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・「宗像大社国宝展―神の島・沖ノ島と大社の国宝」

H28・10・8(土)改稿 H26年10月23日初稿
今日、H26年10月23日は眞子姫様の21歳のお誕生日、おめでとうございます。ネットではアイドルみたいになってるそうですが、ずいぶんとしっかりした方のような印象があります。眞子様といえば小さい頃のウミヘビつかまえて元気に遊んでた映像が有名でした。ウミヘビといえば、出雲大社の使神(みさきがみ)ですね。今年は出雲遷宮の年であるばかりか、高円宮典子姫と出雲国造の若様とのご成婚の年。そして出雲といえば大国主。大国主のお妃は、宗像に坐す多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)。宗像大社のご祭神ですね。…いったい何を言おうとしてるのかといえば、9月に「宗像大社国宝展―神の島・沖ノ島と大社の国宝」という美術館の展示イベントが紹介されていたんで、それには10月4日に行って見学してきましたって話です。場所は日比谷駅からすぐの帝国劇場の9階「出光美術館」です。
(※以下、書きかけ中)
宗像三女神
『日本書紀』第六段の一書第一には天照大神が「汝三神(いましみはしらのかみ)、道の中に降り居(ま)して天孫(あめみま)を助け奉(まつ)りて、天孫の為に祭られよ」と神勅を授けたとある。これによって天降ったが、その降臨の地は宗像大社の地元では福岡県の宗像地方東端の鞍手郡鞍手町の六ヶ岳と伝えているが、そうではなくて正しくは『日本書紀』のいうとおり宇佐である(今の宇佐八幡宮)。六ヶ岳は宇佐への遥拝所のようなものだったのだろう。『古事記』に「この三柱の神は、胸形君等のもち拝(いつ)く三前(みまえ)の大神なり」とあり、胸形君氏がその祭祀を担っていた。胸形氏は安曇連氏とならぶ海の氏族で、大規模な海上交易を行い今でいえば総合商社のような存在であった。

ムナカタの語源
ムナカタの表記は現在では宗像に統一されているが、むろんこれは当て字で、漢字に意味はない。記紀では他にも「胸形・胸肩・宗形」などの例がある。語源としてはミナカタ(水のある方)という地名からきているという説があるがこの説は誤りである。「水のある方」が地名化するには、泉なり川なり湖沼なりに寄った一角が想定されるのであって、海をさして「水のある方」とはいわないだろう。それはある程度の内陸部での話であって沿岸部ではそのような言い方は成り立ちにくい。今の宗像市の地名は律令時代の宗像郡にまで遡るが、宗像大社の社家が郡司を兼任していたように、そもそもは沖ノ島・筑前大島の2島と宗像市田島の3ヶ所からなる宗像大社が先行して、それに捧げられた神郡として設定されたものである。従ってあくまでも沿岸部が本来のムナカタであって旧宗像郡や現宗像市の内陸部はあとから拡張された領域である。

三女神のそれぞれの神名
三姉妹のそれぞれの名は、記紀で異なり、紀の中でも異説が多い。宗像大社の社伝も独自の異説となっているがこれは時代によってたびたび変更されているので信憑性はなく、現在では宗像大社は『日本書紀』本文の説を採用している。日本書紀のタコリヒメ(田心姫)とタキリヒメ(田霧姫)が同時に登場する伝承がないことから、タキリとタコリは同じ神名の訛りで同一とみる説が有力だが、これも誤りと思う。沖津島の神は姉でタキリヒメだとすると書紀の一書第一では瀛津嶋姫(おきつしまひめ)と田心姫が別々にでてくるからタコリヒメは仲か妹であって、タキリヒメとは別の神である。一書第二では遠瀛(おきつみや)が市杵嶋姫、中瀛(なかつみや)が田心姫、海浜(へつみや)が湍津姫となっているが、三姉妹全員とも市杵嶋姫の別名をもっており、タキツヒメを妹にもってきてる点で古事記と同じだから、ここの遠瀛の市杵嶋姫とはタキリヒメのことだとすれば、やはりタキリとタコリは別の神となる。「タキリ・タコリ・タキツ」が「三姉妹の名なのであろう。書紀の異伝を比べると、三姉妹とも全員が、タコリヒメとイチキシマヒメの説がある。タキリは姉と妹に説があるが仲にない。タキツは姉に説がなく仲と妹に説がある。かように比較すれば、姉がタキリ、仲がタキツ、妹がタコリとも思われなくもないが、そうではなくて『古事記』に準拠して姉のタキリと妹のタキツは確定としたほうが神名の語源・語義の観点からもより妥当と思われる。

沖ノ島  沖津宮 タキリヒメ(多紀理毘賣/田霧姫)・オキツシマヒメ(奥津島比賣/瀛津嶋姫)
筑前大島 中津宮 タコリヒメ(田心姫)・サヨリヒメ(狭依毘賣)・イチキシマヒメ(市寸島比賣/市杵嶋姫)
田島   辺津宮 タキツヒメ(多岐都比賣/湍津姫)・タカツヒメ(高津姫)・へツシマヒメ(邊津島比賣)

狭依毘賣命(さよりひめ)の「さより」とは徐々に近寄る意味。陸地が発達していく結果、辺津島(田島)は九州本島に接触して島でなくなってしまったが、中津島(大島)もまた徐々に本土と近づいている。
姉神が奥津島比賣命(おきつしまひめ、紀:瀛津嶋姫)なら、当然、仲神は「中津島比賣」で妹神は「邊津島比賣」ということになる。
市寸島比賣命(いちきしまひめ、紀:市杵嶋姫)は、記は仲神の名とし、紀本文は妹神の別名とし、紀一書第二・第三は姉神の別名とする。つまり三神共有の別名もしくは三神総称名。イチキシマは神を祭る島の意味とする説があり、もしこれが正しいとすると、辺津島が陸に繋がってしまってから姉神の別名になったもので、本来は三女神の共有の別名だったと思われる。ただ辺津島(田島)が島でなくなったため、後には姉神または仲神の別名としてしか使われなくなって、ついに共有の名であることが忘れられ、諸説を生じたものと思われる。仲女神の別名という説は、沖ノ島がもっぱら禁足地となりよほどの重要な祭儀でないかぎり滅多に立ち入らなくなって、平常の祭儀は中津島(大島)で行われるようになったため、後世では「いちきしま」といえば中津島のこととなったものであろう。
『先代旧事本紀』は辺津宮にます女神の名を「高津姫」とする。このタカツはタキツが訛ったものだろう。
田霧姫は水田の上に立ち上る霧の神格化などという説があるが当て字に囚われた発想で取るに足らない。現代語の「滾る」(たぎる)と同じでエネルギーのほとばしる意。湍津姫の「たきつ」は通説では河川や滝などの激しく流れる意味の動詞だとされている。要するに「滾る」と同系統の言葉。「たきる」と「たきつ」の違いは「ル」は「有る」「入る」など普通の動詞の語尾だが「ツ」は完了の助動詞の「つ」と同音で完了のニュアンスがある。よって最後の妹神の名に相応しいと思える。「タキリ→タコリ→タキツ」は何事かの三段階の変化を表しているだろう。(※書きかけ中)

神社
宗像大社と宇佐神宮の2社は原点にして頂点なので別格とする。
都久夫須麻神社は日本の弁天信仰の発祥地ともいえるところだが、もとは浅井姫命という琵琶湖の女神で、宗像三女神は弁天との習合を通じて後から設定されたようだ。厳島神社は平家が氏神としたため繁栄して、全国に勧請されて厳島神社が増えた。宗像・厳島系の神社は、日本で5番目に多い。江戸時代に捏造された偽書『ホツマツタヱ』は、奥津嶋神社(滋賀県近江八幡市)が姉神、厳島神社が仲神、神奈川県の江ノ島の江島神社が妹神の、それぞれの旧跡としているが、これは地名・社名から類推してコジツケたものだろう。奥津嶋神社は奧津嶋比賣命を祭神としているが、厳島神社と江島神社は三女神をまとめて祀っている。

海外の神話との比較
宗像三女神は以下の3つの側面をあわせもつ。
1)皇祖神。八幡神の中にセットで祭られる「姫神」。天孫を守護し、天孫に奉られる神
2)西の半島や大陸への海上交通路(玄界灘)を守護し、外敵を防ぐという軍神
3)国津神=大国主神の一族の神々と結婚している。豊穣と出産、安産の守護神
世界の神話には、天津神(アスラ神族)と国津神(デーヴァ神族)の双方にかかわりをもち、神々の三機能をすべてあわせもつ大女神が共通して存在する。インド神話におけるサラスヴァティー(弁才天) 、イラン神話におけるアールマティー女神、ギリシア神話におけるアテナ女神である。アフロディーテはアナトリア神話における大女神であったがギリシア神話に取り入れられる際にアテナ神と別神と認識された。しかし古くは同じ神格であった。
アテナは「トリート・ゲネイア」、「トリートーニス」などの別名も持つがこれは三つ子の意味で、元は三姉妹神であった。
またこの大女神は「太陽・水(泉・川・井戸など)・機織り」の三要素が関係する。
ギリシア神話のモイラ三女神、ゲルマン神話のノルン三女神はともに「糸を紡ぐ神」であり、モイラ三女神はギガントマキアーに参戦し、ノルン三女神は世界樹ユグドラシルの根元にある「ウルズの泉」のほとりに住み、ユグドラシルに泉の水をかけて育てる。
(※書きかけ中)
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