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・父の許可なく勝手に結婚する女神たち

H30年2月21日(水)初稿
「私(わたくし)に産む」とはどういう意味か?
木之花佐久夜毘賣は「この天つ神の御子は、私(わたくし)に産むべからず、かれ請す」というのだが、この「私」ってのは、岩波の日本思想大系の解説をみると、どうも現代人が考えるような公(おおやけ)の反対の「私」の意味とほぼ同じような意味に解釈されているらしい。しかし皇室のお世継ぎ様かもしれない子供を妊娠したんだから「ワタクシに産むべきでない」なんて当たり前にも程があるだろう。いちいち言うこと? 萬幡豊秋津師比賣が邇々藝命を産んだ時も、豊玉毘賣が鵜萱葺不合命を産んだ時も、そんな「言わずもがな」なことはもちろん言ってない。まぁ忍穂耳命と萬幡豊秋津師比賣のアベックは天上界の神霊で最初から肉体ももってないだろうから現代人が想像するような意味での妊娠を経て産んだわけではないだろうからさておいて、豊玉毘賣の場合は「天つ神の御子を海原に産むべきにあらず、かれ(陸上に)参り到つ」と言っている。豊玉毘賣のセリフは海に帰っていたんだから事情はわかる。
しかし木之花佐久夜毘賣は事情が違っている。これ逆にいうと、当時の一般平民の女性は妊娠をいちいち旦那に報告せず、勝手に産んでたってことなのかな。そうすると父系制社会ってのは成り立たなくなるけど。かといって母系社会だってことにもならない。母方で「系」が成り立っていたって証拠がなにもない。で、現代の民俗学者がいまいちわかってないのは、「父系制でない」(父系に限らず「系」が成り立ってない状態も含む)ってことは「祖先信仰が成り立たない」ってことなのだ。近世以降の日本の庶民社会は「選系家族」といって、父系でも母系でもない。これを「双系」というのは誤り。選系は「系」を擬似的に作り出すもので「無系」ともいう。系がないから、祖先も子孫も「無い」のよ。生物学的な観念としての祖先や子孫のことじゃない。崇拝、信仰される霊的なキャラクターとしての先祖のことだよ。その証拠にほとんどの日本人は自分の曾祖父さんの名前すらいえないだろw 先祖が源氏か平家か、馬の骨かすら知らない。そんな「祖先信仰」なんてあるかっつのw イエス・キリストが誰だかしらないキリスト教徒みたいなもんだろ。本来のインドの仏教は四十九日すぎると六道のどれかに生まれ変わって別なものになっちゃうから、あの世から子孫を見守るなんてことはありえないし、生まれ変わってとっくにあの世に霊として存在していない先祖を祀るなんてこともありえないんだよ。それを中国人の儒教の形式に押し込めたために三回忌まで先延ばしにされたんだが、それが日本にきてさらに三十三回忌まで延長された。でもこの三十三年間はエンマ様のお裁きを待ってる期間なわけで、喩えていえば有罪判決を待ってる犯罪者の勾留期間のようなもの。子孫をあの世から見守ったりする余裕はない。仏教の追善供養とか年忌法要ってのは刑務所に捕まってる先祖に差し入れしたりするようなもんよ。こういうのは、子孫に福を与えたりバチをあてたりする偉大な力をもった神として祖霊を崇める「祖先信仰」とはぜんぜんちがう、本質的に別のものだ。で、三十三回忌すぎると普通は「弔いあげ」といって、ホトケでなくなってカミサマになる、等という。民俗学者はこれを説明して、故人は三十三回忌で個性(個人としての人格)を失って、「先祖」という漠然とした集合霊のようなものに合体する、等という。日本の民俗学者は信仰の外見・形式・形態にしか興味ないからこれを平気で「祖先信仰」などと呼んで疑問ももたないが、この「先祖」は厳密には「先祖の霊」などでは最早なく、「祖先」という無人格で不特定な記号的概念にすぎない。その実体は無。生まれ変わっていくんだからあの世に留まって子孫を守る祖先神にはならない。六道を輪廻しているはずの祖先たちをむりやり祖先信仰の形式に接ぎ木すべくひとからげに人格化(神格化?)したもので、自他の区別もないから特定の祖先というわけでもない、きわめて人工的で便宜的な概念なのである。まぁこれは近世の例だから、仏教渡来以前の大昔とはちがうだろうとは思われるが、その一方で、七回忌・十三回忌・三十三回忌というのは中国仏教にもインド仏教にもない日本独自の風習だから、仏教以前にあったものが仏教式に変形して伝わってきたものである可能性が高いのではないか。
「弔いあげ」なんて本当の祖先信仰にはあるわけないのだが、これは仏教伝来より以前からあった可能性がある。神様に祀り上げるのではなくて、実態は33年間かけた「お別れの儀式」にすぎない。
しかし、こういうと「そんな代々の先祖の名前までわかるような系図もってるのはごく一部だろ」と言われる。その通り。お公家さんとか、一部の大名ぐらい。そういう上流階級では血筋、とくに父方の血筋が重要になる。特定の家系と呼ぶに値するほどのご大層な「系」に属している者を、皇族とか貴族というのであって、皇族や貴族でもなければ「祖先信仰」など成立するはすもない。
そこで一つ、重要なキーポイントは、佐久夜毘賣「だけ」が邇々藝命と結婚する前に「父の許可」を得ようとしたことだ。

父の許可なく勝手に結婚している女神たち
須勢理毘賣は、父(=須佐之男命)の意向もきかず勝手に大穴牟遅神と「マグハヒして相婚」している。豊玉毘賣も、父(=海神)の許可なく勝手に火遠理命を「見感(みめ)でてマグハヒして」、その後で父に報告している。この二例だけみると、昔の女神たちは家父長制と無縁な存在で自由に恋愛、結婚しているようにみえる。ところが、佐久夜毘賣「だけ」が邇々藝命と結婚する前に「僕はえ白さじ、僕が父大山津見神ぞ白さん」つまり父が決めることだと言っている。ここは、大国主が建御雷神に対してすぐに答えず、事代主神、建御名方神という二人の息子の同意を求めたという話に関連づける説もあるが、関連づけたところで何かが解明されるわけでもない。この違いは簡単なことで、須勢理毘賣と豊玉毘賣のケースでは女神のほうから男神に惚れたのであって、大穴牟遅神や火遠理命が女神にアプローチしたわけではない。しかし、木之花佐久夜毘賣は逆で、邇々藝命の方から言い寄られた。ということはつまり、「女神の意志で男神を選んだ場合には本人の意志だけで性交なり結婚なりが成立するが、男神から選ばれた場合は自分の意志では返答できず父に判断を委ねる」のだろうか。そのような定式化してみても、なぜそのような違いがうまれるのかがわからない。
実は両者にはもう一つ違いがある。須勢理毘賣は大国主を「いと麗しき神」とは思ってはいたが何者であるかその正体を知らず、結婚してから後で父から「こは葦原色許男といふ神ぞ」と聞かされている。豊玉毘賣も火遠理命を「麗しき人」とのみ思って誰だかわからないまま関係を結んで、後から父に「こは天津日高の御子、虚空津日高ぞ」と教えられている。しかし、木之花佐久夜毘賣は逆で、邇々藝命の方から名を問われて答えているので、文面にあらわれてはいないが邇々藝命本人も当然、佐久夜毘賣に対して自分が何者か相互同時に名乗っていると想定される。つまり前2ケースでは、女神はどこぞの馬の骨かもしれない得体のしれない男を自分の意志で気に入ったケースなのであり、後者ははじめから高貴な血筋の男性とわかっているケースなのである。

・日光感性神話と処女懐胎

平成30年01月21日(日)改稿 平成28年8月25日(木)投稿 平成28年8月24日(水)初稿
生き物の堕落と滅亡の予感
木花之佐久夜毘賣命(このはなのさくやひめのみこと)の妊娠に対して、邇々藝命(ににぎのみこと)が一夜で妊娠したというのは疑わしいとしたため、姫は産屋(うぶや)に火をかけ、もし不倫の子なら幸いないだろう(母子ともに焼死するだろう)、もし本当に邇邇藝命の子なら無事に産まれるだろうと誓を立てて、その産屋に入って、結果無事に生まれたわけだが、これに続いて日本書紀の第五の一書にいうには、鹿葦津姫(かしつひめ、佐久夜毘賣の別名)が「我が産んだ御子も我が身も、火難にあったのにすこしも傷つかず。天孫よご覧になられましたか」と問うと、瓊々杵尊は「もとより実の子とわかっていたが、一夜での妊娠であることから疑いを抱く者があるだろうことを予測して、天神の子は一夜で妊娠させることができることと、汝(=姫)に「霊異の威」あること、生まれてきた皇子たちに「超倫の気」あることを人々にわからせるため、わざといったのだ」と答えたという。日本書紀の原文では「衆人」という表記だが、この「疑いを抱くであろう人々」とは当時の国民一般人をさしている。つまり邇々藝命の時代の末期には、人々から信じる心が失われ疑り深い性質になっていた。といってもこの頃の国民というのは人間ではなく、動物たちであるであることは前回このブログで書いた。

火山の女神
木花之佐久夜毘賣命は富士山の神として有名だが、富士の女神が木花之佐久夜毘賣だとされるようになったのは江戸時代からである。とはいえ、富士山とむすびついたのは佐久夜毘賣がもともと火山と関係あったからだろう。この女神が火山だというのは、通常の神話解釈ではなく、この話はそのままストレートな神話ではなく「寓話」なのである。天孫降臨以前と以後では同じ神話という一つの種類のものではない。現代人は区別せず、まったく異質な表現形式をごっちゃに神話と呼んでいるが、古事記や日本書紀の神話は、天孫降臨を境に、異質な伝承を竹に木を継いだように無理やり繋げている。なぜこんなことになっているのかという話もあるが今回はそれはさておいて、ともかく寓話として読んでいくと、木花之佐久夜毘賣命は大山津見神(山の神)の娘なのだから、本人もある意味「山」なのである。で、産屋に火を放ったというのは火山噴火をあらわしている。古事記は八尋殿(やひろとの)といっていてその産屋が桁外れに巨大であったことを表わしているが「山」だからである。産屋(うぶや)というのは出産のための場所だが、山の幸を産み育てる山そのものが、山の幸(山に住む生き物たち)の産屋なのである。山の神は旧暦の正月十二日(あるいは二月十二日)に出産するから山に入ってはいけないという民俗信仰がある。この日は山自体が産屋になるから覗いてはいけないわけだろう。一般論としての山の神は、山の幸なる動物や植物を生むわけだが、その際、当たり前だがいちいち噴火しているわけではない。この神話はそういう日常的な山の神の話ではぜんぜんなくて、ギリシア神話や中国神話やマヤ神話やアステカ神話と比較対照すると、火山噴火で邇邇藝命の時代が終わってしまったことを表している(詳細は後日)。だから、ここで木花之佐久夜毘賣は穂々手見命(ほほでみのみこと)を産んでるわけだが、堕落した動物たちは火山噴火によって滅ぼされてしまい、新しく穂々手見命の時代が始まったことを表している。
前回に書いたように、邇邇藝命の時代が約100万年間で「洪積世カラブリアン期」にあたるとすると、次の火々出見命の時代は「洪積世中期」以降にあたる。で、この時代は現生人類(ホモ・サピエンス)が出現した時代でもある。だから次の火々出見命の時代とは「人類の時代」ともいえる。

日光感性神話と処女懐胎
邇々藝命(ににぎのみこと)は生まれてすぐ天降ってきたがその姿は「延喜式祝詞」には「天之御蔭日之御蔭(あめのみかげ・ひのみかげ)と隠れまさして云々」とあり、目に見えない存在だと考えられていた。後世、天皇が御簾などに隠れて人前に姿をみせないという風習が生まれたのはこの神話をなぞったものだ。見えない神と結婚して子を生んだ木花之佐久夜毘賣命(このはなのさくやひめのみこと)は、言い様によっては「夫なくして子を産んだ」とも言いうる。これは神話学では「日光感性神話」という名で分類される神話の別バージョンなのである。この類型の神話は世界中にある。その多くは、太陽の光が処女に入って妊娠するというもので、そこで生まれた人物が建国して王朝を開く(または初代王の数代前の先祖になる)、というパターンが多い。この場合の「太陽光線」はその見えない神の別表現で、その神が太陽神の子(日本の場合は孫だが、子でも孫でもこの際意味は同じ)であることを示す。ペルシアの太陽神ミトラも太陽神であるから似た神話をもっており、これがさらに歪められて処女懐胎という聖書のキリスト誕生説話になったことは有名だ。そうするといわゆる日光感性神話やキリスト誕生説話は、「人類起源神話」としてみなおすことができる。

人類の誕生
木花之佐久夜毘賣命は大山津見神(山の神)の娘なのだから、本人もある意味「山」なのであるが、しかし同時にまた、山の神の娘なのだから、姫自身が、山の神が産み育てている「山に住む生き物たち」の暗喩でもある。この神話は、人類は山に住む生き物から生まれた(進化した)といっている。しかしそれはあくまで肉体の進化であって、それだけである生き物が人間の魂をもつようになったわけではない。人類の父は「あまくだってきた目に見えない神」なのであり、人類は父系的には「天なる神の子」なのである。我れは必ずしも霊肉二元論の立場にたつ者ではないが、人は霊と肉からなるという霊肉二元論では、人間の肉体はスタートレックみたいに「炭素ユニット」だという場合には、有機体である限り猿の身体も人間の身体も大差ないし、タンパク質の塊にすぎないとみれば人肉500gも豚肉500gも大差ない。霊肉二元論の立場では、霊からすれば身体はすべて義体のようなもので、魂にこそ価値も意味もあろう。しかしそういうふうに肉体をなにか卑しいものであるとか格の低いものであるかのように考えるのは土人や原始人の感性ではないだろう。人間の肉体が具体的にどんな生物から進化したにしろ、それはすべての生き物を産み育てる山の神を母として生まれたのであって、肉体は母なる神からの大切な贈り物なのである。人類は母系的には大地の女神の子孫なのであり、肉体は生き物たちを育む山の神の娘から引き継いだ。なぜ生物は進化するのか、生物はエントロピー増大の法則によって退化していくのであってそのままでは進化しない。天からの干渉があった時だけ一気に進化する。

三兄弟の名前
木花之佐久夜毘賣から生まれた「三つ子」の皇子の名は、記紀ではいろいろな説がある。それらの諸説を比較して、似たような名前を同一人物として整理すると、どうしても四人になってしまい、三つ子というのに合わない。そこで、古事記と書紀の一書(第六)、一書(第八)の3つの説では、長兄の火明命(ほあかりのみこと)を上の世代に弾き出して、邇邇藝命の兄弟としている。「火明」という名は、火照・火進(書紀)・火折(書紀。記では火遠理)等の兄弟と同一シリーズなのは見た目に明らかで、これらは兄弟なのである。しかしそうすると、伝承からいえばここが「三つ子」でなければならないはずなのに、4人になってしまう。長兄か末弟を切って3兄弟にするしてしまえば辻褄はあうが、末弟の山幸彦(やまさちひこ)が火遠理(書紀では「火折」「火夜織」等)に確定しているので、弟のほうは切れない。で、長兄が押し出されて上の世代にハミ出してるわけだ。こういうやりかたはもう一つあり、書紀の一書(第三)では誓約(うけひ)によって生まれた五男神を六男神としていて「熯之速日命」(ひのはやひのみこと)を追加しているが、五男神を六にしてる例は他になく、これが何かの間違いなのはわかる。で、この神の名はこれは一世代下の邇々藝命・邇藝速日命の兄弟のうち、邇藝速日命の名にずいぶん似ている。おそらく「兄・熯之速日、仲・邇藝速日、弟・邇々藝」の三兄弟だったのではないだろうか。日本書紀本文では、火明命を兄弟の末尾に付記して、書紀一書第二では兄弟の真ん中に後入しているが、いずれも誤りで、書紀一書第三・第五・第七ではちゃんと長兄としている。ただ書紀はいずれの場合も火照命は消し去っている。三兄弟にするために子孫のいない火照をはずしたのだ。火明命は尾張連氏の祖、火闌降命(ほすそりのみこと)は吾田君(隼人)の祖、火折尊は皇室の祖だから、火照命には子孫がない(古事記は火照命を海佐知毘古にしてしまったが『新撰姓氏録』みれば誤りとわかる)。あとは三男の火須勢理命(紀では火闌降・火酢芹・火進などと書く)が海幸彦で、四男の火遠理命(紀では火折・火夜織などと書く)が山幸彦に設定される。で、三兄弟なのか四兄弟なのかという問題が残るが、火明を上の世代にずらしたのは小賢(さかしら)にすぎないのは上のほうで説明した通り。これは「三つ子」って話を「だから三兄弟のはず」と短絡したから生じた誤りなのである。末弟の山幸彦=火遠理(火折)が三つ子の後に生まれた四男なのだとみれば何の矛盾もない。
ただし、三つ子が生まれたのは火々出見朝の冒頭、開始の頃の話なのに、海幸山幸の話は火々出見朝の最末期の話なので、これを分けて考える必要はある。四兄弟の名は、火が初めに燃え上がる意味、火の盛んに燃える状態、火の燃える様が衰える、そして火が最終的に消える、という出火から鎮火までの諸段階を表していると一応されている(火須勢理は火が盛んに燃え進む意味だという説があるが誤りで、逆に火が衰えて後退していく意味。詳細な議論はいずれやるかもやらないかも)。が、なぜそんなものを表さないとならんのかがわからない。岩波版日本書紀の注釈には「炎のどの状態がどの神名に対応するのか必ずしも明らかでなくなんとでもいえそう」だと書いてある(意訳でつw)。だからこれは、あながち炎が燃え上がってから消えるまでの諸段階を表したものだときめつける必要はない。もし「三つ子」という伝承にこだわるのなら、火須勢理と火遠理はほとんど意味が同じ言葉だから同じ神だとして、三兄弟でよいのではないか。ただし、まだ「三兄弟」という形式が何を表しているのかわからない。火山活動の活発な時期が三回あったという意味なのか、もしくは初期のホモ・サピエンスが三系統(3つの亜種)にわかれていたのか、あるいは氷河期を2回はさんで温暖な時期(間氷期)が3回あったってことか。このようにまぁいろいろと楽しくコジツケ可能なわけだが、もちろん、格別なんの意味もない可能性もあるよw

「海幸と山幸」の話とのつながり
「179万年がどうのこうの」って話からすると、火々出見命の時代は何十万年かあるわけだから、開始期の「三つ子の話」と最末期の「海幸山幸の話」では数十万年の年月がある。だから海幸と山幸は「三つ子の誕生」とはまた別の寓話なのである。が、一応、格好の上では、海幸彦と山幸彦(火々出見命)の兄弟の話は、「三つ子」の話の後に続く話なので、話をつなげるために、三つ子の末弟の別名「火須勢理=火遠理」をむりやり分けて海幸山幸の二人の兄弟に割り振ったのではないかとも思える。つまり、日本書紀は三つ子の末弟(火須勢理)と海幸彦を同一人物と設定することで安直に話をつないでいるのである。古事記はそれをさらに火照命に誤った。ただ、三兄弟にしろ、海幸山幸の兄弟にしろ、火々出見命の中の一人なのであるから『日本書紀』の第五の一書に三兄弟(末弟は火折)の後に火々出見命を加えて四兄弟としているのは山幸彦を加えたもので案外古い形なのかもしれない。
プロフィール

浅草橋キッド

Author:浅草橋キッド
どこから見ても平凡な、一介の町人です。

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