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・大国主はラク隠居ではない

H29年7月19日(水)初稿
大国主の「奇しき御業」?
今日紹介された歌は、「國譲り祀られましし大神の奇しき御業を偲びて止まず」。平成15年に皇后陛下が詠まれた歌だそうです。むろん今回は古事記の中の大国主の国譲りの章だったのでそれにちなんで紹介されたわけだが、

國譲り祀られましし大神の奇しき御業を偲びて止まず
くにゆづりまつられましし おほかみのくしきみわざを しのびてやまず

この中でいってる「奇しき御業」って、単に「国譲り」という行為そのものをさしているのかな? そういう解釈をしてる人が多そうだし、それを間違いだともいいにくい。ネットをざっと見渡したところ、ごく少数だけども、出雲大社教の教義(というか江戸国学の教義だが)の通り、「国譲り」の後で現在に至るまで、幽冥を支配・管轄しているという大国主の現在進行の「御業」(みわざ)のことだと解釈してる人もいるにはいる。どっちのつもりで詠んだのかは皇后陛下に直接インタビューしないとわからないが、神話の解釈において、世の中の人々が、出雲大社にまつられている現在の大国主を気楽なご隠居さまみたいにとらえるのは重大な問題だ。大国主は現役で、あの世で働いているからである。靖国の英霊が「護国の鬼」となって今も日本を守っているように、神道には永眠という概念はなく、死後も働きづくめなのである。ただし現代語で「はたらく」というと資本主義下での労働の意味に聞こえてしまうのが困りもの。これは対価を得るための行為という意味ではなく、本来すべきことをするという意味である。家族を養うのも、世のため人のために尽くすのも、自分の趣味に専念するのも、「これが俺の使命だ」と感じられること、「いま俺がすべきこと」と信じられることをするのが「はたらく」ということだ。伊邪那岐神・伊邪那美神もはたらいているし、天照大神ですらはたらいているのに、大国主がラク隠居なわけないだろうw まぁそれはそれとして、皇后様の歌、もし仮りに、単に国譲りという一回性の行為を「奇しき御業」といっているのなら、それを「偲びて止まず」とはどういうことだろうか? 皇后様も次世代に「譲る」という大きなテーマに共感するところあったのかな。
(このページ書きかけ中)

・乞巧奠とタナバタは違うのか

H30年10月22日(月)改稿 H29年6月21日(水)初稿
葬式の「初七日」と「八日八夜」
(※多忙につき後日に書きます)

なぜ喪山が美濃にあるのか
(※多忙につき後日に書きます)

中国の乞巧奠(七夕)と日本のタナバタ、どう同じでどう違うのか
(※多忙につき後日に書きます)

「3つの谷を2回で渡る(???)」の解釈
(※多忙につき後日に書きます)

・天津神と国津神は戦ったのか

平成28年7月27日(水)初稿
天津神と国津神とが戦ったのか?
国譲りというのは天津神と国津神が戦って、天津神が国津神から地上を横取りしたように考えている人がいるが、天津神と国津神が本当に戦ったのか? 大国主の末期には世の中が混乱していたことは「「八俣の大蛇」&「大国主の系譜」の解釈」で書いた。あと、「少名比古那神と御諸の山の神」でも書いている。
そして天之忍穂耳命があまくだろうとして地上を見おろした時、地上は「伊多久佐夜藝弖有祁理」(いたくさやぎてありけり:いたく騒いでいる)といい、天照大神も「荒振國神等之多在」(荒ぶる国つ神ども多(さは)にある)といい、『日本書紀』でも「有蛍火光神及蠅声邪神、復有草木咸能言語」(蛍火(ほたるび)の光(かがや)く神、蝿声(さばへ)なす邪(あや)しき神あり、また草木みな言語(ものい)ふ」とあり、地上はしっちゃかめっちゃかになっていたことがいわれている。蛍火というのは鬼火とか狐火みたいなもので、妖怪の一種でもあるが国津神でもある。サンスクリットで国津神のことをいう「デーヴァ」[deva]という言葉の語源は「輝くもの」という意味である。国津神は人間ではなく、普段は目に見えない神であり、光として顕現する存在なのである。ここでいう「荒ぶる国つ神」というのは大国主のことではない。大国主も国津神にはちがいないが、大国主は「国津神たちの支配者、国津神の王」なのであって、これに従わない国津神が出てきて、大国主が手を焼いている地上の有様を述べている。だから天之菩比命(あめのほひのみこと)があまくだったのも、天若日子(あめわかひこ)があまくだったのも、本来は大国主を相手に戦うためではなくて、統治不能に陥った大国主の代わりに地上を平定するためなのであり、大国主自体が征討の対象なのではない。
(※書きかけ)

・風神・雷神

平成30年8月30日(木)改稿 平成28年6月22日(水)初稿
神話学からみた天津神と国津神の対比
神話学では、神々はF1(主権・祭祀)、F2(軍事・戦争)、F3(生産・豊穣)の3機能のいずれかを持ち分にしているとされるが、アーリア神話(インド・イラン・ギリシア・ローマ・ケルト・ゲルマンの神話)の場合、F1とF2がアスラ神族(=天津神)の神々の機能で、F3がデーヴァ神族(=国津神)の機能だとされる。ところが日本の場合を見てみよう、まず国津神では、大国主の3人の息子のうち事代主神(ことしろぬしのかみ)は託宣の神でF1、阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ)は農業の神でF3、建御名方神(たけみなかたのかみ)は武神でF3と当てはめ得るという説がある(それぞれの根拠はいろいろ疑問もあるがここではふれない)。天津神をみると、天若日子(あめわかひこ)は阿遅鉏高日子根神とそっくりの姿で、後世の伝承でも美青年とされるのでF3(他の海外の神話でもF3に該当する神々は美男美女もしくは巨人というケースが多い)。建御雷神(たけみかづちのかみ)は武神だからF2。こうしてみると、アーリア神話と異なり、日本では天津神にもF3の神があり、国津神にもF1、F2の神がいることになる。だが、物語の構造としてみると、天津神のF3と国津神のF3、F3同士の対比があって、天若日子は不祥事を起こして見苦しい死に方をしてしまい、その葬儀の場で阿遅鉏高日子根神は怒って彼の喪屋を蹴り飛ばして去るが、妹の下照比賣神(したてるひめのかみ)が歌で阿遅鉏高日子根神を顕彰するという話になっている。天津神のF2と国津神のF2、F2同士の対比があって、これはもちろん建御雷神と建御名方神の対決の話に他ならないが、これで天津神が圧勝、国津神は敗退している。F1同士の対決というのは明確には構造化されていないが、国津神のF1=事代主神は国譲りの決め手となっているので自ら天津神の下位に立ったようにみえる。つまり「F1とF2はアスラ神族、F3はデーヴァ神族」と最初から割り振られているアーリア神話とは違って、日本神話の場合、まず物語があって、その結果、F1とF2は天津神が優れ国津神が劣り、逆にF3については天津神が劣り国津神が優る、ということが明らかになるという段取りを踏んでいる。結果的には同じだが日本神話の方が複雑な構造をもっていて、アーリア神話はやや簡略化されたような印象を受ける。

ルシファー云々の続き
前回の記事「原住民史観の誤り」の中で、天若日子(あめわかひこ)はルシファーでありサタンであると書いたが「記紀では返し矢にあたって死んじまったではないか、葬式もやってるし」と言われるだろうか。確かにある意味では死んだんだが、世界のあらゆる宗教、あらゆる神秘主義では、普通、人は死んだらそれで終わりとはいわない。あの世があるだの魂があるだのといってる。ただ存在状態がかわるだけ。人ですらそうなんだから神ならなおさら。天若日子は死んだけど存在しなくなったのではない。現身(うつしみ)を奪われただけで、今でも生きてる。悪の大魔王、魔界の帝王としてなw 天若日子は美青年だったと思われる。平安時代の『うつほ物語』、『狭衣物語』などでは天若御子の名で、室町時代の『御伽草子』に収録されている『天稚彦草子』では天稚彦の名で登場し、いずれも美男子として描かれている。これらは後世の創作作品だからこれだけでは必ずしも信用するに値しないが、記紀では天若日子は阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ)と外見がそっくりだったとされ、阿遅鉏高日子根神は玉のように美しい神として歌に詠まれるほどだった。阿遅鉏高日子根神は神話の3機能体系の中ではF3の神で、F3の神々ってのは多くの神話では美男美女であるか、もしくは巨人族だったとされるケースが多い。それと瓜二つの天若日子も美青年の外貌をもっていたと推定できる。そしてキリスト教の神話のルシファーも、すべての天使の中でもっとも美しい天使だったとされている。

風神と雷神
日本書紀では経津主神(ふつぬしのかみ)と建御雷神(たけみかづちのかみ)がコンビで出てくる。経津主神を祭神とする香取神宮と建御雷神を祭神とする鹿島神宮がセットであるように、春日大社でも塩釜神社でもこの二神はセットで祀られている。この二神は「雷神と風神」のコンビなのである。といっても、有名な俵屋宗達の『風神雷神屏風絵』みたいに、雲の上にいて風船袋から風を吹き出してたり、背中にしょった太鼓を叩いてたりする鬼みたいのを想像してはいけない。
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俵屋宗達 『風神雷神屏風絵』

これは戦艦を擬人化した艦コレのキャラみたいなもので、実際にこんな姿をした神々が存在するわけではない。建御雷神の姿というか現身(うつしみ)は雷光と雷鳴として現れるのであり、経津主神の現身は嵐、突風、旋風そのものである。そういう自然現象そのものの背後に意識・意思(=カミ)がある。あたかも我々の医学的な意味での肉体の日常生活という現象に、目に見えない我々自身の内面的精神活動が伴っているのと同じことなのである。神話的な表現では「経津主神と建御雷神が地上にあまくだってきた」となるが、現代風にいえば当時、激しい落雷と暴風という自然災害が世界を襲ったという意味になる。

二神の性格
で、また神話学の話にもどるが、F1の神(=主神)には魔術を使う神と法律を掌る神がいてセットになっており、F2の神(=武神)には紳士的(文明的)な神と暴力的(野蛮)な神がいてこれまたセット、F3の神(=豊穣神)には馬に関する神と牛に関係する神がいてこれまたセットになっているというのがパターンだ。だとえばインドの神話でいえば、F2の神でもヴァーユ神というのが暴風の神で暴力的な神、インドラ神が雷の神で紳士的な神ということになる。で、吉田敦彦の説によると、ヴァーユ神に相当するのが日本神話では須佐之男命(すさのをのみこと)で、インドラ神に相当するのが建御雷神だという。しかしこれは釈然としない。須佐之男命と建御雷神では対象性に欠ける。須佐之男命が暴風雨の神格化だという説は明治に遡る古い説で、いまでも根強いものだが反論もあって鉄板の定説とまではなってない。吾思うに、須佐之男命にとって「暴風雨の神」という要素は、あくまで表面的な多々ある属性の一つにすぎず、本体でも本質でもない。暴風雨にもいろいろあるがこの「いろいろ」とは暴風雨そのものの種類のことではない。たとえば人間の吐息を、生物学や医学では胸郭や腹膜の動きと肺活量、酸素交換の問題として説明して事足れりとするだろうが、ただの呼吸ではなく「吐息」といっている時にはそれでは説明したことにならない。何事かに落胆してタメ息をついたのか、寝所で恋人の耳に吐息をかけたのか、単に寝る前に行灯の火を落とすために火を吹き消した息なのか。それによって世界におけるその現象その行為の意味は違ってくる。まぁそれはともかく、建御雷神ときたら、その相方として取り上げられるべきは、須佐之男命ではなく、なんといっても経津主神だろう。吉田敦彦はここでなぜ経津主神に思い及ばなかったのか不思議でならない。記紀ともに、建御名方神と戦ったのは建御雷神ということになっているが、経津主神については書紀の一書第二に「故経津主神、岐神(くなどのかみ)をもちて郷(くに)の導きとなし、周(めぐ)り流(ゆ)きつつ削平(たひら)ぐ。命(みこと)に逆(そむ)く者を斬り戮(ころ)し帰順(したが)ふ者を褒美(ほ)む」とあり、これからすると経津主神は建御雷神のようにいきなり武力を用いるのでなく、まずは交渉から入るタイプであることが窺われる。おそらく建御名方神と戦ったのが建御雷神であるのに対し、事代主と交渉したのはもっぱら経津主神が主体だったのではないか。つまりアーリア神話では風神が暴力的で雷神が紳士的であるのに対し、日本神話では逆に、風神が紳士的で雷神が武断的になっているという違いがある。

古事記は片手落ち
古事記には建御雷神(たけみかづちのかみ)しかでてこない。経津主神という名を建御雷神の別名のように解釈して建御雷神だけを出し、そのかわり天之鳥船(あめのとりふね)を加えて「二神」という数をあわせている。古事記は、太安万侶(多安萬呂)の出身の多氏の関係の深い鹿島神宮を贔屓して経津主神は省略してしまった(経津主の名は建御雷の別名という形。しかしこれは雷神と風神をごっちゃにすることで明らかな誤説)。これは太安万侶の子孫の多人長(おほのひとなが)が改竄した部分だろう。天之鳥船は日本書紀では武葉槌命(たけはづちのみこと)として出てくる神のことで、この神は、星の神・天香香背男(あまのかかせを)を退治するために派遣されたとあるから分遣隊長つまり軍隊で喩えれば部隊長クラスであって、経津主神・建御雷神の二大将軍とは格が違う(武葉槌の「ハヅチ」は鳥や羽虫など空飛ぶ生き物、水棲の生き物がミヅチで陸棲の生き物がヲロチというのと同種の言葉)。日本書紀では事代主神を召し出す時に「稲背脛」(いなせはぎ)という者を使者とした上で、その稲背脛は「熊野諸手船」(くまぬもろたぶね=オールで漕ぐ船=海上をゆく船)に乗って行ったというのに、古事記では天鳥船神を使者としたとしている。日本書紀では、星の神を退治した時は、「星の神」は天空にあるから空を飛ぶ神でなければ退治できない、だから武葉槌命(=天鳥船)なのである。事代主神を召しだした時は海上の船で事足りるのであって、ここは日本書紀がいう通り熊野諸手船が正しい。なのに古事記は稲背脛も熊野諸手船も消してしまって天鳥船神に置き換えている。天香香背男の話を省略したかわりに、鳥船をここに登場させたんだろうが、天鳥船は空飛ぶ船であって海上をゆく船ではないのだ。

・原住民史観の誤り

H30年7月3日(火)改稿 平成28年5月25日(水)初稿
出雲王朝などは存在せず、大国主は征服されてはいない
天津神が葦原の中つ国を平定する話、いわゆる大国主の「国譲り」の神話について。天津神を大陸からの侵入者とみなして、国津神を先住民とみる説はいまだにネットで自説を発表している古代史マニアには多いが、学界ではかなり旧式な歴史観として、あんまり真面目に受け取られていない。なぜかというと、「天上界の神々と地上の神々とによる戦いとその後の和合をへて、現在の世界秩序が成り立ったのだ」という神話は全世界的にみられるもので、特定の時代の特定の場所で起こった部族抗争とかのレベルの歴史的な事件とは考えられないからである。これは天地がまず未分離で渾沌の状態にあって、次に天と地の分離と再結合による現世界の構造化があったという、原始時代以来の古代人の神話的世界観を表わしたものなのである。従って、出雲王朝なんてものは存在しなかったし(存在したのは出雲国造で、これは神武天皇よりずっと後のもの)、国津神は縄文人ではないし、天津神が弥生人でもない。

天津神とは大陸からやってきた勢力=大和朝廷の先祖で、国津神とは土着勢力=出雲のことであり、その大和と出雲地方に政治的に対等な時代があってその頃の歴史が神話に反映しているとする見解、つまり神話の「歴史反映説」は、すでに否定された19世紀の古い神話観に基づいた幻想にすぎない。はたして、天津神とは大陸や半島からやつてきた勢力であり、国津神とは土着勢力のことなのであろうか? これには高天原が外国のどこかであるという前提が必要であり、大陸や半島の歴史と明瞭に連関していなければならないが、そのような具体的事件は何ら徴すべきものがない。そもそも天津神の神々の名からしてまったく外国風でないのだから当然である。まず大和朝廷が外国から来たということを証明することができるのか、という問題もある。しからば海外と無関係かというとそうでなく、「海外の歴史」とではなく「海外の神話」とならば大小の共通点や類似性が多く、もし日本神話を歴史事実とするならば類似の神話が世界的に分布してゐることの説明に困窮する。神々を2群の体系に分かつのもゲルマン/ケルト神話やインド/イラン神話などにもみられ、世界的な神話の普遍的な構造のひとつらしく思われる。
海外と出雲との交通についてだけど、大昔には本州と九州がつながっており神功皇后が土木工事を起こして海峡を通じさせたという伝説もある。古くは山陰から直接三韓へ渡る航路が主流であり、関係は当然あったろうし経済的にも中継地点として重要だったろうが、その政治的内実がどのようなものかは考古学からは不明である。どちらかといふと出雲は宗教的中心で政治的には但馬丹後の方が重要だったと思う。考古学からは、山陰地方には九州とも近畿とも特色の異なる文化があったが特別に大陸的なわけではなくこれは地方差のレベルともいいうる範囲だろう。むろん何らかの勢力があったことはうかがえるが、出雲神話の内容との具体的関係事項は不明、というかあまり無い。問題は、考古学上その存在が推測される勢力がどのような性質のものだったかであるが、異民族といえるほどではないだろう。
ではいったい出雲にあった勢力とは何者で朝廷とはいかなる関係にあったのだろうか? 吉備地方や各地に、王朝すなわち朝廷と対等な独立した勢力があって出雲もそのひとつだったという見解もあるが、記紀を見ると、各地の支配者は「国造」で、出雲の場合は「出雲国造」である。ふつう「国造」とは朝廷の任命した世襲地方官ということになっていて、しからば、これは今でいふ県知事かせいぜい大名みたいなものだろう。これで何か矛盾があろうや?「地方王朝説」には否定的である。なぜなら第一にそう考えなければ矛盾をきたすような歴史事実がないし、第二にそもそもそんな記録がないからである。厳密な定義もなく安直に「王朝」などというのはいかがなものか。たんなる地方勢力が王朝ならば室町時代にも江戸時代にも王朝はたくさんあったといえるだろうが、ふつうそれらを王朝とはいわぬはずである。ところが「出雲王朝は県知事や大名などではない、大和朝廷とは人種や文化系統の異なる別の種族だ」という説もある。はたして出雲は中央=朝廷と比べて、人種的、文化的にまったく別系統の人々だったのか? そんなことは文献の記述からは到底想定できそうもない。

天津神と国津神の両方を崇めていた例は世界に多い。アーリア人はもともとはアスラ神族(日本でいう天津神)とデーヴァ神族(日本でいう国津神)の両方を神として信じていた。ゲルマン人はアース神族とヴァン神族、ケルト人は「ミルの御子たち」と「女神ダヌの子ら」、ギリシア人はオリュンポス神族とティターン神族とよんでいる。言い方は民族ごとにいろいろだが、どれも天津神と国津神のことだ。
バラモン教の神々はアーリア人がインドにもちこんだものとされているが、インダス文明の遺跡から出土した石像には後のバラモン教の神に類似するものがあり、いくつかの神はアーリア起源ではなく先住民のものだったのではないかともいわれるが、異民族の宗教にそれぞれ対応する神々が存在することは珍しくない。ギリシアのデメテル女神はギリシア人が南下してくる前の、先住民の大地母神だったという説もあるが、大地母神なんていうものは世界中のあちこちで信仰されていたもので、侵入してくる前のギリシア人がその信仰をもたなかったと即断できるような根拠はない。
エジプトはナイル川の川下の「下エジプト」が川上の「上エジプト」に征服されて第一王朝が建国されたというが、これも神話であって歴史ではない。下エジプトの象徴はコプラの姿をしたウアジェトという守護神で、上エジプトの象徴はハゲワシの姿をしたネクべトという守護神だが、国津神は蛇などに代表される爬虫類を象徴とし、天津神は猛禽類などの鳥を象徴とすることが多い。だから下エジプトというのは日本でいえば出雲の大国主みたいなものなのである。高句麗は東西南北と中央の5つの部族の連合体で、中央の圭婁部(けいろうぶ)という部族が王家だったが、消奴部(しょうなぶ)という西の部族が、伝説ではかつては王だったという。高句麗の建国神話には初代の朱蒙という王が松譲国(そうじょうこく)の王から国を譲られる話が出てくる。松譲国の「譲」は「壌」の誤記で高句麗語の訓で「ナ」と読み、松譲国はすなわち消奴部のことでこれが西の部族だというのは出雲が大和からみて西にあるのと同じく、西の方に死後の世界があると信じられ、国譲りした国津神の一族は冥府を支配することになったという神話に基づいているのである。ギリシア神話でもハデス(死後の世界)は古くは地下でなく西に彼方にあるとされていた。中国神話では黄帝が神農氏を倒したが、神農氏が姜姓だというのは、羌族(チベット、四川地方の少数民族)の祖先になったとされたからで、つまり姜姓の一族(神農氏)は黄帝に国をゆずって西へ去ったということになる。
これらはすべて神話の世界の話であって実際にあった歴史上の事件ではない。
日本でも、出雲に先住民の勢力があったわけでもなく、天孫族が海外から攻めこんできたわけでもない。だから両者の戦いなどということもなおさら無い。これを縄文人と弥生人の戦いとみることもできない。日本で弥生時代が始まったのは早くても前10世紀、遅めにみる説でも前3世紀で、そのような「最近の事件」が世界各地の神話の原型になるわけがない。
天津神だけを信奉する部族と国津神だけを信奉する部族が戦って混合したから天津神と国津神ができたのではない。すべての人間には父と母がいたように、あらゆる部族、あらゆる古代民族は、父なる天空神と、母なる大地の女神の両方を崇め、天津神と国津神の両方を最初から信じていたのである。

おまけ
70年代の左翼の置土産ともいうべき「原住民史観」によって
アイヌ/蝦夷=原住民=出雲 /国津神=縄文人
  大和朝廷=侵略者=高天原/天津神=弥生人
という図式が一時期は盛んに喧伝された。こんなのは冷戦下での第三世界論(左翼のアジア解放論)のもじりで、初期には政治的プロパガンダであることが意識されていたのだが、今は古代のロマンを売る通俗本のネタになるだけ。これで歴史がわかったなどとは思考停止も甚だしい。たんじゅんな二項対立で世界が理解できるなら、学問はいらぬ。階級闘争史観で十分、ということだ。

天之菩比命は「こびへつらった」のではない
古事記だけみてると天之菩比命(あめのほひのみこと)が仕事サボってたみたいな印象があるが、『出雲国造神賀詞』(いづものくにのみやつこのかみよごと)では活躍して、国譲りの主役みたいに書いてある。一説には「出雲国造神賀詞は出雲氏の伝承だから自分の先祖を良いいようにいっており、古事記は中臣氏の伝承だから出雲氏の先祖を悪くいってるのだ、どっちもどっち」だというのだが、俺はそうは思わない。これは出雲国造神賀詞のいってる方が本当にそうなんだろう。だからこそその子孫は出雲国造(いづものくにのみやつこ)にも取り立てられ、出雲大社の大宮司にもなって重んじられてるわけよ。同じように使命をないがしろにしていた天若日子はみっともない死に方をして子孫に名のある氏族もない。もしも古事記に書かれている通り天之菩比命も天若日子と似たような仕事ぶりならば、その処遇の落差はありえない。じゃ古事記は間違いなのかというと、古事記の原文は「媚附」(こびつく)とあり、これで天之菩比命が大国主に媚びへつらったような解釈が流布してるわけだがそれでいいのか? 「媚ぶ」という古語は一般的には「相手の気に入るようにふるまう」意味だが、古事記のような古い書物の場合、一般論だけでは正しい解釈にならないことも多々ある。出雲国造神賀詞の原文は「媚鎮」(こびしづめ)とあり、これは「穏やかに交渉して」というような意味に解釈されている。これが学説的に鉄板なのか苦肉の訳なのかは知らんが、支持できる。漢字の「媚」とは別に「こぶ」という古語にはまた意味のズレがあると考えたほうがよいだろう。通常の現代語の「こびへうらう」って意味だけで考えては、「媚鎮」(こびしづめ)という表現が前後の文脈とのつながりでどうにも収まりが悪くなってしまう。天之菩比命は天上世界で生まれ、初めて地上にあまくだってきたのだから、地上の細かい事情にはくらいわけで、地上のことなら専門家の大国主と相談しながらことを進めるのは当然のことであり、古事記の「大国主に媚び附きて」の一文は「穏やかに交渉して」というニュアンスとともに「相談相手として」という意味もあるだろう。それだと安全、確実な成果をあげることはできるが時間はかかる。そこで、新たに天若日子の降臨となる…という筋。

日本神話の「堕天使」
天若日子(あめわかひこ)は古事記には「かの国(=地上世界)に降(くだ)り到(つ)きて…(中略)…またその国を獲(え)んと慮(はか)りて八年…(後略)」とある。「その国を獲(え)んと慮(はか)り」というのは、大国主に成り代わって地上に支配者となろうということ。もとは天上界から派遣されてきたのだから、天からの使者、つまり天若日子は「天使」だ。それが天の神の命令に背いて地上世界を征服しようというのだから、堕落した「堕天使」だろう。…はて、この話はどこかきいたことがあるような…? そう、キリスト教の神話にでてくる堕天使ルシファーの話だ。ルシファーはサタンの息子だという説や、サタンはルシファーの配下だとする説もあるが、普通はルシファーもサタンも同一で大魔王(悪魔の帝王)の別名とされることが多い。ルシファーというのはラテン語で「光をもたらす者」の意味で、金星のことをさす。もともとは旧約聖書のイザヤ書にでてきた「輝ける者」という言葉だった。金星は朝方や夕方にひときわ輝くが、すぐに地平に落ちてみえなくなってしまう。このことからもとは勢力を誇ったバビロニアの王に対して、おまえもすぐに勢力を失ってしまうぞという意味で『イザヤ書』が「輝ける者、明けの明星(=金星)よ」といっている。この「輝ける者」が聖書のラテン語訳でルシファーとなり、後世、キリスト教の時代になってから、金星が早々と地平に落ちることから堕天使のイメージと結びついた。キリスト教の神話では、天使ルシファーは神に反逆したが敗れて地上に落とされ、悪魔となったという。神話といっても、キリスト教自体は今からたかだか二千年前にできた宗教だから、初期の教父たちの間で「そういう説があった」ということだが、純粋な創作ではなくなにかもとになった伝説か神話のようなものがあって、それをもってきたのだろう。当時のローマ帝国にはアジア方面からいくつもの新興宗教が入ってきていて、それらは古代の東方の神話を伝えていた。

アマノジャクとは「悪の本質」そのものである
天佐具賣(あめのさぐめ)は書紀には「天探女」とあるから「天の動きや未来、人の心などを探ることができる女」とする説があるが、書紀の漢字も当て字だからあてにならない。古事記の具の字は「倶」のニンベンを省いた書体もあるので古くは濁音[gu]でなく清音[ku]だった可能性もある。一般的には、後世でいう天邪鬼(あまのじゃく)のことだとされる。天邪鬼は、わざと逆のことを仕向ける者のことで、サグは「逆さ」と関係ある言葉だろう。メも女の意味ではなくて使役の「…しむ」の連用名詞形「…しめ」の「め」だろう。普通これは乙類のメ(米)とされるが『万葉集』の東歌で甲類のメ(賣)が使われた例がある。「逆さにしむける者」の意味の古い言葉が長い間に縮まり訛ってサグメになったと思える。サグメ、天邪鬼は、世界のあらゆる「正しいあり方」をいちいちひっくり返さないと済まない、根源的な破壊衝動を表したものである。根源的な破壊衝動というのは、わかりやすくいうと「悪魔」ってことになる(悪魔の話はちょいと後回しにする)。さて、天佐具賣を天若日子の妻だとする明確な記述はなく、正式な配偶神は下照比賣(したてるひめ)となっている。しかし天佐具賣は天若日子に侍っていたわけで、情況からすると形式的には部下か相棒、実質的には内縁関係なんだろう。つまり天若日子は、取り入ってきた天佐具賣に取り憑かれ、そそのかされて悪の道に入り、堕天使になってしまったのだろう。大魔王ルシファー(=サタン)の妃といえば、リリスという女悪魔がいる。68324696-2.jpg
リリスというのは古代シュメールにまで遡る女の妖怪で、もとは風の女神の召使だった。本来はユダヤ教とは関係なかったが、後にユダヤ教に採り入れられ、夜に出没して子供を襲ったり男を誘惑するという程度の、ちょっとした女妖怪に変化した。11世紀頃になるとリリスはアダムの最初の妻だったという話が作られたが、これも純然たる創作ではなくて、何かの神話に基づくものだろう。アダムと同時代なのだから、リリスは世界最古の悪魔ということになる。この元になった神話というのはゾロアスター教だろう。ゾロアスター教では、この世ができたはじめから、アーリマン(正確には「アンラ・マンユ」だが慣習に従って以下「アーリマン」とする)という「悪の根源神」がいたという。B5カラーコピー
リリスをアダムの最初の妻だと言い出したのは、キリスト教の世界観の範囲内でなるべく起源の古い存在にしようとしたためで、ゾロアスター教の影響を受けている。このリリスがサタン(=ルシファー)の妃だという話は、13世紀頃に発祥したカバラ(ユダヤ神秘主義)の説で、サマエルという死を司どる天使の妻がリリスだというのだが、このサマエルはサタンあるいはルシファーと同一視されることがあり、そうするとリリスはルシファーの妃ということになるわけ。こうして長い歴史の間にちょっとづつ出来た話だから古代神話そのままではないが、西方世界の古代神話はキリスト教とイスラム教によって抹殺消去されたものが多いので、キリスト教の神話の中には形をかえて流れこんできた古代神話も部分的あるいは断片的に含まれていることがある。そういうわけで、ルシファーの妃としてのリリスは、ユダヤの伝説に出てくる女妖怪の名跡を経緯の上で借りてはいるが、その実体はゾロアスター教のアーリマンなのである。
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悪魔について
悪魔というと、「日本では唯一神教と違って、絶対的な善や悪はない、日本には悪魔という概念はない」と頑固に信じてる手合いが多いが、そんなわけないだろ。悪は実在するから政治問題でも宗教問題でもみんな怒ってるわけで、キミの人生にも喜び楽しみがあるのと同じぐらい、悲しみや苦しみも絶えないだろ。いくら「悪魔など存在しない」なんて言葉で言ってもだめ。個人でも家庭でも社会でも、あなたが真面目に生きようとすればするほど「悪の実在」にぶちあたるはずなんで、スイスイ行ってる人は要領よく生きるのが巧いんでしょうな、結構なこって。だが悪を永遠に回避し続けることはできない。多神教マンセーみたいな阿呆陀羅経を唱えてもなにも救われない。なにか勘違いしてる人が多いが、多神教は価値相対主義のことではない。儒教でも道教でもヒンズー教でも、一貫した論理で世界を説明しているという点では一神教となにも変わらない。本来は神道もそのはずなのだがな。「日本は何でもありだからすごい」なんて喜んでるのは、「多神教は支離滅裂で一貫性がない」という白人至上主義の偏見からつくられた多神教のステレオタイプを一旦真に受けた上での倒錯以外の何物でもない。ところで、ルドルフ・シュタイナーは、悪にはルシファー的な悪とアーリマン的な悪がある、と言ってる。彼の定義はまぁそれはそれで面白くはあるんだが、神智学的なオカルト体系にありがちな、細かい理屈をくっつけすぎなところがある。もっと単純に俺の定義でいえば、ルシファーってのは自分が悪だと思ってない。むしろ正義の側だと自認している。たとえば左翼は自分が悪だと思っておらず、資本家だか自民党だかネトウヨだかを悪だと思ってるわけだろう。なにか理想をもって突き進んでるのがルシファー(光の悪魔)なんだが、理想をもって正義を自認してればみな悪魔というわけではもちろんない。ルシファーにはアーリマンが寄り添っているのだ。だからショッカーに騙されて働いてる人、カルト教団に騙されてる人の中には、ある時に気づく場合がある。それはアーリマン(破壊衝動)の影に違和感を抱くだけの感性がまだ残っているからだ。別に左翼がすべて悪だとはいわない。自称保守派の中にも、暴力衝動の言い訳にしてるんじゃないの?ってケースは当然あるだろう。

命令者は天照大神か?高御産巣日神か?
有名な天孫降臨の段、最初、(A)「天照大御神の命(みこと)もちて」(天照大神の命令でもって)と始まる文章で忍穂耳命(おしほみみのみこと)のあまくだりが決定される。ところが地上は乱れているので(B)「高御産巣日神・天照大御神」は誰かを先発隊として派遣して平定させようと考え、誰を派遣すべきか神々に相談したという。ここで突然、高御産巣日神の名が表れている。そしてその名は天照大御神よりもさきにあげられている。それで天菩比神(あめのほひのかみ)が選ばれたが、この神は3年たっても復奏しない。そこで(C)「高御産巣日神・天照大御神」は他の神々に相談したという。ここでまたも高御産巣日神の方が天照大御神よりもさきに名が出ている。で、天若日子(あめわかひこ)を派遣したがこれも8年も報告がない。そこでまた(D)「天照大御神・高御産巣日神」は他の神々に改めて相談した。ここでなぜか名前の順番が入れ替わり、天照大御神が先になっている。で、雉の鳴女(なきめ)というのが選ばれて派遣されるのだが、天若日子は逆にこの鳴女を「うるさいやつだ」と射殺してしまう。その矢が天まで飛んでいって、天上の(E)「天照大御神・高木神」のもとまで届いた。この高木神(たかぎのかみ)は高御産巣日神の別名だとある。これを抜き書きすると
(A)「天照大御神の命(みこと)もちて「…」と言依さし賜ひて…」
(B)「高御産巣日神・天照大御神の命(みこと)もちて、天の安の河原に八百万の神々を神集へに集へて…」→菩比神を派遣
(C)「高御産巣日神・天照大御神、また諸々の神等に問ひたまはく…」→天若日子を派遣
(D)「天照大御神・高御産巣日神、また諸々の神等に問ひたまはく…」→鳴女を派遣
(E)「(天若日子の矢が)天照大御神・高木神のみもとに逮(いた)りき」
で、名前が先に出ている方が上位者だと考える人は、高御産巣日神が天照大御神より上位の神ではないか、ということをいうのだが、本当にそうか?もしそうならなぜ(A)には高御産巣日神の名がなく、(D)(E)では高御産巣日神の名が後ろになっているのだろうか? 単純に改竄されたのだというのなら、改竄者はどうしてこんな中途半端な改竄をしたのか?すべて「天照大御神・高御産巣日神」の順番に統一すればいいのに、なぜ(B)(C)だけ原文通りに残したのか。これは改竄説では説明がつかないから、誤写説がいいように思う。もっとも(C)(D)の間で少なくとも8年たっているのだから、その間に天照大御神と高御産巣日神の立場が逆転したのだ、と発想する人もいるかもしれない。しかしそんな情況も想像しにくい。高御産巣日神はヒラの「神」で、天照大御神は「大御神」である。この違いをどう説明するか。あるいは、高御産巣日神は造化三神であり別天つ神(ことあまつかみ)だから、天照大御神よりずっと偉いのだ、という人もいるかも知れない。しかし、ここの高御産巣日神は、本居宣長のいう通り、造化三神の高御産巣日神とは別の神だろう。別天つ神は、天之御中主神がそうであるように物語に現われない。物語がないのだから高木神というような別名ももっていない。これに対して、高木神という別名をもって物語にでてくる高御産巣日神は、名前が同じでも造化三神とは別の神であろう。神々の名は役割を表しているという点では、固有名詞というより肩書きに似ている。世界的な大企業の社長も、家族経営の零細企業の社長も、肩書きだけみれば同じ社長だったりするようなもんで、だから高木大御神とか高御産巣日大御神とはいってないわけだろう。大宇宙の中心である天之御中主神を補佐する高御産巣日神(別天つ神)もいれば、地球を支配する天照大御神を補佐する高御産巣日神(高木神)もいる。

・天皇孫命の近つ守り神

H26年11月10日投稿 (H25年5月初稿)
〔Q〕で始まる二つの質問とその回答。
第一の〔Q〕八重事代主神はどこの神社に祀られてますか?
回答が3つあり一つは『延喜式』巻第九(神祇九 神名じんみょう)に出てくる宮中の神、卅六座の中の御巫(みかむなぎ)の祭る神八座(いわゆる宮中八神)の中の一柱(つまり宮中に祀られていた)。
もう一つは同じく『延喜式』巻第八(神祇八 祝詞)に引用されてる『出雲国造神賀詞』に事代主命の御魂が「宇奈堤(うなで)」に坐すとあり。
3つ目に神社が4つあげられている。松江市の美保神社、神戸の長田神社、静岡県の三島の三嶋神社、大阪の今宮戎神社。(このうち美保神社と今宮戎にはいろいろ問題含みな注記があるがこれについては後述)
第二の〔Q〕大国主神大物主神が一体であることの根拠は?
回答、『日本書紀』(巻第一 神代 上 第八段神剣出現章 一書第六)の引用、「大国主神、亦の名は大物主神(中略)大己貴神の幸魂奇魂の出現(中略)これ大三輪の神なり」と。
宮中八神
(後日執筆予定)

出雲国造神賀詞
(後日執筆予定)

えびす
(後日執筆予定)

大物主神と大国主神の関係、あるいは大国主神の別名
(後日執筆予定)

一霊四魂
(後日執筆予定)
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浅草橋キッド

Author:浅草橋キッド
どこから見ても平凡な、一介の町人です。

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