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☆高麗(こま)=高句麗

H30年10月更新
今日H26年10月22日は、満洲にあった古代王国「高句麗」が唐に攻められて滅亡した日。天智元年(AD668年)十月と『日本書紀』にはあるが日付が不明。『新唐書』には九月十三日となり、十月は日本が詳細な情報を最終的につかんだ時期が十月ってことだと思われる。現在の暦に換算すると10月22日、今日。
10月22日という日付
『新唐書』の唐の総章元年九月十三日をグレゴリオ暦に換算すると10月25日になるんだが、ユリウス暦では10月22日。1582年10月15日以降はグレゴリオ暦一択だが、同年同月の4日以前はユリウス暦で換算すべきと思う。
・BC45年1月1日からAD1582年10月4日まではユリウス暦で換算すべき。ここをあえてグレゴリオ暦で換算しても西洋史との対照ができない。
・BC44年以前にはユリウス暦自体が存在してない。グレゴリオ暦で換算するのは海外の歴史との対照のためではなくて、現在の暦(=グレゴリオ暦)の季節でいったらいつごろだろうな、という自然科学的な時期というか季節感をしるため。

高句麗と高麗
高句麗は、五世紀の中頃に高句麗から高麗に改名したんだけど、改名っていうよりは「書き方」を変えただけだから、改名じゃない。だから、建国に遡って「おれたちは高麗だ」っていったんだよね。ちょうど倭国が日本に変えたのと同じ、『日本書紀』は神武天皇から日本って書いてるでしょう、それと同じ。倭国だった頃まで日本というのはおかしくね、というのは当たらない。名前を変えたんじゃなくて「書き方」を変えた。だから『日本書紀』には高句麗じゃなくて高麗としか書いてないんだよね。で、「高麗」は日本ではコマと訓んでたが、日本は「高句麗」まで音読みで「高麗」になってからいきなりコマとい読みだすってことは考えにくいので、「高句麗」だった昔からコマと呼んでいたに相違なかろう。

国王は「おりこけ」
『古事記』には外国の「国主」や「国王」という言葉が出てきて、これを本居宣長は一律にすべてコニキシと読んでる(本当はコンキシなのだが、昔の日本語にはンの発音が無かったので実際はコニキシと発音してたろうけど、そもそもこの単語は外国語なのだから日本語読みはコニキシでも表記はコンキシのほうがより正しい発音(鞬吉支)に近い。NHKのアナウンサーが野球の「チーム」をティームと発音するのはすごく違和感がある。
とにかく、宣長がコニキシと訓んだのは書紀の古訓によったのだろうが、平田篤胤は宣長のように一律にコニキシと読むのには異議を唱えた。コニキシは百済王のことで、新羅王の場合はコニキシと読んだら誤りでムキンが正しいとした(この場合のンはnでなくmなので、ンの発音なしとすればムキムまたはムキミとなる)。
古事記には外国の国王や国主は8回でてくる。そのうち百済は応神天皇の時の照古王1回だけで残りは全部新羅だ。神功皇后の時2回、天の日矛のところで4回、允恭天皇の時に1回で新羅は計7回でてくる。高麗王(高句麗王)は古事記にはでてこない。
(続きはまた後日)
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