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・薄れゆく邪馬台国

今日、1月24日は「邪馬台国の日」なんだよね。
昭和42年(AD1967)1月24日初版『まぼろしの邪馬台国』(宮崎康平)から「邪馬台国ブーム」の大騒ぎが始まった。素人による邪馬台国本が数多く出版されるようになり、謎解きに夢中になって新説を唱えるマニアが続出、全国に多くのファンダムが形成され、一大ムーブメントとなった。『まぼろしの邪馬台国』は平成20年(AD2008)竹中直人と吉永小百合で映画化された。来年の2017年1月24日は邪馬台国ブーム50周年となる。関係団体はなにかイベントしないのか?

薄れゆく「邪馬台国」への関心
まぁ邪馬台国といっても、昔のようなブームはなくて、今ではまったく沈静化して世間から忘れられている。一部の老人の趣味になっちゃってるといってもいい。昔は無数にあった邪馬台国サークルの中には、今でも存在して活動しているものもわずかに残っているが、総じて左翼老人の趣味の集まりみたいなのが多い。特に若年層の関心は低い。なぜそうなったかって話もいろいろあるし、それが良いことか悪いことかって話もあるんだが、今回はそういう話はひとまずさておいて。
(「薄れゆく意識の中で」ってのは大昔のビートたけしのオールナイトニッポンの定番ネタだってのは知ってる人はいないだろうから一言いっとく)
ところで、だいたい『古事記』が好きな人に質問すると「古事記も邪馬台国も大好き」という人と「古事記は好きだけど邪馬台国は嫌い」って人にスッパリ分かれるんだよね(笑)

邪馬台国を「好きな人」の傾向
古事記も邪馬台国が好きって人は、『古事記』も歴史書のつもりで読んでる人が多い。古事記も魏志倭人伝も「古代史」ってことで同じジャンルに見てる。でも、そういう中には天照大神も須佐之男命も伊邪那岐・伊邪那美も、弥生時代か古墳時代あたりに実在した人間みたいに考えてる人がいる。そしてこのタイプは畿内説じゃなくてなぜか九州説が多い。もっとも、この手の人は古事記が好きといっても、神話を尊んでるわけじゃなくて、自分の解釈で神話を好き勝手に切り貼りする。つまり、パズルごっこ的な妄想古代史の材料として好きなのだね。たとえば、卑弥呼は天照大神だ、とかいう。「だから神話は虚妄ではなく事実だったんだ、そういってる俺は神話否定派でなく神話を重んじてる肯定派なんだ」、というわけ。しかしこれって神話を「神話」として肯定してることになるのか。神話を「歴史とみなすこと」を「神話を肯定すること」と同じように考えるのは現代の学問では主流の考え方ではない。むろん「主流だから正しい」とも限らないが。邪馬台国が好きって人は、だいたい自分の「説」をもっていて、いくら議論しても自説に合わないことは受け入れない人が9割な感じがする。

邪馬台国を「嫌いな人」の傾向
古事記は好きだけど邪馬台国が嫌いって人は、『古事記』を精神的な拠り所というか、日本人としてのアイデンティティーを探すためとか、日本の心を知るためとか、日本を感じたいとか、なにか根源的な意識で読んでる人が多い印象。そういう人がすべてってわけではないが、そういう人の中には、魏志倭人伝は中国人が日本を蔑視して「倭」だの「邪馬台国」だの「卑弥呼」だのわざと侮辱的な名前をつけてるんだ、と信じてて、本当のことは書かれてないんだと思ってる人がいる。そうすると魏志倭人伝に基づいた古代史なんて、事実とは異なる捏造史ということになる。だから歴史学者のこともあまり信じてないって人もいる。じゃ、こういう人にとって邪馬台国が畿内か九州かって話はどうでもいいのか、というと、案外そうでもなくて、これまたなぜか九州説が多い。これは江戸時代の国学者の論法で、中国から邪馬台国と呼ばれたのは九州の片隅の、どうでもいい(熊襲とかの)小勢力にすぎなくて、記紀に描かれた日本史の本流とは関係ない、と。大雑把にいうとこういう歴史観ですな。こういう解釈は現代の学問では主流の考え方ではない。むろん「主流だから正しい」とも限らないが。

魏志倭人伝と「古事記・日本書紀」は食い違ってるのか
で、本当に魏志倭人伝は事実を歪曲してまで日本を貶めたり侮蔑したりした書き方をしてるのか? このへんは現代のそこらの保守派なんかよりはるかに過激で国粋的だった江戸時代の国学者の説をみてみましょう。
江戸時代の邪馬台国論は、ほとんど本居宣長の『馭戎慨言』(からをさめのうれたみごと)が定説でした(細かい異論は多々あったが現代からみれば大同小異)。宣長がいうには、卑弥呼(ひみこ)ってのは神功皇后のことで、邪馬台国(やまとこく)とは大和国(今の奈良県)のこと。当時の日本(倭国)と神功皇后のことは海外にも知られていたので、九州南部(鹿児島県あたり?)の熊襲の女酋が、勝手に自分が神功皇后だと偽って中国の魏と通交したのだ、と。だから、本居宣長は邪馬台国九州説ではなくて、邪馬台国畿内説そして卑弥呼=神功皇后説ね。ただ、それとは別に偽物の邪馬台国、偽物の卑弥呼がいて、それが九州にあった、と。ここは重要なところで、本居宣長は、魏志倭人伝の当時の日本についての記述のほとんどを、実際の大和朝廷(記紀に出てくる日本)のことを書いてると判断していたと断定できる。もしそうでなかったら、宣長は「邪馬台国は九州の熊襲であり、卑弥呼は熊襲の女酋である。邪馬台国は大和朝廷ではないし、卑弥呼は神功皇后ではない、邪馬台国と関係ない」と言ったはず。でも実際はそう言ってない。大和朝廷は本物の邪馬台国(中国からの呼び名)だと言ってる。九州にもあったことはあったんだが、そっちは邪馬台国も「偽物」、卑弥呼も「偽物」だと。魏国と通交したのは偽物の卑弥呼だが、神功皇后こそ「本物の卑弥呼」だと言ってるのです。俺が、じゃないよ。本居宣長先生が、ですよ(私は神功皇后説ではないです)。江戸時代の国学者が問題にしていたのは、天皇が支那の皇帝に臣従したり臣下の礼を採ったりすることはありえない、ということが根本で、これがすべて。これ以外にも、魏志倭人伝が間違ってる点はいくつもあるけれども、大した問題じゃない。なぜたいしたことじゃないかといえば、実際は文化の進んだ国なのに意図的に文化の遅れた野蛮人のように書いてるとか、実際は強大な国なのに意図的に弱小な国のように書いてるとか、そういう歪曲はないから。実際に、文化の進んだ強大な国であると書いてあるからこそ、宣長はこれは当時の大和朝廷のことだと判断したわけなのよ。こういうと「え?魏志倭人伝には倭国は野蛮人で弱小な島国のように書いてあるだろ」と反論する人もいるかもしれない。でもそれは、明治以来の、古代の日本は野蛮で弱小な未開社会だったにちがいないという、現代人の古代史イメージに合わせて、ネジ曲がった解釈をしてるのであって、魏志倭人伝の原文を素直に読んでないのです。
江戸時代の学者の方が明らかに現代人より漢文に精通してるんで、どっちが間違った読み方してるかなんて明白だろう。といっても、長年しみこんだ先入観からはいきなり納得もできないと思うので、今後、少しづつ解説してみようと思います。邪馬台国についてはブームが長くいろんな説が出たために論点が膨大になってしまっているので、いきなりドバっと全部やるってのは不可能ですので。
(続く)
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