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・風神・雷神

平成30年8月30日(木)改稿 平成28年6月22日(水)初稿
神話学からみた天津神と国津神の対比
神話学では、神々はF1(主権・祭祀)、F2(軍事・戦争)、F3(生産・豊穣)の3機能のいずれかを持ち分にしているとされるが、アーリア神話(インド・イラン・ギリシア・ローマ・ケルト・ゲルマンの神話)の場合、F1とF2がアスラ神族(=天津神)の神々の機能で、F3がデーヴァ神族(=国津神)の機能だとされる。ところが日本の場合を見てみよう、まず国津神では、大国主の3人の息子のうち事代主神(ことしろぬしのかみ)は託宣の神でF1、阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ)は農業の神でF3、建御名方神(たけみなかたのかみ)は武神でF3と当てはめ得るという説がある(それぞれの根拠はいろいろ疑問もあるがここではふれない)。天津神をみると、天若日子(あめわかひこ)は阿遅鉏高日子根神とそっくりの姿で、後世の伝承でも美青年とされるのでF3(他の海外の神話でもF3に該当する神々は美男美女もしくは巨人というケースが多い)。建御雷神(たけみかづちのかみ)は武神だからF2。こうしてみると、アーリア神話と異なり、日本では天津神にもF3の神があり、国津神にもF1、F2の神がいることになる。だが、物語の構造としてみると、天津神のF3と国津神のF3、F3同士の対比があって、天若日子は不祥事を起こして見苦しい死に方をしてしまい、その葬儀の場で阿遅鉏高日子根神は怒って彼の喪屋を蹴り飛ばして去るが、妹の下照比賣神(したてるひめのかみ)が歌で阿遅鉏高日子根神を顕彰するという話になっている。天津神のF2と国津神のF2、F2同士の対比があって、これはもちろん建御雷神と建御名方神の対決の話に他ならないが、これで天津神が圧勝、国津神は敗退している。F1同士の対決というのは明確には構造化されていないが、国津神のF1=事代主神は国譲りの決め手となっているので自ら天津神の下位に立ったようにみえる。つまり「F1とF2はアスラ神族、F3はデーヴァ神族」と最初から割り振られているアーリア神話とは違って、日本神話の場合、まず物語があって、その結果、F1とF2は天津神が優れ国津神が劣り、逆にF3については天津神が劣り国津神が優る、ということが明らかになるという段取りを踏んでいる。結果的には同じだが日本神話の方が複雑な構造をもっていて、アーリア神話はやや簡略化されたような印象を受ける。

ルシファー云々の続き
前回の記事「原住民史観の誤り」の中で、天若日子(あめわかひこ)はルシファーでありサタンであると書いたが「記紀では返し矢にあたって死んじまったではないか、葬式もやってるし」と言われるだろうか。確かにある意味では死んだんだが、世界のあらゆる宗教、あらゆる神秘主義では、普通、人は死んだらそれで終わりとはいわない。あの世があるだの魂があるだのといってる。ただ存在状態がかわるだけ。人ですらそうなんだから神ならなおさら。天若日子は死んだけど存在しなくなったのではない。現身(うつしみ)を奪われただけで、今でも生きてる。悪の大魔王、魔界の帝王としてなw 天若日子は美青年だったと思われる。平安時代の『うつほ物語』、『狭衣物語』などでは天若御子の名で、室町時代の『御伽草子』に収録されている『天稚彦草子』では天稚彦の名で登場し、いずれも美男子として描かれている。これらは後世の創作作品だからこれだけでは必ずしも信用するに値しないが、記紀では天若日子は阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ)と外見がそっくりだったとされ、阿遅鉏高日子根神は玉のように美しい神として歌に詠まれるほどだった。阿遅鉏高日子根神は神話の3機能体系の中ではF3の神で、F3の神々ってのは多くの神話では美男美女であるか、もしくは巨人族だったとされるケースが多い。それと瓜二つの天若日子も美青年の外貌をもっていたと推定できる。そしてキリスト教の神話のルシファーも、すべての天使の中でもっとも美しい天使だったとされている。

風神と雷神
日本書紀では経津主神(ふつぬしのかみ)と建御雷神(たけみかづちのかみ)がコンビで出てくる。経津主神を祭神とする香取神宮と建御雷神を祭神とする鹿島神宮がセットであるように、春日大社でも塩釜神社でもこの二神はセットで祀られている。この二神は「雷神と風神」のコンビなのである。といっても、有名な俵屋宗達の『風神雷神屏風絵』みたいに、雲の上にいて風船袋から風を吹き出してたり、背中にしょった太鼓を叩いてたりする鬼みたいのを想像してはいけない。
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俵屋宗達 『風神雷神屏風絵』

これは戦艦を擬人化した艦コレのキャラみたいなもので、実際にこんな姿をした神々が存在するわけではない。建御雷神の姿というか現身(うつしみ)は雷光と雷鳴として現れるのであり、経津主神の現身は嵐、突風、旋風そのものである。そういう自然現象そのものの背後に意識・意思(=カミ)がある。あたかも我々の医学的な意味での肉体の日常生活という現象に、目に見えない我々自身の内面的精神活動が伴っているのと同じことなのである。神話的な表現では「経津主神と建御雷神が地上にあまくだってきた」となるが、現代風にいえば当時、激しい落雷と暴風という自然災害が世界を襲ったという意味になる。

二神の性格
で、また神話学の話にもどるが、F1の神(=主神)には魔術を使う神と法律を掌る神がいてセットになっており、F2の神(=武神)には紳士的(文明的)な神と暴力的(野蛮)な神がいてこれまたセット、F3の神(=豊穣神)には馬に関する神と牛に関係する神がいてこれまたセットになっているというのがパターンだ。だとえばインドの神話でいえば、F2の神でもヴァーユ神というのが暴風の神で暴力的な神、インドラ神が雷の神で紳士的な神ということになる。で、吉田敦彦の説によると、ヴァーユ神に相当するのが日本神話では須佐之男命(すさのをのみこと)で、インドラ神に相当するのが建御雷神だという。しかしこれは釈然としない。須佐之男命と建御雷神では対象性に欠ける。須佐之男命が暴風雨の神格化だという説は明治に遡る古い説で、いまでも根強いものだが反論もあって鉄板の定説とまではなってない。吾思うに、須佐之男命にとって「暴風雨の神」という要素は、あくまで表面的な多々ある属性の一つにすぎず、本体でも本質でもない。暴風雨にもいろいろあるがこの「いろいろ」とは暴風雨そのものの種類のことではない。たとえば人間の吐息を、生物学や医学では胸郭や腹膜の動きと肺活量、酸素交換の問題として説明して事足れりとするだろうが、ただの呼吸ではなく「吐息」といっている時にはそれでは説明したことにならない。何事かに落胆してタメ息をついたのか、寝所で恋人の耳に吐息をかけたのか、単に寝る前に行灯の火を落とすために火を吹き消した息なのか。それによって世界におけるその現象その行為の意味は違ってくる。まぁそれはともかく、建御雷神ときたら、その相方として取り上げられるべきは、須佐之男命ではなく、なんといっても経津主神だろう。吉田敦彦はここでなぜ経津主神に思い及ばなかったのか不思議でならない。記紀ともに、建御名方神と戦ったのは建御雷神ということになっているが、経津主神については書紀の一書第二に「故経津主神、岐神(くなどのかみ)をもちて郷(くに)の導きとなし、周(めぐ)り流(ゆ)きつつ削平(たひら)ぐ。命(みこと)に逆(そむ)く者を斬り戮(ころ)し帰順(したが)ふ者を褒美(ほ)む」とあり、これからすると経津主神は建御雷神のようにいきなり武力を用いるのでなく、まずは交渉から入るタイプであることが窺われる。おそらく建御名方神と戦ったのが建御雷神であるのに対し、事代主と交渉したのはもっぱら経津主神が主体だったのではないか。つまりアーリア神話では風神が暴力的で雷神が紳士的であるのに対し、日本神話では逆に、風神が紳士的で雷神が武断的になっているという違いがある。

古事記は片手落ち
古事記には建御雷神(たけみかづちのかみ)しかでてこない。経津主神という名を建御雷神の別名のように解釈して建御雷神だけを出し、そのかわり天之鳥船(あめのとりふね)を加えて「二神」という数をあわせている。古事記は、太安万侶(多安萬呂)の出身の多氏の関係の深い鹿島神宮を贔屓して経津主神は省略してしまった(経津主の名は建御雷の別名という形。しかしこれは雷神と風神をごっちゃにすることで明らかな誤説)。これは太安万侶の子孫の多人長(おほのひとなが)が改竄した部分だろう。天之鳥船は日本書紀では武葉槌命(たけはづちのみこと)として出てくる神のことで、この神は、星の神・天香香背男(あまのかかせを)を退治するために派遣されたとあるから分遣隊長つまり軍隊で喩えれば部隊長クラスであって、経津主神・建御雷神の二大将軍とは格が違う(武葉槌の「ハヅチ」は鳥や羽虫など空飛ぶ生き物、水棲の生き物がミヅチで陸棲の生き物がヲロチというのと同種の言葉)。日本書紀では事代主神を召し出す時に「稲背脛」(いなせはぎ)という者を使者とした上で、その稲背脛は「熊野諸手船」(くまぬもろたぶね=オールで漕ぐ船=海上をゆく船)に乗って行ったというのに、古事記では天鳥船神を使者としたとしている。日本書紀では、星の神を退治した時は、「星の神」は天空にあるから空を飛ぶ神でなければ退治できない、だから武葉槌命(=天鳥船)なのである。事代主神を召しだした時は海上の船で事足りるのであって、ここは日本書紀がいう通り熊野諸手船が正しい。なのに古事記は稲背脛も熊野諸手船も消してしまって天鳥船神に置き換えている。天香香背男の話を省略したかわりに、鳥船をここに登場させたんだろうが、天鳥船は空飛ぶ船であって海上をゆく船ではないのだ。
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