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・カイコと牛馬の起源

H29・2・9(木)改稿 H29・1・18初稿
大気津比売神、八俣の大蛇
「蚕」という漢字について
大宜都比賣神(おほげつひめのかみ)の体から五穀が生まれる段で、頭から蚕が生まれと書かれている。で、この「蚕」という漢字は「天の虫」と書くのは何か意味あるのかなっていう質問があっのだが、「キミなんか知らんか?」と振られてしまった。それは漢字の字源の話しで、天と関係あったとしても中国神話とか中国の古代信仰での話しであって、古事記の中に描かれた神話とは一応なんの関係も直接にはない。でもまぁ折角はなし振られたのだし面白いから俺なりの考えをいいました、以下のごとし。
…そもそも、カイコが天上界と関係があったという信仰は、中国では織姫と彦星の七夕(たなばた)の神話と結びついており織姫がカイコの精で彦星が牛の精、このカップルが天から降りてきたのがカイコと牛の起源だという民話がある。日本ではオシラサマの民話があり、馬に恋した娘を乗せてその馬が天に駆け上って去っていった時に後に残されたのがカイコだという民話がある。日本では天から降りてきたのではなく天界に去ってしまった話しになっているが、いずれにしろカイコが天と関係づいている話にはなっている。

てな話をしたわけだが、ここで一つ、注意事項として中国の七夕と日本の七夕は同じ「タナバタ」でももともと違うんだ、別なんだというご指摘が。これについては「七夕と日本神話」に譲ろうと思うが現時点(H29/1/18)の段階でまだ書いてない。代わりに「五月五日、鯉のぼりと巨木信仰」ではちょこっと触れているように、違うといえば違うし同じといえば同じでもある。どういう水準で切り取るかによってどっちともいえるわけです。ギリシア神話と日本神話もある意味では同系の神話だともいえるが、日本とギリシアが同じわけ無いだろうという言い方にもこれまた一定の真実がある。中国の七夕と日本の七夕はそれぞれの民族性からの影響や歴史的な変化を被って、確かに別なものへと変化していたのを、奈良時代以降、混淆させられてきたわけだが、「奈良時代以降に混淆したのだからそれ以前は別物なんだ」で止まってしまっては、「いのちのつながり40億年」の看板が泣きまするw 奈良時代で止まってしまっては遡り方が不足で、太古の神話世界への理解には遠く及ばない。中国の七夕と日本の七夕の違いを強調した折口信夫でさえ、日本の祭りの山車(だし)とクリスマスツリーの関係を匂わせていたぐらいなのに。

そこまでは良かったんだけどさ。家に帰った後でちょこっと検索してみたら、「蚕」という文字は本当はミミズのことで、カイコは「蠶」と書くのだとか、旧字体が「蠶」で略字が「蚕」だとかいう説が出てきた(「蠶」は簪(かんざし)から竹かんむり取って下に虫を二つならべた文字)。よく調べてみたら、確かに本来はカイコを意味する文字は「蠶」(訓カイコ、音サン)で、「蚕」はミミズのことで音読みはサンではなく「テン」と読む。つまり「蠶」の略字というわけではなくてまったく別の字だった。それが唐の頃から、「蠶」の代用文字として使われるようになったという。ということは、古事記原文の「蚕」の字は後世の伝写の過程で「蠶」の字から「蚕」にかえられてしまったか、さもなければ古事記編纂の頃には、つい最近の書法として知られていた代用文字表記を太安万侶が採用したということになる。これは別に、どっちでもかまわない。
問題は別のところにある。音読みがもともとテンだったのに、「蠶」の代用文字になってから、「蠶」と同じサンに変わったということは、文字としてでなく言葉としてみた時、テンとサンは別の言葉であり、蚕(サン)と蚕(テン)は文字は同じでも別の言葉だということ。「蠶=蚕(サン)」はカイコのことだが、「蚕(テン)」はカイコではなくミミズ。で、通常、画数の多い漢字の画数を略して略字体を作る場合、略字のほうには「元の字の略字」という意味しかない。元の字の略字として作られたのだから当たり前だが。しかし「蚕」の字はもともとあった文字でしかも「蠶」とは意味も音も関係がない。「蠶」の字画を略して略字体を作るなら何通りでも造作もなくできるのに、なぜわざわざ既存の、しかも意味も音も関係ない字をもってくるのか。
その理由は、いうまでもなく、「天の虫」という文字構成が少なくとも唐代の中国人にとって、ミミズよりもカイコにぴったりだと考えられたからだ。なぜぴったりなのかといえば、上述のような古代信仰が背景にあったからであるのは明白だろう。

記紀のリストの比較と整理
『古事記』では天の岩戸の事件の後に大宜都比賣神(おほげつひめのかみ)が須佐男命に殺されて、その体から五穀が誕生したという。この話は『日本書紀』では保食神(うけもちのかみ)が月夜見尊に殺されるという具合に神名が違っていて、時系列も天の岩戸の前にあったことになっているが、なんにしろ話の内容はほぼ同じで、殺された神の身体部位ごとにさまざまな穀物が発生するという話だ。五穀と身体部位の関係は以下のとおり。

古事記:
頭に蚕、目に稲、耳に粟、鼻に小豆、陰(ほと)に麦、尻に大豆。

日本書紀:
(頭のてっぺん)に牛馬、額に粟、眉に繭、眼にに稲、(ほと)に麦・大豆・小豆。

ウエツフミ:
(みかしら)に稲、(みむね)に麦・黍・、腹(みはら)に大豆・小豆・八重豆、左手に粟・笹実、右手に菰実・黄黍、左足に甘柄、右足に玉菜、陰(みつぼ)に蚕。


※日本書紀の「繭」だが原文では「爾」の下に「虫」を書く字になっていて、岩波文庫の日本書紀だとこれをカヒコと読ませている。なのでこの字は「蚕」の異体字なのかと思ったんだが念のため調べてみたら「繭」の異体字だという。なぜマユでなくカヒコと読ませているのか謎。あまり見かけない漢字だから思い込みで間違えたのかな?
※ウエツフミは後世あれこれ追加やら修正やらされてこうなったもので、古伝承かどうか疑わしいが、参考までにあげてみた。「胸」に雑穀類(粟だけはなぜか左手)、「腹」に豆類が集められていて、後世になって整理しなおした新しい説だろう。

日本書紀にあって古事記にないのは身体部位としては「腹」、五穀では「稗」がない。「牛馬」もない。
稗については『ウエツフミ』では「胸」に稗ができたとあり、胸ってのは記紀ともにでてこない。牛馬については、身体部位で古事記にでてこない「腹」と一緒に誤脱したのだろう。おそらく古事記は「鼻に小豆」と「陰に麦」の間に「胸に稗」「腹に牛馬」の二句を誤脱しているのではないか。そこで、原形を復元すると

頭に蚕、目に稲、耳に粟、鼻に小豆、胸に稗、腹に牛馬、(ほと)に麦、尻に大豆。

というのが推定できる。
さて、日本書紀のリストについては、五穀の名と身体部位の名を朝鮮語のダジャレで結びつけ直した(改変した)ものというたいへん有力な説があるので、日本書紀の説は古伝承ではなく、信用ならない。が、朝鮮語で結びつけ直したとされる部分を切り捨てると、頭と牛、眉と繭、陰と麦・大豆、の三つの関係は朝鮮語では説明つかないものとして残る。このうち繭の字(正確には「爾」の下に「虫」)が岩波文庫の日本書紀だとなぜかカヒコ(=蚕)と読ませているが、明らかに眉(まゆ)から繭(まゆ)が生じたという日本語のダジャレではないか。陰と麦・大豆は、古事記でいう尻が広義の陰部に含まれるとすれば古事記のいうところと一致している。牛馬のうち馬と頭の関係は朝鮮語で説明つくが牛はそうでない。牛と馬はもともとセットだろうから、頭と馬が朝鮮語でダジャレになっていたため牛も一緒に頭に関係づけされたのだろう。ただ、朝鮮語ダジャレで牛馬を頭にもってきたため、本来は頭にできたはずの蚕とかぶってしまう。そこで日本書紀の編集部は、牛馬を頂(頭は頭でも頭の上の方)に移し、蚕は繭(まゆ)のダジャレを使って眉(頭の下の方)に移し、両者を同じ頭でも少し離れたところに設定したのである。

カイコと牛馬、五穀と牛馬の関係
(※書きかけ中。現在多忙につき続きは後日書きたします)

・天の大祓と鎮魂の起源

H28年10月19日(水)初稿
鎮魂祭か大祓か
天の岩戸が閉まって真っ暗になった後で、その岩戸の前で神々が集まってなにか催しているわけだが、これは物語の筋としては「天照大神を引っ張り出すための算段」ということになっている。が、書かれていることは「祭儀」だ。さらに具体的には「神嘗祭」の儀式をあらわしているというのが一般的な説ではある。しかし、それは後世の神嘗祭から逆推してそういうのであって、本来的にはここでやってるのは鎮魂祭(鎮魂式)であり大祓(祓式)なのである。鎮魂式と祓式では違うじゃないかというかもしれないが、それは後世のあり方からいうと別の儀式になってしまっているだけで、本来は祓いなくして鎮魂なく、鎮魂なくして祓いもないという一体のものなのである。それでは、なぜここで「鎮魂祭=祓い」をやってるのか。これがなぜ天の岩戸から天照大神を呼び出すことになるのか。これは神道神学的な議論がいろいろあって若干めんどくさいのだが、(続きは後日に執筆予定)

・「天の岩戸」の解釈説いろいろ

平成28年1月28日(木)投稿 平成28年の1月27日(水)初稿
「天の岩戸」の神話は何を表わしたものか
太陽が隠れて世の中が暗黒になるという天の岩戸の神話は元々は何をあらわしたものなのかについては「日食」説、「冬至」説、「火山噴煙」説、「君主崩御」説、「曇天」説、などがある。以下、これらを一つづつみていこう。

日食説
天の岩戸ってのは日食のことだという説。インドの神話では、ラーフという怪物(≒悪魔)が太陽と月を飲み込んだがシバ神がラーフを斬首したため、太陽と月はラーフの首からすぐ外に出てしまった。しかし首だけになったラーフはしつこく太陽と月を追いかけ回して、時々は追いついて飲み込む、これが日食や月食なのだという。これが東南アジアの神話だと太陽と月とラーフは三兄弟でラーフは末っ子ということになっている。つまり日本神話の天照大神と月読命と須佐之男命の三貴子と同じ。インドの占星術では黄道(太陽の軌道)と白道(月の軌道)の二つの交点を惑星のようにみなしてラーフとケートとよんでいるが、西洋占星術では同じものをドラゴンズヘッド(龍の頭)、ドラゴンズテール(龍の尾)という。この交点の近くで新月が起こると日食、満月が起こると月食になる。日食を起こすものをインドでは悪魔(ラーフ)、西洋ではドラゴンと考えていた。この冬至説はもともとインドで起こった神話解釈で、それが東南アジアのほうまで広がったものと思う。ただ、日食というのはあっという間に終わってしまうのと、定期的に発生する天文現象だから、ある程度の経験の蓄積があればよほどの未開部族でもそれほど驚かないのではないかと思う。中国やインドといったある程度発展した文明の中で宗教的あるいは政治的な意味付けをされて、ようやく文化人の世界で恐怖すべきものとして駆け引きに使われるものであって、原始時代にさかのぼるような古い解釈ではないだろう。

冬至説
これは民俗学のほうでよくいわれる。冬至に向かって弱まっていった太陽が、冬至の時点から再び力を取り戻すことを表すという。ギリシア神話のデメテル女神の物語も、天の岩戸神話と酷似している。デメテルの娘のペルセポネが地下の冥府に連れ去られた時、デメテルは嘆きのあまり洞窟に篭ってしまった。彼女は豊穣の女神だったからそのせいで世界の作物が枯死してしまった。ここでデメテルを引き出すために日本の天の岩戸の神話とそっくりの話が続く。結局、ペルセポネは一年のうち4ヶ月のみ地上で暮らすことに取り決めがなされ、その期間は地上では稔りの季節となる。インドやイランの太陽神ミトラの信仰は、古代ローマにも広がりミトラス教と呼ばれた。ミトラス教の最大の祭りは、冬至に太陽の復活を祝う12月25日の祭で、これが後にキリスト教が取り入れてクリスマスになったのも有名な話。日本でも「太歳の客」という民話があり、大晦日に訪ねてきた貧しい旅の男(話によっては病気の男)が一夜の宿を乞う。やはり貧しい家の者がその男を泊めてやると翌日にはその男は死んでその死体が黄金に変わっており、その家は金持ちになったという民話(黄金は話によっては財宝だったり米俵だったりする)。この大晦日というのは実は冬至のことで、旅の男は衰えていく太陽のこと、黄金や財宝は冬至すぎて復活した太陽のことだと解釈されている。そうするとこの話は天の岩戸神話が崩れて民話化したものだ。冬至から元旦までが象徴的に暗黒期間(天の岩戸が閉じている期間)に該当するのだろうか。こうしてみると冬至説のほうが日食説よりもかなり起源が古いようにも思える。しかし、季節は何度も巡ってくるけれども、神話の本質である「この世界ができた話・この世界の成り立ちの話」というのは一回性のものである。祭儀が年中行事の一環として存在しているために結果的に冬至に結びついたのであって、神話それ自体の起源が冬至だったとはいえないのではないか。

火山噴煙説
物理学者寺田寅彦の説。寺田寅彦は面白い著作を多く残しているので、ご存知ない人はぜひ検索して調べて、彼の本を読んでみてほしい。火山噴火があるとその噴煙で日光が遮られ、真っ暗になってしまう。これは世界中に例があるが火山列島日本でもよく経験される。大規模なものだと本当に長期間に渡って昼だか夜だかわからないことになるし、日食や冬至のようにすぐに終わってしまうものでもなく、冷害などの異常気象の原因ともなり、甚大な被害を引き起こすこともある。寺田寅彦は戦前の人だから説自体は古いが、最近よくいわれる「鬼界カルデラ大噴火」などはこの極端な例としてあげられるだろう。この鬼界カルデラがBC5300年頃に噴火した時は一回の噴火で日本全土が火山灰に覆われ長期にわたり太陽光が失われ、南九州を中心に栄えていた草創期縄文文化が一旦滅亡して、東北地方に北遷した(前期縄文文化)きっかけになったと推定されている。ただしこれは火山噴火のすごさを説明するための一例であって、何か特定の火山噴火が天の岩戸の事件そのものだと同定したいわけではない。神話ではまずオノゴロ島と大八洲(おほやしま)=日本列島の誕生があり、また伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が火の神・迦具土神(かぐつちのかみ)を斬首してその血から神々が生まれる話があり、前者は海底火山の噴火、後者も火山噴火とみる説があり、それらの話に天の岩戸の話が後置されているのは、本来バラバラの話だったのを後から恣意的につなげたのではなく、もとから因果関係があってつながっていた一連の話だったのであろう。また、神話では、天の岩戸がもたらしたの暗黒のせいで「よろづの妖(わざわい)」が起こり、八百万の神々が難儀したと語られているので、すぐに終了してしまう日食や毎年定期的にやってくる冬至よりは、火山噴煙説のほうが良いように思う。

君主崩御説(人間説)
天の岩屋というのは古墳の横穴で、つまり死去した人の葬儀だという説。漠然と葬儀一般を神話化したものだという説もあるが、具体的な人物の葬儀だとする説もあり、その場合は、天照大神は超自然的な存在、例えば太陽神などではなく歴史上の人間ということになる。天照大神とは西暦248年に死んだ卑弥呼のことだという説もあるし、もっとずっと古い時代に設定する説もあるが、いずれにしろ一回死んだ人間は普通は生き返らないので、天の岩戸の前後で天照大神がそれぞれいたことになる。ただし、神話上の神々を歴史上の実在の人物に同定する説は現在では完全に否定されている。同じような筋立ての神話が世界中に分布しているので、特定の時代の特定の国で起こった事件だとすると、それは数万年も前の事件でないと辻褄があわない。ある事件の記憶が全世界に広まり、民族ごとに少しずつ変化して現在のようになるまでは数万年もかかるだろう。たかだか弥生時代ぐらいの最近の事件が神話の原形になってそれが日本から全世界に広まった等ということは時間的に不可能だろう。

暴風雨説(曇天説)
須佐之男命の乱暴は暴風雨などの災害を表すという説があるが、その流れでいうと暴風雨の最中は空は曇って暗くなってるわけ。大気の変化によって太陽光が遮られるという意味では上記の火山噴煙説と同じ。ただしこの説の場合、「須佐之男命の乱暴は暴風雨などの災害を表す」という説が前提になっており、この説が否定される場合は成立しない。暴風雨説は天津罪の諸項目の名目から連想された説であって、この天津罪の具体的な中身の解釈としてはぜんぜん賛成できないものが多い。暴風雨説それ自体がすでに誤りだとすると、そもそも須佐之男命の乱暴と暴風雨を結びつけることはできない。
プロフィール

浅草橋キッド

Author:浅草橋キッド
どこから見ても平凡な、一介の町人です。

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