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・「豆まき」は中国から伝わったのではない

H29年2月3日初稿
(※多忙につき後日かきます)

・祖先崇拝はなかった/古事記が「採り入れた」のではない

H28年7月21日(木)投稿 H28年7月20日(水)初稿
日本には祖先崇拝はなかった
「三柱の綿津見神は安曇連等が祖神ともちいつく神」なわけだが、誤解してはならぬのは、安曇連氏だけが独占的に祭祀しているわけではないということだ。古事記の原文をよくみれば安曇連「等」(ら)とある。安曇連以外にも、海に関係する仕事していれば誰でも祭っていたのである。「祖神」という文字から祖先崇拝と考えたくなるが、古代日本には中国や朝鮮のような、つまり儒教的な意味での祖先崇拝があったとは思わない。大陸の儒教的な祖先崇拝(宗族制)は「我が家と他家では先祖が違う」という観念から出発している。しかし原始神話は(大陸の神話でさえ)「全人類同祖説」が基盤になっている。「祖先が違う」というのは神武天皇以降の話、いわゆる桓武平氏だの清和源氏だのって話であって、神武天皇以前の神々はすべて全人類の祖先なのであり、特定の神の子孫というのはごく例外的にしか存在しない。というと『新撰姓氏録』には神別氏族(神話の神々の子孫という氏族)がたくさんいるじゃないかと反論されるだろうが、よく分析すると見た目が多くとも祖先ごとに分類すると実体はわずか数系統しかなく、それも元は神別ではなく皇別だったと思われるものが多い。『新撰姓氏録』の解説はまた別の機会にするとして、ともかく、原始神話の段階における信仰では、人間なら誰でも、山の神・海の神・火の神・水の神、八百万の神々のうちどれでも任意に選んで「これがおれの祖先神」といって何ら間違いにならないのである。須佐之男命の子孫と自称しようが天照大神の子孫と自称しようが問題ない。天照大神だって皇室だけの祖先として独占されてはいない。戦前には日本人は「天孫民族」だとされていたのだから。それもまったく正しい。じゃどうやって多くの神々の中から特定の神を自分の祖先として選ぶのかといえば、たまたま自分がついてる職業に関係ある神を守り神として祀るわけだろう。安曇連は海人なのだから綿津見神を祀るのは当たり前なのであって特に深い意味はない。
(※ただし「日本には祖先崇拝はなかった」という命題はなかなか納得しにくい人が多いだろうと思うので、いずれまた詳しく議論したいと思ってはいます)

三柱の綿津見神は古事記が「採り入れた」のではない
よくいわれる説で、三柱の綿津見神は安曇連「だけ」が祀っていた神なのだが、大和朝廷に採り入れられて、古事記に書かれたのだ、という人がいる。それはいつの話なのかね? 朝廷にまったく知られていない無名の神を、由緒ある語部が守ってきた神聖なる古伝承にほいほいくっつけられると思う神経がわからんね。安曇連の「独自の神」をもってくる前に、大和朝廷の人間が「海の神」をもっていなかったとも思われない。そしたらその古来の海の神を、大和朝廷は捨ててしまったのか? それも考えられないだろう。そして安曇連という氏族はいつからいてどこからきたのか? 日本が海に囲まれてる限り、海の民それ自体は、縄文一万年はおろか、はるかな原始時代から存在しただろう。それでも祖先のちがう異族だという観念があったのか。それは『新撰姓氏録』では諸蕃というカテゴリーに分類されているが、これは「神話が成立した後」に日本に参加した氏族の総称である。大陸でさえ帝国運営がうまくいくと多民族が融け合って一つになる。しかも日本は現在でも異民族同化力の強い社会で、諸蕃系の氏族たちも早々に民族性を失って日本人に同化してしまった。安曇連も吉野の国栖も、気の遠くなるような太古から大和朝廷に所属する国民の一部なのであって、奈良時代からさほど遠からぬ5世紀前後になって、それまで未知だった安曇連の独自の神を中央の神話に取り入れた等ということはありえない。三柱の綿津見神はもともと日本神話の一部なのであって、取り入れたのどうのって話は、記紀神話は大和朝廷の天皇権力を正当化するために諸神話を都合よく切り貼りして「創作」したのだという昔の左翼的神話観の残りカスにすぎない。

(※未完、続きは後日に執筆予定)

・禊で生まれた神々は、伊邪那岐命が一人で生んだのか

H28年4月21日(木)投稿 H28年4月20日(水)初稿
ある質問
ある人からの質問。黄泉国の前には伊邪那岐・伊邪那美が二柱で神々を生んできたのに、禊の段では伊邪那岐命が一人で神々を生んでいるのはどうしてか? 禊で生まれた神々には母神がいないことになるのか? …という疑問。
まぁ伊邪那岐命が一人で生んだはずの須佐之男命が「妣國(母の国)根の堅洲國」といってるから、この根の堅洲國が黄泉國と同じとみなしてよいなら、須佐之男命が伊邪那美神を「母」と呼んでいることにはなる。父の前妻?義理の母?という意味なのかどうなのか理屈はともあれ、須佐之男命にとってのみ母ということはないだろうから、禊で生まれたすべての神々も伊邪那美神がその母である、ということになるだろう。

ただし、義理の母という観念は伊邪那岐・伊邪那美の神話にはなじまないような気もする。なぜかというと以前にも「これって離婚なの?」で書いたが、伊邪那岐・伊邪那美の神話の趣旨は、父なる天空神と母なる大地の神による世界の創造(産み出し)だからだ。この世の万物は伊邪那岐・伊邪那美の子であるという時、その場合の「子」には実の子か義理の子かなんて意味がそもそも無い。この世(=天と地に挟まれた空間)になぜ「それ」が存在するのか、それは天と地の間に存在するものはすべて天を父とし地を母として生まれたからだ、というのが神話の世界観である。

A説:一人で生んだようでも実は二人で生んだ説
日本書紀では伊弉諾・伊弉冉の二人で天照大神たち三貴子を産んでいる。が、古事記の書きぶりをどう解釈するかは、格別にはこれといった定論がないようだ。というか国文学者にとってはどうでもいいのかも知れない。また別の説では、禊で生まれた神々も、伊邪那岐命が一人で産んだのではなく、それ以前に伊邪那美命と一緒に神々を生んだ続きであり、かつて伊邪那美命と一緒だったことによってその後も神々を生んだのである、だから禊で生まれた神々も、伊邪那岐・伊邪那美二柱の子なのである、と。うまく言えないが、何か伊邪那美命の「気」のようなもの(分身的なもの?)が伊邪那岐命に纏わりついて一緒にいるような? これを俺的に別な喩えでいうと、昔の母親は産屋に篭って一人で出産するとしても、その前の段階で父親になる男と一緒にいたことが前提になる。それと同じことか? ともかく、個人的な感想としては、この人の説で、特に問題ないと思う。

B説:大神に昇格すると一人でも生める説
それを「A説」とする。というのは後からその人はぜんぜん違った意見を言っていたからだ。こっちを「B説」とする。その日の話の中で、伊邪那岐・伊邪那美の敬称が、神世七代として出てきた時には「神」なのに、神話の中で活躍する際にはずっと「命」(みこと)であり、その後、黄泉國の段の最後に伊邪那美は「黄泉津大神」と呼ばれ、伊邪那岐も、黄泉國から帰還してすぐ禊の段の冒頭で「伊邪那岐大神」と呼ばれている。つまり神(かみ)→命(みこと)→大神(おほかみ)と三段階に変化している。これをどう解釈するかは、まぁいろいろあるわけだが、ともかくそういうお話があった。で、その人は、神が成長?昇格?進化?して大神になると、一人で子が生めるようになる、天之御中主神から豊雲野神までが独神(ひとりがみ)でありながら次々の神を生んだように。…というようなことを言っていた。これを「B説」とする。AとBでは理屈の構造というか、説明の趣旨がずいぶん違うように思う。第一、これだと須佐之男命が伊邪那美神を母と呼ぶのはおかしくないか? 父の前妻=義理の母だから理屈はあっているということだろうか?
なお、独神(ひとりがみ)についての議論は「天地のはじめ」の章に譲り、今回は触れない。

謎解き
三貴子についていえば、『日本書紀』の通り、火の神を生む前の段階で生まれているとすればこれは岐美二柱の御子ということで問題ない。
その他の禊の神々だが、『古事記』では、帰って来てくれといわれた伊邪那美命が「黄泉津神(よもつかみ)と相談するから待ってちょうだい」と答えている。この「黄泉津神」も黄泉国で生まれた伊邪那美の子供たちのことで、その中には八雷(やつのいかづち)たちも豫母都志許賣(よもつしこめ)たちも含まれているだろうが、それ以外にもいたんだろう。八雷や豫母都志許賣は伊邪那岐を追いかけたが逆に追い返された。しかし、追い返されずに伊邪那岐命が地上に連れ帰った子供たちがいたとしたら?
古事記によると、伊邪那岐命が杖をすてると衝立船戸神(つきたてふなどのかみ)が「成った」。帶をなげすてると道之長乳齒神(ちのながちはのかみ)が「成った」。裳をなげすてると時置師神(ときおかじのかみ)がなった。衣をなげすてると和豆良比能宇斯能神(わつらひのうしのかみ)が、褌の時には道俣神(ちまたのかみ)が、冠では飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)が成った。そして左右の手の手纒は奥(おき)の三神と邊(へ)の三神が成ったという。この12神が「成った」のは、古事記だと禊の場所まで来た後の話で、禊をするために「身に着けていたもの」を脱いだのだと書いてあるが、日本書紀(一書第六)では、この神々は黄泉津比良坂で伊邪那岐・伊邪那美が対話している時に生まれたことになっている。そして、これについては日本書紀の方が正しいと思う。なぜなら、古事記には抜け落ちているが、最初の衝立船戸神(書紀では「岐神」(ふなどのかみ)という)が生まれた時に「ここからは来るな」といって杖をなげたことになっているからだ。そうするとこれらの神々は「こっちの世界」ではなく「あっち側=黄泉國」に留まった神々であるか、少なくともあの世とこの世の境である黄泉津平坂に留まった神々ということになる。この境界であるところの黄泉津比良坂でなぜ衣服を脱いでいるのかといえば、一応表面的な理屈としては、衣服に黄泉國の汚れがついたから、ともいえるが、それらの衣服に「子供たち」がしがみついてきたからで、八雷や豫母都志許賣よりはかなり成長している子供であるために、八雷や豫母都志許賣みたいに簡単には追い返せず、ここまで着いてきてしまったんだろう。「成った」というのは誕生したという意味に受け取ると伊邪那岐命一人で生んだように思うが、そうではなく、大人になることを「成人」というようなもの。一人前の神に「成った」という意味に受け取ればよい。
ここまでの神々は結局この世に連れ帰ってはいないわけだが、十分に成長した子供で、父親を追いかけてきたのなら、いつまでも無理に母親の手許に置いておく必要はない。禊のシーンで生まれた八十禍津日神(やそまがつひのかみ)から上筒之男命(うはつつのをのみこと)までの11神は、十分に成長していたので地上世界に連れ帰った子供たちなんだろう。父神が禊によってしがみついていた子供を払い落とし、それによって父から自立し、成人したこと=神として一人前に「成った」ことを「神に成った」といってるのである。
結局のところ要するに伊邪那岐命が一人で生んだ神というのは存在しないことになる。

禊は「二神の禊」である
『ウエツフミ』みたいにイザナミノミコトの救出に成功して二人で禊したって話にすればわかりやすいんだろうけどね。『ウエツフミ』の設定のおかしなところはすでに「これって離婚なの?」で書いたので今回は省く。
禊は伊邪那岐命が一人でやったことで、伊邪那美命は関係がない、とは誰しも一度はそう解釈するだろう。実際そう読めるように書いてある。だが、「これって離婚なの?」で書いた通り、伊邪那岐命は単純に勝手に逃げ帰りました、ハイおしまい。…ではなく、黄泉津平坂での対話の通り、両神が生んだこの世界の今後の管理=万物の生命(生死)の管理についての両者の合意、今後の合意があった上で両神は別れてる。つまり伊邪那美命が黄泉津大神として黄泉國に鎮まったのも、女神の独断ではなく夫神・伊邪那岐命との合意あってのことだし、伊邪那岐命が禊したのも男神の独断ではなく妻神・伊邪那美命との合意あってのこと。夫妻どちらも「我れワタクシの心」で好き勝手してるのではないのである。だから「伊邪那岐命の禊」とはいうけれども、これを「伊邪那岐命・伊邪那美命の禊」といっても間違いではなく、両神そろって禊するという『ウエツフミ』の物語も元はそういう発想から出たものかもしれない。衝立船戸神から邊津甲斐辨羅神(へつかひべらのかみ)までの12神を黄泉津比良坂に置いたのも、八十禍津日神から上筒之男命までの11神を父神についていかせたのも、すべて伊邪那岐・伊邪那美の夫婦の合意された計画である。夫神が黄泉国を訪ねるという間違いを犯すことはあったにしても、その間違いから二神は学んで、生死の往来についての掟を厳格に定め、さらには誤り(罪)を犯した際の祓い清めの担当神を、御子神たちから選抜して任命した。国生みも神生みもすべては、伊邪那岐・伊邪那美二神が、天津神諸々からくだされし命令(みこと)なる「修理固成(つくりかため)の神勅」を奉戴することから始まっているのであって、黄泉国からの帰還も、その時に神々が生まれたのも、禊も、禊で神々が生まれたのも、すべて修理固成すなわち天地の経綸の一環なのであり、それは大御祖岐美二柱の大御心なのである。

・これって「離婚」なの?

平成28年7月27日(水)改稿 平成27年11月25日(水)初稿
結婚式の和歌「二神の夫婦の道を…」
小学生の時、初めて『古事記』を読んで、この「黄泉の国」の章まで読み終えた時、日本版アダムとイブどころか、万物を生んだ世界の父母たるイザナギ・イザナミが、まるで憎しみあって絶縁したとも読めそうな、まさかの展開に唖然としたものだ。万物を生んだというぐらいに子沢山なわけだから、仲も良かったわけだろう。それがいくら嫁がゾンビ(腐乱死体?)になったからといって、そこまで冷酷にスタコラ逃げ去ったりできるもんなのか、と。まぁ今思えば子供だからそう思ったわけで、大人になってから考えると、いくら好きでも腐乱死体がしゃべったりしたら逃げますよ怖いもん。
スタコラ逃げ出した亭主もどうかというついでに、逃げたのも無理ないだろうに「恥をかかされた」と怒る嫁もどうなの? しまいに黄泉津比良坂(よもつひらさか)で「あなたがこんなことするなら私は…」とお互いに対抗しあってるし。愛はどうしたんだよ愛はさー。
これはおかしいと思った人は昔もいたわけで、鎌倉時代に編纂されたことになってる『ウエツフミ』では、イザナギの命がなんとイザナミの命の救出に成功するって話になってる。こうでなくっちゃ、と素人は思ってしまうわけだが。
昔、愛媛県の人が出していた「自己維新」っていう同人雑誌に、あるご老人が若い頃に結婚した時の和歌を投稿していた。
いざと立ちいざと往きにし二神(ふたかみ)の夫婦(めをと)の道を我ら行かなん
日本最初の夫婦である伊邪那岐・伊邪那美の命のように末永く添い遂げよう
…という意味だとうっかり思ってしまい、まぁなんて良い歌なんでしょう、と感心したものだ。
だが、離婚してるよね? 結婚式の時に歌うのは縁起わるくね?
「いざと立ち、いざと往く」ってのは今思うと「結婚する時は固く誓い、離婚する時はスッパリ後腐れなく」って意味だったのかな?
それとも「いざと往く」っってのは「死に別れの時にはお互いにスッパリ忘れよう」、って意味だったのかな?

天に帰ったイザナギと、地下に降りたイザナミ
死に別れといえば、先ほどの『ウエツフミ』。最後はイザナギの命が昇天して、高天原の日之少宮(ひのわくみや)に帰り、イザナミの命は出雲の比婆山に隠れ鎮まったとある。伊弉諾尊が高天原に昇り日之少宮に留まったのは『日本書紀』にもあり、伊邪那美命が出雲の比婆山に葬られたのは『古事記』と同じ。『古事記』では伊邪那岐大神は淡路の多賀にまします、とあるだけで最後がやや不鮮明だが、『日本書紀』では淡路に幽宮(かくりみや)を構えたともあり、要するに淡路から昇天したということだろう。問題はイザナミの命で、『古事記』では出雲の比婆山、『日本書紀』では紀伊の熊野の有馬村に葬られたとあるが、これは出雲にしろ熊野にしろ、黄泉国に最初にいった時の話で、すったもんだのストーリーの「前」に葬られた場所ってことになってる。つまりイザナミの命はそこから黄泉国に向かったわけで、最終地点が黄泉国であり、出雲の比婆山にしろ紀伊の熊野にしろ通過点にすぎないことになる。ところが『ウエツフミ』だとイザナミは黄泉国から救いだされたことになっているので、出雲の比婆山に隠れ鎮まったのは、地上に帰ってきてからってことになっていて、時系列が入れ替わっている。
どっちが正しいといえばそりゃ記紀の方が正しいのだが、そういう話を言いたいのではなく、ウエツフミはせっかく救いだしたのに、最後にまた別れてしまってるようなんだが。昇天するなら、なぜ一緒に昇天しないのか? あるいは、なぜ同じ比婆山に一緒に落ち着かないのか? 結局、偕老同穴とはいかないのはなぜなのか。せっかくストーリーを改変して黄泉国から救い出す話にしたのに、意味が薄れてしまってるのではないだろうか?
しかしそう考えるのは現代人の先入観のせいでもあって、昔は妻問い婚なので、夫婦はもともと別居が常態だった。だから別居それ自体は離婚してるかどうかとは関係がない。

「天地開闢」という神話の原理
そもそもこの神話は、父なる天空神と母なる大地の女神とによってこの世の万物が生み出されたという趣旨なのだね。万物がすべてカミガミであるのならばその最大のカミは天空と大地であり、その両者の間に万物は生まれ、育まれている。これが古代の自然観だろう。『延喜式』の「火鎮めの祝詞」によると伊邪那美命は黄泉に去る時に「吾が汝兄命(なせのみこと)は上津国(うはつくに)を知らすべし、吾は下津国を知らさん」と言い残したとある。この文意からは「地上の世界」と「地下の世界」を夫婦で分けあって治めるという役割分担的な大人の話し合いがあったように読める。黄泉津比良坂(よもつひらさか)での言い合いについても、よく言われ勝ちな説には、「男神が口喧嘩で女神に勝ったから人間は増えることになった」というが、女が口喧嘩で男に負けるなんてこたぁあるわけないだろっw その解釈はおかしいぜ。憎しみ合ってるにしてはお互いを「愛我那勢命」(うつくしきあがなせのみこと)、「愛我那邇妹命」(うつくしきあがなにものみこと)と呼び合ってる。ナセもナニモも親しみをこめた言い方で、その上「いとしいあなた」と呼び合っている。こんな喧嘩があるか? これ要するに、最初から最後まで憎みあってもないし離婚も喧嘩もしてないというのが正しい解釈ではないかと思われる。
憎みあってもおらず、離婚もしてないのなら、いったいこの神話でイザナギ・イザナミは何をやっているのか?
天地開闢して初めてその天地の間に世界が生まれる。天(父)と地(母)が別れることで世界が生まれたという話なのだから、この夫婦が別れないと世界は永遠に渾沌のままで、万有世界は誕生しない。役割分担といったけど、例えば嫁さんが旦那の会社までついて来られても困るだろうし、親父が仕事にもいかないで台所でうろうろしてても奥さんは邪魔でしょうがないだろう。それに寝る時にも夫婦の体が離れててその間に隙間があるから子供をそこに寝かせて「川の字」になれるわけだろう。そう考えれば、イザナギの命が黄泉国までついていって追い返されたのは、奥さんの仕事場である台所から追い出されたようなものではないか。
この神話を「人間の死の起源」を語っている神話なのだという説があるが、「人間の」と限る必要はない。脳天気な現代人の中には、自然といっても生態系といっても、いちいち人間にやさしい素晴らしいものという発想する人もいるが、生態系というのは生と死のバランスで成り立っている。生まれかわり死にかわり、生まれ生まれて、死に死んでいく。生と死は表裏、一体不可離なので、これを「態系」といっても間違いではなく、わかりやすくは「生⇆死」の態系なわけですよ。イザナギのように死を容認できず、あの世から死者を自由に連れ戻すことが可能なら、生態系は壊れてしまう。それは地球が死んでしまうってことだ。だからイザナギ・イザナミは、1000人殺して1500人産もうと相談してるけど、これはイザナギの失敗を反省して、生死のバランスをとっていこう、つまり「生態系」を安定的に運営していこう、という夫婦の相談なんだろう。ここで理屈っぽい人なら「産まれる方が多いなら増える一方で生態系はむしろおかしくなるだろう」、というツッコミもしたくなるだろうが、生まれた生物はすべてが健全に育つわけではないから目減り分としてあらかじめちょっと多めに産まれるようにしようってことだろう。人間の人生として考えると、イザナミに殺されるというのは母の懐に呼ばれるってことで、天寿をまっとうするってことだ。事故死や病死は呼ばれてないのに死ぬこと、生みの母なるイザナミにとって想定外の死だからこの1000人の中に入ってない。人類の母でなく、全生物の母としてみると、食物連鎖の下位にある生物は子沢山に生んで上位の生物の餌を提供するのが「生態系」上の存在意義というか「使命」になってる。いい悪いじゃなくて実際にそういう仕組みになってるんだから、神様がそうしたんだろ。したがって食物連鎖の上位の生物に食われて死ぬのは使命をまっとうしての死だから、これは1000人に含まれる。アイヌの信仰でも人間に食べられた魚は天国にいくのだが、一部を食べ残すと全身が天国にいけなくなるから残さず全部食べてあげないと可哀相っていうでしょ。
地球の生態系を昔の人はイザナギ・イザナミと言ったのだが、現代人が考える生態系は機械的に自動で回ってるんで意識はないんだけど、イザナギ・イザナミには神々自身としての自意識があるところが違う。自然にはカミが宿ってると感じられないやつは致命的に才能ないんだから『古事記』読んでも無駄やぞ、「ガイア生命体」はカミやぞw 今でも地球は一つの生態系として生命活動を続けているのであって、イザナギもイザナミも死んでいない。それぞれの持ち場で今も生きて、働いているのだ。父なる天空も、母なる大地もすべての命を育んでいる。植物や下等動物も自身を餌として他の生物を養っているし、人間が農業(agriculture)を営むのも子が父母(=天地)を模倣する行為なのであり、人類の文化(culture)とは神の創造行為の延長なのである。

漢字の「黄泉」についての誤解
黄泉という文字は漢語で、中国の大地は黄河が運んでくる黄土でできた黄色い大地で、その下も、やはり黄色い世界で、古代中国人はそこに泉が湧いていると考えたから、地下世界のことを「黄泉」(こうせん)と書いていた、という説がある。しかし本当のことをいうとこの場合の「泉」は湧き水の意味ではなくて、古くは「西」「遷」と発音が同じ。仙人のことを古くは「遷人」と書いていた。あの世に遷ることを「遷」といい、大昔は死後の世界が地下ではなく西の方にあると思われていた。つまり「遷」は「死んで遷った世界」で「あの世」のこと、「あの世」がある方角を「西」(=遷)といったのが「西」の語源。黄色も後世の中国では五行説のせいで東西南北の中央の色になったが、古くは「西」に関連付けられた色だった。まぁ、なんにしてもヨミ・ヨモという大和言葉とは直接には関係がない、当て字です。

「夜見」説はありえない
黄泉の和訓はヨミとヨモの2種類あって、夜方(よも)とか夜見(よみ)とかの意味だという説や、夜迷(よまよい)の訛りだという説があるんだがこれは上代特殊仮名遣いからみて誤りとされている。黄泉のヨは乙類のヨだから、四つのヨ、良い(吉・善・好)のヨ、世の中のヨ、代々(よよ)のヨ、読むのヨのどれかではあっても、夜のヨ(甲類のヨ)ではありえない。つまり「夜方(よも)・夜見(よみ)・夜迷(よまよい)」等の「夜」に関係づける説はすべて間違いだとわかる。

「ヨミ」か「ヨモ」か?
ヨミとヨモはどちらが本来の原形かという話も2説に分かれる。ヨモは助詞のツを挟んで「ヨモツ何々」と複合語になった時だけヨモになってるので、ヨミが元の形だという説があり、これをいま仮に「ヨミ原形説」とよぶ。これに対して日本書紀の訓にはヨモツヘグヒ、ヨモツシコメ、ヨモツヒラサカとすべて「ヨモ」が指定されていて「ヨミ」と読む例はないゆえ、岩波版日本書紀の注釈によると、古くは「ヨモ」だったと認められる、とある。これを仮に「ヨモ原形説」としよう。ヨモ原形説の弱みの一つは、どうしてヨモだったものがヨミに訛るのか説明しにくいことがある。
ヨミ原形説が有力と思われるもう一つの理由は、ヨミ・ヨモの「ミ/モ」が甲類でなく乙類だということがある。古事記には豫都志許賣(よもつしこめ)とあり、黄泉(よも)の「モ」は乙類のモ(「母」の字)になっている。甲類のモなら「毛」の字を使う。「ミ⇆モ」というようにイ段とオ段で母音交代を起こすのはすべて乙類で、甲類ではないから、これはヨミ原形説に都合がいいのだ。逆にいうと、もし「ミ・モ」が甲類だとすると「ヨモはヨミが母音交代して後から出来た」のだという理屈が成り立たなくなり、ヨミ原形説は否定される。
ミ・モが乙類だという前提での「ヨミ」の語源説としては、闇(やみ)の訛りだという説、夢(ゆめ)の訛りだとする説がある。闇のミも夢のメも乙類だから。他に山(やま)の訛りだという説もあるが、これは甲乙に関係ないのでさておく。
ところが前述の『延喜式』の「火鎮めの祝詞」では豫津枚坂(よみつひらさか)とあり、黄泉(よみ)のミが甲類のミ(美)になってる。「美」で正しいと仮定していうと、同じ言葉の訛りで「モ⇆ミ」と母音交代したのならともに乙類でなければならず、甲乙に分かれるのはおかしい。それで三省堂古語大辞典ほかいくつかの古語辞典では「いま甲乙はなお決めがたい」としている。ただし、助詞のツがついてるのに母音交代せずに「ヨミツ〜」となっているのもおかしくないか? ここの「美」は「毛」の草体(崩し字)を見誤って誤写したのではないだろうか。元々は豫津枚坂(よもつひらさか)だったのではないかと思う。そうすると、ヨモの「モ」は甲類のモ(毛)になる。モの甲乙を書き分けているのは古事記だけで日本書紀や万葉集にはモの書き分けはないが、万葉集でも一部、世代の古い人の歌には書き分けがあり(山上憶良の歌とか)、『延喜式』所載の祝詞もひじょうに古いものとされるので、一部に書き分けが残っていたとしてさほどおかしくはない。だが反論として、「いやいや、ここの『ヨミツ〜』はこのままで良いのだ、母音交代する前の古い形なのだ」、という考えもあるだろうが、それならますますミが甲類である事実が重くなる。乙類だという根拠は古事記の「豫母都志許賣」だが、何度が出てくる単語ならともかく一ヶ所しかないので、これが誤写なら根拠はなくなる。これは「豫都志許賣」だったのを誤って「豫母都志許賣」と書いてしまったのじゃないのかと思う(毛が甲類のモ、母が乙類のモ)。「ミ・モ」が甲類なら、前述の「闇の訛り説」「夢の訛り説」はどちらも否定されることになる。
では、なぜヨモがヨミに変化したのか。「火鎮めの祝詞」の豫津枚坂を豫津枚坂と誤写して伝わったのはかなり古い段階のことだったんだろう。で、古代人といえ専門家でもない一般人は古典など頻繁に読むわけでもないから、年2回の宮中の儀式「鎮火祭」で神官が毎度「ヨミツヒラサカ」と唱えるのを聞いていれば自然とそれが正しいと思ってしまうだろう。
ここまでのまとめは
(1)ヨミ・ヨモは「ヨモ」が古い形である。「ヨミ」は誤写から生じた言い方が定着してしまったもので新しい形。「ヨミ」から「ヨモツ〜」という言い方ができたのではない。
(2)ヨモ・ヨミの「モ/ミ」は乙類ではなく甲類である。従って「夜」説・「闇」説・「夢」説はすべて否定される。


ヨモの語源
ではヨモとはどんな意味か? 万葉時代の古語で母親のことを「オモ」といったのだが、個人的な意見としては、黄泉(よも)はこのオモ(母)からきてるんではないかと思う。母親を意味するオモの「モ」は『古事記』に仮名表記されていないので甲乙が不明だが、おそらく甲類のモだろう。なぜそう思われるかといえば、女性を意味するミ(イザナミの「ミ」)、女(メ)、妹(いも)のモ、すべて甲類だから、このオモ(母)のモもおそらく同系の言葉で甲類だろう(ちなみに母はオモで、父のことはカソというのが古語)。ヨモもオモと同じく母の意味だと思う。「良い母」の意味でヨモ(良母)といったか、「世界を生んだ母」の意味でヨモ(世母)といったんではないか。そうするとヨモツクニ(黄泉国)は「母の国」の意味になる。闇の世界といか暗黒のイメージは古伝が失われてしまった後の、後世の誤解である。
プロフィール

浅草橋キッド

Author:浅草橋キッド
どこから見ても平凡な、一介の町人です。

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