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・少名比古那神と御諸の山の神

平成28年5月25日(水)初稿
少名比古那神、御諸山の神、大年神の子孫
少名比古那神
『播磨風土記』では大国主は巨人であったように書かれている。対する少名比古那神(すくなひこなのかみ)は一寸法師の元祖。
で、このコンビは、兄弟となって一緒に国作りをし、日本書紀ではさらに病気治しの法を定めた「医療の神」でもあって、一般庶民に広く崇められているとある。
医薬の神ということは、古代では同時に「酒の神」でもあったことになる。酒の神といえば大神神社の大物主神(大国主の和魂)、そして少名比古那神は神功記で「この神酒はわが神酒ならず…」と歌われているのも皆さまご存知の通り。
これは後世の「恵比寿・大黒」のことだろう。むろん「恵比寿・大黒」というようになったのは神仏習合の結果であって、特に恵比寿のほうは複雑な成立過程があって簡単ではなく、蛭子説・事代主説・少名比古那説・山幸彦説があるが、このうち蛭子説・事代主説は室町時代以降にでてきた新しい解釈で古代の考えではない。また山幸彦説は、エビス神と三郎殿が混同される前の三郎殿のことで、エビスのことではない。が、恵比寿神のことは他の記事でも書くから今回はこれ以上ふれないが、七福神と7柱も並べるのではなく、大黒と並べて二神セットで祀る時の恵比寿とは古くは少名比古那のことである。これは蛭子説や事代主説がたかだか数百年前の、はるか後世の創作説であるのに対して、ひじょうに古くにまで遡る実際の古代信仰だった。むろん今のような像ができたのは平安末期以降で、古くは大・小の榊か幣束を並べた素朴なものだったろう。

世界の神話からみた少名比古名神
1)アーリア神話からみた少名比古名神と牛馬の話
インド神話とイラン神話の共通の祖型であるアーリア神話では、牛と馬はともに豊穣・生産を司る第三機能に関係し、第三機能神であるアシュヴィン双神は別名ナーサティアともいうが、このアシュヴィンとナーサティアという二つの名はもともと二人の神のそれぞれの名だったのが、二人の総称に転化したものである。アシュヴィンとは「馬を御する者」の意だが、古くはこの二神それぞれ牛と馬の守護神だったとされる(ネットや書物ではアシュヴィン兄弟神ともされるが、この二神は親がちがうので兄弟ではない。見た目がそっくりで双子のような神という意味で「双神」と称される)。第一機能神(祭祀)には魔術的神と法律的神とがあり、第二機能神(軍事)には紳士的神と暴力的神がいるように、第三機能神には牛に関係する神と馬に関係する神がいる。この最後の牛の神・馬の神というのがアーリア神話でいうアシュヴィン双神で、牛の守護神ナーサティアはスムカ(人名)の子で、親切で、便宜をはかり、人々を援助する神で、著名な神話学者吉田敦彦の説によると大国主神に相当するという。これに対し、馬の守護神ダスラは天上の神の子で、賢明なる知恵の神であるがこの神自身がナーサティアへの贈り物でもある。この神は吉田敦彦の説によると少名比古那神に相当する。兄弟神の類型は日本神話とアーリア神話だけではなく、北欧神話のニョルズとフレイにもみられるという。もっとも、大国主神と少名比古那神は見た目がそっくりではありえないので、その一点はあてはまらない。日本の神々と牛馬の関係を考えるに、日本では第三機能を管掌する国津神の始祖須佐之男命は、比較神話学でいうとギリシアの馬の守護神でもあるポセイドンに相当し、後世牛頭天王と習合している上『日本書紀』では牛馬はともに保食神(うけもちのかみ)が月夜見尊に殺された時に同時に誕生したことになっている。この月夜見尊はむろん『古事記』によって須佐之男命に置き換えられる。中国の牛首人身の神である神農(炎帝・燧人)は、須佐之男と大国主神をあわせたような存在である。神話では少名毘古那神は蛾の皮を衣服にしていたというのだが、蛾からは蚕、その衣服からは繭から採った絹が直ちに連想される。オシラサマの伝説でも馬と蚕は繋がっている。滋賀県の横山神社の祭神は大山祇命・少彦名命・泉龍大神で、宮崎県の霞神社の祭神は大己貴命・少彦名命・保食命だが、両社はともに神仏分離以前には馬頭観音を本地仏としており、また東京都では珍しい駒形神社が昭島市にあるがその祭神は大己貴命・少彦名命。以上のことから整理すると、須佐之男命が牛馬の祖で、大国主神が牛の守り神で少名毘古那神が馬の守り神、という原形が推定できる。
2)シュメール神話からみた医薬神としての少名比古那神
星座の双子座には、ギリシア神話のカストルとポルックスという双子の話が伝わっていて、双子座の主要な二つの星の名にもなっている。カストルとポルックスは二卵性双生児だがそれぞれ一卵性双生児の妹をもっており、だから結局は四つ子ということになる。日本では双子座は「二つ星」と呼ばれ、フェニキアでも双子に見立てられる。バビロニアには、死せるエンキドゥと彼を探しに冥界へ下りていった英雄ギルガメッシュの神話があり、これがギリシア神話の双子の原型だろう。日本では大国主神と少名毘古那神が神様コンビの典型。記紀神話では、神産巣日神(かみむすひのかみ)の命により、大国主神と少名毘古那神は「兄弟」となって国作りに励む(つまり実際には兄弟ではない)。現在一つの星座になっている双子座は、バビロニアではマシュタブバ・ガルガル(大きな双子、現在の双子座、カストールとポルックス)とマシュタブバ・トゥルトゥル(小さい双子、ポルックスの左下に寄り添うラムダ星とゼータ星)に分かれ、四人とも武器をもった男として表されている。これは双子が二組で四つ子だというギリシア神話の元ネタであろう。双子に大小あるのは、大国主神が『播磨風土記』等に巨人だったらしき描写がでてくることと、少名毘古那神がコビトの神(一寸法師)だったことを思い起こさせる。またシュメール語のマシュは双子兄弟とは限らず「仲間・連れ」という意味もあるから「ギルガメッシュ叙事詩」に沿っていえばこれを「双子」というのは誤訳で、本来は「仲間」か「連れ」、意訳しても「義兄弟」か「親友」ぐらいまでが許容範囲だろう。そうすると日本神話の大国主神と少名毘古那神の関係にもよりよく合致する。つまりマシュタブバ・ガルガルは大きな双子ではなく「大男の連れ」、マシュタブバ・トゥルトゥルは小さな双子ではなく「小男の連れ」が適訳だ。ギリシア神話やバビロニア神話(「ギルガメッシュ叙事詩」)の筋立てからいうと、ポルックス=ギルガメッシュが「生」を、カストル=エンキドゥが「死」を表している。大国主神と少名毘古那神が二神セットの場合には前者が「生」を後者が「死」を象徴するが、大国主神自身も根国(ねのくに)に往って復ってきている(つまり一度死んで生き返っている)し、少名毘古那神は海上からやってきて常世国(とこよのくに)に去っている(異界から来て異界に帰る、異界へ去るのは死の暗喩)。大きい双子と小さい双子というのは、大男(ポルックス=ギルガメッシュ)と小男(カストル=エンキドゥ)の親友同士で、双子というのはそれぞれ二つの星がそれぞれの生と死を表していたのではないか(ややこしいかも知れないが大国主神と少名毘古那神の神話は、あくまでもギルガメッシュ叙事詩(そのものではなくその)の元になったシュメール神話と同源なのであって、大国主神と少名毘古那神が直接に星座の双子座と関係するものではない)。双子座は十二星座の三番目だが十二支でみると三番目は寅・虎である。そしてこの虎が医薬とも関係してるのはご存知だろうか。便秘薬の毒掃丸で有名な会社、山崎帝國堂のマークは虎をマークにしている。これは「猛虎一聲掃萬毒」(猛虎一声にして万毒を掃く)という言葉によるという。また『日本書紀』皇極四年四月条には鞍作得志(くらつくりのとくし)が虎から万病を治す針を授かる話がある。それと南方熊楠の『十二支考』にはインドのマラバールでは虎の肩の骨や皮が胃の薬で、ベトナムではその骨を身につけると衰弱者も復活し精神も強くなるとか、『本草綱目』に虎の皮が卒中に効くとか、インドでは虎の皮が痘瘡の薬だとかの話が出てくる。薬といえば原初の薬は聖水=酒だったので、虎と酒も関係してくる。現代でも酔っ払うことを「虎になる」といい、大酒飲みを「大トラ」、酔っぱらいがぶちこまれる場所は「トラ箱」という。医薬との関係は動物の虎からはわかりにくい。これは「寅」の字からきている。この字は通説では真ん中に矢があって両手で矢を伸ばしている象形ともいうが、竹内健の説ではそうではなくて左右は両手ではなく肋骨で、矢は上を向いており、この矢は風、息を表わしている。薬酒を飲んで高揚し、体内を矢(風の象徴)が駆け上がり、はふーと大きな呼吸が出る様を表している。弱った人が薬酒の力で復活するのが「寅」の意味である。また十干の三番目は「丙」だが、丙の甲骨文字は「▽」の酒器が左右に二つ並んだ象形で、「ヘイ」という音は「並」に通じる。その酒器の中身を飲んで復活する様子が「寅」の字ということになる。大国主神と少名比古那神のコンビには病気治しの術の開祖という神話が『日本書紀』にあり、古くから「医薬神」として祭られていた例が多い(中世では薬師如来と習合)。
(※上記の1)と2)は『星座と干支』(星天講)より。詳細はリンク先のサイトまで)

御諸の山の神とは「大国主のドッペルゲンガー」ではない
『古事記』には名前が出てこないが、三輪山の神だから大物主神(おほものぬしのかみ)であるが、古事記には名が明示されていない。『日本書紀』では、三輪氏の祖であるとか、神武天皇の皇后の親であることが書かれているから、やはり大物主神であることは明白だが、なのに古事記と同じくその名が明示されていない。これはなぜかというと、大物主神というのは大国主神が「国譲りをした後」の名前だからだ。この段階ではまだ国譲りはしていないのだから、大物主という名は使えないということだろう。これは記紀がともに大国主を一人しかいないと誤認したから論理的にそう考えたまでのことにすぎない。
で、書紀はその神が「吾は汝が幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)なり」と自称したとしていて、これだとあたかも大国主が自分自身の霊魂と対面・対話しているがごとくであり、現代人はドッペルゲンガー現象みたいのをイメージしてしまうんだが、そしてこの前提であれこれ議論している人もずいぶんいるんだが、本当にこの解釈でいいのか。
よく考えてみると、前回(「八俣の大蛇」&「大国主の系譜」の解釈)にかいたように、大国主は6世代いるのだから、当代を大国主としてその先代はすべて大物主なのである。以前にあげた表を再掲すればこうなる↓

初代・大国主大穴牟遅=八島士奴美神(やしましぬみのかみ)
  后・木花知流比賣(大山津見神の娘)
第2代・大国主大穴牟遅=布波能母遲久奴須奴神(ふはのもぢくぬすぬのかみ)
  后・日河比賣(淤迦美神の娘)
第3代・大国主大穴牟遅=深淵之水夜禮花神(ふかぶちのみづやれはなのかみ)
  后・天之都度閇知泥神
第4代・大国主大穴牟遅=淤美豆奴神(おみづぬのかみ)
  后・布帝耳神(布怒豆怒神の娘)
第5代・大国主大穴牟遅=天之冬衣神(あまのふゆぎぬのかみ)
  后・刺國若比賣(刺國大神の娘)
第6代・大国主大穴牟遅=別名不詳
  后・沼名河比賣(俾都久辰為命の娘)

このシーンでは大国主がどうやって国を治めていけばいいのかと愁い悩んでいるので、最盛期をすぎて衰退期に入った時期であり、前回までの議論を踏まえていえば、だからこの時の大国主は5代目か6代目なのである。5代目とすると、すでに当人とは別にその先代、つまり大物主が4柱もいることになる。つまりここで出現した御諸の山の神とは、単に大国主の先祖ってことであって、ドッペルゲンガーなどではない。
では書紀のいう「幸魂・奇魂」とはなんのことであろうか?

「幸魂」の訓よみはサキミタマか、サチミタマか?
ところでその話にいく前に、幸魂の読み方に関する問題点が昔からある。
幸魂は「日本書紀」に訓がサキミタマと指定されていることから多くは「さきみたま」と読むのが普通だが、『和名抄』や『名義抄』などにはサチミタマの訓が出ていて両説とも古くからのものと思われ、現在の神道でも、合気道を含むいくつかの流派では文字通り「さちみたま」と読んでいる。サキとは、現代語の幸福の意味に近く、「盛る・栄える」の同類語で、「さきく〜(副詞)」「幸い(さいわい)」「幸わう(さきわう)」などの語源。サキが様態性を表わすのに対し、サチは名辞的。サチとは、漁猟・狩猟での獲物。転じて、そのための道具(弓矢、釣り針など)。さらに獲物が多いこと、幸福。と意味が広がった。後に名詞が続いて熟語になる場合は「サツ〜」。しからばサツミタマとならないとおかしいがそういう用例はなく、奈良時代語だけでは説明つかない。このこともサチミタマ説とサキミタマ説のどちらかを誤りだとは断定しきれぬ所以である。サチの原義は神霊。サチの「チ」は、カミ・ミコト・タマ・ヒ・ミ・モノなどの類語で神霊的存在の一種。獲物をもたらす神霊、もしくは獲物そのものを神霊と見たもの。小刀・刃物・鋤などを意味する「サヒ」と関係する(『ヒ』と『チ』を参照)。遠く語源を溯ればサキもサチも同根で、「盛らしむる・栄えしむる神霊」が「さち」なのであろう。(続く)
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Re: 股関節置換手術を妨げる可能性がある

あっそ

> また、他にも 「弱い人工知能(AI)」 と 「強い人工知能(AI)」 と言う分類の方法もあります。 「弱い人工知能(AI)」とは、ある枠の範囲で考える人工知能のこと で、ある一定の範囲では既にに人間のレベルを超えてきています。 <a href=https://jamedbook.com/13785-2/>https://jamedbook.com/13785-2/</a> 誤嚥性肺炎 高齢者や手術後の人に多く見られる肺炎です。食物、胃内容物、口腔内常在菌を誤って飲み込んでしまうことで発症します。

股関節置換手術を妨げる可能性がある

また、他にも 「弱い人工知能(AI)」 と 「強い人工知能(AI)」 と言う分類の方法もあります。 「弱い人工知能(AI)」とは、ある枠の範囲で考える人工知能のこと で、ある一定の範囲では既にに人間のレベルを超えてきています。 <a href=https://jamedbook.com/13785-2/>https://jamedbook.com/13785-2/</a> 誤嚥性肺炎 高齢者や手術後の人に多く見られる肺炎です。食物、胃内容物、口腔内常在菌を誤って飲み込んでしまうことで発症します。
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