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・戸隠神社と皆神山(&九頭龍神)

H26年10月31日初稿 (H24年の10月17日(水)のメモによる)
前後から推測するにH24年の10月17日(水)18日(木)の一泊二日で友人らと北信州の旅行にいっていたんだった。戸隠神社やら、皆神山やら、松代大本営やら、真田宝物館やら、いろいろ見て回りました。とはいっても忍者と蕎麦と温泉メインでしたがw
戸隠神社には『古事記』にも出てくる神様が祀られているので今回はこの話で。
象山神社
歴史上の有名人、象山(しょうざん)先生。とてつもない大天才で幕末の偉人。吉田松蔭の師匠で、高杉晋作からは師匠の師匠にあたる。この先生を祀った象山神社(ぞうざんじんじゃ)にお参り(その隣に象山の生家あり)。
象山先生といえば、大河ドラマ『花神』で、いきなり面会にきた高杉晋作(中村雅俊)に向かって「…そうか…。おまえが寅(=吉田松蔭=篠田三郎)の弟子か」と感慨深そうにつぶやく象山(南原宏治)の味わいのある演技が忘れられんw 南原宏治という俳優は好きな俳優だったのだが、残念なことに晩年は、幸福の科学にハマッてしまって『ノストラダムス戦慄の啓示』に神様の役で出てるらしいw うはっw 役どころビッタリじゃん、これは見たいw
それはさておき「象山」という号は生家の近くにある「象山(ぞうざん)」という山からとったらしく地元では象山も「ぞうざん」と読むというが、象山自身が「俺の名は『しょうざん』と読む」と書き残しているので「しょうざん」が正しい。ゾウは呉音、ショウは漢音なので、号としては漢音でよまないといかん、という考えだろう。地元の象山(ぞうざん)と「山のように気宇壮大なものに象(かたど)る」という意味を掛けてるのだと思う。

松代大本営と天武天皇の信濃遷都
松代大本営は象山神社のすぐ近くにある。これはなかなかすごいところで日本人なら誰でも一度はみてきて頂きたい。戦時中にここに首都機能が移る可能性があったわけだが、実は『古事記』編纂の企画を最初に打ち出した天武天皇
も、首都を信濃に移そうとしたことが『日本書紀』天武十三年(AD684)の記事に出てくる。信濃は『古事記』にもあるように古くは「科野」と書いていたのを後に「信濃」と書くようになりさらに信州ともいうようになったわけだが、仁義礼智信の五徳を木火土金水の五行にあてはめると「信」は土で方位は「中央」にあたる。それで五行電波で有名な吉野裕子の説によると、天武天皇が科野に遷都する計画を立てた頃に科野から「信濃」への改字があったのではないかという。それはまぁいいんだが、信濃遷都というのは天智天皇の近江遷都と同じく、この時点ではまだ白村江の戦いの続きで唐が攻めてくるかもという危機感があったことがわかる。しかし偶然にもこの年は唐では、日本に好意をもつ則天武后が権力を奪い始めた年でもあり、則天武后はもともと対外戦争を好まないことから、日唐戦争の再開はまずありえない政局となっていき、信濃遷都も立ち消えになっていったわけである。

皆神山
皆神山は人工のピラミッドという説もあるが、実際には自然の造形で人工ではないことはwikipediaにも詳しい。ここの頂上にある熊野出速雄神社のご祭神は、境内の説明看板によると熊野出速雄命(くまのいづはやをのみこと)・少名毘古那神・泉津事解男神(よもつことさかをのかみ)・速玉男神(はやたまをのかみ)となっているが、『参拝のしおり』では出速雄命・伊邪那岐命・伊邪那美命・速玉男命・豫母都事解男命となっている。このうち少名毘古那神・伊邪那岐命・伊邪那美命は『古事記』にもでてくる有名な神。事解男神・速玉男神は『日本書紀』で伊弉諾尊伊弉冉尊が黄泉津比良坂で分かれる時に生まれた神々で熊野三山のご祭神でもあるからわかるとして、主祭神の「熊野出速雄命」という神様は記紀にでてこないが、建御名方神の御子神だという。建御名方神の13柱の御子神のうちの第2神「伊豆早雄命」と同一名なのでそれだろう。ところで、この神社の境内の解説看板が酷いw 皆神山は宇宙船の航行基地で、御祭神の4神は実は宇宙船のパイロットだとか書いてあるw 70年代のUFOブームの頃に竹内文献の一派から出てきた説だろうけど、宮司がそういう趣味の人なのかな。毎年5月5日に地元自治会で『ピラミット祭り』が催されてるそうで、村おこしには役立ってるようだ。こういうブッ飛んだ神社は他に阿蘇の幣立神社なども有名ですぬ。

松代地震観測センター
ところで信濃遷都の企画があった天武十三年(AD684)という年は天変地異級の大地震が一度ならず起こった年でもあるんだが、偶然にも(というかコジツケというか)、松代も昭和40年から5年半も続いた松代群発地震で有名なんだよね。それが後の日本の地震研究の発端にもなったという。なので松代大本営のすぐ近くに「松代地震観測センター」(正確には「気象庁精密地震観測室」というらしいが?)って地味な建物があり、内部にすばらしい見学コースもあり。こういう美しい自然に囲まれた地域で、大自然の猛威について考えさせられると、しみじみカミの悠大さと不思議さを感じざるをえないもの。しかし、人員も少なそうだし寂れた感じのところだったなぁ。日本の地震行政は大丈夫なのか? 象山神社・松代大本営・皆神山・松代地震観測センターはすべてレンタサイクルで一日で回れる範囲にあります。

戸隠神社
山奥の神社で、神仏分離以前には神仏習合の山岳信仰=修験道の寺院だったと思われがちで、実際その通りなんだが、他の多くの神仏習合の寺社ではまず仏が祀ってあったのを神仏習合説によって明治に仏から神にきりかえて寺から神社に変更したのとは異なり、寺ながらも元から神道の神を祀っていたのであって、ご祭神は今もそのまま変わっていないとのこと。従って、神仏習合以前のさらに古い時代にはやはり神社(または磐座信仰=神社建築以前の神道)だった可能性がある。現在では宝光社・火之御子社・中社・九頭龍社・奥社の5社体制。
「火之御子社」の主祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)で、他に高皇産霊命(たかむすびのみこと)・栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)・天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)も祀られている。このうち栲幡千々姫命というのは『古事記』でいう萬幡豊秋津師比賣(よろづはたとよあきつしひめ)つまり忍穂耳命のお后様。他の4社が神仏分離以前には「〜院」と称する寺だったが、この火之御子社は最初から一貫して神社だった。「中社」のご祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもひかねのみこと)。「奥社」のご祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、戸隠神社の中心的な主祭神。つまり5社のうち3社は天の岩戸神話に直接登場する神々だということ。
「宝光社」のご祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)。『古事記』にも出てくる思兼神(おもひかねのかみ)には天表春命・天下春命(あめのしたはるのみこと)という二人の子があり、兄の表春命は阿知祝(あちのはふり)の祖、弟の下春命は知々夫国造(=秩父国造)の祖。阿知というのは現在の下伊那郡の西部、長野県の西南端にある阿智村のこと。信州を縦断して峠越えして東海道に出るルート、東の秩父へ出るルート等の交通路があったことが伺える。前者は秋葉権現の信仰で結ばれた秋葉街道(現在の国道152号)とも重なる。
「九頭龍社」のご祭神は九頭龍大神。これは記紀とは関係がなく、神仏習合の時代には「九頭龍権現」といっていた。ちょっと戸隠と関係ないけど、浅草観音の境内にも戸隠から勧請された九頭龍権現が祀られており、金龍権現と九頭龍権現の祠が二つ並んでいる。金龍権現のほうは3月18日と10月18日の年2回、境内で「金龍の舞」といって中華街みたいな龍の出し物やってるんだよね。関係ないけど。

「九頭龍」について
(今日は時間切れにより、以下は別の機会に追記します)
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