FC2ブログ

・豊玉姫は離婚していない

H30年3月20日(火)初稿
今回はhttps://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-163.html">「大洪水と海の怪獣」https://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-163.htmlの中の「豊玉姫は離婚していない」という章の詳細バージョンになります。

イントロダクション
記紀では火遠理命(山幸彦)が豊玉姫の出産を覗き見したために二人は別れ、姫は竜宮城に帰ってしまうことになってるんだが、『ウエツフミ』では取り巻きの家来たちになだめられて結局仲直りし、実家に帰るのはとりやめになったという。これは『ウエツフミ』はその後も子供産んだり、二人であちこち巡幸したりするので、ここで別れると他の話が成立しなくなる。他の話もいろいろ古伝承が含まれていると思うので、ここは「別れないで仲直りした」という『ウエツフミ』のほうが正しいと判断する。記紀が「二人は別れた(離婚した)よ」といってるのは、書紀の一書に詳しいが、要するに「異界」との自由な交通が昔はあったのに今はそれがありえなくなっていることを説明するための寓話なのである。書紀の「一書曰く」では夫婦で「陸地からの使いが龍宮城にきたら留めて返さない、竜宮城からの使者が陸上世界にきた時も海に帰さない」という取り決めをしている。これは伊邪那岐・伊邪那美の話のパクリだろう。実際には大昔から現代まで、不思議な体験をする人はいるんで「異界」との往来は今でも断絶することなく続いてる。つまり火遠理命(山幸彦)と豊玉姫は「離婚してない」。(ここまでは前回と同じことを詳しく書き直したもの)

歌の順番で意味が変わる!?
古事記では姫が鵜萱葺不合命を置き去りにして海へ去った後に、妹の玉依姫を陸上に派遣するのだが、その時に豊玉姫からの歌を預かってきたことになっている。だが夫君がそれに答えて作った歌はどうやって海底の豊玉姫に届けられたのか謎だ。だから書紀では、豊玉姫が海へ去る時の段階でまず夫君が歌を贈ったことになっており、妹の玉依姫が言付かってきた歌は豊玉姫からの返歌ということになっている。だから歌の順番が記紀で逆になっているわけだが、ここは古事記があきらかにおかしく、書紀の方が正しいだろう。
で、順番を書紀のように入れ替えると、歌の解釈がちがってくる。豊玉姫の歌は夫君を称賛してる歌なんだから、別れの場面だとすると、過去の思い出になっていく現在をかみしめてるような感じになる。一方、それに答える夫君の歌は「あなたを忘れられない」と歌ってるのだから、やはりこれから私はあなたの思い出を抱きしめて行きていきます、みたいなニュアンスになる。しかし順番が逆だったら…? 旦那の歌は返歌ではなくて最初に贈ったのだからニュアンスが変わる。「あなたを忘れられない」正確には「忘れじ」で否定の意志だから「忘れるつもりはない」、忘れる気はない、つまり別れるつもりはないって意味じゃんよ。で、嫁の歌はそれに答えて旦那を絶賛してる歌なんだから、これは「別れたくない」って話に同意してるわけだろう。ちなみに『ウエツフミ』では姫は竜宮城に帰ってないし、歌のやりとりも陸上でのことになってる。

古事記と書紀での歌のバージョンちがい

赤玉は緒さへ光れど白玉の君が装ひし貴くありけり (古事記)

赤玉の光はありと人は言へど君が装ひし貴くありけり(日本書紀)

書紀は、「白玉の」という句がない。そのため歌の意味が、赤玉は素晴らしいが美しく装った「君」の姿のほうがもっと素晴らしい、と玉と君(の装い)を比較しているようで対比がうまくない。古事記の「白玉の」も大抵の解説みてると「白玉のような(君の姿)」と解釈するので君の姿(装い)を白玉に喩えた上でようやく赤玉とならべているわけ。しかし、ここで「装ひ」といってるのは実際に白玉を身につけている姿をいってるのではないか? そうすると書紀は「人は言へど」と逆説でつないでるのに「白玉の」が抜けているので「君」が身につけているのは「赤玉」のように読めないこともない。すると、赤玉はただでさえよく光るけれども「君」が身につけていることによってなおさら貴く光りますよ、赤玉が。…って意味になってしまう。だからここはどうしても「白玉の」が抜け落ちているんだろう。書紀のバージョンにむりに「白玉の」をぶちこむと五七五七七の和歌の歌体が破れてしまうが、この歌はいわゆる短歌形式が成立するより前の古代歌謡だから気にしなくていいのではないか。それに書紀のは「人は言へど」が気になる。古事記だと赤玉が素晴らしいといってるのも姫自身の評価のようにきこえるが、書紀だと、必ずしも姫は赤玉を素晴らしいとはいってない。赤玉がよく光ると言ってるのは「人」、この場合、世間の庶民とか、このカップル以外の他人がいってるのであって、姫は最初から白玉だけを評価してるように聞こえる。なぜ一般人は赤玉を評価するのか、そこにも意味があるとしたら後々の謎解きのためにもこの「人は言へど」の句も入れたい。いっそのこと古事記と書紀を混ぜて

赤玉の緒さへ光はありと人は言へど 白玉の君が装ひし貴くありけり

というのが原形だったのではないか。歌体は「五十六五七七」でちょっと旋頭歌(五七七五七七)の変形に思われる。記紀は、夫の命の歌が短歌形式だったので、歌のやりとりとして対比させるためにわざと姫の歌も縮めて短歌形式に押し込んだんだろう。その際、古事記は「人は人は言へど」を切り落とし、書紀は「白玉の」を切り捨てたわけだろう。

塩乾珠(しほひるたま)と塩盈珠(しほみつたま)
ここで、玉が二つ出てくるのだが、無関係な玉をならべて比べてるのではなく、赤と白でもともとセットの玉なのではないかとも思える。二個でセットの玉といえば、大津波を起こして海幸彦を懲らしめた塩乾珠(しほひるたま)と塩盈珠(しほみつたま)のことじゃないのか。誰でもそう思うよね?

ところで、宮崎県の鵜戸神宮にこれの実物が伝わってるって話がある。
「古事記にも登場する神宝 「潮満珠(しおみつたま)」「潮涸珠(しおふるたま)」を戦後初めて一般公開」
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51748146.html
【上記サイトより引用】「潮満珠」は丸い水晶型、「潮涸珠」は大きさの違う円柱を4段重ねた形で約5~7センチ。(リンク先に画像あり)
ほんとかねこれ?w 昭和45年(1970年)の火災で古記録が焼失したため由来不明になってしまい、神社もよくわかってないみたいだし、公式サイトでも情報が一切ないので、本物だともおおっぴらに言いにくいんだろうね。それにこれだと白と赤のセットになってない。

お神楽なんかで神功皇后が海底の磯良(いそら)から干珠・満珠を得る話があって二つの玉がでてくる。お神楽の小道具は後世の創作だろうからアレだが、実際に白い玉と赤い玉で表現されてることが多い。まれに金玉と銀玉のこともあるが、白玉と赤玉ってのは豊玉姫の歌からの着想だろう。潮干珠(しほひるたま)は赤や金で水を干上がらせる熱を表現し、汐満珠(しほみつたま)は白や銀で満ちてくる水を表して表わしてるんだろうと察せられる。

赤玉と白玉の素材は何か?
白玉は読んで字のごとく「はくぎょく」だという説もありうる。玉(ぎょく)=翡翠は硬玉(ジェダイト)と軟玉(ネフライト)があり、軟玉の方は安物だが、軟玉の中でも特に色が白くて透明感のあるのを中国では羊脂玉といって、例外的に硬玉より価値が高いという。だが、国文系では普通は白玉といえば真珠のことだと言われている。
赤玉については『本草和名』という平安時代の薬物辞典に琥珀を「アカタマ、一名アマタマ」と読ませてるので琥珀も赤玉の一種とはいえるんだろうがどうだろう? 琥珀って赤っていうより黄色いイメージだよな。まぁ日本の古語では黄色、オレンジも広い意味では「アカ」、緑も紫も広い意味では「アヲ」なんだろうが釈然としない。琥珀をアカタマというのはアマタマの誤りで、琥珀はもともとアマタマ(飴色の玉の意)だけが正しかったんじゃないかな。契沖は赤玉は瑪瑙のことだといっており、こっちのほうがいくらかマシに思えるが、瑪瑙は縞模様に特徴があり、そんなに真っ赤っ赤一色というものでもない。
『延喜式』の臨時祭式によると国造神寿詞にでてくる白玉、赤玉は白水精と赤水精だというので、この歌に出てくる赤玉、白玉もそうかもしれない。白水精はまぁ普通の透明な水晶だろうが、赤水精というのは薄ピンク色した「紅水晶」(ローズクォーツ)のことかな? 検索してみるとローズクォーツの他にも、「赤水晶」(鉄水晶とも、赤鉄水晶ともいう)という種類と「ストロベリークォーツ」という種類があり、どれも鉄分を含んでるので赤みがでる。画像でみると赤水晶(赤鉄水晶)は他の2種類と違って本当に赤い。真珠や琥珀だとかなり小さくなりそうだし、セットとしてみたらバランスも難しそうだから、水晶ではないだろうか。

二人の歌の意味は正しくはこう
赤玉が潮干珠で白玉が汐満珠だとしたら、歌の解釈もちょっとおもしろくなる。物語では、白玉は海幸彦を懲らしめる波を起こす玉なのに、赤玉は降参した海幸彦を救うべく波を引かせる玉なのだ。赤玉は水を干上がらせるのだからすんごい光熱のエネルギーを発して、さぞかし強烈に輝いたんだろう。その光で人々を救ってくれたわけだ。だから赤玉の光ってものはすごいんだと『人』(一般の人々)は言うわけ。しかし、この話(つまり大洪水神話)の本題は人類の刷新、この世の大掃除なわけだから、白玉で津波を起こすのが本題で、それを身につけ使いこなして大業をなしたる我が殿の尊さは妾(わらわ)が存じております、と。こういう意味になる。これだと夫君の偉大さを称賛してはいるので何の問題もないようだが、裏の意味としては、山幸彦は白玉だけを身に装ってるわけではなく、二つの玉を使いこなしてるのだから当然、赤玉も白玉も身に装ってるのであって、この玉は竜宮城から持ち帰ったもので、いってみれば竜宮城出身で山幸彦の嫁になった豊玉姫自身の暗喩でもある。玉を身につけている夫君を称賛してるのは、自分が寄り添ってる夫君を称賛してるのであって、別れの歌ではない。

旋頭歌だとしたら?
さらにいうと、記紀を混ぜて原形を復元(?)してみたら旋頭歌みたいになったと上の方でいったが、旋頭歌は問答歌でもあるんだよね、そう思ってよくみると、上の句の「赤玉は緒さへ光はありと人は言へど」はかなり形が崩れてはいるけど元々は火遠理命の問いの部分で、下の句の「白玉の君が装ひし貴くありけり」が豊玉姫の答えのようでもある。上の句は火遠理命が大洪水から救われた人々に自分が称賛されていると自賛していることになるが、むろん裏の意味は、これから生き残った人々と新しい国作りをしていくんだから、夫婦として一緒に素晴らしい国を作っていこうというお誘いである。下の句は説明はすでにしたのでくりかえさないが姫からのOKの返事になる。そうするとこの歌だけでやりとりが完結していることになるが、夫君が先に詠んだはずの「沖つ鳥鴨どく島に我が率寝し妹は忘れじ世のことごとに」の歌が浮いてしまう。この歌もむりに二分割すれば旋頭歌だとして解読できなくもないし、個人的にもそうしたいところだが、いい加減にしろと怒られそうなので、ここは百歩譲って別な方法を考えると…。実は『ウエツフミ』では初めて陸上にきた豊玉姫が、鵜萱葺不合命を産む前に、火遠理命に二人の妻と二男一女がいたことを知って嫉妬するというシーンがあり、そこで歌のやりとりがあり、産屋を覗き見する話とは関係ないことになっている。『ウエツフミ』では歌で揉め事が一つ解決して、その後で、産屋覗き事件が勃発する。記紀はそれが原因で別離&歌のやりとりとなるわけだが、『ウエツフミ』では産屋覗き事件は家来たちになだめられて終わり。歌も関係ないことになっている。つまり両方を総合すると歌が関係してくるタイミングは2回あったことになる。だから「沖つ鳥…」の歌は、産屋の件より前に詠まれたもので産屋覗きによって生じた別れる別れないのすったもんだとは無関係の、別のトラブルの時の歌なのだ、といえないこもない。しかし、姫が機嫌を損ねて歌で解決なんてシーンが立て続けにでるのもなんだか不自然な気もする。『ウエツフミ』もいろいろ改変しすぎてむりしてるのではないか。やはり「沖つ鳥…」の歌も旋頭歌としてみたほうがいいような気がちらほらと…。

そもそも「覗き見」自体あったのかよっていう…。
そもそもなんで覗きなんかして揉めるのかというと、豊玉姫が海と陸との交流を遮断するに至った原因を説明するためである。しかしそこは伊邪那美神話にヒントを得て神話学でいう「見るなのタブー」の枠組みを使って後世につくられた寓話であって、真正の原始神話ではない。事実は覗き見はしてなかったと思われる。覗き見しようとしたのではなく否応なしに見えてしまったんだろう。8尋(=約12メートル)のワニが入る産屋が巨大すぎて未完成だったわけでしょ。構造上みえるよこれ。普通サイズの産屋なら未完成でも遠くに離れて視界にいれない、ということができるが、未完成の巨大建築物の中に妊婦を放置していったら母胎にも新生児にもどんな危険があるかわからないだろう。それに海の中の人の正体がワニだということはこの時代の人間には常識で、あらためて驚くことでもなかったはずだ。見えちゃったのは未完成の産屋の倒壊の危険から母子を守るためだったんだから、姫もそれで怒ったりしない。ただ、実家に帰ることはよくあったろう。後世のように夫婦は同居するという決まりはなく、仲が良くても円満な別居夫婦というのがあって「招婿婚」というのはその残存形態である。奈良時代になると招婿婚はあってもその起源になった極端に古い形式である「原始の別居婚」は理解できなくなっていて、別居してんなら別れたんだろうというのが自然な理解になっていた。だからあの歌も二首とも、本当はどのタイミングで詠まれたのかはわからない。揉めてなくてずっと仲良かったんだから。鵜萱葺不合命が生まれて、親子三人で川の字になってる時に歌のやりとりをしたのかもしれないし。
【参考文献】『星座と干支』 星天講より今なら¥600で発売中! おもしろいからぜひ買ってw

・悪いのは山幸彦の方じゃないの?

H30年2月21日(水)初稿
悪いのは山幸彦の方じゃないの?
「海幸山幸」の神話については、このブログではhttps://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-158.html">「大洪水伝説」https://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-158.htmlhttps://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-163.htm">「大洪水と海の怪獣」https://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-163.htmlで説明した通りなので、まずはそっちを読んで頂きたい。
その上での話だが、海幸山幸の物語は、後半で弟(山幸)が竜宮城にいって超自然的なパワーを身につけて勝者になり兄(海幸)のほうが降伏して臣下になるという筋があるから、まるで兄が悪者で弟が善玉のような印象があるが、前半だけの段階では、よく読むと悪いのは釣り竿と弓矢の交換を無理強いした弟であって、兄が怒るのも無理ない。それだけでなく、職人の道具というのは名人ほどかけがえの無いもので「代替え」の利くものとも限らない。弟がいくら五百個、千個の釣り針を作って返そうと、量の問題ではないのだ。自分の剣を鋳潰したことや釣り針の量の多さは「誠意の表われ」とはいえるだろうが、その誠意を汲み取ってもらえるかどうかは加害者の都合で決まるわけではない。被害者がその誠意を認めることができない、なんていうのもよくあることで、詳細な事情を知らぬ者が「なんで誠意を認めないんだ」と被害者側を責めるのはめちゃくちゃな話だろう。そう考えてみると山幸彦が陥った窮状は自業自得でもある。
それなのに、物語の展開としてはなぜか兄の海幸が悪者みたいな流れになり、弟が上に君臨する身分となり兄が臣下、というより奴隷に近い境遇に落ちる。勧善懲悪がテーマだとしたら完全に破綻している。むろん「神話は必ずしも勧善懲悪を語るのが目的ではないのだからかまいやしないのだ」という人もいるかもしれない。が、それはあくまで一般論であって、この話には当てはまらない。「海幸山幸の物語」の場合は前回までの話でしてきたように、実は「ノアの方舟」みたいに悪人(≒堕落した人類)が大洪水(≒津波)で滅ぼされるという世界各地に共通に存在する大洪水神話のバリエーションなのである。だからこれも広い意味では「勧善懲悪」的な側面があるだろう。
ただ「何が善で何が悪なのか」が現代人とはちょっと考えかたが違っているのだ。

【前掲のページから引用】
「海佐知毘古(海幸彦)・山佐知毘古(山幸彦)」というのは、「海幸彦・海幸姫たち」と「山幸彦・山幸姫たち」をいう普通名詞であって、その略称もしくは擬人化していってるので、海洋民族(漁労民)と山岳民族(狩猟民)のこと。だから固有名詞ですらない。この両民族が兄弟だというのは、文化の違いはあってもすべての民族は同じ人類だということを表わしているのである。

海洋民も山岳民も、大洪水(大津波)で滅んでしまったんだから、結局海幸彦も山幸彦も堕落した人類なのであり、格別にどっちが善でどっちが悪でもない。ただ、神に選ばれた「生き残り」は海洋民でなく山岳民の出身だった。それはなぜか。

【前掲のページから引用】
その原始時代の海の民と山の民は隔絶した世界に暮らしてるのではなく交易もするし密に接しているのであり、利害関係も深まる。船のほうが高速に大量の物資を運べるので、交易が活発になればなるほど富は海洋民族のもとに集まり、海洋帝国はどんどん強くなり、海の文明はどんどん栄えていく。(…中略…)それに対して山の民は貧乏臭くなって流行文化からも取り残され、要するに田舎っぺになっていく。そこには嫉妬や憧れが生じる。なので、まず先にちょっかいを出したのは山の民のほうで、なんとしても海に進出して豊かになろうとした。

つまり釣り針と弓矢の交換をなんとしてもしてみたかったのは山幸の方であって、海幸彦にしてみればまったく興味のないことだったわけ。だが、山幸彦は、文明への憧れという向上心をもっていた。それが必ずしも理性的とはいえない「実行動」へと己れを駆り立てるパトスだかリビドーだかの、よくわからない生命力をもっていた、といってもよい。だから海幸彦に断られても、しつこく交換しようとおねだりできる。文明人はそんな図々しさ(=生命力)を持ち合わせてないので、断られたら無駄な行動はさっさとやめて「まぁいいや」と他の合理的な目的に関心を移してしまう。
空気を読んだりするのは京都のお公家さんとか文明人のすることで、純朴な(=単細胞な)未開人は訳も分かってない癖に行動していろんなことをブチ壊しにする迷惑な存在でもあるが本人は善意でやってるので始末が悪い。頭がいいと先が読めてしまうので行動しなくなる。しかしそれは人間の存在意義をゆるがす。なぜなら人間がこの世に生まれてきた目的は、文明の結果を享受することではなく、文明を発展させるその経過に注力することであり、何かに成功することではなく、失敗も含めた多様な体験をすることだからだ。だから生命力の枯渇した文明人は神の目からみると存在価値がない。バカで、迷惑で、自己中心的であっても、行動することをやめない、無謀な挑戦をあきらめない、生命力のある者が神に愛される。むろんこれは比較的そういう傾向があるという大雑把な話であって、暴力的で自分の欲求で目がくらみ他人を傷つけることに痛痒を感じない野蛮人はいくら生命力があっても天罰の対象になる。だから海洋民も山岳民もみんな滅ぼされた。

【前掲のページから引用】
海の世界も飽和してるので、そこに無理にでも新参者が割り込もうとすればトラブルになる。ここで山の民が勝利すれば、日本史や世界史における「中世」的な展開(蛮族による文明の更新)になるのだが、この時はそうならなかった。海の民と山の民が海で争えば海を知り尽くしているベテランのほうが勝つのは当たり前で、山の民の中から大望を抱いて進出してきたとある弱小な一部族はいまさら山にも戻れず、慣れない海に孤立してしまった。普通だとこの山からきた部族は滅亡して終わりなのだ

合理的に考えれば、兄の海幸彦が正しく、弟の山幸彦は自業自得だと前の方では言ったが、山幸彦が要求した弓矢と釣り竿の交換は「相互の経験の多様化」であり、それを拒否した兄の態度は「現在の成功の上に安穏とあぐらをかくこと」である。神の目からみてどちらが善か。しかも前述の「合理的に考えれば、兄の海幸彦が正しく、弟の山幸彦は自業自得だ」という考えは「合理的」ではあるが「人智で考えた合理」ではないのか。バカを相手に理論で攻めたら何とでもやりこめることはできるだろうが、正論かならずしも正義ならず。理性の刃は自分にも向かってくる。合理的に考えることを突き詰めたら子供も作らない方がいいしそもそも自分も最初から生まれてなければ何の問題もなかったって話に必ずなる。古今東西、文明の爛熟期に宗教思想や哲学思想が煮詰まってくるとだいたいこういう結論になるもので、ネットでたまたま見かける範囲だと現代人でもあんま変わってなさそう。

【前掲のページから引用】
が、ここで奇跡がおきた。進退きわまって滅亡に瀕したこの弱小部族こそが大災害の中から生き残ったのだ。なぜ奇跡が起きたのかというと、それは簡単だ。大災害で崩壊した帝国だの滅亡した文明だのっていうのは、爛熟しすぎて、堕落腐敗していることが多いわけだが、それに対して、神に愛されるのはいつの時代も腐りきった文明人ではなくて「気高い野蛮人」なのである。

・大洪水と海の怪獣

平成28年の9月28日(水)初稿
地質学との比較
(前回からの続き)洪水(または津波)が続いた期間は、聖書のノアの方舟の話では40日間だったとするが、それ以外の神話では40日ではなくて7日、9日、12日、60日、数ヵ月、7年半、52年、104年、200年など、それぞれの神話によっていろいろだ。が、これらの数字は聖書の「40日」にしろ、マヤの「52年」にしろ、それぞれの文化習慣で特定の期間をあらわす決まり文句みたいなもので深い意味はあるまい。ただ長い期間続いたといってるだけ。実際には数百年か数千年の大変動だったにちがいない。このような大異変は実際あったとしても何万年も前のことであり、聖書のいうような数千年前というような最近のことではありえないし、チグリス・ユーフラテスの両大河の流れるイラク平原という狭い区域での話でもありえない。必ずや世界規模の気候変動の一環として現れたものと推定できる。
で、日本書紀の179万年2470余年(神武前)を桁ごとにわけて、邇々藝命の時代がドンブリ勘定で約100万年間、火々出見命の時代がドンブリ勘定で約70万年間、鵜萱葺不合命の時代がドンブリ勘定で約9万5000年とすると、邇々藝命の時代が洪積世カラブリアン期、火々出見命の時代が洪積世中期以降にあたり、その境は78万1000年前という。海幸山幸物語(洪水神話)が火々出見命の終わりで鵜萱葺不合命の始まりだからなにかそういう地質学的な現象が約9万5000年前にあったらちょうどいいんだが、現代の地質学でなにか関係してそうなものといえば「トバ・カタストロフ」というのがあり、wkipediaによるとインドネシアのスマトラ島のトバ火山が7万5000年前~7万年前に爆発したため地球の劇的な寒冷化がおよそ6000年間続き、地球はそのまま「ヴュルム氷期」に突入、現生人類は総人口がわずか1万人にまで激減。遺伝子のボトルネック効果が起こり多様性が失われた(生き残りが特定の集団だったということ)。遺伝子の解析によれば、現世人類は極めて少ない人口(1000組-1万組ほどの夫婦)から進化したことが想定されている。あといわゆる「原人」(北京原人とかジャワ原人とかのホモ・エレクトゥスの類)もこれで絶滅したのだとか、人類の衣服が発明されたのもこのためとかいうネタ的に面白い話もかかれている。そういうわけでこのトバ・カタストロフが洪水神話のもとになっているのではないかと思われる。年代推定には神話の側に正解があるわけではなくて地質学に依存しているのだから、2万年ぐらいのズレはどうでもいいが、普通は氷河期には海岸線が後退して陸地が広がるので、どうも、洪水だの津波だのとはイメージがつながらないのが困りもの。もっとも、大洪水だの大津波だのは一時的な災害で、海岸線の後退はきわめて長期の現象だから、矛盾なく両立はするのだとしたら「イメージがつながらない」というのはあくまで雰囲気レベルのことにすぎない。だから、どうでもいっちゃどうでもいいんだが…。…と思っていたところ、2015年10月に偶然、下記(A)の情報を得た。検索してみたら続いて(B)の記事も出てきた。
(A)【地質学】火山噴火による「メガ津波」が世界を襲うかもしれない…73,000年前に300mの津波が起きていたと発見(2015年10月02日の記事)
http://blog.livedoor.jp/jyoushiki43/archives/52005018.html
(B)人類は7万年前に絶滅寸前、全世界でわずか2000人(2008年04月25日の記事)
http://gigazine.net/news/20080425_extinction_70000_years/
これらの記事中に「トバ・カタストロフ」という言葉は出てこず、原因となった火山噴火がスマトラ島のトバ火山ではなく、西アフリカの西側の大西洋に浮かぶ火山群島からなる小国カーボベルデだとしている。7万3000年前というのはトバ・カタストロフと時期がかぶってるし、べつに2ヶ所で噴火してもいいわけだし、それになんといっても全世界的な規模で高さ300mの大津波が起こったというのはまさに大洪水神話にぴったりw その後2015年10月3日にコロンビア大学の研究チーム(2008年の発表と関係ある団体なのかは不明)による発表があり噴火したのはカーボベルデの火山、ファゴ山で、津波の高さは800フィート(243メートル)だと(正確には243.84メートル)。一旦米国向けに換算し直してあるのかな? 300メートルなら984.25197フィートだから、もしかして原典は820フィートだったのかもしれん。この事件に名前がないのは困りもの。専門家はどう呼んでいるのかしらないので、便宜上「ファゴ・カタストロフ」と呼んでおこう。

豊玉毘賣はワニかサメか龍なのか
竜宮城は夢じゃないから塩乾珠(しほひるたま)塩盈珠(しほみつたま)だけでなく嫁までもらってきた。俺はオカルチスト(神秘主義者)なんで、「異界にいってきたというのは夢をみたってことの神話的表現なんですよ」みたいな現代人向けの合理化はしない。で、この豊玉毘賣(とよたまひめ)はワニだったわけだが、これも民俗学でいう「異類婚姻譚」の元祖みたいなもの。異類婚姻譚ってのは人間に化けた動物が人間と結婚するという民話によくあるパターンで、動物が女に化けて人間の男と結婚する話もあれば、動物が男に化けて人間の女と結婚する話もある。その動物もいろいろなケースがあって猿、犬、狐、馬の例があるが、哺乳類に限らず、鶴女房の話は有名だろう、これは鳥だ。爬虫類なら蛇、亀、さらに下等な生き物だとカエル、魚、クモ、極めつけはハマグリなんてのもある。動物だけじゃなくて妖怪の場合もあって、雪女、河童、木霊、山姥、鬼。さらには天女とか神様の類である場合もある。そして子供が生まれる話もあれば子供ができないケースもあり、最後まで添い遂げる話は浦島太郎(原作の方)のように例外的で、最後は別れてしまう話が多い。これはこの話が明るみに出る時には正体がバレたケースだからであって、正体がバレずに添い遂げた例では世間に気づかれないのだからそもそも事例にカウントされない。だから別れてしまうケースがほとんどのように錯覚してしまうが、正体が夫婦間ではバレていても世間には秘密にしていることもありうる。人間になりすましたまま生活することが可能であることから、彼らは人間であることがわかる。つまり異類(動物とか妖怪とか神とか)と人間が直接に交合するのではなくて、あくまでも異類がまず人間に化けて、人間の姿、人間の肉体をもってから結婚相手として現れてくるのであって、獣姦みたいのとは違う。結婚相手はその時はあくまで人間なのだ。だから後になって正体がどうのと言い出すのは、人間は人間でもあいつは普通じゃなかったという思い出を説明するための後付けなんだともいえる。普通じゃない人の遺伝子を引き継ぐからその子孫は特別の家系になったり偉大な人物が生まれたり、名のある氏族となって繁栄したりする(そこは話によっていろいろ)。しかし異類は実は人間だったのである、といってみても、異類と異界とはセットになっているのだから、異類が人間なら異界は異文化をもった人々(異民族?)の集落のことなのだという説明に落着するのだろうか。なんだかみみっちい世界観だな。やはりメカニズムはよくわからないが、動物や妖怪の類が人間に変身することはありうるし、「竜宮城」のような海中異界や天狗の住む山中異界や壺の中の世界や「鼠浄土」みたいな地底異界や、異次元空間のような「桃源郷」や「隠れ里」は本当にあって彼らはそこからやってくるのではないか。個人の運命や世界の歴史に対して、理屈の通らない世界から、神々が干渉するのだ。ただし「人間として」彼らはやってくる。我々はいつまでも彼らの正体に気づかない。もしあなたが俺の正体に気づいて、俺のことを宇宙人だっと言い張っても、世間からあなたが既知外あつかいされるだけだ。

豊玉姫は離婚していない
豊玉姫は離婚して「わだつみのいろこの宮」(竜宮城)に帰ってしまったと思われているが、そうではない。そこらの事情は『星座と干支』(¥600)に詳しいのでそちらを読んでもらうとして、簡単にふれると原始時代の招婿婚では夫婦が別居しているのは当たり前で、奈良や平安の頃の結婚制度も一応、招婿婚とはいわれているが同居期間が長くなってしまっているので、別居というと離婚したんだという解釈になってしまうのだが、原始時代の感覚では別居してても結婚が破綻したのでも愛が冷めたのでもない。古事記には豊玉毘賣が「赤玉は緒さへ光れど白玉の君が装ひし尊くありけり」と読み、穂々手見命が「沖つ鳥鴨どく島に我が率寝し妹は忘れじ世のことごとに」と応えたとある。これだと姫が夫をほめながら残念がってる歌で、夫は別れた奥さんを忘れられないといってる歌のように解釈してしまう。しかし日本書紀では先に夫の歌があって姫がそれに応えて詠んだことになっており、順番が逆だ。日本書紀の順番だと夫が「おまえを永遠に忘れない」と先に愛情を宣言して、その後に姫が夫を素晴らしい人だとほめている。これは和解の後にあらためて愛情を確認しあってる歌ではないか。実際『ウエツフミ』では和解したというストーリーになっており離婚してない。離婚したというのは、海中異界(竜宮城の世界)と現実世界は往来できたのに今はそれができなくなってることを説明するために豊玉姫が往来を遮断したのだという寓話であって、かなり後になってからできた形で、太古悠遠の古伝承ではない。原始時代には異界との往来は可能であると信じられていたからである。

隼人と磯良その1 ~隼人は海佐知毘古の子孫ではない?~
記紀神話では、海佐知毘古(火照命または火闌降命)は助かって、山幸彦に仕返しされて苦しんだ時の姿を真似たのが「隼人舞」の起源であり、その子孫が今の隼人族だとして、隼人の首長である阿多君(あたのきみ)がその舞を皇室に奉納する由来を説明し、隼人の服属の起源を述べている。が、古事記のこの部分は平安時代以降に日本書紀に基いて誰かが書き加えた部分だろう。稗田阿礼と太安万侶が作ったままの712年のバージョン(もしくは編纂の原資料となった「旧辞」)では、塩盈珠で溺らせて滅ぼした後に、塩乾珠で波を鎮めたというだけの話で、隼人は出てこなかったと思われる。もとは隼人は海佐知毘古はまったく何の関係もなくて、海佐知毘古の子孫でもなかった。隼人が宮廷に仕えるようになったのは応神天皇の頃からで、神代に遡るような古い由来などではないのだ。なぜその頃に隼人が朝廷に仕えるようになったのかという説明は応神天皇か仁徳天皇の回でやることにして今回は触れない。学界の一部では、海幸山幸の神話自体が隼人自身の伝えていたもので、朝廷がそれを記紀に採り入れられたなどと言ってる者がおるが、そうではなくて、もともと日本を含めて東南アジアや太平洋に広く分布していた神話である。だからこの神話類型を伝えた民族はどの民族も必ず山幸彦(に該当するキャラ)の子孫と称する(日本神話の場合は、山住だから津波で助かったという理屈だったと思われる)。従って、隼人が仮にこの神話を伝えていたとしても海幸彦の子孫だと自称していたことはありえない。日本書紀は海幸彦と隼人をむりやり結びつけて、隼人が意味不明な踊り(「隼人舞」)で宮廷に仕えることになった由来は、海幸彦が溺れる様を踊りで表わしたことに始まるんだといってるが「隼人舞」は現在に伝わっていないから、本当にそんな踊りだったのかどうかはわからない。現在の地方芸能の「隼人舞」がネットの動画にあり、これは復元と称してるけど、実は近代の創作であるから見当違いなものである可能性が高い。隼人は皇族の個人個人に召し使われ雑務を担当する(近習隼人)だけでなく武力で皇室を護衛する役目(兵衛隼人)を負わされていた(なぜそれが応神天皇の時に必要になったのかは応神天皇の頁に譲る)。だから「隼人舞」というのは舞踊とはいえ、美学的・芸術的な要素を重んじたものではなく、威圧的で極めて勇壮、ほとんど軍事教練のようなものだったと思われる。溺れる様を表わした滑稽な芸能だという説は日本書紀の記述に騙されている。隼人を侮蔑したようなこの伝承は、古伝ではなくて、墨江之中津王の乱で、曽婆訶理(そばかり)という名の隼人に木菟宿禰(つくのすくね)が主君殺しの罪状を着せて殺してしまった(このへんの細かい話は反正天皇の頁を参照)。この時に木菟宿禰が隼人の印象を悪くしようとしてネガキャンをした時の影響で生まれた説がその後ひろまっていったのだろう。隼人の首長層を代表する吾田君(あたのきみ)等の諸氏族の多くは、火酢芹命(海幸毘古)の子孫ではなく景行天皇の皇子、豊国別(=豊戸別)の子孫である日向国造(諸県君)の分流だろう。ただし有力な氏族であっても大隅直(おほすみのあたへ)は純粋に隼人系の出身かもしれない(純粋に隼人の出身であっても海幸彦と関係ないことには変わりない)。
しかし、いくら木菟宿禰が隼人を貶めようと思っても、海幸彦と隼人をつなげるイメージ連鎖が事前に存在しなければ、こんな悪口は思いつかない。そこで、隼人とイメージの近いものとしては「磯良」(いそら)があげられる。磯良というのは中世の伝説に登場する神で、歌舞音曲に誘われて海からあらわれ、顔や体に牡蠣などの貝殻がついた醜い姿という。神とはいっているが妖怪、妖精に近い。川澤哲夫と杉原勇三の説だと、この磯良と隼人が同一のイメージで同一視されていたという。山陰から九州にかけての地方では、海面に出たり消えたりする岩礁を「ハエ」という。で、通説では磯良というのは岩礁の神格化(岩礁や貝類、藻類、魚類の化身)とされている一方で、隼人は海に潜って魚介を獲る漁撈民(海人)だ。隼人の語源はこのハエからきており、隼人は岩礁部に生活して漁業を営んでいたという説。確かに岩礁と海士は、海面から出たり消えたりするとこが似てる。で、私個人の考えとしては、隼人の語源をハエ人と解くのは頂けないし、磯良は妖怪みたいなもんだが隼人はれっきとした人間なので両者はまったく無関係だとも思う。隼人が岩礁に住んでいたというのも極端すぎる。海洋民の要素を強調するあまり内陸民(騎馬や農耕)としての一面も軽視している。が、にもかかわらずなぜこの説が面白いかというと、つまり古伝承では海幸彦の子孫は隼人ではなく磯良だったのである。「隼人は海幸彦の子孫だ」という貶言が有効だったのは(有効がどうかは別にして少なくとも意図が他者に伝わるには、あるいは木菟宿禰がそういう罵詈を思いついたのは)磯良と隼人の間にイメージ連鎖があったからだろう。
しかし、そうはいっても奈良時代に改めてこの説をボツにする選択もあったはずだが、日本書紀引用の「一書」にはほとんど採用されている。この背景を考えると、日本書紀が完成した養老四年(AD720年)には隼人の大反乱が起こっている。ちなみにこの時の戦争で太安万侶も勲功を立てたといわれている。この大反乱は突然起こったのではなく、20年も前から前哨戦なり予兆のようなものがあった。文武四年(AD700)覓国使(べっこくし:今でいう辺境調査隊のようなもの)が九州南部各地で原住民から襲われたため朝廷は武器を集め大宝二年(AD702)現地に派兵して日向国の東南部を分割して唱更国(後の薩摩国)を設置した。『古事記』が完成した翌年の和銅六年(713)には大隅国を設置、翌七年(714)には豊前国から二百戸五千人を移住させている。つまり記紀の編纂事業が大詰めに入ってる期間は、隼人の統治が政治的に大問題となっていた時期と重なるのである。当時の空気としては、隼人との戦争の機が刻々と熟しつつある中で、勇壮な隼人舞をしってる上方(かみがた)の人々は貴族も庶民も隼人の武力を恐れてしまうが、政府の公式な態度としては「隼人なにするものぞ、やつらはもともと我々にに仕える連中ではないかっ!」と官民を鼓舞する必要あったし、政府関係者でなくともそういう煽りは歓迎したろう。だから隼人舞の起源を「あれはやつらの惨めな敗北の様を表わしているんだ」と歪曲した木菟宿禰の説は、政府ならずとも当時の空気一般としてはかなり魅力的なものだったのである。(続く)

・【速報】世界最古の釣り針、沖縄で発見

H28年9月20日初稿
沖縄県南城市の島のひとつの洞窟にあるサキタリ洞遺跡で、2万2380年前から2万2770年前(後期旧石器時代)の、世界最古の釣り針が出土。旧石器時代の漁労具は国内でも初。大きさは1・4センチ。「沖縄県立博物館・美術館」(那覇市)が19日に発表、国内マスコミは20日に報道。ただし、すでに海外では16日にニュースになっている。同館は「陸上での狩猟が中心と考えられていた旧石器時代の新たな一面がうかがえる貴重な資料」としている。同じ地層からは研磨用とみられる砂岩の小片も出土した。2012年の発掘調査で発見され、同じ地層に含まれる複数の木炭を分析し年代を特定。この地層からは、今まで貝器(スクレイパーやビーズ)を発見しているだけでなく、オオウナギやイラブチャー、アイゴなどの骨も少し見つかったので、こうした魚を釣るのに使ったと推測。素材はニシキウズ科の巻き貝製(例えばサラサバテイ・高瀬貝など)で、巻き貝の底部を割って三日月形にし、さらに砥石のようなもので磨きこんで先端が徐々に細くなるようにとがらせていた。従来の世界最古はパプアニューギニアで発見された1万8千年前から2万年前のもの。東チモールのジェリマライ遺跡で発見されたものは「2万3千年前から1万6千年前の間」とされて年代が特定できなかった。この東チモールでの発見も2011年でつい最近。国内では神奈川県横須賀市の夏島貝塚で出土した1万年前から9千年前(縄文時代)の釣り針が日本最古とされていたが今回はそれより1万年以上古い。詳細は下記のリンクを。

・国内のニュース「沖縄で世界最古の釣り針 横須賀出土より1万年超古く」(東京新聞・20日/詳細あり
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201609/CK2016092002000258.html
・同博物館のFB「『世界最古の釣り針発見!(南城市サキタリ洞遺跡)」(20日)
https://www.facebook.com/OkinawaMuseumArtMuseum/photos/a.539996146055616.1073741826.152757311446170/1052305184824707/?type=3&theater
・まとめサイトw「日本で世界最古の釣り針が見つかる 海外の反応
(こんなニュースにでくわした・18日/レス欄だけでなくコメント欄も参照
http://stumbleon.blog.fc2.com/blog-entry-1945.html
・海外のニュース「World’s oldest fishhook found on Okinawa」(Science・16日)
http://www.sciencemag.org/news/2016/09/world-s-oldest-fishhook-found-okinawa
「英BBCでも報じられ世界的ニュースになった」と書いているブログもあるけど、そうなの? 日本じゃまったく騒がれてないような気が…?
ちなみに竹内文献だと山幸彦が行った竜宮城は沖縄ってことになってたなw 竜宮=琉球ってダジャレでw

・大洪水伝説

平成28年8月26日(金)投稿 平成28年の8月24日(水)初稿
海幸山幸の物語は「寓話」である
有名な「海幸山幸(うみさちやまさち)」の物語、または「御幸換え(みさちかえ)」の物語ともいう。浦島太郎と竜宮城の話の元ネタでもある。で、前回書いたように、天孫降臨以降はそのままストレートな神話ではなく「寓話」として読まねばならない。

大陸民族と海洋文明
前回までに書いた通り、これは数十万年も続いた火々出見命の時代(洪積世中期以降)の最末期の情況を表した神話である。間氷期(氷期と氷期の間)の温暖な時期には氷河が融けて海岸線が上昇し、陸地面積が狭くなる。海岸線が前進するということは平野部が水没して、リアス式海岸のような山と海がいきなり接する地形が増えるということだ。この時代はまだ農業はない。「物語の途中で海幸彦も山幸彦も田をもってたって話が出てくるじゃないか、だから海幸彦も山幸彦も農民だろう」といわれるだろうが、あの「田」というのは農業でいうところの田圃のことではなくて、野生の穀類(この時代は水稲種はなく陸稲種のみ)の繁殖地を囲って狩場(縄張り)にしているだけなのだ。それならハタケ(畑・畠)じゃねぇかといわれそうだが、漢字の「田」の字はもともとタンボもハタケも含む文字であって、区別する時はタンボは水田、ハタケは陸田(白田)という。日本語の「タ」も田圃のこととは限らない。タは「立てる」のタで、古語の「立てる」は現すとか成り立たせるという意味がある。ト(ところ)やチ(つち)を立てた(整えたり意味付けしたりした)のが「タ」なのである。土(ち)を認識したり確保したのが所(と)で、所(と)を整地したり耕したり何らかの手(て)を加えたのが田(た)。田圃もタに含まれるが、田圃だけがタなのではない。そしてこの野生の穀類の生えてる土地も、「高田」「下田」と書かれている。傾斜の急な険しい山の中だから「高田」「下田」というのであって平野でないことがわかる。ともかく平野が極度に少ないので、人間は山で狩猟するか海で漁するかしかない。「海佐知毘古(海幸彦)・山佐知毘古(山幸彦)」というのは、「海幸彦・海幸姫たち」と「山幸彦・山幸姫たち」をいう普通名詞であって、その略称もしくは擬人化していってるので、海洋民族(漁労民)と山岳民族(狩猟民)のこと。だから固有名詞ですらない。この両民族が兄弟だというのは、文化の違いはあってもすべての民族は同じ人類だということを表わしているのである。で、間氷期(氷期と氷期の間)の温暖な時期だから人間の活動は活発になって人口密度が高まる。この時代はまだ現代人が想像するような意味での「諸々の様々の各種の民族」ってのは存在しない。原始人だから縄張りとしての土地をもってはいてもその土地を永続的に管理するわけでもないから定住性が弱く、土地に縛られないから、特定の国土に密着した特定の民族というものが生まれにくい。せいぜいが海の民と山の民という二大派閥(二大民族?)があるだけ。

実はこれに似た情況はつい最近の世界にもあったのである。大航海時代以降、極東の日本人と西のポルトガル、スペインが世界の海に繰り出した頃、大陸は北元(モンゴル)、明、チムール帝国が鼎立した。チムール帝国はムガール帝国・サファービー朝・オスマントルコに分裂したが、モンゴルの東半分と明は清に統合され、モンゴルの西半分からロシアが独立、東の清と西のロシアが陸の二強となる。海では英仏蘭の鼎立から英仏二強へ。19世紀にはついに大陸の最強最大勢力となったロシアと、フランスを降して七つの海の覇者となった英国との間で「グレート・ゲーム」(昔は「世界最大の対立」等と訳された)の時代となり、そのまま米ソ冷戦まで続く。地政学ではハートランドvsリムランドの対立として定式化されているこの英vs露のグレート・ゲームの時代や、米ソ冷戦の時代は、まさに近代の「海幸vs山幸」的な情況だった。民族性が希薄な原始時代もこれと似たような分かれ方をした時期があったのである。まぁ山岳狩猟民と平原遊牧民は違うけどな。

その原始時代の海の民と山の民は隔絶した世界に暮らしてるのではなく交易もするし密に接しているのであり、利害関係も深まる。船のほうが高速に大量の物資を運べるので、交易が活発になればなるほど富は海洋民族のもとに集まり、海洋帝国はどんどん強くなり、海の文明はどんどん栄えていく。「なんだよ文明って。原始人じゃなかったのかよ」と言うなかれ、文明ってのは物質文明のことじゃないって西郷隆盛もいってたろw それでわからなければ面倒だからここは超古代文明ってことで納得してもらおうかw それに対して山の民は貧乏臭くなって流行文化からも取り残され、要するに田舎っぺになっていく。そこには嫉妬や憧れが生じる。なので、まず先にちょっかいを出したのは山の民のほうで、なんとしても海に進出して豊かになろうとした。海の世界も飽和してるので、そこに無理にでも新参者が割り込もうとすればトラブルになる。ここで山の民が勝利すれば、日本史や世界史における「中世」的な展開(蛮族による文明の更新)になるのだが、この時はそうならなかった。海の民と山の民が海で争えば海を知り尽くしているベテランのほうが勝つのは当たり前で、山の民の中から大望を抱いて進出してきたとある弱小な一部族はいまさら山にも戻れず、慣れない海に孤立してしまった。普通だとこの山からきた部族は滅亡して終わりなのだが、ここで奇跡がおきた。進退きわまって滅亡に瀕したこの弱小部族こそが大災害の中から生き残ったのだ。なぜ奇跡が起きたのかというと、それは簡単だ。大災害で崩壊した帝国だの滅亡した文明だのっていうのは、爛熟しすぎて、堕落腐敗していることが多いわけだが、それに対して、神に愛されるのはいつの時代も腐りきった文明人ではなくて「気高い野蛮人」なのである。

浦島太郎と竜宮城
「海神(わだつみ)の鱗(いろこ)の宮」ひらべったくいえば竜宮城、3日のつもりでいたら3年たってたとかとかいうように時間の速さが違う。これは心霊学(スピリチュアリズム)とかでも昔から言う話で、高級霊界(神界?天界?)ほど時間の進みが速く、現界に近いほど(低級霊界ほど)時間の流れる速さも近くなる。オカルトに興味ある人ならこれと似たくさい話はどっかで聞いたことあるだろう。キリスト教だと7日で天地を創造したって話にくっつけて「神の一日は人間の千年」などと説明することがあるが、これはクリスチャンでもない者が正確に1000倍だって意味に受け取る必要はなく、アバウトな一例ぐらいに思えばいい。だから竜宮城ってのは実際の海底都市ではなくて「あの世」の一種だな。民俗学っぽくいえば「海中異界」、オカルトっぽくいえば海底霊界(?)。民話では、海だけでなく「山中異界」というのもあるし、よくわからない不思議な世界に紛れ込んじゃったという民話は種類も多い。こういうのは本当に偶然に紛れ込んでしまったと本人は思っていても、実はわけがあって神々に導かれているんだろう。それがどういう理由でなのかは本人にもわかる場合もあるだろうし、最後までわけわからないまま終わる場合もあるかもしれない。この「海幸山幸物語」の場合も、最初から神に導かれてのことだった。
異界などというものはただの幻覚とか夢かもしれないが、まぁオカルトってのはそういう可能性も込みでの話だから気にするな。ちなみに「幻覚の中の世界」とか「夢の世界」も定義しだいによっては「異界」の一つだともいえる。で、単なる個人の「へんな体験話」としては異界に紛れ込んでわけのわからない経験をしたままそれで終わりという意味不明な体験の場合もあるのだが、伝説とか民話として語り継がれる定番のお話では、異界に行って財宝を得るとか知恵を授かるとかのパターンが多い。これは民俗学でいう民話の類型だけでなく、現実にもある。ミシンの開発に行き詰まっていたエリアス・ハウが夢でヒントを得て特許をとり大金持ちになった話は有名だろう。夢もまた異界なのであって、財宝を直接もってくることはできなくとも知恵を持ち帰ることはできるのだ。「海幸山幸物語」の場合は、結果的には大災害の予知や生き残れる場所を知ったということだろう。

「潮が満ちて溺れる」のは津波の暗喩
竜宮城から持ち帰った塩盈珠(しほみつたま)を出したら海水が満ちてきて海佐知毘古は溺れ、助けてくれというから塩乾珠(しほひるたま)を出したら海水が引いていって海佐知毘古は助かった。ただの潮の干満で溺れるやつはいないんで、これは津波が襲ってきたか、もしくは本当に陸地がなくなるほどの海岸線の上昇があったかのどちらかでしかない。海佐知毘古というのは個人名ではなくて海洋民族のことだとしたら、これは津波で海洋帝国が崩壊したとか、海岸線の異常な上昇で海洋文明が水没したとかの話を伝えた寓話だろう。
ただ古事記や日本書紀では海佐知毘古は助かってその子孫が今の隼人族だってことになってるが、これは隼人が意味不明な踊り(「隼人舞」)で宮廷に仕えることになった由来を説くために結びつけたものだ。が、もとは隼人はまったく何の関係もなくて、海佐知毘古の子孫でもなかった。海佐知毘古の子孫は少なくとも人間としては残っていない。子孫は海に飲み込まれて海底に暮らすようになって磯良(いそら)という妖怪になったというのが元の話だったと思われる(なんでそんなことがいえるのかって話はまた次回かその次にでも詳しくやろう)。隼人が宮廷に仕えるようになったのは応神天皇の頃からで、神代に遡るような古い由来などではないのだ。なぜこの磯良が隼人とさしかえられたのかという説明は応神天皇か仁徳天皇の回でやることにして今回は触れない。
ともかく海佐知毘古は滅ぼされてしまった。で、塩乾珠(しほひるたま)を出したら海水が引いていって助かったというのはこのまま津波が上昇し続けると山佐知毘古も自分まで溺れそうになるから塩乾珠(しほひるたま)を出して津波を鎮めたということで、つまり自分が助かるためであって海佐知毘古を助けるためじゃない。自然災害ってのはそんなに甘くないんで、神話もなにかホンワカした牧歌的なのが神話だと思ってる人がいるがそんなわけないだろう。残酷な話やヒドイ話もたくさん出てくるのが神話であって、それは自然が人間に優しいだけではないのと同じなのである。別に原始人は未来の子孫の癒やしブームに乗っかろうと思って神話を伝えたわけじゃない。つかそもそもご先祖様である原始人の信仰を捨ててしまった背教者どもに神話をあげつらう資格なんてないだろう。
堕落した人類が津波で滅亡するという話は、ノアの方舟の話にも似ている。あっちは津波ではなく洪水だが、「洪水神話」とひとまとめに呼ばれている神話類型は世界中にいろいろなバージョンがあって、中には洪水でも津波でもなく大雨だとしている例もある。これを洪水神話とよぶのは便宜的にノアの方舟の話をを典型的なものとみなしての命名にすぎない。

世界の洪水伝説
旧約聖書に出てくるノアの洪水伝説は、バビロニアの伝説を適当に改作したもので、当事者の名がノア、セム、ハム、ヤペテというのは取るに足らないお話。もとのバビロニアの洪水伝説も、そのもとはアッシリア、さらにシュメールと遡ることができる。もちろん、ノアという名前ではなくアッシリアの王立図書館の粘土板によれば「ウトナピシュティム」。これはバニロニアの「ウラバッツ」にあたり、その別名「カシサトラ」はシュメール神話の「カシストラトラ」まで遡る。ちなみにシュメール神話では洪水だけではなく「津波と洪水」でありこちらが原型である。 この話しはまったくのでたらめというわけでもない。世界中に類似の伝説があるので、なにか大昔に世界規模で大異変がおこり少数の人間が生き残ったという事実があったのかも知れない。
ただし、ノアという名前はそれぞれの神話によりいろいろ。ギリシア神話では「デユーカリオンと妻ピュラ」、北欧神話では「ベルガルメル夫妻」となっている。ちなみにギリシア神話と北欧神話でも洪水でなく津波となっている。インド神話では「サチュラワタ(=マヌ)と7人の聖者」、イラン神話では「イーマと千組の夫婦」、ブリテン島のケルト神話では「ドワイファンとドワイファック」、アイルランドのケルト神話では「セサール女王とその臣下たち」、北米のマンダル族の神話では「ヌモクモクバー」、北米のガラニ族では「タマンデレ」、中米のトルテカ神話ではコフコフ(=テオシパクトリ、=テスピ)と妻ホチケツアアルと子供たち他6組の夫婦。南米のチブチャ族では「ポチカ夫妻」、南米トスカロラ族では「タマンデレ」という。このトスカロラ族の神話では主人公タマンデレと対立する「アリクテ」という名の、仲の悪い兄弟が登場し、日本神話でいう海幸彦の役どころとなっている。
日本の海幸山幸物語と似たようなのは他にもあり、岩波文庫の日本書紀の注釈では以下の3例をだしている。セレベス島では「カブルサン」という主人公が大雨をふらせ悪友を退治する。ここでは悪い兄が悪友になっている。パラオ島の神話では「アトモロコト」という主人公が父にいじめられ海底の娘「リリテウダウ」と結ばれる。リリテウダウは日本でいう豊玉姫で、悪い兄は悪い父に変わっている。カンボジアでは世界が水でおおわれていた時代に「ラクサクン」という王が、悪い妾から逃れ正妻(水神の娘)と結ばれる。悪い兄は悪い妾に変わっているが、正妻(水神の娘)というのが豊玉姫(海神の娘)にあたる。このように日本、太平洋、東南アジアでは洪水でなく大雨や大潮(津波)になっている。
シュメール、ギリシア、北欧、インカ、アラスカの神話では洪水だけではなく、洪水と大潮(津波)とし、マヤ神話では大雨としている。 他にもインドネシア、リトワニア、北極エスキモー、中米マヤ、南米インカ、アラスカのトリンギット族。北米ではダコタ族、スー族、チカソー族、ホピ族などに同類型の神話がある。
「悪い兄弟」「悪友」「いじめる父」「悪い妾」設定はいろいろだが、どれも間違いではなくどれが正しいということでもない。すべて地上の争いごとの象徴であって、これらの神話のメッセージは「地に争いが満ちた時、ある者が海の神の助力を得て海の波をコントロールし、大異変をおこして人類を滅ぼした」という内容だったのが長い間にいろいろに変化したものだろう。
プロフィール

浅草橋キッド

Author:浅草橋キッド
どこから見ても平凡な、一介の町人です。

最新記事
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブロとも一覧

新語拾遺
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
検索フォーム