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・ウガヤ朝

H30年3月20日(火)初稿
ウガヤ王朝
ウガヤフキアヘズってのは実は襲名で、代々「ウガヤフキアヘズ」と名乗った王様(≒天皇)がいて、72代続き、その73代目が神武天皇だったという説があるんだが、このブログでここまで好き放題書き散らかしたからには、このウガヤ王朝についても一言くらい何か言っておかないと済まされまい。え? 済まされる? このブログの読者ってそんな薄い連中だったのか、
ガッカリだな(´・ω・`) 冗談は顔文字だけにして、ウガヤ王朝についてはwikipediaでも見といてください。なぜならwikipediaのあのページ書いたのほとんど俺だから。面倒くさがり屋のために直リンクまで貼っといてやるからな。親切だなぁ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウガヤフキアエズ王朝
世間でいうところのウガヤ朝ってのは偽書にでてくるもので中世から近代にかけての創作が多い。そこに書かれたものはもしかしたら断片的には古伝も含まれてるのだろうが(特に『ウエツフミ』)しかし基本的にダメなのは日本書紀を信ずるかぎり日向3代で179万年2000年間なわけで、そのうちウガヤ朝はファゴ・カタストロフから始まると考えて約7万年間。普通ウガヤ朝は73代とされ最後の2代は五瀬命と神武天皇だから71代しかない。平均すると1代あたり約1000年。これでは代数がまだまだ足りないw ウガヤ朝がたったの73代しかないってのはこれを創作した当時の人の想像力の限界であって、富士宮下文書だの竹内文献だのっては原始以来の古伝承ではない。じゃウガヤ朝は無かったのかというとそれも微妙。これについての詳細な議論は「神話論」ではなく「歴史論」のカテゴリーになるので、後日、神武天皇の回でやることにする。『古事記』にでてくる「穂々手見命は五百八十歳」とかの話もその中でやる。今回はやらない。

・文明の揺籃

平成28年9月29日(木)投稿 平成28年9月28日(水)初稿
「ウガヤフキアヘズ」とは?
鵜萱葺不合命(うがやふきあへずのみこと)という神名は、呪文のような不思議な味わい深い語感がある。何度でも復唱したい。木村鷹太郎の説だと(出たw 俺たちのキムタクw)ウガヤというのはギリシア語で、父なる天空神ウラノスのウと、大地母神ガイヤをあわせて「ウガヤ」といったのだと。鈴木貞一これを受け、富士文書にフキアヘズでなく「不二合須」(ふじあわす)とあるからウガヤフジアワスとは「天地の和合一致」を意味するのだと。しかしそんなデッカイ話にしてしまうと抽象的すぎて、鵜萱葺不合命の固有の役割、固有の存在意義みたいなものがみえなくなってしまう。そもそも富士文書自体が近代の捏造・創作だから問題外だし、木村鷹太郎も俺たちのキムタクだからさておいて。まず問題点は、そもそも産屋の屋根を「鵜の羽」で葺くことがあるのか? 普通は大昔の家といえば茅葺きなわけで、これは日本独自のものと誤解している人がいるが、そうではなく、全世界どこも共通である。で、一つの解釈としては家一般の話ではなく「産屋」(うぶや)だから鵜の羽を使ったという説がありうる。鵜の羽が安産のお守りになるという信仰が数十年前まで沖縄とか中国とかに残っていたらしいので、かつてはそれが世界的に広まっていたのかもしれない。理屈としては鵜は魚をまるごと飲み込んだりまた吐き出したり自由にできるから「鵜飼」ってのもあるわけで、この自由に出したり入れたりってのにあやかってスルリと出産しようってことらしい。一見、もっともと思ってしまうがちょっと待て。このような呪術的な発想、つまりフレーザーがいうような感染呪術だの類感呪術だのの世界は、確かに現代の合理主義以前の人類のもっていた世界観ではあろうが、それとこれの2つしか人類はもったことがないのではない。それ(呪術的世界観)も、これ(現代的世界観)も、あくまで様々ありえる世界観の中の一つにすぎない。現代的な合理主義的世界観はわずかな歴史しかもたないが、呪術的世界観は数万年の歴史をもっているのだ、と断言して本当にいいのか? 呪術的世界観だって5千年とかせいぜい1万年ぐらいの歴史しかもってない可能性はないのか? 一応、海幸山幸の物語が前回までの話の通り「ファゴ・カタストロフ」の伝承だとすると、鵜萱葺不合命の時代が始まったのは7万年前。一つの世界観の寿命が1万年として、我々のしらない世界観があと5つくらいあって、呪術的世界観は6つめ、現代的世界観は7つめ、なんてことはないの? そこんとこどうよ?
鵜萱葺不合命はトバ・カタストロフの直後で、いってみれば前時代の文明とともに昔の人類がきれいさっぱり滅亡した直後で、ゼロから歴史をやり直すところなわけだろう。呪術的世界観なんていう長い歴史に裏打ちされた複雑な体系をもった世界観はまだなかったのではないか。みじかくいうと鵜の羽で屋根を葺いた理由は、もっとはるかに単純かつ素朴な理由であって、安産のおマジナイだのいう呪術すらまだない時代だったってことですよ。
鳥の羽で屋根を葺くには大量の鳥の羽がいるわけで、安産祈願のため(?)たくさんの鳥をわざわざ殺したのかと思ってしまうが、そうじゃないだろう。文明が滅亡して原始時代からやり直そうとしてる時に無駄なことはやらないので、ありあわせの、その場で余ってるものを資材にしただけのことでそれ以上の深い意味はないのではないか? 矢羽にするため乱獲されてトキが絶滅したことを知ってる現代日本人には、鳥の羽が余るという事態があまり実感できないかもしれない。が、個人的な経験では、広大な砂浜いっぱい見渡す限り遠い先まで、鳥(たぶんウミネコ)の羽が大量に落ちている風景を思い出す。幼児期の記憶だから実際にはさほど広い砂浜じゃなかったのかもしれないが、人間がまだ地球にそれほど増え広がっておらず鳥や獣のほうが繁殖してた時代にはいくらでもありうる風景じゃないだろうか。
まぁ別に「ウ」といったからって現代語(この場合、奈良時代も現代に含むw)の「鵜」だとは限らないわけで、数万年前にはウミネコをウといったかカモメをウといったか、それ以外のなんかの鳥をウといったか、まったく推知のしようもない話だろう(そもそもウガヤフキアヘズ自体が奈良時代語への翻訳であって数万年前の原語ではないのではないかという意見もあるだろうが、その議論についてはまた別の機会に譲り今回はスルー)。ウとは、最初にいったギリシア語でウラノス(天空)のことだという説に引き返していえば(いや別にその説を信じてるわけではないが)、天を覆うほどの巨大な鳥の伝説が、中国にもインドにもアラビアにも伝わっている。今は絶滅して知られていない巨大な鳥がいて、その羽も大昔はありふれていたのかもしれない。あとあんまりウマイ話ではないが、鳥は天神のシンボルなので、その羽で屋根を覆うのは、竜だのワニだのの爬虫類系で象徴される地上の女神を、夫である天神の子が庇護するという象徴的な意味があるかもしれない。もっともその屋根は完成しなかったのであるから、第五人類においては「ダンナは嫁を守りきれない」という運命を表現してるのかもしれぬ。まぁ男女平等の立場からいえば一方的に女性が守られるべき存在ってのも違うような気がするし、守れるかどうかより守ろうとするかどうかが重要みたいよ、女性からすると。神話では、豊玉毘賣が主導権とってて火々出見命のほうが受け身で一貫していて、守ってもらわねばならないような女性のようには描かれてない。
ウの羽で葺こうとした屋根が完成しないうちに豊玉毘賣が海底の竜宮城からやってきて「産まれる~」と言い出したわけで事前の打ち合わせはあったらしいことは記紀にも書かれてはいるが、そこは異種交配で互いの文化に疎いからいろいろ不具合があって、計算違いしたんだろう。現代ですらダンナの家とヨメの家でそれぞれの「常識」をめぐって思い込みから行き違い、トラブルになるなんてよくあることw 豊玉毘賣が出産の際には八尋(約16m)の巨大怪獣に変身するわけで、そのための産屋も巨大なものにならざるをえない。巨大建造物だからこそ完成が遅れたわけだが、それは表面的で即物的な情況としてのみ見てはつまらん。この時は、第五人類(現在の我々)が誕生して人類の新しい歴史が始まるところなのである。豊玉毘賣が異形の正体をあらわすのは人類の歴史が未知との遭遇であることの象徴というか、象徴といったらつまらん、「神のお示し」なのである。そして歴史とは際限なくあらわれる未知との遭遇であるがゆえに、未知を解明しようとする文明は、新たな挑戦の連続となる。そのため人類の文明は永遠に屋根が葺きあえないように未完成なのであり、要するに「人類は発展途上の神である」ってヒットラーくんも言ってたよ。

ナギサ原人
ちょい話をトバ・カタストロフに戻して、この大異変で生き残った人々は潮がひくまで数千年間海辺でくらすことを余儀なくされ、いわゆる「ナギサ原人」(われわれの先祖)になったものと思われる。 「ナギサ原人仮説」とは、人間の体毛が失われた理由を説明するため、人類が半ば海の中で暮らしていたのではないかという仮説で「アクア説」ともいう。しかし7万年前というのはすでに新人(現代人と同種)であって、とっくに原人などではない(原人ってのは北京原人とかジャワ原人で、時代も違うし我々の先祖ではないことも判明している)。なのでナギサ原人という言い方はおかしいんじゃないか、「ナギサ新人」なのではないかと突っ込まれるかもしれない。その通りなんだが、ナギサ原人仮説から発想を拝借したのが俺の「ナギサ新人」というオリジナル説なのだ。で、もとのやつは「類人猿から猿人にすすむ過程で直立歩行も海の中で始めた」という仮説だったので本当いうと「原人」というのもおかしい。「ナギサ類人猿」か「ナギサ猿人」のはずだ。で、wikipediaによると、これはもともと「アクア説」の方が本当の名で、「ナギサ原人」って言葉を創作したのは斎藤守弘みてぇだなw さすが天才w ナギサ原人という言葉は『鉄人タイガーセブン』に出てきたムー原人みたいでなかなかよい(正しくはナギサ新人だけど)。ともかく、7万年前の大津波を境に、それ以前の人類はほぼ絶滅し、わずかな生き残りからその後の人類が増えていったことは前回に書いた通り。しかし生き残りには2種類いた。一つは現在の我々の祖先である。山幸彦が海底の海神の宮に逃れ、豊玉姫(その正体は海の大怪獣。ワニともサメとも龍とも伝えられる)と結ばれて、ウガヤフキアエズノミコト(現生人類)を生んだという神話は、大異変の際に、海と交渉をもつことで何らかの適応進化した人々だけが生き延びたということを表わしているのではないだろうか。「海と交渉をもつことで何らかの適応進化」ってのはなんのことだか漠然としてよくわからないと思うが、俺もわからない。神話では「ワニと混血した」と思いっきりストレートにいってるが、これを現代人向けにオブラートに包むと「海と交渉をもつことで何らかの適応進化うんたらかんたら」になる。しかしこれだとオブラートに包みすぎていまいちわからない。そこで包み方を中途半端にして半開きにすると、ナギサ原人だかナギサ新人だかの『ムー』っぽい味わいを醸し出せるわけだ。料理と同じで難しいんだよっ 「じゃ何か、進化ってのは毛がなくなったことか」といわれるかもしれないが、それだとハゲは進化っていってるみたいであまりかっこよく聞こえないw ナギサ原人だとなんとなく中二的にもすごいこといってるみたいじゃん(正しくはナギサ新人だが)。従って、これ以前の人類(=第四人類)はわれわれとちがって毛深いというか全身に体毛のある人種だったと思われる。

隼人と磯良その2 ~人魚の伝説~
じゃ、その毛深い連中=第四人類の生き残り(海に適応しなかった連中)が山人・鬼・サトリの怪・イエティ・サスカッチなどの伝説に残ったのかも、と言いたいところだがそうでもない。アステカ神話では、第二人類が滅びて第三人類の時代になった時、第二人類の生き残りが猿になったというから、雪男だのヒバゴンだのの類人猿の系統のUMAは第二人類の生き残りのようなのだ。第二人類ってのは日本神話の対応先では大国主の時代にあたり、火々出見命の時代ではない。火々出見命の時代はアステカ神話の対応先では第四人類で、彼らが津波と洪水で滅亡して第五人類(今の我々)が生まれた時、第四人類の生き残りは魚になったという。これは日本神話では海幸彦の子孫が隼人だという部分と対応していることが明らかだ。魚なんてのはこれよりずっと前から存在したわけだから、アステカ神話でいってるのは魚全般のことではなく「ある種の魚」のことをさしている。もと人間だった魚というのは、普通の魚の一種というよりは、半魚人とか「人魚」の類をいってるんではないか。普通はそういうのは妖怪や妖精の類なのであるが、SFっぽくいえば海底人類とか未確認生物(UMA)でもかまわない。これは海底原人の起源説話で、海底原人とは世界各地に伝わる半魚人のことで、日本では神功皇后の中世説話の中で、三韓征服にも協力したという「磯良」(いそら)という妖怪があらわれる。磯良は皇室に忠実な海底人類のような未確認生物として伝わっている。中世説話では「安曇磯良」「磯武良」「磯良丸」などともいうがこれらは中世的な変化で新しい感じがする。『ウエツフミ』に「イソスサリ」が3回、「ミソスサリ」が5回でてくるが、これが名辞的に古態を伝えているだろう。「スセリ/スサリ」は「後ずさり」などの語源で「後退する」の意味。ホスセリは火が退く=衰える。イソラは海へ退いていった者の意。ホスセリのミコトが海幸彦と結び付けられ同一視されたのは語感の近さのせいもあろう。おそらく記紀神話の原型では、海幸彦の子孫は海に飲み込まれて海底に暮らすようになって海底人類(半魚人・人魚・一種の妖怪・妖精の類い)の祖先となった、というのが元の話だったと思われ。記紀で、「隼人が海幸彦の子孫だ」というのは、隼人が潜水の得意な種族だったので、磯良のイメージに近かったこともあり、磯良とさしかえる説があったと推定したのは前回までの通り。
プロフィール

浅草橋キッド

Author:浅草橋キッド
どこから見ても平凡な、一介の町人です。

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