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☆古事記の原資料の性質と通説への疑問

2679年(H31年=新年号元年)3月4日改稿 H28年4月30日(土)修正 H26年10月16日初稿
『古事記』の原資料
『古事記』(ふるごとぶみ)の材料が「先代旧辞」(さきつよのふるごと)と「帝皇日継」(すめらみことのひつぎ)から成ることは通説となっている。「先代旧辞」は「本辞」とも「旧辞」ともいい、「帝皇日継」は「帝紀」とも「先紀」ともいう。これらはすべて古事記の序文にしか出てこない名前だが、「帝紀(…)本辞」「帝皇日継(…)先代旧辞」「旧辞(…)先紀」と対語のように出てくる。この「先紀」という言葉はなにか文字づらが漢語として馴染まない印象があり、「本紀」の誤写ではないかと思う。前の2例が帝紀を前、旧辞を後ろに置いてるのに、この例だけ順番が逆なのは「本○」を後ろに置いて対比させてるのだろう。あるいは「本辞」という言葉は「もとつこと」と訓読しても漢語をむりやり直訳してるような違和感があるので「古辞」の誤写かとも思う。
古事記以前の書_new
古事記以前の書_old神代文字_石版
『弘仁私記』(平安時代の日本書紀の講義録)には「帝王本紀」と「先代旧事紀」とあり、同じもの。末尾の「紀」は後世の偽書『先代旧事本紀』に引かれた衍字(誤入した余計な文字)で正しくは「先代旧事」だろう。また『日本書紀』天武10年に川島皇子が修撰した『帝紀』と『上古諸事』もまったく同じもの。
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帝皇日継(すめらみことのひつぎ)
「本紀」というのはもともと司馬遷が始めた中国の正史の紀伝体のスタイルで、歴代の皇帝の伝記に、在位中の期間の部分に帝国史の年表を合体させたもの。「帝紀」というのは本紀の別名だが、『漢書』では権力をふるっていた呂后のために「后紀」という項目を立て、他の男性皇帝は「帝紀」としたので「本紀」という名称は使ってない。『後漢書』では通常なら皇后列伝とするところを「后紀」という名にしたので、通常「本紀」というはずの歴代皇帝の伝記を「帝紀」として、「帝紀/后紀」と対比させている。『後漢書』は『漢書』に倣おうとしたのだろう。もちろん古事記序文に出てくる「帝紀」はそれと同じではなく、「日継」という和語の漢訳語として使ってるのだが、本紀というはずのものを日本でも「帝紀」といってるのは漢王朝をリスペクトしていた天武天皇の趣味だろう。それ以前は「帝王本紀」「本紀」「帝皇日継」等と訳していたと思われる。とはいうものの、本紀の和風表現が「日継」で日継の漢語表現が「本紀」、帝王と帝皇も同語、帝王本紀の前半を略せば「本紀」、中を略せば「帝紀」で、皆同じ。「先紀」は「本紀」の誤写でおそらく「先紀」という言葉はもともと存在してなかろう。聖徳太子修撰『天皇記』も川島皇子の『帝紀』も岩波文庫の日本書紀ではスメラミコトノフミと読んでるがスメラミコトノヒツギまたはスメロギノヒツギのほうがよいだろう(岩波の日本思想体系版『古事記』ではスメロギノヒツギと読んでいる。その方が良さげ)。聖徳太子の『天皇記』は焼失して現存しないが大略おなじ内容だったと想像される。

先代旧辞(さきつよのふるごと)
古事記序文の「先代旧辞」と『弘仁私記』の「先代旧事」、まったく同じ。「辞」の字は「耳に聞き口に話す言葉であることを重んじた表現」などともいうが、それはそれで間違ってはいないのだろうが、「古代の出来事、上古の事件」という意味が本然的な意味ではないだろうか。和語としては「コト」の中に「辞」も「事」も片落ちすることなく包含されているのであり、「辞」の一面だけをやたら強調するのもどうかと思われる。また「本辞」という言い方は「本紀」に対応させた表現だとしたら漢文特有の文字遊びみたいなもので正しい名称でない。「古辞」の誤写だとしたら「本辞」という言葉はもともと無かったことになる。川島皇子の『上古諸事』を岩波文庫の日本書紀ではイニシヘノモロモロノコトと読んでるが間違いで、ここはただフルゴトと訓むのが正しい。旧辞=旧事=フルゴト。「上古諸事」はフルゴトを漢語に意訳して字数を書き延ばした表現だから和訓はフルゴトでよい。聖徳太子修撰の『国記』(くにつふみ)と『臣連伴造国造百八十部幷公民等本記』(おみむらじとものみやつこくにのみやつこももあまりやそとものをあわせておおみたからどものもとつふみ)なるものがあり後者は大化の改新の時に焼失してしまい、前者も現存していないが。これらが「先代旧辞」と関係あるような説もあるが、『国記』は後世の『風土記』のような国ごとの地誌で、『臣連伴造国造百八十部幷公民等本記』は後世の『新撰姓氏録』のような氏族誌だろう。ともに直接に「先代旧辞」の内容に関係するものではない。

通説への疑問
武田祐吉以来の学界の通説として、「帝皇日継」(以下、帝紀という)は天皇の系図に若干の定式的な記述(宮都、陵墓など)が付随したもので「物語」がついておらず、「物語」の部分がつまり「先代旧辞」(以下、旧辞という)なのだ、という。だから上巻(神代の巻)は全部が旧辞だけで出来ており、中巻下巻(神武〜推古の歴代天皇の巻)は帝紀を本体として、それにバラバラにされた旧辞を適宜はめこんで出来ているのだ、というのが学界の通説になってる。しかし本当にそうか?

武田説の問題点
戦後の歴史学説の中には、旧辞は純粋に物語だけで特定の天皇は出てなかったのではないかという説も出た。つまり帝紀と旧辞はまったく別々のものなのに、後から恣意的にくっつけたのだから、たとえば古事記では顕宗天皇の話になってるのに同じ事件が日本書紀では武烈天皇の話になってたり、ってことが起こるのだ、という。だが、それを認めると、記紀の物語はすべて天皇と無関係にならないか。主人公が特定されないのならそれは「民話」ではないか。こうだ、「昔々(つまり時代はわからない)、お爺さんとお婆さんが(つまり不特定の名無しの人物が)云々」という。まぁ、それが「なんでも架空」にもっていきたい連中の目的なんだがな。でも、どこの誰だかわからない主人公の話を、朝廷が後生大切に伝えてきたなんてあるだろうか? それを無理矢理くっつけたって作り話であることは作った本人にも当時の人々にもバレバレだろう。なぜなら、現代が「インターネット社会」であるように、当時は「語部(かたりべ)社会」であって、古伝承は豊富かつ貴族か庶民かを問わず親しまれていたろうから。むろん武田祐吉はあくまで書物の形式のことをいってるんであって、旧辞に特定の天皇が出てこないなんてアホなこた全然考えてなかったかもしれないけど、戦後の学説が生まれてくるような紛らわしさが、武田祐吉の説にあったことも事実だろう。旧辞と帝紀はあくまで別々なら、もし特定の天皇が出てきたらそれは帝紀の要素ってことになるわけで。
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※この通り、物語あるところおのずから系図ができる。↑↓
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物語と系図が別々ということがありうるのか?
物語が大切に伝承されてきたのはそれが天皇の物語だからであって、だからこそ朝廷において意味があり、それに連なる貴族社会にとっても意味がある。物語ぬきの系図だけであっても、ある程度は事足りるかもしれない。しかし、物語と切り離したら系図上の祖先はまったく無人格な、どんな人柄か想像もつかない、先祖をつなぐ線でしかなくなる。自分らの先祖が皇室の祖先である初期の天皇とともに戦い、国作りに参加してきたという伝承=物語の方こそ、普通に考えれば家柄を誇る上でも単なる系図以上に重要なのではないか。というかこの二つはそもそも切り離して考える必要があるのか、もし切り離したら無意味な断片になってしまうのではないか? 最初にそんな情況だったのなら、そもそもそれらは伝承されなかったであろう。伝承されてきたという事実が、それらは最初から一体のものだったという証拠なのである。従って私はこう考える、「帝紀」には最初から現在の記紀にあるような物語部分はくっついていた。この物語部分は「旧辞ではない」。つまり、古事記だろうが日本書紀だろうが、神武天皇以降はすべて帝紀なのであって旧辞は含まれていないのである。そうすると、旧辞とは何かって問題だが、帝紀以外の残った部分、つまり必然的に旧辞とは神代巻のことだということになる。先代旧辞の先代(さきつよ)とは、単なる漠然とした昔の意味ではなく「神代」のことなのである。
f_kakeizu.gifファンタジー家系図メーカー
※↑このように、物語なきはずの虚名からなる系図であっても、名がキャラを体しておればおのずから物語が生成されざるをえないw 当時の固有名詞が生前の功績にちなんだものなら系図の背後にあったはずの物語も当然にその存在が推定できるのである。

「思い込み」を捨てよう
…という私の説、おかしいと思う? 実はこれ、私の説ではない。ところで武田祐吉という学者は大正から昭和前期くらいの人だから、日本の歴史の中では最近の人だよね。ということは、この「旧辞は物語の部分で帝紀は系図の部分だ」っていう「思い込み」も最近のことであって、昔の人はこのようには考えていなかったということだよ。本居宣長は、帝紀は国史のことであり、旧辞は文字よりも言葉に重きを置いた表現だといってるだけで、これ以上あまりはっきりしたことはいっていない。平田篤胤は旧辞は神代巻のことで、帝紀は神武天皇以降の歴史のことだといった。これ以降は、武田祐吉が妙ちきりんな説を言い出すまで、この平田説が通説になっていたのです。当然、いまだに通説(武田説)に対して承服していない学者もいて、大御所では西郷信綱、有名人では三浦佑之がこの平田の説を支持している(ただし三浦はまだ30代の若い頃の話なので今でもそうなのかどうかは知らんが)
皆さん、もう武田祐吉の説は捨てて、平田説にもどろうよ。古事記の歴代天皇の中の「物語の部分」は、旧辞じゃないんだよw そこも帝紀なんだよ。
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Author:浅草橋キッド
どこから見ても平凡な、一介の町人です。

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