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・十二支と大国主神

H29・4・25(火)改稿 H29/2/16t投稿 H29/2/15w初稿

大国主神の別名
大国主神は別名が多い。「多くの名があるのは無関係なあちこちの神様をごっちゃにまとめて一人の神に作ったからたから」という説が流布しているが、証拠もないし証明もされてない。むろん、神話の中ではところどころそういうケースもあることは事実だし、抽象論・一般論としてはありえることで、例えば、いわゆる大国主の物語は、淤美豆奴神・天之冬衣神・大穴牟遅神の親子三代の話が、ごっちゃになって一人の主人公にされてしまってるということは以前に書いた。しかし世間で流布してるのはそれとは違う意味なんだなぁ。抽象的な命題を実例にあてはめる時にはケースバイケースで慎重に判断しなければならない。別名が多い時には「すべてのケースにおいて」必ずそうなのだ、と即断してはならない。
古事記は「あわせて五つの名あり」といい、大国主神・大穴牟遅神(紀:国作大己貴命)・葦原色許男神(紀:葦原醜男)・八千矛神(紀:八千戈神)・宇都志国玉神(紀:顕国玉神)という名をあげている。日本書紀引用の第六の一書でも同じように別名を列挙しているが、この五つに大物主神・大国玉神(記:大国魂神)が加わって七つの名になっている。
大国主神」は地上の支配者を表わす称号。「大穴牟遅神」は大国主と同義で称号的なもの、ただ奈良時代にはすでに古語になっており、大穴牟遅をわかりやすく意訳したのが大国主。オホナムヂの語義解釈については前回の「「八俣の大蛇」&「大国主の系譜」の解釈」でやったのでそちらをご覧あれ。「大国魂神」は、単に国魂(くにたま)といえば産土神(うぶすながみ)のことで「大国魂」となると地上の総ての産土神の意。普通は「産土神」ってのはその土地ごとの鎮守様のことだが、単なる地域の守り神ではなくて、これは大国主が国譲りの後で幽冥界を統治することになったという話とつながっているのだ。その話は脇道に逸れるので今回はふれないが。「顕国玉神」は現世の支配者の意。こまかくいえば、大国魂にもいろいろあってその中の一つが顕国魂なんだが(国譲りする前が顕国魂(うつしくにたま)で、国譲りした後は幽国魂(かくりくにたま)だろうからな)、ものすごく大雑把には、大国主神・大穴牟遅神・宇都志国玉神(紀:顕国玉神)・大国玉神はぜんぶだいたい同じ意味のことを文脈にあわせていろいろに言うだけで結果的に大きな違いはない。
大物主神」は国譲り後、冥界の支配者となってからの名。国を譲ったのだからもう「国」のヌシではないわけ。国譲りによって、「この世」は邇々藝命が治め、「あの世」は大物主神が治めるということになった。この世を「国」というのはわかるが、「あの世」をモノというのは、この世の側からみていってるわけだろう。あの世もあっちでは「国」だろうからな。モノというのは通説ではカミ・ミコト・タマ・ヒ・チ・モノ、等を漠然とどれも同じようにみなして神でも魔でもありうるような精霊的存在(=多神教的神々)とするのだが、むろんこれらはそれぞれにニュアンスは異なる。後世に「物の怪」(もののけ)とかいう時のモノと同じく、目に見えない霊的な存在のことをいうのかな。「物の怪」といえば妖精や妖怪みたいな低級霊のことのようにきこえるが、単にモノといった場合にはもっと意味が広かったんだろう。現代語のモノは単に物品や物体や人物(=者)をさすようになったように、霊的存在を表わすにももっとも端的でニュートラルな表現だったのではないか。大物主というのは、そういう「モノ」(=霊界の存在たち)の主人という意味だろう。ただここでふと考えると前回にやった通り、大国主ってのは6代6人いるとすると、その時その時の現役の大国主だけが「大国主=大穴牟遅=顕国魂」なのであって、先代から前の歴代の大国主が「幽国魂=大物主」なのかな。そうすると、大物主ってのは「前大国主」「元大国主」と結果的に同義で複数いることになる。
八千矛神」は直訳すれば武器を多くもつ神だが、成功出世してからの別名。根の国から地上にかえって、多くの兄弟たち(=八十神(やそがみ))を武力制圧して「大国主」の地位についたから、武力を讃えているわけだが、これも須勢理毘賣の歌の中で「八千矛の神のミコトや我が大国主」とでてくる。「大国主」のある一面をとりだしてそれを讃えた尊号(讃え御名)だから、局所的、一時的に使われた名だろう。
「葦原色許男神」は冥府(根の国)からの呼び名だけど、もとは固有名詞じゃなさそう。須勢理毘賣が、大国主をみて誰だかわからず「いと麗しき神」といったのを、父である須佐之男命が娘の須勢理毘賣に「葦原色許男神だ」というシーンでの言葉。娘が「麗しい神」つまりイケメンだと外見のことをいったので、親父が「男を顔で選ぶんじゃない。こいつは葦原(地上世界)の頑丈でたくましい男だぞ」といっている。シコってのは訓としては「醜」って字にあてるが、単に見た目が醜いというニュアンスももちろんあるがそれだけではなくて、醜之御盾(しこのみたて)などというように、強くて頑健、頑丈なさま。「しっかりしろよ」のシッカリ、「しかとうけたまわりました」のシカト、「確かな」のタシカは「手+シカ」、なんとなくシッカリしてる感じだよ、言語学的にどうなってるのかは調べる暇なくて適当だがw 娘の「麗しい」という発言にわざと「醜い」というニュアンスをもつ言葉で言い返してる。つまり父娘の対話の中ででてきた言葉のあやなのであり、これが固有名詞化したのなら、これが元でこの名がついたのであって、この父娘の会話の前からこの名があったのではあるまい。

下鴨神社の「言社」の十二支と大国主神
さて、関係ない話になるが、京都の下鴨神社(賀茂御祖神社)の境内摂社に、「言社」(ことしゃ)というのがある。言社は、中門をはいった弊殿の前に鎮座する小祠7社の総称で、俗称「大国さん」。中門を入った正面・藩塀(目隠しの塀)の背後に「一言社」2社が背中あわせに東向き(右)西向き(左)に並び、右手(東)に「二言社」2社が南(手前)北(奥)に並んで(ともに西向き)、左手(西)に「三言社」3社がこれも南(手前)北(奥)に並んで(ともに東向き)、7柱の神々がそれぞれに鎮座している。で、この7柱の神々というのがすべて大国主神の七つの別名になっている。それだけでなく、どういうわけだか7つの別名が十二支のそれぞれの年の生まれの人の守護神ってことになっている。配置や向き等も不思議な感じで、何か意味でもあるのかと思われるが、こんなのは後世にこしらえたものであって、古伝承とは関係なかろう。でも面白いからわかりやすく一覧にすると

二言社(南)大国主命…子年の歳生まれの人の守護神(記:大国主神)
二言社(北)大物主命…丑亥の歳生まれの人の守護神(紀:大物主神)
三言社(中)大己貴命…寅戌の歳生まれの人の守護神(紀:大己貴神/記:大穴牟遅神)
三言社(北)志固男命…卯酉の歳生まれの人の守護神(記:葦原色許男神)
三言社(南)八千矛命…辰申の歳生まれの人の守護神(記:八千矛神)
一言社(東)大国魂命…巳未の歳生まれの人の守護神(記:大国魂神)
一言社(西)顕国魂命…午年の歳生まれの人の守護神(紀:顕国玉神/記:宇都志国玉神)

これの元ネタは北斗七星信仰だ。北斗七星の7つの星が十二支それぞれに対応関係にあり、自分の生まれた年の十二支にあたる星を守り神として信仰する。これは中国起源だが、密教が取り入れてから伝来したので日本では俗に「星供養」とよばれ仏教行事になっている(真言宗では「北斗法」、天台宗では「尊星王法」という)。

北斗七星の柄杓の形のカップの部分から柄の先に向かって順番に並べると


 貪狼星…子年の歳生まれの人の守護星(日輪菩薩)
 巨門星…丑亥の歳生まれの人の守護星(月輪菩薩)
 禄存星…寅戌の歳生まれの人の守護星(光明照菩薩)
 文曲星…卯酉の歳生まれの人の守護星(増長菩薩)
 廉貞星…辰申の歳生まれの人の守護星(依怙象菩薩)
 武曲星…巳未の歳生まれの人の守護星(地蔵菩薩)
 破軍星…午年の歳生まれの人の守護星(金剛手菩薩)
七つ星にはそれぞれナントカ菩薩がその星の本地(つまり正体)だとされているがもちろん仏教側が勝手にいってるだけ。本来は道教の信仰であり仏教は関係ない。
参考までに、仏教では十二支に8つの仏格を配しそれぞれの「守り本尊」とする。「子=千手菩薩、丑寅=虚空蔵菩薩、卯=文殊菩薩、辰巳=普賢菩薩、午=勢至菩薩、未申=大日如来、酉=不動明王、戌亥=阿弥陀如来」となっている。ただし十二支を分割する形式はこの北斗七星のやり方とぜんぜん異なり、仏教の守り本尊は円環の四角の子午卯酉に各1、それぞれの間の2支をまとめて各1の仏格をあてる(五行説を十二支に割り振る形式に似る)。これに対し、北斗七星では子と午の両端に各1、両端から2支づつ反対側を組み合わせて各1の神をあてる(西洋占星術で12星座に7惑星を割り振る形式と同じではないがちょっと似てる)。

となっていて、星の名を大国主の別名に差し替えただけでまったく同じ。仏教のはこれはこれで、もともと縁もゆかりもない中国の北斗信仰とインド産の仏教をこじつけるってどうなのよ、とも思われるが仏教はそういうところあるよ。面白ければいいみたいな。どんなに真面目なことをいっても庶民は面白いほうになびくから、神道側も対抗しようということになるってわけだろうな。言社の十二支はその一つの現われか。

大国主と十二支が結びついている理由
ところで、言社の十二支はすべて大国主神の別名を採用しているがこれはどういうことなのかよくわからん、と思う人は多いのではないか。というのも、神話の神々はそれこそ八百万もあるんだから、十二支にわりふるのに何も大国主神の別名で揃える必要あるのかっていう疑問。天照大神とかその他いろいろ特徴的で個性的な神々がたくさんいるんだから、その中から12神を選抜したらよかったんじゃないのかと思われてならぬわ。みんなもそう思うだろ? まぁ経緯を推定すれば、「言社」自体がもともと大国主神を祀った祠だったんだろう。言社という名からは、あるいは葛城の一言主神を祀っていたのかなとも思える。二言社、三言社と調子にのって増やしちゃったのかな。大国主神は人間の死後の魂の守護神という信仰が江戸時代までに明確化されていたが、明治初期の神社界の派閥抗争と各「講」(「伊勢講」とか「出雲講」とかその他のなんたら講、かんたら講)の信者獲得競争の結果「出雲大社講」では「大国主神は人間生活のあらゆる要素を総合的に守護する神なのだ」とエスカレートし信仰内容を急速に拡大させた。大国主神の七つの別名を星供養の北斗七星にさしかえる発想は、この大国主神を万能視するような信仰の影響下で出てきたのだろう、とも思われなくもないが、京都の下鴨神社で格別に出雲派が有力だったのだろうか。伊勢派もいたろうし、やはりなぜ大国主なのか。まぁ大国主にしろそれ以外の神でやるにしろ、江戸の国学者は中国産の道教もインド産の仏教もバカにして見下していたか毛嫌いしてかのどっちかの人が多かったので、国学者が直接かかわっていたならこんな二次創作がつくられたとは考えにくいような気もする。寺院仏閣への対抗心は感じるが、詳細は不明。反仏教・親神道の儒学漢学系の者(≒神儒習合派)のしわざか。憶測すれば古くても江戸時代発祥(おそらくは明治以降の)新しいものと思われる。極端な話、神仏分離の時にノンポリ神主が星供養を適当かつ安直に神道風に改変したのかも、鴨だけにw
この謎については、またしても海外の神話との比較から、おもしろいことに気づく。平田篤胤が比較神話学の先駆者であった以上、当然ながら「国学神道の教義」とも関係した話になるが…。
中国の十二支と、西洋占星術の黄道十二星座は同一起源なのかまったく別系統なのか考古学では意見が割れてるが、この議論がこじれるのは同一起源説のほうが両者が枝分かれした時点を紀元前三世紀ぐらいの最近に設定してることと、古代オリエントの12星座が先で中国の十二支のほうが後からできたと前提しているからである。もちろん同一起源なのだが両者が分離したのはもっとはるかな古い時代なのである(このへんの話はそのうち本にしてコミケで売ります、通販も。ブログではやらない)。
占星術が個人を相手にするようになったのはヘレニズム文明以降のことで、本来はマンデン占星術といって天下国家の政治を占うものであり、個人の運命を占うものではなかった。かように12星座は当初から神話とは世界説明という機能でもむすびついていたが、現代人からみた場合、人間を占いの対象としているじゃないかと思われるケースもなくもない。それは王様だ。王は人間ではなく、あるいは世界を構成する最重要な一部分であり、またあるいは世界そのものを体現する存在だから、天下国家を占う上での対象となる。
比較神話学的には、大国主はギリシア神話のヘラクレス、メソポタミア神話のギルガメッシュと同一といわないまでもかなり類似しているところがある。ギルガメッシュと大国主についての共通性はこのブログでも以前かいた。ギリシア神話のヘラクレスは『ギルガメッシュ叙事詩』の翻案という側面もありつつ、ギルガメッシュ以前の古伝を一部ふくむと思われる。なんとなればギルガメッシュ叙事詩は確かに書かれた時期だけは古いんだが、人類最古の小説といわれるように純粋な古伝承ではなく「神話を題材に創作された文学作品」という要素が強いから。で、ヘラクレスの受けた試練は「十二の功業」と数えられているわけだが、それの元になったギルガメッシュ叙事詩には後世の黄道十二星座になったモチーフがいくつも現れる。ただギルガメッシュ叙事詩は12という数字にはこだわっていない。大国主の物語も12章どころかもっと細かくわけることもできるぐらいだから当然12章にわけることもいささか恣意的になるが可能は可能だ。ただ古事記の原文はギルガメッシュ叙事詩と同様、12という数字にはこだわっていない。
したがって、オリエントのギルガメッシュ叙事詩とギリシアのヘラクレス神話をつなぐミッシング・リンクが存在したことが想像される。
比較神話学的には、大国主はイラン神話のイマ(ジャムシード)、インド神話のヤマ(仏教でいう閻魔大王)、エジプト神話でいうオシリスに相当するという話は、このブログの別ページで書いた。これらの神格は死後の世界の支配者という点で共通しており、ヤマは人類で初めて死んだ人間で、だから死後の世界の王になったともいう。ということは、「人類で最初に人生を送った者」という解釈もできるのではないか。つまり大国主の人生(=大国主の物語)はすべての人間にとって人生のモデル、生き方の第一の雛形であるってことになろう。そういうふうに現代語でいうと話が「個人の人生」の問題にきこえてしまい、王権とか天下国家の水準からずれるじゃないかと思われるが、そもそもこれらの神々は神話学でいう第3機能神であり原デーヴァ神族(国津神)に属する。つまり本来的に庶民的な神々なのである。これが占星術がやがて個人を対象とした占いへと展開していくバックボーンの一つだったかもしれない。

言社の十二支配当の謎解き
ところで、この十二支と7つの神名との間の意味的なつながりがわからない。というかもともと意味的なつながりはなくて北斗七星を適当に差し替えてるのだろうし、それで終わりにするのがおそらく正しいのだろうが、まぁ、でもこの組み合わせができた理屈を一つ考えてみようじゃないかw
まず十二支の意味付けとしては江戸期や明治頃には五行説によるものと植物の育成過程に準えるものの二つぐらいしかない(五行説は前三世紀の中国の戦国時代、植物の生滅過程とする説は前一世紀の前漢代にできた説で、どっちも本来の十二支の意味とは関係ないが、甲骨学が登場する前の時代には信じられていた。今でも信じてるアホがいくらでもいるけどな)。が、言社の十二支の分割パターンは五行説での見方にもないし、植物の生滅サイクルは円環状なのでこれも違う。だから既存の論理大系とは関係なさそう。オリジナルの理屈を探さねばならない。大国主と十二支といえば「子」(ね)がポイントだ。知ってる人は知ってるだろうが、鼠は大黒様の神使(みさきがみ)で、「子の日」は大黒様の縁日なんだよね。根の国でのピンチに須勢理毘賣の入れ知恵で大国主神が助かった時に活躍したのが鼠だから。そしたら稲羽の白兎の立場はどうなるんだ、卯の日が縁日じゃだめなのかよ、と思わなくもないが、とにかくそういうことになってる。で、鼠(ねずみ)の語源は「根住み」だという説もあるぐらいで(この説を頭から否定する説もあるがそれはともかく)、地面の穴から出てくる鼠は地下の世界=「根の国」につながるイメージがある。だから十二支の「子(ね)」を「根の国」=冥府=幽界とみて、その真反対に位置する「午」を現実世界(この世)に措定したので、午には顕国魂が配当された。顕国魂という名は端的に現実世界=顕国(うつしくに)=現世(うつしよ)の意味だから。ここで幽冥の極である「子」と顕現の極である「午」との間に5つの階層ができる。最も幽冥よりの「亥丑」、中間よりの幽冥である「戌寅」、中間の「酉卯」、中間よりの顕現「申辰」、最も顕現よりの「未巳」の5つの階層である。となると、順当に考えて、顕国魂とほぼ意味が近い大国魂が午にもっとも近い「未巳」に配当され、幽界・冥府の支配者である大物主が子にもっとも近い「亥丑」に配当されるのは当然だろう。残りは大己貴と葦原醜男と八千矛だが、大己貴は当人(この十二支との当てはめを考えた人)がその語義をどう考えていたかにもよるが、たとえば宣長の説に依拠していたと仮定すると「偉大なる名声の持ち主」の意味。これに対して葦原醜男と八千矛の二つの名は特殊な一面をあらわしたものである上、物理的な武力だから現世寄りで、汎用性と抽象性のやや高い大己貴という名が幽冥寄りの「戌寅」に配当される。葦原醜男と八千矛をどうわけるかはなんとでもいえそうだが、なんとか理屈を試みると、葦原醜男は身体的な頑健さ、個人的な武勇だが、個人だからより内省的で、八千矛は軍隊つまり武力の国家的な展開だからより一層即物的、物理的、社会的な意味が強いとも考えられる。それで八千矛が「申辰」、葦原醜男が「酉卯」なのかな。

神秘学的解釈(=神智学との習合w)
すると、幽冥の極から顕現の極まで7段階になる。7段階…。ということはこれ神智学と習合できるなw ほれ↓

↑子子↓大国主=アートマー
↑亥丑↓大物主=ブッディ
↑戌寅↓大己貴=コーザル体(マナス)
↑酉卯↓志固男=メンタル体(カーマ)
↑申辰↓八千矛=アストラル体(リンガシャリーラ)
↑未巳↓大国魂=エーテル体(プラーナ)
↑午午↓顕国魂=現世・肉体(ルーパ)


※「亥←戌←酉←申←未」は霊化、上昇のプロセスであり、「丑→寅→卯→辰→巳」は物質化や創造、下降であり、オスワルト・ウィルト(だったよな確か?)の「隠されたイシス」「現れたイシス」が思い出される。「丑→寅→卯→辰→巳」は現身(うつしみ)をあらわす大国主であり、「亥←戌←酉←申←未」は国譲りの後に「百不足八十坰手」(ももたらずやそくまで)に身を隠す時の大国主なのである。…というような話も作れるw

ただし、神道ならアストラル体がどうのじゃなくて、荒魂・和魂・幸魂・奇魂の「一霊四魂」で作って欲しいところw ちなみに浅野和三郎の日本心霊学では荒魂が肉体で、和魂(幽体)がアストラル体、幸魂(霊体)がメンタル体、奇魂(本体・真体)がコーザル体だとしている。細かい理屈は忘れたが、エーテル体は荒魂に、コーザル体より上は奇魂に含まれるのかな? もっとも言社の場合の神名「7」と四魂「4」では割り振りが難しいが、神道神秘学には六魂説や三魂説、直毘霊を加えて五魂説(一霊四魂の一霊も数えこむ説)など、流派が多いので、いろんな流派から天魂・地魂・術魂・直毘霊・寝魂・真魂・活魂・足魂・振魂・本霊・大霊といったあれこれの用語をかき集めてその中から三つ選抜してたせば「七魂」にできる。つか十二魂にして十二支に一つづつわりふることもできるな。適当にやっつけ仕事で作っても、詳しい人からみたら「もっともらしさ」が出ないがね。やはり多くの神道神秘学の中では四魂の「4」で構成する説に権威があり、七魂だの言い出しても道教みたいでどうもな。そこで、これ志固男から上の幽冥界と下の顕現界にわけて、上下がそれぞれ四段階にわかれるとすれば四魂でこじつけ可能になりそうだ。下の世界からみた時には、顕国魂と大国魂との間の移行が荒魂、大国魂と八千矛の間の移行が和魂、八千矛と志固男の間の移行が幸魂で、志固男から上は奇魂(=幽冥)として概括される。上の世界からみた時には、大国主と大物主との間での移行は奇魂、大物主と大己貴との間の移行は幸魂、大己貴と志固男との間が和魂で、志固男から下は荒魂(=現世)として概括される。そうすると大物主は奇魂と幸魂に該当する。『日本書紀』で大物主神が「われは汝の奇魂、幸魂」と名乗ってるのはこれなんだよ(嘘ですw)。上述の浅野和三郎の説では、コーザル体から上が奇魂だといっていたが、奇魂がさらに四魂にわかれて、奇魂の中の荒魂(奇荒魂)、奇魂の中の和魂(奇和魂)、奇魂の中の幸魂(奇幸魂)、奇魂の中の奇魂(奇々魂)となるのだとみれば、コーザル体(大己貴)が荒魂、ブッディ(大物主)が和魂、アートマー(大国主)が幸魂。奇魂があまるかにみえるが、実は神智学で7段階ってのは本当なんだがこれは初期のブラヴァツキーの説で、後期の神智学ではアートマーのさらに上位に「モナド」を設定して8段階って説もできたんですよ。この「モナド」が奇魂だろう。…おいw 7つしか神名を用意してない「言社」の立場はどうなるんだよw モナドは高ブッディ、アートマーは中ブッディ、狭義のブッディが低ブッディともいうから、この三者は広義のブッディとして概括され、一方、コーザル体は高メンタル体ともいい、狭義のメンタル体は低メンタル体ともいい、両者は広義のメンタル体として概括される。なら奇魂は広義の3ブッディ、幸魂は広義の両メンタル体としたほうが切れ目がよさそうだ。が、しかしここはとりあえず浅野和三郎先生の説に従っておこう。それと8段階なら最初から2つづつ組にして四魂にわりふりゃ簡単じゃねぇかよ、と思わなくもない。または上の「幽」と下の「顕」にわけて、肉体=荒魂、エーテル体=和魂、アストラル体=幸魂、メンタル体=奇魂としてこれが「顕」の四魂。コーザル体=荒魂、ブッディ=和魂、アートマー=幸魂、モナド=奇魂としてこれが「幽」の四魂とも整理できる。この場合、「幽」の四魂が浅野説の「奇魂の中の四魂」と同じことになる。ただしこれだと「顕」の四魂のほうが浅野説と噛み合わなくなってしまうが、やはり天下の浅野和三郎大先生の説のほうを尊重すべきだろうw 「幽」の四魂といおうと「奇魂の中の四魂」といおうと、どっちにしろ前述のとおりブッティ=大物主が和魂とすると、『出雲國造神賀詞』で大物主を大国主の和魂だといってるのはこのことなんだよ(嘘ですw)

いわゆる「スピ系」に対する神社本庁の見解
以上の話は、なにをいってるのか訳わからんと思う人もいるだろうが、それが正常です。「おもしろい、よくわかったw」という人は自重したほうがいい。これは本当の神秘学ではなくて、神秘学ごっこ、遊びであり冗談なんだよ。真に受けんなよ。
ここで神智学を出したわけだが、神智学と習合すると本来の意味で仏教に逆戻りしてしまい、神仏習合に反発した意味がなくなってしまうw まぁ、今の世はそんなハードオカルティズムっぽいノリがウケない時代かもしれないけどなぁ。今の世の中、コーザル体だのアストラル体だのいってると神智学かよってツッコミくる前にオウム真理教かよって言われそうだしな。もはやそれも古いか、地下鉄サリン事件から22年もたってるからなぁ。やっぱパワスポがどうのみたいなスピ系かw 一応、十二支のそれぞれの守り神(=7つの神名)の話にあれこれコジツケつつ「あなたの運勢」だの「あなたの性格」だのって本もすぐ書けそう、下鴨神社からそういう仕事もらえないかな、貧乏で困ってるんだがw
それはともかく、スピ系といえば、神社本庁ではいまどきのスピリチュアル系(パワスポがどうのの方な。コーザル体がどうのの方じゃなくて)について痛し痒しみたいな文章が「神社新報」に載せてたことがあったが、判断に迷いはみられなかった。肝心の核心部分をちゃんと押さえてれば、スピ系みたいのも害はないのだと。俺と逆の解釈してる人もネットにはいたんだが、ちゃんと読めてないんじゃないのと思わざるを得んわ。それとも俺が深読みしすぎなんかね? そん時の「神社新報」のバックナンバーは神社新報のHPの内部検索で「スピリ」と入れれば当該論説をよめるはず。俺のほうが誤読してる可能性もある、だいじょぶだとは思うがな。ちょい忙しんで改めて読み直したりはしません、無責任ですまんの。俺の与太噺を読むより、各自の勉強が大事だよw ご研鑽を祈ります。


・なぜ天照大神の弟だとわかったのか?

平成29年1月19日(木)投稿 平成29年1月18日(水)初稿
なぜ天照大神の弟だとわかったのか?
「須佐男命が天照大神の弟だと自称した時に、足名椎神(あしなづちのかみ)はなぜ簡単に信じたのか、なぜ確かにその自称は偽りでないと確信できたのか?有名人だったのか?」っていう質問があったんだけど。
まず、基本的に有名な存在なのは間違いない。なぜかというと伊邪那岐命が天照大神に「汝は高天原を知らせ」、月読命に「汝は夜の食国を知らせ」、「須佐之男命に「汝は海原を知らせ」といって、この世界を三つにわけてそれぞれを相続させたという神話があった。この「三貴子の分治」についての詳しい話は神生みの章でやることにして詳しくはふれないが、要するに須佐男命は全世界を支配する三人のうちの一人なんだから有名人(有名神?)にきまってる。ただ、高貴な人の名というか存在は有名であっても、下々の者は高貴な方々の顔まで直接には知らないってことなら、それはある。
山が八つ、谷が八つ分に跨るほど大きな八俣の大蛇をばっさばっさ斬り捨てるほどの大きさがあって(出雲神楽において人間が演じる須佐男命と大蛇の身長比較から考えても)、須佐之男命は超巨大な巨人であるか、もしくは自在に巨大化できることがわかる。また須佐男命は、櫛名田比賣(くしなだひめ)を櫛に変身させて自分の髪にさしておく、なんて魔法のような芸当もできるという神秘的な存在なのである。だから、オーラというか雰囲気からして並大抵でない存在感を撒き散らして登場したんだろう。顔も名も知らずとも「尋常ならざる神様がキターッ」と思って当然だろう。

蓑笠の姿の漂泊の神
ただ、この時の須佐之男命の格好について、古事記は特にふれてないが、日本書紀の一書では雨が降っていたので青草を結束して蓑笠としたとある。それで諸神に宿を乞うたがどの神も貸してくれなかったという。これは普通に考えると高天原を追放されて地上にやってきたのだから、それで落ちぶれた格好になってるんだろうと思ってしまい勝ちで、それで日本書紀にも、宿を貸さなかった神々のセリフとして「あなたは行状が悪くて追放されてきたんだろう、なんで宿を貸すものか」といわれている。しかし、これは事実でなくて、登場人物としての「宿を貸さなかった神」の個人的な判断であって、客観的な事実ではない。なぜかというと須佐男命の罪は高天原でのお祓いによってすでに清められて終わっているからである。「神やらひやらひき」を単純に刑罰としての追放刑のように解釈するのはよろしくない。近くのものを遠くにやるのが「やる」でそれに反復継続の「ふ」がついたのが「やらふ」。もともと高天原にくるべきでないのに我儘で昇天してきて乱行を働いたのが天の岩戸の事件の発端なのだから、すべてが解決した後、須佐男命を地上に戻してあげるのは当たり前であって、これは刑罰の一部でもなければ、お祓いの一部でもない。処罰だのお祓いだのは「高天原において」終わった後なのである。
では、なんで須佐之男命は、いくら雨が降っていたっつっても、青草でつくった蓑笠という乞食みたいな貧乏くさい格好をしていたのか。それはもちろん「世を忍ぶための仮の姿」に決まっておろうが。地上に降りてみたら知らないうちに世の中の様子がおかしくなっていた。須佐之男命はいってみれば地上世界の王のような存在だったはずである(→「三貴子の分治」)。だから歓迎されてもよさそうなものだが、留守にしてる間に八俣の大蛇が天下を奪ってしまっていたわけだろう。「世を忍ぶ仮の姿」はご無沙汰していた娑婆が今どうなっているのかしばらく偵察してみるために必要な姿なのである。足名椎神(あしなづちのかみ)は忠義者だから須佐男命を忘れることなく、今の支配者である八俣の大蛇に抵抗している少数派だったってことだろう。

(※続く、書きかけ中)

・「八俣の大蛇」&「大国主の系譜」の解釈

平成29年6月29日(木)改稿 平成28年2月24日(水)初稿
「八俣の大蛇」の神話は何を表わしたものか
8つの山と8つの谷にまたがるほど大きく、頭が8つもある大蛇なんているのか? 神話なんだから何でもありっちゃ何でもありだが、デタラメでもないとしたら、これは何かを「神話的に(?)」表したものなのではないだろうか、とは誰でもウッカリ考えたくなるのが人情というもの。それについては「8人の豪族(出雲先住民の酋長)」説、「オロチョン族(北方狩猟民)」説、「野盗山賊」説、「8つの川の洪水」説、「火砕流」説、「製鉄(刀剣鍛冶行程)」説、等がある。とりあえず、以下に一つづつみていこう。
1,豪族説
この説はさらに3つに分かれる。どれも似たようなもので、今時こんな説を信じてる人はいないだろうが一応ならべておく。
1−1,先住民族の首長説
縄文系だか弥生系だか、アイヌ人だか蝦夷・土蜘蛛の類だかが出雲にいて、その首長が須佐之男命に征伐されたため、怪物のように貶められたという説。この場合、須佐之男命は朝鮮かどこかにあった高天原から侵略してきた天孫族か、もしくは第二次侵略者である天孫族より前に朝鮮かどこかからやってきた第一次征服者ということになる。八俣の大蛇が縄文系なら須佐之男命は弥生人、八俣の大蛇が弥生系なら須佐之男命は古墳時代人ってことか。
1−2,オロチョン族説
オロチョン族というのはシベリア東部から満洲北部にかけて住んでるツングース系の狩猟民族。言い方は地域によってオロッコ、オロチ等さまざまに変化している。これの一派が日本海を越えて北陸や山陰地方を征服していたのではないか、ヤマタノヲロチというのは大蛇ではなく、オロチョン族のことではないかという説。『三国志』東夷伝には「邑婁」(ゆうろう)という民族が出てくる。これはツングース系の諸民族の先祖で、舟に乗り込み海沿いを襲うという。平安時代に北九州を襲った「刀伊」もツングース系で同系の民族。『続日本紀』によると霊亀元年(715年)に邑良志別君宇蘇弥奈(おらしべつのきみ・うそみな)という者が蝦夷との戦いに疲弊して鎮守府に庇護を求めてきたという。別(べつ)というのは川を意味するアイヌ語の[pet]だという説があるが、日本語の「淵」(ふち)と同源だろう。アイヌ語は後世のものしかわからないので、この時代にすでに[pet]で川を意味したとは考えにくい。アイヌ語へのなりかけの奥羽訛りで、まだ「淵」(湖沼)の意味だったかもしれない。この別をワケと読む説もあるが、後ろに君(きみ)と続いているのでカバネが重出することになりよろしくない。延喜式内社に「遠流志別石神社」(をるしべつのいしじんじゃ)あり、江戸時代の考証学者によると、この石の字は君の誤写で、邑良志別君宇蘇弥奈を祀った神社だともいう。邑良志や遠流志はアイヌ語で解釈する説もあるので、ツングース系かどうか即断はできないが、鎖国時代ではないし狩猟民は農耕民より移動性が高いので、ツングース系の民族がたくさんいてもそんなにおかしくはないだろう。ただし、ツングース系の民族は朝廷からは蝦夷(えみし)ではなく粛慎(あしはせ)とよばれ、蝦夷とはまったく別の民族として区別されていた。邑良志や遠流志は自称(もしくは種族名)、粛慎は朝廷からの呼称(もしくは満州や沿海州をさした地名)。先住民の蝦夷と違って大陸系の民族だと認識されていた。しかし、このオロチョン族が北陸や山陰を占拠して猛威を奮っていたような痕跡は、文献にも考古学にもまったくないので、八俣の大蛇にこじつけるのは無理だろう。
1−3,越からの侵略説
これは須佐之男命が先住民を侵略したのではなくて、逆に八俣の大蛇が北陸=越(こし)からの侵略者という説。ただしこの場合、須佐之男命の子孫の大国主は越の沼名河比賣(ぬなかわひめ)まで夜這いにいっていて、一般的な解釈としては北陸も大国主の勢力下とされているので、最終的には八俣の大蛇の故地を逆に侵略したような話になってしまう。
1−4,野盗山賊説
映画『七人の侍』みたいに、困っている農民を助けて悪者をやっつけたというような話。時代劇に出てくる天狗党とか土蜘蛛一家とかいうのと同じで、大蛇(をろち)というのも悪党の自称か仇名。これは須佐之男命も出雲も八俣の大蛇も同じ民族・同じ国内でのこととしているっぽい。
2,洪水説
八俣の大蛇とは出雲あたりに流れる8つの川のことでその氾濫を治水工事によって治めたことだという説。これに説得力感じる人もいるらしいが、怪獣退治の華々しいチャンバラと地道な土方仕事ではずいぶんイメージに差がある。治水工事ならそれはそれで偉大な功績であり、そのままで称賛に値するのに、なんでわざわざ空想的なお伽話に喩えなければならないのか理解できない。自分が須佐之男命ならバカにされてるように感じるんじゃないのか? それに川の反乱なら天竜川とか利根川とか日本中に名だたる大河がいくつもあるのに比べたら出雲はしょぼくないか? それなら全国に八俣の大蛇なみの神話があってよさそうだが? …というのは俺の個人的感想だけど、いつもいう萩野貞樹先生の名著『歪められた日本神話』 (PHP新書)でも神話を神話として受け取ることを拒否した前近代の発想として完全否定されています。
3,火砕流説
あのへんにそんな火山あったかな?
4,製鉄〜刀剣鍛冶説
これも結局、そのまま書けばよいのになぜわけのわからない喩え話にするのか。それとこの説の場合、須佐之男命が製鉄術なり刀鍛冶の技なりを持ち込んだという話なのだろうか? それなら須佐之男命と力を合わせて刀剣を生む存在が出てくるはずで、逆に退治される大蛇は存在意義が不明になる。製鉄のために森林を伐採しすぎて洪水になったという説もあるが、山陰の砂丘はもとから自然状態で砂丘であり、製鉄文明の傷跡だというのは俗説である。

恐竜説
では八俣の大蛇の正体とは何だったのか?
単純に考えて、そのまま受け取りたいわけだが、こんな怪物にいちばん近いものといえば、それはもちろん恐竜だろう。
かといって、何も私は恐竜の生き残りがいたと言いたいわけではない。そりゃ生き残りもいただろうが、ネッシー、クッシーみたいのは例外であって、地球の歴史の本流とは違う。日本の歴史をかいつまんで説明する時に、山奥の田舎の小さな事件にふれることは無いだろう。それと同じだ。だから、八俣の大蛇が退治されたというのは、大昔の人類が恐竜の化石をみつけて、こんな巨大な怪物がいたんだろうなと想像したってことだろう。しかし「今はいないのだから絶滅したんだろう」→「こんな怪物を絶滅させる力をもっていたのは神様に違いない」、という順番なのだ。
恐竜が絶滅したのは中生代最後の白亜紀の末期で、その原因については諸説あるが、これまでのわたしの幼少期からの経験からすると、学説ってのはどうせしばらくすると主流の説が変わるのでここではそこは深く取り上げない。どんな原因にしろそれが自然現象である限り、カミの意志だ、カミの力だとは言いうる。ただ、白亜紀の末には恐竜だけが滅びたのではなく、多くの生物が絶滅した。これは古生物学で地球史上、何度かあったという「大絶滅」の一つで、「大絶滅」のたびに地上の生物は一掃されて、新しい生物相にかわっていく。これは「平衡進化」とか「断続平衡説」とかいわれてるものと込みで、生物の進化とは常時徐々に進んでるものではなくて、ある時にどばっと進むんであって普段は進化はしないのであるという説。このどばっと進化する時ってのが「大絶滅」と同時だか直後だかに起こるわけだ。ここで生物相ががらっと変わるので、中生代と新生代の変わり目を「K-T境界」という。
こどもの頃にみた恐竜図鑑の類には、ダーウィンとラマルクとキュヴィエの3人の説を並べて、ダーウィンが正しく、ラマルクが誤りで、キュヴィエは聖書を半分信じてたアホ、みたいな印象操作をしてたが、最近の平衡進化説みるとむしろキュヴィエの説そのものじゃんよ、と思われる。すべては神が創造しているのだという立場からは、なぜ神はこんな破壊と再建を繰り返してるのかという疑問が生じよう。しかし、俺はこれは神の創造という発想にもさほど矛盾していないと判断する。なぜなら、旧世界の大絶滅と新世界の誕生というコンセプトには、訳の分からないロマンの気配を察知するからだ。これは生物の進化史の話なのだが、アナロジーとしては人類の興亡史にも同じ「類型」が見出される。文明の崩壊・民族の滅亡と、まったく別の新文明の勃興・新民族の興隆。ほら、なんとなくロマンが漂ってきたろw 神の創造というのはこういう風に段階的になされるのだ。段階的ということは、また階層性といいかえることができる。そして階層性というのは古神道を含め古今東西の神秘主義の奥義に通じる概念でもあるのだ。…おっと、難しくなってきたので今日はこのへんで勘弁しとくが、なんとなく奥深い話をしてるんだなって思ってもらえれば十分である。

アンドロメダ型神話
ともかく、八俣の大蛇を退治したって神話は恐竜の絶滅をいってるのであって、上記の越(北陸)からきた豪族説とか、洪水説とかは、全部間違いだと思うんだよね。なんでかっていうと、これはまず「ペルセウス=アンドロメダ型神話」という一つのパターンで、世界中に分布してる話だということ。これはわかりやすい事実だから誰にも反論できない。そうすると例えば、日本のとある地域=具体的には出雲に特有の事件だった、では説明がつかないことになる。全世界で共通に起こったこと、もしくは全世界に直接関係のあることでなければならない。「恐竜の絶滅」という一つの話題が、原始時代から伝えられたとすると、ペルセウス=アンドロメダ型神話が世界各地に伝承されている理由が説明つく。日本ではたまたま蛇の姿でギリシア神話では巨大な化け鯨になっているが、世界の諸神話では竜とかドラゴンが多い。恐竜にもいろんな種類があったんだからこの違いはべつにいいだろ。
日本ではスネーク・タイプになってるのはちょっと気になる。恐竜が絶滅したのは白亜紀の終わりの時だが、爬虫類の中では蛇はいちばん新しく、白亜紀の前期には胴体が完全に蛇そのものであるにかかわらず、まだ小さい足が四本残っていて、あたかも中国の「龍」のような生き物だった。手足のない蛇が完成したのはようやく白亜紀の後期であって、かなり遅い。つまり、当時は蛇ってのは進化の最先端であり、「万物の霊長」だったのである。進化の最先端にいる者ですら滅ぶ。それが大絶滅で、大絶滅はあらゆる生物を滅ぼす。わずかに生き延びて次の時代に繁栄する種もあるが、それがどれなのかは神にしかわからない。ノアの箱舟みたいな話でもある。

「ヲロチ」の語義解釈
ヤマタノヲロチは、たまたまスネーク・タイプだったから、ヲロチに大蛇と当て字されているが、ヲロチという言葉には蛇という意味はない。チというのはノヅチ(草)、ククノチ(樹木)、ミヅチ(魚・両生類・水棲爬虫類・水棲哺乳類)、ハヅチ(鳥・羽虫・翼竜)、ヤマヅチ・アシナヅチ・テナヅチ(各種の陸生哺乳類?)の流れで陸生爬虫類をヲロチといったもの。ヲは陸地をいう古語のヲカ(陸)のヲだろう。蛇もヲロチだけどもトカゲもリクガメも陸棲恐竜も大雑把にヲロチに入れていい。
ヤマタノヲロチはただのヲロチではなく、固有名詞で、首が二つ三つある蛇は今でも時々いるし、恐竜時代のことだからそれが巨大でも別にいいだろう。一般論ではなく、普遍の元型でもなく、単なる個別の事例としてならば何でもありだ。一般的な世界の流れ=歴史は、一般的でない特殊な英雄によってもたらされる。

大国主は6人6代いた
『古事記』では須佐之男命の子孫として大国主神までの系譜が出てるんだが、『日本書紀』は素盞嗚尊(すさのをのみこと)の子が大己貴(おほなむち)またの名は大国主だといているのに『古事記』では須佐之男の七世孫が大国主神またの名は大穴牟遅神とある。子と七世孫が同名ということは、その間の6代は代々襲名していたのだろう。ならべるとこうなる。

初代・大国主(=大穴牟遅)/八島士奴美神(やしましぬみのかみ)
  后・木花知流比賣(大山津見神の娘)
第2代・大国主(=大穴牟遅)/布波能母遲久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬのかみ)
  后・日河比賣(淤迦美神の娘)
第3代・大国主(=大穴牟遅)/深淵之水夜禮花神(ふかぶちのみづやれはなのかみ)
  后・天之都度閇知泥神
第4代・大国主(=大穴牟遅)/淤美豆奴神(おみづぬのかみ)
  后・布帝耳神(布怒豆怒神の娘)
第5代・大国主(=大穴牟遅)/天之冬衣神(あまのふゆぎぬのかみ)
  后・刺國若比賣(刺國大神の娘)
第6代・大国主(=大穴牟遅)/別名不詳
  后・沼名河比賣(俾都久辰為命の娘)

「大穴牟遅」の語義解釈
ちなみに「大穴牟遅」というのも大国主と同じく称号のようなもので名前ではない。
オホナムヂの「ナ」については、『日本書紀』は大己貴と書いてオホアナムチと読ませており、つまり「己」はアナだという。が「己」はオノレであってアナではない。オノの母音転換とする説や一人称と二人称が置き換わる現象の一例とする説もあるが不詳。単純に「名」の字の誤記が定着しただけかも知れない。また『古事記』は「穴」と書いてるが奈良時代の発音では母音が連続することがないので「大穴」はオホアナとはならず穴の一字で「ナ」。本居宣長は信濃国埴科郡大穴郷の大穴を「於保奈」と記す例もあげている。従って日本書紀が大己貴と書いてオホアナムチと読ませているのも誤り。アナと読むのは誤りでナと読むのが正しい。しかしそれならなぜわざわざ紛らわしい「穴」の字を使うのか、ここはやっぱり無理にもアナと読んで、蛇の住む穴だとか鉱山の採掘口だとか火山の噴火口だとかという説もある。が、それらは付随する神話内容から掛け離れており採れない。穴の字は「奈」の略体か「名」の草書を誤写したので意味はないのだ。現代の通説ではナは極めて古い言葉で国土の意としており、これがよいと思う。例えば地震を古語でナヰフリというのは、地(なゐ)が震(ふ)るえるという意味。また語尾はムヂ(古事記)ムチ(書紀)モチ(『出雲國造神賀詞』)ミチ(『萬葉集』)の4説あるが、「大穴道」(萬葉集)の「道」はミチでなくムチの当て字とする通説でよいだろう。書紀のムチ(大己貴の「貴」)は貴人を意味し、通説ではムヂ・モチともにこのムチの訛りというが、この言葉は平安時代語である上、書紀ではこれと大日孁貴(オホヒルメノムチ)の2ヶ所しかなく疑問。宣長は古事記の仮名遣いの厳正さからムヂと濁るのが正しく清音でムチとする書紀は誤りとしている。ただし宣長はムヂが古態だといってるわけではなくて、オホナモチ(大名持=偉大なる名声の持ち主)の意味だといってるので、モチが原形でムチやムヂのほうが訛りなのではないだろうか。上述のように「ナ」は国土を意味する古語という通説に従えば、オホナモチは「大国持ち」の意味であり、大国主とも同義となる。オホナモチが本来の形で、それを奈良時代からさほど遠くない過去に意訳したのがオホクニヌシ(大国主)だろう。ちなみに『出雲國造神賀詞』、『神名帳』、『出雲風土記』はどれも「大穴持」で穴の字が上述のごとくアナでなくナと読むのだから読みは「オホナモチ」。『日本文徳天皇實録』では「大奈母智」、『日本三代實録』と『延喜式』は「大名持」であり、これらの表記もみな読みは「オホナモチ」である。さて、そうすると語義からして「大穴牟遅」(=大名持)というのは大国主と同じく称号のようなもので名前ではない。そうすると6代目の本名がわからないことになる。最後の6代目の后は沼名河比賣だろうと別の記事で推定しておいた(「「三宝荒神」は仏教の尊格ではない」)。そこから便宜的に6代目の名を沼名河比古と仮称することを提唱したがともかくここでは別名不詳としておく。

悠久なる地質年代
大国主とは地上の支配者の意味だから、この歴代を王権神話の観点からみることもできる。王権起源神話には定まった類型があり、あまくだってきた天の神(または天神の子、初代)が山の神の娘(または山の女神)と結婚して生まれた子(2代目)が、今度は海の神や川の神など水に関係した神の娘(または海の女神とか川の女神)と結ばれて子(3代目)が生まれる。その子が特定の民族の初代の王(または王朝や国家の建国者)となる、というお決まりのパターンになっている。つまり初代の国王は4代目なのである。このパターンは日本神話、中国神話(五帝神話)、ベトナム建国神話、王氏高麗の建国伝説などに共通してみられる。満州神話(夫餘神話)は一度ほろびた民族の神話の断片を後で適当に継ぎ合わせたものでかなり話の筋が乱れているが、これもまぁ推定で復元できる。そして日本神話の場合は、邇々藝命・穂々手見命・鵜萱葺不合命のいわゆる日向三代がこれに該当する。この神話類型の比較を詳しくやっても面白いのだが、この詳細は日向三代の話ですることにして今回はしないが、歴代大国主にも同様のパターンがある。初代八島士奴美神はあまくだってきた須佐之男命の子(天神の子)で、山の神の娘を后として2代目の布波能母遲久奴須奴神が生まれ、この神は淤迦美神(おかみのかみ)の娘、日河比賣を后としている。淤迦美神は水神でこの神に雨乞いする信仰があったことが『万葉集』にもある。その娘は川の女神。そしてその子が3代目の深淵之水夜禮花神。ここまでを日向三代に例えると、4代目の淤美豆奴神が神武天皇に該当することになる。因幡の白兎から始まる大国主の神話は、だから第4代から始まるのだろう。
ところで、八俣の大蛇の退治が恐竜の絶滅だとすると、それは中生代白亜紀の終わりと新生代の始まりの間のことになる。そうすると大国主の時代というのは地質年代でいうと新生代に該当することになるはずだ。この新生代というのは通常は7つの時代にわけられているが、6つめの更新世(旧名・洪積世)を前半と後半の2つにわけて表示したのが下の表だ。

暁新世(6600万年前ー5600万年前。1000万年間)
始新世(5600万年前ー3390万年前。2210万年間)
漸新世(3390万年前ー2300万年前。1090万年間)
中新世(2300万年前ー500万年前。1800万年間)
鮮新世(500万年前ー258万年8千前。241万2千年間)
更新世(258万8千年前ー180万6千年前。78万2千年間。全4期のうち前1期/ジェラ期)
------------------
更新世(180万6千年前ー7万5千年前。173万1千年間。後3期/C期・中期・後期)
洪積世(7万5千年前ー1万年前。6万5千年間。更新世の最末期。更新世の旧名を転用)
沖積世(1万年前ー現在。1万年間。現在では「完新世」という)

上記のうちの更新世は「ジェラ期・カラブリアン期・中期・後期」の4つの期間にわかれる。このうちジェラ期というのはかつては鮮新世に入れられており、鮮新世を「前期・中期・後期」にわけた時の後期に該当するのがこのジェラ期だとされていた。だから昔は更新世は180万6000年前から始まったとされていたのです。しかし2009年6月に、やめればいいのに国際地質科学連合(IUGS)というおせっかい者が「ジェラ期は更新世に入れよう」という勧告をしてから、更新世は約78万年も繰り上がることになったわけ。これが現在の学界の説。それに反対する意味をこめて、上記の表ではジェラ期だけの更新世(前半)と、それ以降の3期ををあわせた更新世(後半)にわけて書いてある。
更新世と沖積世(現在では「完新世」といってるが旧名を使います)を合わせて「第四紀」というのだが第四紀はまた別名を「人類紀」ともいい、現生人類の時代である。ジェラ期を更新世に含めようという話になったのは、古人類の人骨の発見がジェラ期のものまで遡るようになって、ジェラ期も「人類紀」に含まれるのではないかって話かららしいのだが、生物学的にはともかく、宗教的には魂が問題にされるので、肉体が人間に似てる「だけ」では人類とは認められない。しかも人類といっても学界がいってるのは「現生人類」(ホモ・サピエンス)のことではなく猿人の類の話である。現生人類(ホモ・サピエンス)の出現は中期から。
ところで『日本書紀』では瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)のあまくだりの年から神武即位前八年(BC668)までで179万2470年余としている。天孫降臨の年をこれで計算すると今から約179万5000年ほど前となる。これはジェラ期を含めない場合の更新世の始まりと約1万年しか違わない。そうして改めて上記の表をみると、天孫降臨以前の新生代は6つの時代から成っているのがわかる。偶然だが、大国主の6代と一致してるw
となったら、早速対比してみようw

1:暁新世と八島士奴美神
八島士奴美神(やしましぬみのかみ)は大八洲を須佐之男命から受け継いだ神。といっても日本列島ばかりが大八洲ではない。このことは以前「国生み島生み」のところで書いたか、まだだったらそのうち書きます。八島士奴美神が山の神の娘を后としたのは、後世の邇々藝命と同様で、后の名前もこちらは木花知流比賣(このはなちるひめ)、あちらは木花之佐久夜毘賣(このはなのさくやひめ)で似ている。木花之佐久夜毘賣は江戸時代には富士山の女神ともされたが、もともと火山噴火に関係していたと思われ、山の神の娘だから本人も山の神(山の神格化)である。産屋に火を放ってその中で子供を生んだ話は、火山活動で新たに山が生まれるという自然現象を表わしてもいる。日本書紀では八島士奴美神の名を「清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠」(すがの・ゆやまぬし・みなさもるひこ・やしましぬ)とある。「湯山主」というのは温泉の湧いてる山か。暁新世から次の始新世にかけては温暖化がすすんだが、その原因の一つに火山活動があったという。火山活動が活発な時代だったのである。

2:始新世と布波能母遲久奴須奴神
始新世は新生代の中でもっとも温暖化がすすんだ時代で「始新世温暖化極大」とか「始新世高温期」という。湿度も高かった。陸では火山活動、海ではメタンハイドレートの温暖化ガスが大量放出されたからという。布波能母遲久奴須奴神(ふはのもぢ・くぬすぬのかみ)の「フハ」は「吹き払う」または「吹き・吐く」でガスの大量放出を表わしてそう。

3:漸新世と深淵之水夜禮花神
深淵之水夜禮花神(ふかぶちのみづやれはなのかみ)の深淵(ふかぶち)とは普通は湖沼のことだがここでは海のことをいってるかも知れない。「水夜禮花」は当て字だから花に水をやる意味ではなくて、水を破(や)れ放つ意味。湖沼を干上がらせて陸地にすること、または海岸線を後退させて陸を広げること。上述のようにこの神の母は川の女神で母方の祖父は水神、両者から水を司る力を受け継いでいる。日河比賣のヒカハは氷川、つまり氷河を意味しているかもしれない。この時代まではまだ湖沼や湿地帯が多く、大陸も小さく海も広かったのだが、漸新世では寒冷化が起こって大気も乾燥してきた。北極の海氷と南極大陸の氷床ができたため、大規模な海退がおこり、陸地が広がった。この頃、地中海・黒海・カスピ海・アラル海はぜんぶ一つの巨大な海「テチス海」という一つの巨大な海の一部で、東はアラビア海ともつながっていたがこのテチス海も急速に縮小していった。

4:中新世と淤美豆奴神
中新世には、欧州や北米で造山運動があり、日本列島が大陸から分離して日本海ができ、海底火山が活発だった。いってみれば日本列島が現在の形になった時期。淤美豆奴神(おみづぬのかみ)は、『出雲国風土記』には八束水臣津野命(やつかみづ・おみづぬのみこと)という名で「国引き神話」が伝わる。出雲国ははじめ小さかったのであちこちの遠方の陸地や島に綱をかけて引っ張り寄せて出雲国を物理的に広くしたという話。伊邪那岐・伊邪那美の国生み島生み以来、陸地を造るのも神々の国造りなのです。火山活動や地殻変動の話をやたら出すけども、地質年代的な長期スパンでは、陸地は沈没して海になり、海は浮上して陸地になるようなことを繰り返しつつ、地形がかわっていく。国引き神話もこの趣旨でみないといけないんで、政治勢力の拡大とかの意味ではない。自然現象の神話的表現なのである。まだ人間の時代じゃない。この神が4代目で、大国主神話のほとんどのエピソードの主役ではないかということは前述の通り。古事記は6代分の話を系譜の後にまとめて書いたので、6代目だけが大国主であるかのように誤解したもの。中新世には大陸の様相もほぼ現在と同じになり、海や陸の生物相もほぼ現代と同じになった。つまり「大国主の国造り」が4代目にして一応の完成をみた時代だといえる。(大国主神話に含まれる大小のエピソードの解釈はそれぞれの機会に譲る)

5:鮮新世と天之冬衣神
天之冬衣神(あまのふゆきぬのかみ)と鮮新世の関係はわかりやすい。鮮新世ってのは大寒冷期なのである。それならフユキヌとは「冬来ぬ」(冬が来た)の意味。漸新世以来、徐々に気温が下がってきていたがここにきて下がりすぎた。大国主の時代も前代の最盛期をすぎ、衰退期に入ってきた。『古事記』には、少名比古那神(すくなひこなのかみ)に去られた大国主が「我れ一人して如何にこの国を作り得んや」と愁えたとある。まぁいろいろ問題が起きてきたと。鮮新世にはアウストラロピテクスに代表されるような、いわゆる「猿人」が出現した。現在の人類の祖先ではないが、人間に近いものが生まれたのは、前代の生物相の一定の完成に続くさらなる進歩であったが、人間とみなされるような進化には届かず、これも天之冬衣神を悩ます問題だったかもしれない。というか「猿人」が出現したこと自体が、順当な進化ではなく衰退の一環だったかもしれない。

6:更新世と大穴牟遅神(別名不詳
更新世といってもその中のジェラ期だけだが。この6代目は何度もいうように名前はわからないが、越の沼名河比賣を后として建御名方神(たけみなかたのかみ)をもうけている。建御名方神は後々、天孫降臨の段になって天津神には敗れるが、それまでは武神として鳴らしていたのだろう。この時期に武神が出てくるのは、大国主の時代が衰退期どころか混乱期に入り、世の中が乱れていたからだろう。『古事記』にも『日本書紀』にも大国主の末期には世の中が乱れ妖怪が跋扈していたかのような既述がある。この頃、最初期の原人(ホモ・ハビリス等)もこの頃に出現しており、原始的な言語と石器は使っていた(火の使用はまださきのことだとされている)が、これらも現生人類の祖先ではなく、自然界を統治する神々からするとなにかイレギュラーな事態だったのではないか。これを最終的に解決した話が天孫降臨の神話ということになるが、それはまた後日、別の記事で。
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浅草橋キッド

Author:浅草橋キッド
どこから見ても平凡な、一介の町人です。

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