神話・民族性などいろいろ比べると、古代日本との類似性・共通性という点では、確かにメソポタミアよりはエジプトのほうがいくらかマシに思えるという人のほうが多いのではないか。さらにいうと、日本というより奥州藤原氏のほうが黄金といいミイラといいエジプトっぽいよなw 『古代埃及と日本』は神保町で一回くらいみかけたことがあったかどうだかな…。

『聖書より見たる日本』中田重治(s8)
 日猶同祖説はそれこそ江戸時代から、うんざりするほどたくさんあって、その内容も具体的にはいろいろ。ユダヤ民族が極東にきて日本人になったのか、日本から行ってユダヤ人になったのか、いろいろな民族が混血して日本人になったうちの一つがユダヤ人にすぎないのか、皇室の先祖がユダヤってだけで日本人全部って意味じゃないのか、いやいや皇室ではなくて秦氏の先祖がユダヤなのか、ユダヤといっても今のユダヤ人(ユダ族)とは敵だった「失われた十二部族」のことなのか、いやいや両方なのか、…というように枝分かれしており、一口に「日猶同祖説」といっても、比較的穏当なものから完全に逝っちゃってる電波説まで一様ではない。逝っちゃってる類いにしても、逝っちゃってる方向性がこれまた多様でお互いに矛盾していることもある。それに現在のアシュケナジーはユダヤの子孫ではなくカザール人の改宗ユダヤだという説もあるがこの説は学問的にはすでに否定されているのだが、陰謀論好きにはあいかわらず熱烈に信じられてる。面白いからなw おもしろ基準でいえば、カザールに限らず草原の遊牧民族は10部族連合体で国をつくっている。カザールの場合はそのうち7部族はトルコ系(突厥)だが残りはルベン族・ガド族・マナセ族(どれも失われた十部族の一つ)だったという伝説もある。なので、じゃ、結局ユダヤと同族ってことでいいじゃねぇかよって理屈はどうよw つかさらにいえば失われた十部族(古代イスラエル人)とユダヤ人(ヘブライ人)が同族だというのは後世に創作された聖書の神話であって統一王国以前にはもともと別系統の別民族だった可能性が高いんだがな。日猶同祖論者のうさんくさいところは、記紀については史実を都合よく歪曲したものとして王朝交代説だのをいいように利用する癖に、聖書に書かれてることはそのまま真に受けた考察してるやつが多すぎること。いまどき聖書をそのまま史実と思ってるってどうなんよ。信者なら最初から「この説は布教の一環です」って正直にいえと思うわ。…と、日猶同祖説はかように面倒なので完全スルーしようとも思ったが、まったくふれないのもわざとらしすぎる。ということで、珍説奇説たくさんある中で一つあげろといったらこれ、『聖書より見たる日本』が最高峰だろうw 熱心な日猶同祖論者にはクリスチャンが多い。戦後から現在でもそれはかわらない。中田重治(なかたじゅうじ)は日本ホーリネス教会の牧師。プロレタリア文学の中野重治(なかのしげはる)とよく間違えるけど別人。人類はノアの3人の息子の子孫で、「黒人はハム、白人はヤペテ、黄色人種はセムの子孫だ」っつのはまぁコジツケにすぎないが、中田重治はクリスチャンなのでそう信じるわけだ。そして古代史をあれこれして、日本人はセム・ハム・ヤペテの3系統が混血している選ばれし民であって世界を救済する使命をもつ、というナショナリズム先にありきの放談。いいぞw キリストの幕屋もすこしは日本ホーリネス教会を見習ってこれぐらいデカイことを放言しろw 今みたいに保守派の政治運動にちょこまか混ざってるぐらいじゃ一般人からみて統一教会との区別もよくわからんぞw


…ほか中央アジア説だの太平洋南島説だのチベット説だの多数あるがオリエントじゃないので今回は省略。

今でもネットで検索すれば面白いネタがたくさん出てくる。こういうの戦後に発掘したのはほとんど武田崇元先生のしわざだろうけどな。まぁここまで読んでくれば俺もこういうの大好きな人種だってことはバレるだろう。しかしこういうのは学問じゃなくて素人のコジツケごっこである、というのがアカデミシャンとしての三笠宮様のお考え。スメールとスメラミコトをこじつけるヤカラがうざいので、わざわざ日本語ではシュメールに呼び方を変えたのは三笠宮様ご本人であられるのです(実際はスメルのほうが正しい発音に近いけどね)。昔は比較神話学や文化人類学がいまいち普及せず認識不足だったので、エジプトに日本と共通の神話あれば「エジプト起源説」、ヒッタイトに日本と類似の文化あれば「日本ヒッタイト説」、と安直にいってしまって、日本の起源があちこちにあるようなことになってしまう。北方起源説だの南方起源説だの、今でもやってることはそう変わらんね。何度もいうように上記のような諸説(日猶同祖説も含む)などは学問のうちに入らない、トンデモ説であり、でんぱ説なのである。というと、否定派は夢もロマンもないゴリゴリの唯物論者で「心なき科学」が人類を滅ぼすとか言い立てるアホが湧くんだが、そうじゃない。本当の歴史ってのは社会科学と人文学、両方の要素が重要なんで、その奥の深さったら、こじつけパズルごっこにありきたりな宗教レベルの与太を混ぜたにすぎないトンデモ説の比でないのよ。まぁ宗教の域まで突入してる連中に説明しても無駄だろうけど。じゃぁおまえの言ってることは学問なのかよ、と逆に言われそうだしな。俺のことはどうでもいいだろ。三笠宮様のことだよ。こんなトンデモ説をなぜ紹介しているのかというと、もちろん単に俺が好きだからでもあるんだが、戦前にすでにこれだけの学説史というか思想の営みがあったわけだよ、今とは違った環境にあった日本民族の、心の旅が。人間誰しも古代オリエントに関心をもつというのは起源を知りたいという欲求と関係している。三笠宮殿下が「日本オリエント学会」を創設した時、皇族として、天皇とか国民とか国家とか民族とかを考えてなかったはずがないだろう。さりながら、プロの学者は思想的な飛躍を制限されてしまうのと戦後的価値観がなお濃厚だった時代背景とにより、三笠宮様が目標とせられたと思しき古代王権論は現代の皇室問題に適応可能な形に洗練されることなく、単なる古代研究に留まっておりました。実際、偉大なる功績とは申せども「いちジャンルの研究」でのことと世間一般でも受け取っております。学者もタコツボ化と専門馬鹿が進むばかりで大枠の国家だの歴史だの思想だの語れる人材がいなくなって、「日本オリエント学会」も三笠宮殿下が思い描いたものとは今ではぜんぜん違ってしまっている。「と学会」がつまんないのはトンデモ説を笑い飛ばすためにはアカデミズムが健全にしっかりと聳え立っていることが前提なのにそれだけの迫力が学者にぜんぜん無くなってるってことなんだよ。学界がダメになってくるのとトンデモ業界がダメになってくるのはパラレルな関係にある。あたかも左翼が堕落すると右翼も腐敗するようなもんよ。しかしそれでいいわけではない。人類の文明の曙光たる古代オリエント文明における古代王権をも「王権」のもつ普遍的な一側面の展開とみて、天皇問題の本質を考える重要な補助線としてますます重視すべきでありましょう。皇室と日本を考えるという行為は、王権と文明を考えるということの中軸に収まってこそ、普遍的な思想でありうるのです。この宣言を三笠宮殿下の御霊に捧げ奉る。

三笠宮様ゆかりのオススメ博物館
下記の3ヶ所、いずれも語るにつくせぬ素晴らしい夢のような場所で、毎月とはいわないが年に一回くらいは通いたいところ。こういうのを楽しめないような人間がどんな古代史説をとなえようが信用ならんねw

中近東文化センター http://www.meccj.or.jp/
三笠宮様が『海賊とよばれた男』のモデルになった出光佐三の出資をうけて創立。名誉総裁であられた。ここはひじょうにディープで古代文明マニアにはたまらないところだが、交通の便が悪いのがちょっと。混まなくていいけどな。

古代オリエント博物館 http://aom-tokyo.com/
三笠宮様が初代評議員。池袋サンシャインにあって一時は何度もかよいました。今でも面白いはずですが、近すぎていつでも行けるという安心感から最近は足が遠のいてしまった。

横浜ユーラシア文化館 http://www.eurasia.city.yokohama.jp/
生前は三笠宮様とご昵懇の間柄だったあの天下の江上波夫大先生のコレクション寄贈からできた博物館。古代オリエント関係の展示も充実、むろん三笠宮様もご来臨していた。江上波夫大先生について語ればまた面白い話がたくさんあるが(ネットじゃ書けない話とかw)長くなるので別の機会に。

試し &【付記】このブログを始めるまでの過去の経緯(この頁の後半にあり〼)

あーテステス。始めましたがいいか

初めてなので何だかよくわからんぞ。

いろいろ練習してみようw

文字の色を白くする文字色
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穴穂御子、坐石上之穴穂宮、治天下也。
天皇、爲伊呂弟大長谷王子而、坂本臣等之祖、根臣、遣大日下王之許、令詔者「汝命之妹、若日下王、欲婚

大長谷王子

。故可貢」。

大日下王、四拜白之「若疑有如此大命atsutane
。故、不出外以置也。是恐。隨大命奉進」。
然言以白事、其思无禮、即爲其妹之禮物、令持押木之玉縵


花縵―野池玉代句集 (精選作家双書 (7))花縵―野池玉代句集 (精選作家双書 (7))
(1999/10)
野池 玉代

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而貢獻。
根臣、即盜取其禮物之玉縵、讒大日下王曰「大日下王者、不受勅命。曰『己妹乎、爲等族之下席」而、取横刀之手上而怒歟。
故天皇、大怒、殺大日下王而、取持來、其王之嫡妻、長田大郎女、爲皇后。
自此以後、天皇、坐神牀而、晝寢。爾語其后、曰「汝有所思乎」。答曰「被天皇之敦澤。何有所思」。
於是、其大后先子、目弱王、是年七歳。是王、當于其時而、遊其殿下。爾天皇、不知其少王、遊殿下。
以、詔「吾恆有所思。何者、汝之子目弱王、成人之時、知吾殺其父王者、還爲有邪心乎」。
於是、所遊其殿下目弱王、聞取此言、便竊伺、天皇之御寢、取其傍大刀、乃打斬、其天皇之頸。
逃入都夫良意富美之家也。
天皇、御年、伍拾陸歳。御陵在菅原之伏見岡也。
【付記】このブログを始めるまでの過去の経緯
わたしは2666年(H18)から始まった「皇室と日本を考える」という集まりに参加している。そこではメインの企画の他に、時々「おまけ企画」として「古事記を読む会」(プロデュース by 孤高の相場師)というのをやっていた。この「古事記を読む会」は2667年(H19)5月4日を第1回として、2669年(H21)7月の第12回まで続いた。その後しばらく中断していたわけは、2669年(H21)2月21日から古くからの畏友ワフラン氏との「素読の会」が始まったことが一つ。また古くから外様として参加していた「マズダヤスナの会」の代表岡田氏からの依頼で古神道(または神道霊学)についての講義をしていたことも一つ(これが「古事記を読む会」に代わる「おまけ企画」にもなった)。さらに「マズダヤスナの会」の杉並支部と銀座支部でそれぞれ独自の活動が始まりそれらもそれなりに面白くてつい時間をとられたこと、等もある。また大場一央先生の「陽明書院」を知ることになりそちらの活動に関心を割かれたこと…等がかさなり、「おまけ企画」などやっている余裕がなくなったからでもある。むろん、その間、完全なブランクというわけではなく、「皇室と日本を考える」の活動の一環として、神道を含む古代宗教、神秘学(オカルト)を含む思想、日本や世界の古代史、文化人類学などの研究発表もやってはいたのだが、2672年(H24)には「古事記編纂1300周年」ということでその4月に久々に「古事記を読む会」第13回を開催したのが最後になった。
その年は「古事記編纂1300周年」という年への思い入れがあって、都内各地の講演会やイベントをめぐったり、ネット内でのイベントを見て回ったりして自分なりに思うところはあったものの、その思いをまとまった文章にすることもできなかった。それは「皇室と日本を考える」の活動も長くなりすぎ思想的にカバーしなければならない範囲が広大でかかえきれなくなっていたせいもあったかも知れないし、「皇室と日本を考える」主催オフでのイベント(自主講座)での発表か、もしくは「マズダヤスナの会」の同人ミニコミ誌での発表という形にこだわっていたためでもあった。「そんならブログに書くのが簡単でいいや」とは誰しも考えることで、わたしもそれはずっと念頭にあったんだが、いざ始めようとすると、古事記の上巻の神話篇や中巻の古代史についてはそうでもなかったが、下巻の内容について、考察がいまだ不十分な問題点が次々と見つかり、過去の「古事記を読む会」での言説を単純にまとめるだけでは済まないと気づき、自説のまとめ直しをするハメになってしまい、そうこうしてるうちにも、2673年(H25)6月からは「皇室と日本を考える」の活動が月例会方式となり、同年11月からは盟友しか氏の「論語集註」の連続講義が月例会の中の自主講座の一つとしてスタート、さらに翌2674年(H26)1月からは上述の「素読会」がその自主講座の一つとして合体。…というなんやかやで、ブログを始めようと思い立ってから2年もたつのに、いまだに終わりのない古事記の研究だか思索だかの泥沼を楽しんでいたのだった。
その頃、たまたま大田俊寛の「根源人種と霊的進化~オカルトの俗説と真実~」というオカルトに対して批判的な本を読んで、憤りを感じていたので、その年の9月27日安康天皇正辰祭の日のある会合で、この本をオカルト擁護の立場から批判するという主旨で講釈をたれたんだが、この時の怒りの矛先がはからずも行くべき道を指し示してくれたような気がして、スカッとした勢いで翌日なぜか大森貝塚史跡公園を見学に。この日は台湾の「教師節」(孔子の誕生日)にあたり、先生に教えを乞おうと思ったのだが、先生といえば先史時代より先に生まれた先生はいないだろう。俺にとって板橋区の茂呂遺跡・野尻湖ナウマンゾウ博物館・大森貝塚史跡公園が3大聖地なのだ。答えがみつからない時、先史時代の遺跡に行けばインスピレーションが得られる。それが俺のジンクスだ。ま、この時は格別なにか悩んでいたとか、答えを探してたとかってわけじゃなかったんだけどね。今回の大森貝塚公園では、俺は唐突にゴジラがこの大森の街を破壊するシーンが浮かんだ。まぁ、今年はゴジラ誕生60周年だってのと、7月にハリウッド版ゴジラみてたからそれで連想したんだろうが、まさか2年後にこの大森の街をシン・ゴジラが突き進むとはねw オカルトの問題意識と先史の遺跡がクロスしたところに「ゴジラ」という神話的ヴィジョンが降臨するのは後から思えば当然の流れだが、渦中にある時は奇跡的な神の啓示のように感じられもするものだ。
翌10月、日比谷の出光美術館でやってた「宗像大社国宝展―神の島・沖ノ島と大社の国宝」を見学。神話的気分のまま無意識に電圧を高めようとしていたんだろう。宗像大社に祭られし三姉妹の女神からは、岡田有希子・菊池桃子・荻野目洋子のアイドルトリオが連想された。なぜならこの年は、この3人のデビュー30周年だったからだ。60周年と30周年、ゴジラからアイドルへ、という流れはサブカル史そのものだ。ここで90周年を持ち出せば「3・6・9」でミロクの世が来ちゃいそうだが、言霊(ことだま)関係でもダジャレ系のやつはインチキだから信用するなよw まぁ、三木のり平生誕90周年だったんだけどさw それはさておき、その「宗像大社国宝展」の一週間後の11日には、「『それは1964年から始まった:カウンターカルチャーマンガの潮流』ガロ創刊50年トークショー」というイベントがあった。90周年じゃなくて50周年なw 出演は手塚能理子、南伸坊、林静一、そしてあの呉智英大先生w だが場所が宮城県塩竈市という遠方だったので俺は行かず、そのかわり茅ヶ崎の地ビールの蔵元「熊澤酒造」のオクトーバーフェストに仲間とともに繰り出した。ここはあの宗像三女神が鎮座する江ノ島とは12km、徒歩3時間もかからない近距離で、湘南ビール数種類&どぶろく&ビュッフェ料理を飲み食い語り合い、いい感じに酔っ払って、行けなかった塩竈市でのイベントの「サブカル史をふりかえる」というテーマにシンクロニシティを感じ、先史遺跡から現代サブカル史までの霊的進化という、先月からの一連の思索を回想、披露したのだった。60周年・30周年・90周年・50周年とくれば、あと40周年・20周年・10周年も何か欲しくなるが、実在の親幕派フランス人を架空の米国人に差し替え戊辰戦争の東軍を薩摩の叛乱軍に差し替えた歴史歪曲映画『ラストサムライ』日本公開から10周年、外部太陽系戦士TV初登場の興奮(&松本サリン事件)から20周年、日本中に大ブームを巻き起こした超絶トラウマ&カルト映画、丹波哲郎の『ノストラダムスの大予言』(&『宇宙戦艦ヤマト』)から40周年、日本で最初で最後のオカルト政権、小磯国昭内閣から70周年、ヒットラー総統就任80周年、世界に冠たる宝塚歌劇団結成(&第一次大戦)から100周年、そして三木のり平生誕90周年! ピースは埋まった。これも塩竈の神の導きか、宗像の神の霊験か。すべては神々の経綸によって生成している、という前提ならば、霊的進化とはすなわち神話の体系そのものに他ならぬ。そして神話といえば古事記ではないか! 一昨年の古事記編纂1300周年の年から古事記のブログを始めようとして、研究の見直しをしていたが、ようやく気持ちが準備できた気がした。以来、正座瞑想、持衰断食、精神集中すること5日目にして、啓示は降り、このブログが誕生した。2674年(H26年)10月16日、木曜日のことだった。
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浅草橋キッド

Author:浅草橋キッド
どこから見ても平凡な、一介の町人です。

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