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・禊で生まれた神々は、伊邪那岐命が一人で生んだのか

H28年4月21日(木)投稿 H28年4月20日(水)初稿
ある質問
ある人からの質問。黄泉国の前には伊邪那岐・伊邪那美が二柱で神々を生んできたのに、禊の段では伊邪那岐命が一人で神々を生んでいるのはどうしてか? 禊で生まれた神々には母神がいないことになるのか? …という疑問。
まぁ伊邪那岐命が一人で生んだはずの須佐之男命が「妣國(母の国)根の堅洲國」といってるから、この根の堅洲國が黄泉國と同じとみなしてよいなら、須佐之男命が伊邪那美神を「母」と呼んでいることにはなる。父の前妻?義理の母?という意味なのかどうなのか理屈はともあれ、須佐之男命にとってのみ母ということはないだろうから、禊で生まれたすべての神々も伊邪那美神がその母である、ということになるだろう。

ただし、義理の母という観念は伊邪那岐・伊邪那美の神話にはなじまないような気もする。なぜかというと以前にも「これって離婚なの?」で書いたが、伊邪那岐・伊邪那美の神話の趣旨は、父なる天空神と母なる大地の神による世界の創造(産み出し)だからだ。この世の万物は伊邪那岐・伊邪那美の子であるという時、その場合の「子」には実の子か義理の子かなんて意味がそもそも無い。この世(=天と地に挟まれた空間)になぜ「それ」が存在するのか、それは天と地の間に存在するものはすべて天を父とし地を母として生まれたからだ、というのが神話の世界観である。

A説:一人で生んだようでも実は二人で生んだ説
日本書紀では伊弉諾・伊弉冉の二人で天照大神たち三貴子を産んでいる。が、古事記の書きぶりをどう解釈するかは、格別にはこれといった定論がないようだ。というか国文学者にとってはどうでもいいのかも知れない。また別の説では、禊で生まれた神々も、伊邪那岐命が一人で産んだのではなく、それ以前に伊邪那美命と一緒に神々を生んだ続きであり、かつて伊邪那美命と一緒だったことによってその後も神々を生んだのである、だから禊で生まれた神々も、伊邪那岐・伊邪那美二柱の子なのである、と。うまく言えないが、何か伊邪那美命の「気」のようなもの(分身的なもの?)が伊邪那岐命に纏わりついて一緒にいるような? これを俺的に別な喩えでいうと、昔の母親は産屋に篭って一人で出産するとしても、その前の段階で父親になる男と一緒にいたことが前提になる。それと同じことか? ともかく、個人的な感想としては、この人の説で、特に問題ないと思う。

B説:大神に昇格すると一人でも生める説
それを「A説」とする。というのは後からその人はぜんぜん違った意見を言っていたからだ。こっちを「B説」とする。その日の話の中で、伊邪那岐・伊邪那美の敬称が、神世七代として出てきた時には「神」なのに、神話の中で活躍する際にはずっと「命」(みこと)であり、その後、黄泉國の段の最後に伊邪那美は「黄泉津大神」と呼ばれ、伊邪那岐も、黄泉國から帰還してすぐ禊の段の冒頭で「伊邪那岐大神」と呼ばれている。つまり神(かみ)→命(みこと)→大神(おほかみ)と三段階に変化している。これをどう解釈するかは、まぁいろいろあるわけだが、ともかくそういうお話があった。で、その人は、神が成長?昇格?進化?して大神になると、一人で子が生めるようになる、天之御中主神から豊雲野神までが独神(ひとりがみ)でありながら次々の神を生んだように。…というようなことを言っていた。これを「B説」とする。AとBでは理屈の構造というか、説明の趣旨がずいぶん違うように思う。第一、これだと須佐之男命が伊邪那美神を母と呼ぶのはおかしくないか? 父の前妻=義理の母だから理屈はあっているということだろうか?
なお、独神(ひとりがみ)についての議論は「天地のはじめ」の章に譲り、今回は触れない。

謎解き
三貴子についていえば、『日本書紀』の通り、火の神を生む前の段階で生まれているとすればこれは岐美二柱の御子ということで問題ない。
その他の禊の神々だが、『古事記』では、帰って来てくれといわれた伊邪那美命が「黄泉津神(よもつかみ)と相談するから待ってちょうだい」と答えている。この「黄泉津神」も黄泉国で生まれた伊邪那美の子供たちのことで、その中には八雷(やつのいかづち)たちも豫母都志許賣(よもつしこめ)たちも含まれているだろうが、それ以外にもいたんだろう。八雷や豫母都志許賣は伊邪那岐を追いかけたが逆に追い返された。しかし、追い返されずに伊邪那岐命が地上に連れ帰った子供たちがいたとしたら?
古事記によると、伊邪那岐命が杖をすてると衝立船戸神(つきたてふなどのかみ)が「成った」。帶をなげすてると道之長乳齒神(ちのながちはのかみ)が「成った」。裳をなげすてると時置師神(ときおかじのかみ)がなった。衣をなげすてると和豆良比能宇斯能神(わつらひのうしのかみ)が、褌の時には道俣神(ちまたのかみ)が、冠では飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)が成った。そして左右の手の手纒は奥(おき)の三神と邊(へ)の三神が成ったという。この12神が「成った」のは、古事記だと禊の場所まで来た後の話で、禊をするために「身に着けていたもの」を脱いだのだと書いてあるが、日本書紀(一書第六)では、この神々は黄泉津比良坂で伊邪那岐・伊邪那美が対話している時に生まれたことになっている。そして、これについては日本書紀の方が正しいと思う。なぜなら、古事記には抜け落ちているが、最初の衝立船戸神(書紀では「岐神」(ふなどのかみ)という)が生まれた時に「ここからは来るな」といって杖をなげたことになっているからだ。そうするとこれらの神々は「こっちの世界」ではなく「あっち側=黄泉國」に留まった神々であるか、少なくともあの世とこの世の境である黄泉津平坂に留まった神々ということになる。この境界であるところの黄泉津比良坂でなぜ衣服を脱いでいるのかといえば、一応表面的な理屈としては、衣服に黄泉國の汚れがついたから、ともいえるが、それらの衣服に「子供たち」がしがみついてきたからで、八雷や豫母都志許賣よりはかなり成長している子供であるために、八雷や豫母都志許賣みたいに簡単には追い返せず、ここまで着いてきてしまったんだろう。「成った」というのは誕生したという意味に受け取ると伊邪那岐命一人で生んだように思うが、そうではなく、大人になることを「成人」というようなもの。一人前の神に「成った」という意味に受け取ればよい。
ここまでの神々は結局この世に連れ帰ってはいないわけだが、十分に成長した子供で、父親を追いかけてきたのなら、いつまでも無理に母親の手許に置いておく必要はない。禊のシーンで生まれた八十禍津日神(やそまがつひのかみ)から上筒之男命(うはつつのをのみこと)までの11神は、十分に成長していたので地上世界に連れ帰った子供たちなんだろう。父神が禊によってしがみついていた子供を払い落とし、それによって父から自立し、成人したこと=神として一人前に「成った」ことを「神に成った」といってるのである。
結局のところ要するに伊邪那岐命が一人で生んだ神というのは存在しないことになる。

禊は「二神の禊」である
『ウエツフミ』みたいにイザナミノミコトの救出に成功して二人で禊したって話にすればわかりやすいんだろうけどね。『ウエツフミ』の設定のおかしなところはすでに「これって離婚なの?」で書いたので今回は省く。
禊は伊邪那岐命が一人でやったことで、伊邪那美命は関係がない、とは誰しも一度はそう解釈するだろう。実際そう読めるように書いてある。だが、「これって離婚なの?」で書いた通り、伊邪那岐命は単純に勝手に逃げ帰りました、ハイおしまい。…ではなく、黄泉津平坂での対話の通り、両神が生んだこの世界の今後の管理=万物の生命(生死)の管理についての両者の合意、今後の合意があった上で両神は別れてる。つまり伊邪那美命が黄泉津大神として黄泉國に鎮まったのも、女神の独断ではなく夫神・伊邪那岐命との合意あってのことだし、伊邪那岐命が禊したのも男神の独断ではなく妻神・伊邪那美命との合意あってのこと。夫妻どちらも「我れワタクシの心」で好き勝手してるのではないのである。だから「伊邪那岐命の禊」とはいうけれども、これを「伊邪那岐命・伊邪那美命の禊」といっても間違いではなく、両神そろって禊するという『ウエツフミ』の物語も元はそういう発想から出たものかもしれない。衝立船戸神から邊津甲斐辨羅神(へつかひべらのかみ)までの12神を黄泉津比良坂に置いたのも、八十禍津日神から上筒之男命までの11神を父神についていかせたのも、すべて伊邪那岐・伊邪那美の夫婦の合意された計画である。夫神が黄泉国を訪ねるという間違いを犯すことはあったにしても、その間違いから二神は学んで、生死の往来についての掟を厳格に定め、さらには誤り(罪)を犯した際の祓い清めの担当神を、御子神たちから選抜して任命した。国生みも神生みもすべては、伊邪那岐・伊邪那美二神が、天津神諸々からくだされし命令(みこと)なる「修理固成(つくりかため)の神勅」を奉戴することから始まっているのであって、黄泉国からの帰還も、その時に神々が生まれたのも、禊も、禊で神々が生まれたのも、すべて修理固成すなわち天地の経綸の一環なのであり、それは大御祖岐美二柱の大御心なのである。
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