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☆五月五日、鯉のぼりと巨木信仰

2678年(令和元年)5月5日改稿 H28年2月17日(水)初稿 同年3月16日(水)修正
「高木神」という神名を「巨木信仰」に関係づける説もあるのだが、それもどうかと思われる。それとは別に、今日はH28年5月5日の子供の日、昔でいうなら菖蒲の節供。で、この菖蒲の節供と巨木信仰が、実は関係が深い。
「菖蒲の節供」は中国起源ではない
菖蒲の節供は、wikipediaの書きぶりからすると中国の風習からきたと思われていて、もしそういうことなら『古事記』とはさして関係ないことになるが、実はそれがそうでもない。折口信夫の説だと、古くからの日本古来の風習が、菖蒲の節句とは別にあって、中国からきた端午の節供と混ざって、現在の日本の風習が生まれたということになる。折口信夫は七夕(たなばた)についても同じことを言っていて、日本古来の信仰風習と、中国伝来のものとが混合、合体しているという。
しかしそれはあくまで折口信夫の説であって、少々異論もないではない。それは両者が混ざる前の段階の、中国の「端午節」と日本古来の信仰とが、本来的に無関係でまったく別のものだったのかどうかという点だ。それについて折口信夫は明言を避けているような印象があるが、祭りの山車(だし)は旗指物(はたさしもの)の元になった依り代(よりしろ)からクリスマスツリーまで議論を広げかけたこともあるので、薄々の予感としては何か世界的な広がりを考えてはいただろう。ただ彼は琉球や台湾の民俗は研究していたが欧米のことまではさすがに専門家でないから掘り下げるまではしなかっただけだと思う。現代の文化人類学では、神話のみならず、祭祀風習でも世界的に共通した要素が多々あることがわかっている。
中国の端午節と、日本古来の菖蒲の節句は、それぞれ最初から現在のような形だったのではない。もとの起源は世界共通の習俗だったのなら、古く遡れば遡るほど、似てくるはずである。

鯉のぼりの起源と巨木信仰
中国の端午節は、旧暦五月五日の行事だが、もとからそうだったわけではない。実は古くは五月五日ではなくて、夏至の日の祭儀であったことがわかっている。端午というのは五月最初の午の日の意味というが、夏至から旧暦五月五日に日付が固定されたのは古いことでこの説は可怪しく、五行説で午が五月に当てられるようになってからの表記だろう。また端午は五月の最初の午の日だともいうが、普通はそういう場合「上午」というのであって端午はおかしい。菖蒲が尚武に通じるという言葉遊びから日本では男児の健全な成長を祈る日になってしまったが、むろん中国・朝鮮・ベトナム等では男女問わない。そして菖蒲の節供といえば「鯉のぼり」だが、これは江戸時代中期までは魚の形ではなくて、立てた竿の上につけた「吹き流し」だった。武士の家の旗指物(はたさしもの)を庶民が真似たものという。これが江戸時代後期までには関東に広がり、明治以降には全国の風習になったという。
これだと鯉のぼりの起源はさほど古くないことになるが、折口信夫はそれよりはるかに古い起源のあるものとみている。折口は、祭りに出てくる山車(だし)やその原型である山鉾、正月に庭に立てる若松、祭りの飾りとして作る繭玉、髯籠(ひげこ)等はすべて同一起源で、神を招く「依り代」だったといっている。もとは単純な樹木だったのが、後には人工的に竿を立てるようになり、やがてその竿に装飾がついて、様々な形式に発展していった。鯉のぼりの原型である「吹き流しのついた竿を立てる」のもその一つで極めて古い風習である。武家の旗指物に対抗するものとして江戸時代の庶民が始めたというのは江戸っ子気質から説明しようとしたもので、いかにもな俗説であって採るに足らんと思われる。
夏至の反対、冬至の祭儀は太陽神の復活を祝う「天の岩戸」の神話の再演であり、お正月の若松も元は冬至に立てた神の依り代であり、遡ればクリスマスツリーと同一起源の「巨木信仰」にまでつきあたる。英国やドイツでは「メイ・ポール」といって5月に高い柱を立てその周りで男女が歌い踊るが、これは暦が長い間にずれてきたため豊穣の女神マイヤの祭りと混同されて一ヶ月前倒しになったもので、北欧諸国の夏至柱やオーストリアの花柱のように、夏至に立てるのが本来の形である。
夏至柱
冬至に立てる神木(若松、クリスマスツリー)と夏至の神木(メイポール、鯉のぼり)が対になっているのである。冬至には太陽神=天空神の祭儀、その真反対の夏至には「母なる大地」の女神の祭儀があった。

夏至の祭りの主祭神は「伊邪那美大神」
欧州の夏至の祭りでは必ず「火」が焚かれる。これは人間の生活になくてはならぬ「火」が、大地母神から生まれたという神話を表わしている。…と聞くと誰でも、伊邪那美命(いざなみのみこと)が火の神、迦具土神(かくつちのかみ)を生んだ話を思い出すだろう。原始信仰においては大地は地底の火の信仰と関係が深かった。オセアニアや太平洋の島々の神話では「火」の起源と大地の母が結びついている。火はもともとはただ一人の老婆だけがその体内(または陰部)に隠し持っていたもので、他の人間は火の存在を知らなかった。ある若者がそれを盗もうとして火事になってしまい老婆は焼け死んだが、火は蛇に燃え移ったため人々が発見し、人間は火で煮炊きできるようになったという。これは明らかに日本の大地母神・伊邪那美命が火神を生んだ話と同系の神話だろう。注目すべきは日本ではかつて夏至の日に女性が「皐月忌(さつきいみ)」と称して穢れを祓い身を清め、その間男性は外出を余儀なくされる風習があった。地方によってはこれを「女天下」「女の家」等とも称する。民話では妖怪「二口女(ふたくちおんな)」が正体を現し菖蒲の霊力で退治されたのが五月五日だったといい、女怪を退治するのは女性の穢れを祓攘する儀礼が五月五日に行われていたことの痕跡とみえる。
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男児の日どころか完全に女性の日だがこれこそ大地母神の祭儀の面影を残した古態であることは説明を要しまい。男が追い出されて女性が家の主になるという日本の「皐月忌」(さつきいみ)「女天下」「女の家」という夏至の風習は、黄泉国の主人である伊邪那美神が伊邪那岐命(いざなぎのみこと)を追い出した神話を再現したもので、黄泉の大神である伊邪那美神を讃える祭儀の痕跡なのである。

同じ女神の祭祀でも五月の地母神祭儀は主婦が主役だが、四月の女神は年長の姉神、七月の豊穣神は少女の姿をとり、こっちは七夕の元型となる。12月25日のクリスマスの起源はローマ時代の冬至祭で、現在の冬至12月22日とは3日ずれているがこれは途中改暦で修正したからで、月の英語名の語源と占星術の12星座の対応関係からみれば、古くは12月(Dec)1日が冬至だったと思われる。すると6月(Jun)1日が夏至で、極東の旧暦五月にあたり、5月(May)は極東の旧暦四月となる。

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