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☆日本史総覧

平成30年11月16日改稿 同日初稿
日本史総覧
(※内容は年明けにでも書きます)

・自然界のカミガミを感じる

H29・2・3 FRI 改稿 H28・12・21 WED 初稿
自然にふれてカミを感じて
今回は、とある宴会の席で出た話。アルコール入っての自己紹介だか自分の意見感想だかのお話し会みたいになる。で、もうどんな話しが出たのかかなり忘れてしまったが、だいたいみんな面白かったように思います、はいw …つか酔っ払ってしまってあんまりよく覚えてないんですがねw ちょい記憶に強く残ってるのは、やはり女性陣の話が面白かったね。なんかこう、自然とふれあう感覚が、神々の存在を感じる時だ、みたいなね。一步まちがうとロハス姉さんとかパワースポット系みたいな? いや間違ってないけどw ロハス姉さんもパワスポも、まったく素晴らしいことで大好きだけどさw 問題は、古事記が好きだって人が、その文脈(古事記が好きだっていう文脈)でそんなことを言ってるってことなんだよ。古事記にかかれている神話の、文面上の内容と「自然にふれて神を感じて」って話がどういうふうにつながっているのかって点をもうちょっと詳しく聞きたかったなぁ。そこは何かつながってると思うからこそ、そういうことを言ってるわけなのだろうし。俺はそこを深く掘り下げたいんだなぁ。対照的に、男性メンバーからはみごとなほどこういう話は出ないw いや、男性陣の話しもあれこれ面白かったけどさw 解釈や講義に重点をおく場じゃないってことを、よく承知した上で来てる人たちなので、議論しようと思えばできるんだろうけど、一見もっともらしい、よくありがちな議論からは取りこぼされてしまうような、自分の言語では言語化したことがないような世界をつかもうとしてる人たちなんだろうな。だから発言しろといわれれば、ちょっと気の利いた面白いことはいうんだけど、言わなきゃよかったって後悔とも照れともつかないオーラを発してる人が多いように思った。

(続きはまた後日に書きます)

・神話にねざした「いのち」のつながり ー40億年 生かされたいのちの記憶を考えるー

H28年10月12日(水)初稿
(※今回は「神話にねざした歴史観とは…?」の続編(?)です)
今日10月12日ってちなみに亀山天皇正辰祭、略して亀山天皇祭なんだよね。亀山天皇崩御711周年って意味でもある。wikipediaみると命日は10月4日になってるけどあっちはユリウス暦での換算、宮内庁の正辰祭の日付はグレゴリオ暦での換算、日付は違っても物理的には同じ日です。…って前にも似たようなことを書いた記憶があるんで調べたら、去年も同じ日に同じこと書いてるんだな俺。亀山天皇となにか因縁でもあるのか。ともかくだ、その流れで去年と似たような話の枕になってしまうが、亀山天皇といえば南朝=大覚寺統の元祖。兄の後深草天皇が北朝=持明院統の元祖で、皇室が枝分かれしたとこよ。大覚寺統は常盤井宮・木寺宮・吉野朝(南朝)など、いくつかに分裂したが、結局どれも消えてしまった。だがそれぞれに子孫がいないってことではない。花町宮・小倉宮(南朝系)・護聖院宮(南朝系)は断絶したことがわかっているが、常盤井宮・木寺宮・五辻宮・玉川宮(南朝系)にはそれぞれ子孫がいて民間にくだったようだ。歴史の表舞台から消えても日本国民の一部としてその後も続いた。今も続いているのかその後は断絶したのかまでは不明だがともかく国民に溶け込んでしまった。南朝だけでないけどね、源氏や平氏そのほか皇室から枝分かれした人々で今の国民ができてる(藤原氏も代々皇室と縁組してるので母系では皇室の子孫)。本家と分家のつながりでいえば、日本人にとって皇室とは、うちの本家の本家のそのまた本家の…と辿っていった先の総本家みたいなもの、とは確か、渡部昇一が大昔なんかの本で書いてたが、皇室を「うちの本家」呼ばわりするのは何も皇室を貶めてるわけじゃないんですよ、東日本の文化では本家と分家って(実の兄弟同士にもかかわらず!)殿様と奴隷ぐらいに落差がでかかったのでw
で、それはまぁ歴史の話だよね。今回の話はそれで終わらない。歴史は神話の続きなわけで、我々が皇室につながっているということは、神話につながってるということでもある。そしてその神話は、「天地(あめつち)の初め」から始まってる。「天地の初め」とは? 最近の説では、宇宙の誕生は今から138億年前、地球の誕生は46億年前、生命の誕生は40億年前という。それは科学の話だが、神話では何といってるか? 神話のいうところは、天地の初めに伊邪那岐命・伊邪那美命が世界の森羅万象を生んだ。万物はただの物でなく山の神、川の神、草の神、木の神…。神々と表現されている。万物に神が宿っている、否、存在するその物すなわち神であるというアニミズム的な世界観が表われているがそれに留まらず、「神生み物生み」の物語は、世界のあらゆる存在は伊邪那岐命・伊邪那美命から生まれた兄弟姉妹なのだといっている。むろん人間もその兄弟姉妹の中に入る…。
…というのは以上すべて私がいつもいってることだが今回あらためてなぜこんなことを言ってるのかというと、前回の「神話にねざす歴史観」というテーマ、別に俺が考えたわけじゃないんだが、それ考えた人(とある古事記の研究家)が「歴史観」って言葉がむつかしくてわかりにくいのではないかということでまた別の人に相談したところ、新しく「神話にねざした『いのち』のつながり ー40億年 生かされたいのちの記憶を考えるー」という提案を頂いたという。生命と漢字で書くと生きてるけどいつか死ぬもの、あるいは現代科学でいう生命現象のニュアンスになる、「いのち」と仮名書きなのは何かそういう物理現象としての生命を超えた文学的なニュアンスを加えてる、それは個体として死んでも生殖して次世代へと永遠につながっていくという永遠性をこめている、とのこと。
歴史というとどうしても人間の歴史を想定してしまい、アニミズム的もしくは多神教的な「自然」への視点を忘れてしまいがちになる。「歴史」問題としてのみ神話を読もうとしても正鵠を得ない。そういう意味ではすばらしい提言だと思うし、自分もそのように発言したつもりだ。最近は古事記にも世の中の関心がかなりむいていて、世間一般にも個人的に好きで古事記を読んでるという人も多いだろう。だが40億年という数字は地球の歴史とかを連想して妙に科学的にきこえる。だから普通の人はこれ言われると「古事記の話なのに?」と違和感を抱くかもしれない。常日頃から神話に興味をもち『古事記』を読んだりしてる人でも、素直にそのまま読みさえすれば古代人の気持ちに近づけるはずだと思ってると、「自然界のカミガミ」という観点を忘れて、つい人間の感情の動きを漠然となぞったような心持ちを抱いて終わってることが多いのではないか。むろん、いつでもどこでもそういうもんだという訳ではなく、時折り、悠遠なる歴史が繋がってることの奥深さ有り難さ味わい深さをいう話もあるだろうし、例えば壮大な時間の長さとして「天之沼矛の先よりしたたりおつる塩云々」の解説では気の遠くなるような途方もない時間が語られてるという説に出くわすこともある。
なのでそのテーマ?キャッチフレーズ?は俺個人としてはひじょうに腑に落ちるのだが、せっかく「いのち」と仮名書きして現代科学の生命とは別のニュアンスをあらわしたのだから40億年では不足じゃないかとも思う。生命が地球に誕生した瞬間は、かならず生物だとも非生物だともいえない中間的な段階が、一瞬なりともあったはずで、山川草木、地水火風、森羅万象にイノチを認めるアニミズム的な世界観を前提にすれば「生命」をもたない岩や石にも「イノチ」はあるはずだろう。「天地の初め」の天之御中主神にはイノチはないというのか、そうじゃないはずだ。ここは一つ、「神話にねざした『いのち』のつながり ー138億年 生かされたいのちの記憶を考えるー」としてもらいたかったねw

・報本反始

H26年10月24日初稿
詳しくはおいおい追記していきますが今日は酔っ払ってしまってなにも書けない。ねます

・中今(なかいま)

なか‐いま【中今】

神道における歴史観の一。時間の永遠の流れのうちに中心点として存在する今。単なる時間的な現在ではなく、神代を継承している今。
提供元:「デジタル大辞泉」

原典
『続日本紀』の宣命の中に、ただ四ヶ所のみ出てくる言葉。
例)文武天皇即位の宣命『高天原に事始めて、遠天皇祖の御世御世より中今に至るまでに』

本来の意味
中頃の昔(大昔ではない少し昔、中世)と現在。(ただし近代以後、この正しい意味で使われることはまずない。)
原典を精密に読解すれば、「始(はじめ)」「古(いにしへ)」「昔(むかし)」「遠(とほき〜)…」などの言葉と「中」と「今」とは一揃いであることがわかる。つまり「古代・中世・近代」にも似た「遠い大昔・中間時代・最近=現在」という三区分法である。
三区分法がヨーロッパのものだから古代日本にあったはずがないというのは事実を無視した先入観にすぎない。このような原始的で素朴な三区分法的な表現が当時存在したことは『続日本紀』の文脈分析からのみならず、同時代文献である『令集解』その他の諸文献からも傍証される。
(中今の本来の意味についての詳細な論証は、西田長男「中今の語釈をめぐって」(季刊『日本思想史』第五号に収録)をみよ)

本居宣長の誤読
これを宣長は、「中今」の二字をもって「今」の意味であると誤認して、「当時の人々が現在を表現するのに「後の世」とか「降れる世」とかいわず、「真ん中の盛りの世」と称賛的に認識しているのを趣き深い味だ」と感想を述べている(本居『続紀歴朝詔詞解』)。この宣長の見解は、彼の数々ある小さな過失の一つで、後継者たちによって訂正された無数の瑕疵の一つにすぎない。

中今曲解史

誤読説からの新展開:「中今思想」の登場
明治四十年代(1910's)すでに山田孝雄は、宣長の誤解説をさらに独自に意味付けして、宣長は言い足りてないとし、「中今」という言葉には日本民族の重大な思想(楽観的で進歩主義的な世界観)が込められているとして「永遠の今」の意味であるとした(山田『大日本國體概論』)。ここで注意すべきことは三点ある。
一つは、この前の宣長の段階ですでに国文学的・歴史学的・言語学的には「中今」という概念自体、誤認誤解にもとづく錯誤であること。 第二には、この段階における山田孝雄が「中今」という言葉に託した議論は、直接的には西洋哲学(「永遠の今」というフレーズから察するに具体的にはアウグスティヌスやカントをさすと思われる)のコピーであったということ。 最後に、第一点に錯誤と第二点の模倣性にもかかわらず、ここで託された思想は、古今東西を超えた普遍的な思想であり、結果的にゾロアスター教的な健全な時間論(人生論/歴史観)だったということである。
しかしゾロアスター教的な時間論とはまさしく毒にも薬にもなるものであって、万人に公開されるべきものではない(個人対個人の場所で伝授されるべきものである)。山田孝雄もまた毒と薬の両面を自覚せず、教科書のうわっつらをなぞるが如く、漠然と理解していたにすぎない。従ってこの山田孝雄の中今論はこの時すでに将来において誤解され曲解されてゆく運命にあったともいい得る。

近代の国体説としての中今
昭和初期(1930's-1940's)には、日本近代思想が閉塞してゆくのと連動して右翼思想も袋小路に入って、日本全体が思考停止の様相を呈してゆく。
その中で1930'sには、歴史(過去→現在→未来と続く、理論的考察でなければ解けない因果関係的な時間観念)を否定して、「日本は永遠にあるがままで素晴らしい(から何も考えなくてよい)」とする、知的に軽薄な暴力団的開き直り思想が登場してきた。三井甲之や高階順次らの中今論がそれである。彼らは過去や未来が現在の決断において創造されるのではなく単に「過去も未来も存在しない」として、「過去・現在・未来」の三区分法自体を否定し、事実主義的な時間論を主張した(三井『しきしまのみち原論』、高階『日本精神哲學論攷』)。彼らの叩き台となった先行する中今思想の解説者は、前述の山田孝雄だったのであるが、1940'sの頃にはその山田孝雄自身も、彼らに負けず劣らず身も蓋もない「中今=永遠の今」論(思考停止・現実称賛・反省不要論)を、万世一系や天壌無窮にこじつけて仰々しく語るようになってゆく(山田『肇國の精神』)。

西田幾多郎の中今
これらに対して西田幾多郎も彼の思想である「絶対矛盾的自己同一」の中で中今というタームを説明し位置付けようと図った(西田『學問的方法』)。そういう意味では彼の中今論は、三井や高階とはまったく異なるものであり、また評価としてもやや健全ではある。が、彼の時間論はゾロアスター教に近いとはいっても、悲哀や不幸に対して脳天気な否定をせず(生物として正しい自然な態度をとらず)、「不幸や悲哀にさまようカスやゴミも救って"くれず"には完全な思想でない」という仏教的卑屈さと、「不幸や悲哀を容認しつつ抱きかかえ包み込んで浄化して"やれる"はず」という仏教的高慢さがある。そのため彼の思想は、「絶対矛盾的自己同一」といいながら貫徹した爽快感がなく、どっちつかずであり、不幸や悲哀が自動的に解決する境地にまでつきぬけて到達するものでなく、最初の場所に停滞して内向的に煮詰めて得られるようなものになっている。これが三井や高階のような安直きわなりない「中今論」に陥らないためのブレーキともなっていた。しかし彼の言説は韜晦・晦渋しており、なにをいってるのかわかりにくい悪文であるため、また思想界の流れ(空気)もあって、世間一般的には、一知半解な表面的な理解をされ、そうなるとそれは前述の三井や高階とかわらないものになる。

戦中期の国体説
戦中期の『國體の本義』は、内容的にも相互矛盾するような継ぎはぎで作った駄本であり、官僚仕事の最たるものとして悪名高いが、この中に、もっとも極端な「中今」論が出てくる。これを執筆したのは前述の山田孝雄であり、しかも周囲の反対を押し切って強引に挿入したものという。
(本項の参考文献:西田長男「中今の語釈をめぐって」(季刊『日本思想史』第五号に収録)、片山杜秀『近代日本の右翼思想』(講談社)。)

戦後の神道説
あいかわらず「中今」がどうのといってる神道家は今でも時々いる。

まとめ
結論条項
ゾロアスター的な時間論は、良薬であるが劇薬でもあり、安直に文面化しにくい。
ゾロアスター的な時間感覚は、もともと世界中にあったもので当然日本にも最初からあった。
それを大和言葉でいったとしても、「中今」とはならない。(「祓」が近いか)
近代の日本の思想的な行き詰まりに際して、「考えなくてもいいんだよ」と囁いた俗流の「永遠の今」論は、下痢なのに浣腸するが如く、戦前の日本の暴走を後押ししたにすぎない。
とにかくもともとの「中今」という言葉にはそういう意味はない。
中今思想や中今という用語は混乱のもとだから廃絶すべき。

近代史における中今思想の歴史的意味
万世一系や天壌無窮は、時間を超越した概念であり、歴史に対して普遍的な存在であることを主張する。しかし、このことは歴史学的考察がすべてではないという主張ではあるが、すべてではないのであって、一部ではあるのである。この世には、歴史を超越した永遠なるものもあるのであるが、その一方では、因果の波に翻弄されてしか存在しえない、つまり歴史学の対象として始めて理解可能な低レベルなものの方が多いのだ。
歴史を否定して「どうせなんでも永遠だから」と安直に切ってしまっては、万世一系の尊さも理解できない。皇統は永遠であるが、皇室制度の具体論は時代とともに変遷してきた。愚昧な「中今」思想に依拠して歴史知識を等閑に付すことは「とにかくつながってさえいりゃ意味不明でもなんでもいいんだ」という女系容認論に陥るであろう。
プロフィール

浅草橋キッド

Author:浅草橋キッド
どこから見ても平凡な、一介の町人です。

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