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・「天の岩戸」の解釈説いろいろ

平成28年1月28日(木)投稿 平成28年の1月27日(水)初稿
「天の岩戸」の神話は何を表わしたものか
太陽が隠れて世の中が暗黒になるという天の岩戸の神話は元々は何をあらわしたものなのかについては「日食」説、「冬至」説、「火山噴煙」説、「君主崩御」説、「曇天」説、などがある。以下、これらを一つづつみていこう。

日食説
天の岩戸ってのは日食のことだという説。インドの神話では、ラーフという怪物(≒悪魔)が太陽と月を飲み込んだがシバ神がラーフを斬首したため、太陽と月はラーフの首からすぐ外に出てしまった。しかし首だけになったラーフはしつこく太陽と月を追いかけ回して、時々は追いついて飲み込む、これが日食や月食なのだという。これが東南アジアの神話だと太陽と月とラーフは三兄弟でラーフは末っ子ということになっている。つまり日本神話の天照大神と月読命と須佐之男命の三貴子と同じ。インドの占星術では黄道(太陽の軌道)と白道(月の軌道)の二つの交点を惑星のようにみなしてラーフとケートとよんでいるが、西洋占星術では同じものをドラゴンズヘッド(龍の頭)、ドラゴンズテール(龍の尾)という。この交点の近くで新月が起こると日食、満月が起こると月食になる。日食を起こすものをインドでは悪魔(ラーフ)、西洋ではドラゴンと考えていた。この冬至説はもともとインドで起こった神話解釈で、それが東南アジアのほうまで広がったものと思う。ただ、日食というのはあっという間に終わってしまうのと、定期的に発生する天文現象だから、ある程度の経験の蓄積があればよほどの未開部族でもそれほど驚かないのではないかと思う。中国やインドといったある程度発展した文明の中で宗教的あるいは政治的な意味付けをされて、ようやく文化人の世界で恐怖すべきものとして駆け引きに使われるものであって、原始時代にさかのぼるような古い解釈ではないだろう。

冬至説
これは民俗学のほうでよくいわれる。冬至に向かって弱まっていった太陽が、冬至の時点から再び力を取り戻すことを表すという。ギリシア神話のデメテル女神の物語も、天の岩戸神話と酷似している。デメテルの娘のペルセポネが地下の冥府に連れ去られた時、デメテルは嘆きのあまり洞窟に篭ってしまった。彼女は豊穣の女神だったからそのせいで世界の作物が枯死してしまった。ここでデメテルを引き出すために日本の天の岩戸の神話とそっくりの話が続く。結局、ペルセポネは一年のうち4ヶ月のみ地上で暮らすことに取り決めがなされ、その期間は地上では稔りの季節となる。インドやイランの太陽神ミトラの信仰は、古代ローマにも広がりミトラス教と呼ばれた。ミトラス教の最大の祭りは、冬至に太陽の復活を祝う12月25日の祭で、これが後にキリスト教が取り入れてクリスマスになったのも有名な話。日本でも「太歳の客」という民話があり、大晦日に訪ねてきた貧しい旅の男(話によっては病気の男)が一夜の宿を乞う。やはり貧しい家の者がその男を泊めてやると翌日にはその男は死んでその死体が黄金に変わっており、その家は金持ちになったという民話(黄金は話によっては財宝だったり米俵だったりする)。この大晦日というのは実は冬至のことで、旅の男は衰えていく太陽のこと、黄金や財宝は冬至すぎて復活した太陽のことだと解釈されている。そうするとこの話は天の岩戸神話が崩れて民話化したものだ。冬至から元旦までが象徴的に暗黒期間(天の岩戸が閉じている期間)に該当するのだろうか。こうしてみると冬至説のほうが日食説よりもかなり起源が古いようにも思える。しかし、季節は何度も巡ってくるけれども、神話の本質である「この世界ができた話・この世界の成り立ちの話」というのは一回性のものである。祭儀が年中行事の一環として存在しているために結果的に冬至に結びついたのであって、神話それ自体の起源が冬至だったとはいえないのではないか。

火山噴煙説
物理学者寺田寅彦の説。寺田寅彦は面白い著作を多く残しているので、ご存知ない人はぜひ検索して調べて、彼の本を読んでみてほしい。火山噴火があるとその噴煙で日光が遮られ、真っ暗になってしまう。これは世界中に例があるが火山列島日本でもよく経験される。大規模なものだと本当に長期間に渡って昼だか夜だかわからないことになるし、日食や冬至のようにすぐに終わってしまうものでもなく、冷害などの異常気象の原因ともなり、甚大な被害を引き起こすこともある。寺田寅彦は戦前の人だから説自体は古いが、最近よくいわれる「鬼界カルデラ大噴火」などはこの極端な例としてあげられるだろう。この鬼界カルデラがBC5300年頃に噴火した時は一回の噴火で日本全土が火山灰に覆われ長期にわたり太陽光が失われ、南九州を中心に栄えていた草創期縄文文化が一旦滅亡して、東北地方に北遷した(前期縄文文化)きっかけになったと推定されている。ただしこれは火山噴火のすごさを説明するための一例であって、何か特定の火山噴火が天の岩戸の事件そのものだと同定したいわけではない。神話ではまずオノゴロ島と大八洲(おほやしま)=日本列島の誕生があり、また伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が火の神・迦具土神(かぐつちのかみ)を斬首してその血から神々が生まれる話があり、前者は海底火山の噴火、後者も火山噴火とみる説があり、それらの話に天の岩戸の話が後置されているのは、本来バラバラの話だったのを後から恣意的につなげたのではなく、もとから因果関係があってつながっていた一連の話だったのであろう。また、神話では、天の岩戸がもたらしたの暗黒のせいで「よろづの妖(わざわい)」が起こり、八百万の神々が難儀したと語られているので、すぐに終了してしまう日食や毎年定期的にやってくる冬至よりは、火山噴煙説のほうが良いように思う。

君主崩御説(人間説)
天の岩屋というのは古墳の横穴で、つまり死去した人の葬儀だという説。漠然と葬儀一般を神話化したものだという説もあるが、具体的な人物の葬儀だとする説もあり、その場合は、天照大神は超自然的な存在、例えば太陽神などではなく歴史上の人間ということになる。天照大神とは西暦248年に死んだ卑弥呼のことだという説もあるし、もっとずっと古い時代に設定する説もあるが、いずれにしろ一回死んだ人間は普通は生き返らないので、天の岩戸の前後で天照大神がそれぞれいたことになる。ただし、神話上の神々を歴史上の実在の人物に同定する説は現在では完全に否定されている。同じような筋立ての神話が世界中に分布しているので、特定の時代の特定の国で起こった事件だとすると、それは数万年も前の事件でないと辻褄があわない。ある事件の記憶が全世界に広まり、民族ごとに少しずつ変化して現在のようになるまでは数万年もかかるだろう。たかだか弥生時代ぐらいの最近の事件が神話の原形になってそれが日本から全世界に広まった等ということは時間的に不可能だろう。

暴風雨説(曇天説)
須佐之男命の乱暴は暴風雨などの災害を表すという説があるが、その流れでいうと暴風雨の最中は空は曇って暗くなってるわけ。大気の変化によって太陽光が遮られるという意味では上記の火山噴煙説と同じ。ただしこの説の場合、「須佐之男命の乱暴は暴風雨などの災害を表す」という説が前提になっており、この説が否定される場合は成立しない。暴風雨説は天津罪の諸項目の名目から連想された説であって、この天津罪の具体的な中身の解釈としてはぜんぜん賛成できないものが多い。暴風雨説それ自体がすでに誤りだとすると、そもそも須佐之男命の乱暴と暴風雨を結びつけることはできない。
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