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・天津神と国津神は戦ったのか

平成28年7月27日(水)初稿
天津神と国津神とが戦ったのか?
国譲りというのは天津神と国津神が戦って、天津神が国津神から地上を横取りしたように考えている人がいるが、天津神と国津神が本当に戦ったのか? 大国主の末期には世の中が混乱していたことは「「八俣の大蛇」&「大国主の系譜」の解釈」で書いた。あと、「少名比古那神と御諸の山の神」でも書いている。
そして天之忍穂耳命があまくだろうとして地上を見おろした時、地上は「伊多久佐夜藝弖有祁理」(いたくさやぎてありけり:いたく騒いでいる)といい、天照大神も「荒振國神等之多在」(荒ぶる国つ神ども多(さは)にある)といい、『日本書紀』でも「有蛍火光神及蠅声邪神、復有草木咸能言語」(蛍火(ほたるび)の光(かがや)く神、蝿声(さばへ)なす邪(あや)しき神あり、また草木みな言語(ものい)ふ」とあり、地上はしっちゃかめっちゃかになっていたことがいわれている。蛍火というのは鬼火とか狐火みたいなもので、妖怪の一種でもあるが国津神でもある。サンスクリットで国津神のことをいう「デーヴァ」[deva]という言葉の語源は「輝くもの」という意味である。国津神は人間ではなく、普段は目に見えない神であり、光として顕現する存在なのである。ここでいう「荒ぶる国つ神」というのは大国主のことではない。大国主も国津神にはちがいないが、大国主は「国津神たちの支配者、国津神の王」なのであって、これに従わない国津神が出てきて、大国主が手を焼いている地上の有様を述べている。だから天之菩比命(あめのほひのみこと)があまくだったのも、天若日子(あめわかひこ)があまくだったのも、本来は大国主を相手に戦うためではなくて、統治不能に陥った大国主の代わりに地上を平定するためなのであり、大国主自体が征討の対象なのではない。
(※書きかけ)
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