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試し

あーテステス。始めましたがいいか

初めてなので何だかよくわからんぞ。

いろいろ練習してみようw

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穴穂御子、坐石上之穴穂宮、治天下也。
天皇、爲伊呂弟大長谷王子而、坂本臣等之祖、根臣、遣大日下王之許、令詔者「汝命之妹、若日下王、欲婚

大長谷王子

。故可貢」。

大日下王、四拜白之「若疑有如此大命atsutane
。故、不出外以置也。是恐。隨大命奉進」。
然言以白事、其思无禮、即爲其妹之禮物、令持押木之玉縵


花縵―野池玉代句集 (精選作家双書 (7))花縵―野池玉代句集 (精選作家双書 (7))
(1999/10)
野池 玉代

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而貢獻。
根臣、即盜取其禮物之玉縵、讒大日下王曰「大日下王者、不受勅命。曰『己妹乎、爲等族之下席」而、取横刀之手上而怒歟。
故天皇、大怒、殺大日下王而、取持來、其王之嫡妻、長田大郎女、爲皇后。
自此以後、天皇、坐神牀而、晝寢。爾語其后、曰「汝有所思乎」。答曰「被天皇之敦澤。何有所思」。
於是、其大后先子、目弱王、是年七歳。是王、當于其時而、遊其殿下。爾天皇、不知其少王、遊殿下。
以、詔「吾恆有所思。何者、汝之子目弱王、成人之時、知吾殺其父王者、還爲有邪心乎」。
於是、所遊其殿下目弱王、聞取此言、便竊伺、天皇之御寢、取其傍大刀、乃打斬、其天皇之頸。
逃入都夫良意富美之家也。
天皇、御年、伍拾陸歳。御陵在菅原之伏見岡也。
このブログを始めるまでの過去の経緯
わたしは2666年(H18)から始まった「皇室と日本を考える」という集まりに参加している。そこではメインの企画の他に、時々「おまけ企画」として「古事記を読む会」(プロデュース by 孤高の相場師)というのをやっていた。この「古事記を読む会」は2667年(H19)5月4日を第1回として、2669年(H21)7月の第12回まで続いた。その後しばらく中断していたわけは、2669年(H21)2月21日から古くからの畏友ワフラン氏との「素読の会」が始まったことが一つ。また古くから外様として参加していた「マズダヤスナの会」の代表岡田氏からの依頼で古神道(または神道霊学)についての講義をしていたことも一つ(これが「古事記を読む会」に代わる「おまけ企画」にもなった)。さらに「マズダヤスナの会」の杉並支部と銀座支部でそれぞれ独自の活動が始まりそれらもそれなりに面白くてつい時間をとられたこと、等もある。また大場一央先生の「陽明書院」を知ることになりそちらの活動に関心を割かれたこと…等がかさなり、「おまけ企画」などやっている余裕がなくなったからでもある。むろん、その間、完全なブランクというわけではなく、「皇室と日本を考える」の活動の一環として、神道を含む古代宗教、神秘学(オカルト)を含む思想、日本や世界の古代史、文化人類学などの研究発表もやってはいたのだが、2672年(H24)には「古事記編纂1300周年」ということでその4月に久々に「古事記を読む会」第13回を開催したのが最後になった。
その年は「古事記編纂1300周年」という年への思い入れがあって、都内各地の講演会やイベントをめぐったり、ネット内でのイベントを見て回ったりして自分なりに思うところはあったものの、その思いをまとまった文章にすることもできなかった。それは「皇室と日本を考える」の活動も長くなりすぎ思想的にカバーしなければならない範囲が広大でかかえきれなくなっていたせいもあったかも知れないし、「皇室と日本を考える」主催オフでのイベント(自主講座)での発表か、もしくは「マズダヤスナの会」の同人ミニコミ誌での発表という形にこだわっていたためでもあった。「そんならブログに書くのが簡単でいいや」とは誰しも考えることで、わたしもそれはずっと念頭にあったんだが、いざ始めようとすると、古事記の上巻の神話篇や中巻の古代史についてはそうでもなかったが、下巻の内容について、考察がいまだ不十分な問題点が次々と見つかり、過去の「古事記を読む会」での言説を単純にまとめるだけでは済まないと気づき、自説のまとめ直しをするハメになってしまい、そうこうしてるうちにも、2673年(H25)6月からは「皇室と日本を考える」の活動が月例会方式となり、同年11月からは盟友しか氏の「論語集註」の連続講義が月例会の中の自主講座の一つとしてスタート、さらに翌2674年(H26)1月からは上述の「素読会」がその自主講座の一つとして合体。…というなんやかやで、ブログを始めようと思い立ってから2年もたつのに、いまだに終わりのない古事記の研究だか思索だかの泥沼を楽しんでいたのだった。
その頃、たまたま大田俊寛の「根源人種と霊的進化~オカルトの俗説と真実~」というオカルトに対して批判的な本を読んで、憤りを感じていたので、その年の9月27日安康天皇正辰祭の日のある会合で、この本をオカルト擁護の立場から批判するという主旨で講釈をたれたんだが、この時の怒りの矛先がはからずも行くべき道を指し示してくれたような気がして、スカッとした勢いで翌日なぜか大森貝塚史跡公園を見学に。この日は台湾の「教師節」(孔子の誕生日)にあたり、先生に教えを乞おうと思ったのだが、先生といえば先史時代より先に生まれた先生はいないだろう。俺にとって板橋区の茂呂遺跡・野尻湖ナウマンゾウ博物館・大森貝塚史跡公園が3大聖地なのだ。答えがみつからない時、先史時代の遺跡に行けばインスピレーションが得られる。それが俺のジンクスだ。ま、この時は格別なにか悩んでいたとか、答えを探してたとかってわけじゃなかったんだけどね。今回の大森貝塚公園では、俺は唐突にゴジラがこの大森の街を破壊するシーンが浮かんだ。まぁ、今年はゴジラ誕生60周年だってのと、7月にハリウッド版ゴジラみてたからそれで連想したんだろうが、まさか2年後にこの大森の街をシン・ゴジラが突き進むとはねw オカルトの問題意識と先史の遺跡がクロスしたところに「ゴジラ」という神話的ヴィジョンが降臨するのは後から思えば当然の流れだが、渦中にある時は奇跡的な神の啓示のように感じられもするものだ。
翌10月、日比谷の出光美術館でやってた「宗像大社国宝展―神の島・沖ノ島と大社の国宝」を見学。神話的気分のまま無意識に電圧を高めようとしていたんだろう。宗像大社に祭られし三姉妹の女神からは、岡田有希子・菊池桃子・荻野目洋子のアイドルトリオが連想された。なぜならこの年は、この3人のデビュー30周年だったからだ。60周年と30周年、ゴジラからアイドルへ、という流れはサブカル史そのものだ。ここで90周年を持ち出せば「3・6・9」でミロクの世が来ちゃいそうだが、言霊(ことだま)関係でもダジャレ系のやつはインチキだから信用するなよw まぁ、三木のり平生誕90周年だったんだけどさw それはさておき、その「宗像大社国宝展」の一週間後の11日には、「『それは1964年から始まった:カウンターカルチャーマンガの潮流』ガロ創刊50年トークショー」というイベントがあった。90周年じゃなくて50周年なw 出演は手塚能理子、南伸坊、林静一、そしてあの呉智英大先生w だが場所が宮城県塩竈市という遠方だったので俺は行かず、そのかわり茅ヶ崎の地ビールの蔵元「熊澤酒造」のオクトーバーフェストに仲間とともに繰り出した。ここはあの宗像三女神が鎮座する江ノ島とは12km、徒歩3時間もかからない近距離で、湘南ビール数種類&どぶろく&ビュッフェ料理を飲み食い語り合い、いい感じに酔っ払って、行けなかった塩竈市でのイベントの「サブカル史をふりかえる」というテーマにシンクロニシティを感じ、先史遺跡から現代サブカル史までの霊的進化という、先月からの一連の思索を回想、披露したのだった。60周年・30周年・90周年・50周年とくれば、あと40周年・20周年・10周年も何か欲しくなるが、実在の親幕派フランス人を架空の米国人に差し替え戊辰戦争の東軍を薩摩の叛乱軍に差し替えた歴史歪曲映画『ラストサムライ』日本公開から10周年、外部太陽系戦士TV初登場の興奮(&松本サリン事件)から20周年、日本中に大ブームを巻き起こした超絶トラウマ&カルト映画、丹波哲郎の『ノストラダムスの大予言』(&『宇宙戦艦ヤマト』)から40周年、日本で最初で最後のオカルト政権、小磯国昭内閣から70周年、ヒットラー総統就任80周年、世界に冠たる宝塚歌劇団結成(&第一次大戦)から100周年、そして三木のり平生誕90周年! ピースは埋まった。これも塩竈の神の導きか、宗像の神の霊験か。すべては神々の経綸によって生成している、という前提ならば、霊的進化とはすなわち神話の体系そのものに他ならぬ。そして神話といえば古事記ではないか! 一昨年の古事記編纂1300周年の年から古事記のブログを始めようとして、研究の見直しをしていたが、ようやく気持ちが準備できた気がした。以来、正座瞑想、持衰断食、精神集中すること5日目にして、啓示は降り、このブログが誕生した。2674年(H26年)10月16日、木曜日のことだった。
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