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・「三宝荒神」は仏教の尊格ではない

H30年8月28日(火)改稿 平成28年4月27日(水)初稿
沼河比売、須勢理毘売、鳥鳴海神の系譜
御穂須須美命は建御名方神のことではない
古事記では大国主の系譜のところに建御名方神が出てこないので、これを不審に思う筋もあろうが、その件については別の頁で考えたのでここではふれない。だが通説では建御名方神の母が沼河比賣だということまでは合意されていて異論がないようだ。なぜそれがわかるのかというと、『出雲風土記』には父が大穴持命(大国主神)で母が奴奈宜波比賣命(ぬなかはひめのみこと)として御穂須須美命(みほすすみのみこと)が生まれたとあり、『先代旧事本紀』には大己貴神(大国主)と高志沼河姫(こしのぬなかはひめ)との間に建御名方神(たけみなかたのかみ)が生まれたとある。だから世の中の通常の解釈では、御穂須須美命は建御名方神の別名で、両者は同一の神ということになっているわけ。
だが、私はそうは思わない。御穂須須美命は『出雲風土記』、建御名方神は『先代旧辞本紀』によるもので典拠がバラバラであり、同一神だと証明できないので兄弟なのかも知れないだろう。出典は不明だが検索すると「三穂須須美」と書いてる例もかなりひっかかる。「御」(み)の字は甲類のミで「三」(み)も甲類だから「三穂須須美」でもまったく問題ない。これは3柱の神の併称だろう。大国主の3人の息子といえば、建御名方神を除けば、阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)、鳥鳴海神(かやなるみのかみ)である(『出雲風土記』には加夜奈留美命とあるからこの「鳥」の字はカヤと読むことがわかる)。この3柱は『出雲国造神賀詞』(いづものくにのみやつこのかみよごと)によると阿遅鉏高日子根神が大和の葛城、鳥鳴海神は大和の飛鳥、事代主神は大和の宇奈提(うなで)というようにみな大和に鎮まって皇室を守護する神々でもあり、3柱セットになっている。というと、この3柱は母親がバラバラじゃないのか、という反論もあるだろう。その通り。大国主が6代も続いているのだから、どの大国主の子かはわからない。というと、このうち阿遅鉏高日子根神と事代主は国譲りの神話に出てくるんだから最後の大国主の息子だろう、という反論もあるだろう。そう、それが三穂須須美なのである。大国主大穴牟遅が代々の襲名なら、息子たちの名も代々の襲名ということもありうる。そうすると、その名は役職や地位のようなものになってくる。だから「三穂須須美」というのは村方三役とか三家老とか三大臣とか自民党三役みたいな三つまとめていう言い方なのである。『古事記』が系譜記事で「多紀理毘賣命(たぎりひめのみこと)の生んだ子が阿遲鉏高日子根神で、神屋楯比賣命(かむやたてひめのみこと)が生んだ子は事代主神で、鳥耳神(とりみみのかみ)が生んだ子が鳥鳴海神」だといってるのは、最初の方の大国主から生まれた初代の神々であって、国譲り神話のところで出てくる阿遲鉏高日子根神と事代主神はぜんぜん別の、沼河比賣から生まれたずっと後の世代の神なのである。

大国主の嫡流は諏訪?
阿遲鉏高日子根神を出雲朝第7代として、大国主の嫡流のようにいう説もあるが、それよりは事代主神の系統を大国主の嫡流のようにとらえる見方が多いように見受けられる。実際、崇神天皇の時に意富多多泥古命(おほたたねこのみこと)が出て三輪君(みわのきみ)氏ができてからは中央氏族だから事代主系が嫡流にみえなくはない(古事記は意富多多泥古命を大物主神の子としているが、この件については日本書紀が事代主神の子としているのが正しい)。しかし上記の御穂須須美からすると阿遲鉏高日子根神も事代主神も代々大国主=当主を補佐する役名で、「当主」の世継ぎではないことがわかる。そうすると、もし国譲りがなかったとしたら(あるいは一世代遅れたとしたら)第7代大国主は建御名方神だったのではないだろうか?

三宝荒神
ところで、台所の神様で「三宝荒神」(さんぽうこうじん)というのがある。三宝は仏教がもっとも貴ぶべしとする「仏・法・僧」というが、格別に台所の神には何の関係もない。三宝に万能のご利益があるのなら、いくさの神は三宝八幡、学問の神は三宝天神、安産の神は三宝水天宮、商売の神は三宝稲荷となぜいわない? この三宝とは中世の文献では「三方荒神」とか「三保荒神」等と書かれた例があるから、ただの当て字であって「仏法僧」のことではない。三宝荒神は日本の土着信仰で、仏教はもともとは関係なかったのである。「荒」の字は「あれる・あらい」の他に「すさむ・すさみ」の訓もある。ミホススミの「ススミ」を「荒(すさ)み」の意にとって当て字したのが三宝荒神(みほすすみのかみ)なのであろう。これがなぜ台所の神なのかというと、出雲の神々(=国津神の系統)というのは神話学でいうと第三機能神に分類され、生産や豊穣を司る神々だからである。それらの神々の始祖は須佐之男命、総帥は大国主神、そして実務にあたる三大幹部が三穂須須美(三宝荒神)というわけなのだろう。
IMG_0140.jpgH30・8・28(火)撮影
荒神様には三宝荒神の他に地荒神(ぢこうじん)というのもあり、これはまた三宝荒神とは別の話になる。こっちは例のアラハバキとも関係あって面白い話がいろいろあるが今回は関係ない話なのでふれない。

大国主の后たちは宗像三女神?
ところで大国主には多くの妃がいる。その中の一人は宗像三女神の姉神、多紀理比賣(たきりひめ)である。ところで記紀で多紀理比賣から生まれた二柱の兄妹神の母を『ウエツフミ』ではタキリヒメではなくスセリヒメだとした上でスセリヒメの別名をタギタマヒメとしている。この別名は多紀理比賣の「理」の字を宝玉の意にとって「タマ」と訓読したもので、要するに多紀理比賣と須勢理毘賣との同一神説を出しているわけだ。そういえば大国主の系譜伝承に須勢理毘賣が登場しない。子がなくても后の名は一応あげてから「子(みこ)ましまさず」と注釈的に付記するのが通例なのに正妻が登場しないのは不審だが、すでに多紀理比賣の名で出ているのだとすればすんなり解ける。また大国主の妃には系統不明の女神、神屋楯比賣(かむやたてひめ)もいるが、『先代旧事本紀』では宗像三女神の末妹、高津姫としている。記で宗像三女神の末妹を多岐都比賣(たきつひめ)と書いているのがこれだろう。この旧事本紀の説によって神屋楯比賣は多岐都比賣の別名であろうとは宣長も推測するところだ。そうすると三女神の残りの一人、市寸島比賣(いちきしまひめ)も、大国主神の妃になっているのではないか、多くの妃神たちのいずれかがその別名なのではないか、と当然想像される。候補としては、稲羽の八上比賣(やがみひめ)、高志の沼河比賣、鳥耳神の3神があがるが、八上比賣以外は父神の名が判明しているから、宗像三女神(須佐之男命の娘)ではありえない。では八上比賣が市寸島比賣の別名なのだろうか? 三穂須須美の流れからいうと鳥耳神が市寸島比賣の別名と思いたいところだが…。ところがちょうどうまいことに、古事記の系譜記事には八上比賣の母子のことがスポッと脱け落ちているから、「八上比賣神に娶ひて生みませる子、木俣神またの名は御井神。また」という文がどこかにあったはずなのだ。その場所が、「…また八島牟遅能神の女」と「鳥耳神に娶ひて…」の間なのではないか推定される。そこに脱文を挿入すると、鳥耳神の父神と思われていた八島牟遅能神(やしまむぢのかみ)が、実は父神不詳と思われていた八上比賣の父神だったことになり、あらたに鳥耳神の父神が不詳となる。
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