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☆イエス・キリスト、日本に来たるw

平成30年12月25日改稿
本日、皇紀2677年6月4日(日)は6月の第一日曜。ということは。「第54回キリスト祭」の日である! といっても行ったことないんだけどね、遠すぎて。青森県の山奥だからなぁ。
(追記:ポスターはH30年のよりH29年の方がよりシュール!)
20170518_1910582.jpgChrist Festival 2018
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いつの日か、今の人生のすべてのしがらみから解放されたら、きっと俺は行くんだ、そしてキリストの墓にお参りして、キリストTシャツを着て、キリスト饅頭とキリストラーメンを食べ、キリストワインに酔ってナニャドヤラーを踊るんだ…。
日本のキリスト伝説(?)
こういうへんなお祭りがあるうちは日本の将来はだいじょうぶだと思われる。…それはいいんだが、これが『古事記』となんの関係があるのかというと、俺もよくわからない。じゃなくて、実は全然ない。じゃなくて、日本にきたなら垂仁天皇の時代だな、『日本書紀』の編年に準拠すれば。でも記紀に書かれてないから来てないと思うよ? ただの乞食だと思われたのかな、古事記だけにw 当時の日本人に「キリストです」と名乗ったところでそんな有名人だとは思わないからな。いや当時はキリストもまだ有名人になる前だけど。ということは、もし本当に日本にきてたとしても、記紀に載ってないのは当然のことで、記紀にないから来てないともいえないわけだ。よっしゃw なにが「よっしゃ」だかわからんが。歴史事実かどうか別として考えてみると、キリストの話は神話学的にはひじょうに興味深くて、日本の神話とも関係あるような話にもっていくことも可能っちゃ可能なんだよね。でもその前にひと通り馬鹿話もしておこうw

若い頃のキリスト
キリストって2回きてんだよなw 一回目は若い時でキリストが30~33歳ぐらいで布教はじめる前の経歴が不明なんで、この間、日本に修行にきてたとかなんとか。ご存知の人も多いだろうがこれは元ネタがあって、海外ではインドに行ってたって説が大昔からある。まぁ細かくは諸説あるんだろうが、エメラルド・タブレット(の偽物w)で有名なモーリス・ドリール博士だ。オカルト出版の老舗で有名な霞ヶ関書房から『カバラの真義』だの『ヨガの真義』だの「~~の真義」シリーズが邦訳。真義が好きみたい。この博士もエジプト、チベット、インドのカシミールにいってたという。エドガー・ケイシーはインドやエジプトにさらに加えてペルシアにも行ってたという。まぁこの人たちは霊能者なんで、学説じゃないが。もっと極端なのはリバイ・ドーリングの『宝瓶宮福音書』。自動書記だけどさ。日月神示だって自動書記なんだから細かいことはいうなw これによると若い頃のキリストは世界漫遊してたことになってて、ギリシア・ペルシア・メソポタミア・エジプト・インド・チベットの賢人たちと会合したことになってる。チベット人の名前が「メングステ」っていうんだけど、本当かねこれ。チベット語的に合ってるのかな。傑作なのは、これの邦訳を出した霞が関書房の社長が「日本に来てないじゃないか!?」となって著者に直接問い合わせたけど返事なかったそうなw チベットまできたなら日本まですぐなのに、と思ったのかなw でもリバイ・ドーリングってチベットをシナの一部かシナの代表だと思ってるフシがあってちょっと基本知識的にやばいんだよw いくらなんでもあの時代の中華文明を世界から除外するのかどうかと思うが、たぶん知識不足がバレるのが怖くてキリストを行かせられなかったんだろうねw なのに「本当に日本に来てないのか?」なんて問い合わせには困ったろうなw いや困んないんだった、霊能者は都合のいい言い訳を山のようにもってるからなw まぁでも竹内文献的には日本にも来たわけだw ユダヤ人なんだから世界中どこでもいけるだろうw 当時だって世界のユダヤネットワークすごいよw ホントかよw

キリストは本当に男だったのか?
純粋に実証主義的歴史学をきつきつに追求したら、キリストは架空の人物になりかねないわけだが、このブログでは当然そういう野暮なことは言わないw
ユダヤの伝説ではマリヤは娼婦で、ユダヤを支配するためローマが派遣していた進駐軍のローマ兵との間に生まれたのがイエスだという。もしこれが正しいとすると「イエスはアーリア人だった」というヒットラーの説となぜか一致してしまうなw ユダヤ人は貶めようとしてこんな話を作ったのだとばかりも決めつけられない。マグダラのマリヤの存在を思えば、売春婦であること自体は卑しいことではないかもしれない。どうであれキリスト当人が性産業従事者を差別するとは思えないでそ。なぜか欧州のキリスト教社会は性に過剰に厳しくやたらうるさい文化を作ってしまったが、なぜなのか、それはそれで面白い議論だが、今回はスルー。キリストの母が貧しい娼婦だったとしても、最近の人は性的な倫理観がゆるくなってるし人権意識も発達してるので、さほどケシカランとか卑しい人間だとか思わないのではないか。むしろそういう境遇に身近な人間のほうが、宗教家として思想性が深まるのではないか。…っていう理屈もありうるじゃんよ、孔子も貧乏な母子家庭の出身だったし。
まぁユダヤ人の意図はイエスを貶めようとしたのかもしれないが、これと逆に日本人はもちあげるよw イエスは秦王国の王子だか秦氏の王子(氏族長の子?)だかって説がある。この当時の秦氏ってまだ日本にきてなくて朝鮮半島の「秦韓」にいた頃だろうに分かって言ってるのかねこれw 秦王がユダヤまでお出ましになったとか考えにくいから、マリヤが若い頃朝鮮半島にいて秦韓の王宮にお仕えしてたことがあったってことかね? ユダヤ人の国際的ネットワークのすごさがこの事からもわかるだろw さらに!そんな程度でびっくりしてる場合じゃないぞ、浜本末造だったか森佐平だったかはイエスは日本の皇子で、彼が「天国の父」といったのは日本の崇神天皇のことだといってたぞw  娼婦の子になったり皇子になったり忙しいなw でも俺の説だと崇神天皇はもっと前の人なので時代があわない。キリストが日本に来たあたりは俺の計算だと景行天皇ぐらいの頃なんだよね。え?お前の説なんか聴いてないって? まぁまぁそういわず聴いてくれよw 仮に崇神天皇の時代だとして、キリストが日本国内を通って東北にいったとすると、関東を経由するじゃん。崇神天皇の時代だから、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)と遭遇したんじゃないかって想像した人がいたわけよ。それが幻の迷著『謎の東国 豊城入彦命とキリストの大予言』(1987年、渡辺明著、吾妻書館)です。もう大昔に古本屋に売ってしまったので内容うろ覚えだが、小説仕立てで、たしか天皇から関東の統治を任され豊城入彦命(崇神天皇の皇子)がいろいろ人類の幸福とか政治のこととかで考えたり悩んだりしてるモノローグが延々と続き、後半ラスト近くで唐突に西方の聖人がやってくる。で、なぜかごく自然に二人は出会って淡々と会話する。…というだけなんだが、お互いに初対面なのに相手みてビックリもしないし「あんた誰?」状態にもならず、まるで知り合いみたいに話が合うというw オチも確か無かったような気がする。少なくともストーリーの面白さは求めちゃダメ。じゃ二人の会話にテーマ性みたいのがあるのかというとこれもちょっと掴みどころがなかったような。平和とか人類の幸福とかいわれてもな。抽象的な単語ならべただけじゃカルト宗教のチラシと同じで具体的な内容はないよう? よほどへんな趣味の持ち主でもない限り、ネットで探して買って読んでも絶対後悔すると思う。しかし、さっきの俺の説だとこの頃はもう豊城入彦命はとっくに薨去して、その孫の彦狭島王(ひこさしまのみこ)の時代じゃないかと思われる。いやそもそも毛野氏が関東にいったのは彦狭島王の子の御諸別王(みもろわけ)からで、豊城入彦命から三代間はまだ大和の都にいたんだから、キリストが東国で豊城入彦命に会うっていう設定がおかしいんだ。じゃ、大和で会ったことにすればいいなw
キリストが「天国の父」といったのは崇神天皇のことでキリストは皇子だったという浜本末造だったか森佐平だったかの説に戻って、あるいは、崇神天皇ではなくて、その当時の天皇、つまり景行天皇だったとするとどうか。景行天皇が九州征伐に向かった時、神夏磯媛(かむなつそひめ)と速津媛(はやつひめ)という九州西部の女酋長が一族を率いて天皇に従ったという。神夏磯媛のいたところは京(みやこ)といい、今の大分県行橋市のあたり、速津媛のいたところは速見邑(はやみのむら)といい今の大分県杵築市のあたり。この京(みやこ)というのは律令時代の豊前国京師郡で、ここは秦氏の巨大な本拠地で、有力な説では『隋書』倭国伝にでてくる「秦王国」があったところという。秦氏といえばユダヤ人、というのがお約束w とすると神夏磯媛や速津媛はユダヤ系の血を引く女性だった可能性がひょっとしてもしかしたら…? 景行天皇には80人も皇子がいたというが記紀に名前が残っているのはそのうち21人しかないから、この二人の女性が皇子を生んでいてもおかしくないw 二人のうちどちらが聖母マリヤなのかっていう問題はあるが、それはさておき、こんなところにユダヤ人がいたなんて、いまさらながらユダヤ人の国際的ネットワークのすごさが(以下ry
それと、歴史上の実在のイエスはかなりブサイクな男だったらしい。初期の教父たちの書簡などには、人は見た目で判断してはいけない、主は眉が太いの唇が厚いの目が小さいの頬が骨ばってるのと、いろいろ残っていて、総合するといかりや長介みたいな顔になる。今時の若者にいかりや長介といっても通じないかもしれんが適当に画像検索どうぞ(若い頃のいかりやな)。美形のキリスト像は「信者からはそう見えてる」ってだけで実際に美形だったわけじゃない、とw やはりそういう人じゃないと人のつらさや心の傷みはわからないのだろう、イケメンにもっともらしいこと言われても腹立つだけだしなw
さらにはキリストは去勢していたという珍説もある。有名なのはスコプチの説だが、18世紀ロシアの新興宗教だからってデタラメとは限らんよw ユダヤ教は民族宗教だから去勢なんてとんでもないことだが、初期のクリスチャンは教父か修道僧か一般人かを問わず、自主的に去勢した男性がちょいちょいいたようなのだ。「あなたの手が姦淫を犯すならその手を切り落としなさい、全身が地獄におちるよりマシだから」みたいな言葉が聖書(マタイ伝5章27~31節)にあったろう、あの精神に基づけば去勢はありうることになる。だから3世紀にすでに去勢を推奨するヴァレリウス派という宗派もあり、東ローマ帝国では去勢聖職者の制度と去勢修道士の修道院もあったし、去勢した聖職者の中には皇族出身者もいればコンスタンチノープル総主教にまでなった人もいた。だから去勢という考えはスコプチの時代になって突然出てきたわけではないし、なんら恥でもスキャンダラスなことでもなかったのだ。
さらに!そんな程度でびっくりしてる場合じゃないぞ、去勢した男性どころか、そもそも女性だったという奇説もある。大昔の「ムー」の外電記事だから詳細が不明なんだが。英国のある教会に捧持されていたキリストの遺骨の破片という聖遺物をある生化学者が分析したら女性の骨だったというので、それを根拠にしてイエスの本名はイエシェ(イエスの女性形)といい、聖母マリヤは救世主が女性では世間が認めてくれないと思って男性として育てたのだ、という説を唱えた。イエスはりつけの時に天幕が裂けて世の中が真っ暗になったと福音書に書かれているが、これは下着がとれて女性であることがバレたことの表現らしい。本当かねw イエスの女性形が「イエシェ」だってのはアラム語かギリシア語かヘブライ語のどれかで文法的にあってるのかな? 去勢者だという説の場合、バレたらまずいって話は一切きかない。格別秘密でもなく、十字架上でふんどしが取れても誰も驚かないってことか。救世主が女性であるほうがよほどスキャンダルだとは、現代とはずいぶんと価値観がちがうものだなぁ。それと、現代のオタクは女性化というとすぐ美少女前提で妄想が始まるのかもしれないが、ちょっと待て。もし女性説と先ほどのブサイク説がどっちも正しいとすると、あまり想像したくないことになるんだが。でもよく考えると「男、ブサメン」だったとしたら格別おもしろみもなければ深い意味も生じず「だから?」「あっそ」で終わってしまうんじゃないか? 美人じゃなくて女性として苦労人のほうが宗教家としては深みありそうではある。
ところで、面白い理屈がひねり出せるのならイエスが7人いても8人いても一向に差し支えないのだが、もし去勢した男だって珍説と女性だって奇説を両立させるには最低でもイエスが2人いないといけない。そんな都合いい話があるのかというと、なぜか丁度うまいことにルドルフ・シュタイナーという気のいいおっさんがイエスは2人いたって説を唱えてんだよ、これがまた(詳細は後述)。おれは学生時代、教育心理学の論文でこのおっさんをネタにしたら「優」をもらえたんだよ、だからシュタイナー好きw

イエスの兄弟たち
竹内文献では十字架にかかって殺されたのは弟のイスキリであって本人は逃亡して助かったことになってるが、これも独創的な妄想ではなく、姿形の似た何者かが身代わりになったというのは海外でも昔からある説だ。例えばイスラム教でもそう考えられてるのは今では日本人も知ってる人が多いかもしれないが、もちろんイスラム教が最初に言い出したのではなく、キリスト教の初期からそういうことをいう人は何人もいた。まぁ死人が生き返ったと言い張る集団がいたら、とりあえずのリアクションは自然とそうなるだろうけどな。ただし弟の名がイスキリだってのは竹内文献の独自性だよw ウケを狙ってんのか、何なんだろうな、いくらなんでもイスキリってw イエス・キリストを東北弁で訛らせて縮めたんかと思われるだろうが、「石切神社」ってあるじゃん、石切(いしきり)も東北弁だと「いすきり」に聞こえる。石切…、石工? フリーメーソン!? …なんて連想は好き者へのネタ提供ということでやめておくw 話を戻して、イエスの兄弟はヤコブ、ヨセフ(親父と同名)、シモン、ユダの4人の兄弟、それに姉妹たち。姉妹は少なくとも2人で、もっといた可能性はあるが詳細不明(ネット情報では姉妹2人と断定している例が多いが正確でない)。これだけの兄弟姉妹がいたから、誰かが身代わりになったか。としたらそいつがイスキリと同一人物だなw
あるいは弟子のトマスは双子といわれるが誰と双子なのか不明。それでこのトマスが実はイエスと双子だったのだという説もあったはずだが、何の本で読んだのか忘れてしまった。トマスはユダという別名(つか本名)も持っているので、イエスの兄弟ユダと同一人物か。この説の場合、カトリックの教義上、イエスに実の兄弟がいてはまずいので福音書ではトマスとユダが同一人物であると明示することを避けてわからないように書かれているというわけだ。しかしトマス自身はその後も生きているので十字架で死んだのは双子の片割れでないとおかしい。双子の片割れのもう一人といえばこの説の場合イエスなのだから、トマスとイエスが双子だったとしてもイエスの身代わり説を説明する材料には使えない。

カトリックの「従兄弟」説・正教会の「先妻の子」説
この兄弟姉妹だが、マリヤは処女のままでかつイエスは神の独り子でないと教義上こまるので、カトリックでは兄弟姉妹ではなく従兄弟・従姉妹だとしていて、ギリシア正教ではヨセフの先妻の子たちということにしている。俺も若い頃は「そんなの宗教上の都合による歪曲じゃないか、本当は兄弟たくさんいたんだろ」と頭ごなしに決めつけて、クリスチャンでもないのになぜか教会に怒りを覚えていたものだが、まぁ待てw この「従兄弟」説がややこしく入り組んでて、とにかく面白いのだ。面白ければいいのかっていうかもしれんけど、そうですよw ってか、まぁ最後のオチまで読んでから怒れw ヨセフの弟クロパの子シメオンというイエスよりに先に生まれた従兄がいるので、カトリックではこれが兄弟シモンと同一人物だとする。アルファイの子ヤコブという人物は、アルファイ(アラム語)がクロパ(ギリシア語)と同じ意味なのでクロパと同一人物とすると、シメオンとヤコブは兄弟で、イエスの兄弟ヤコブとアルファイの子ヤコブも同一人物となる。丁度うまい具合に「ヤコブとヨセフの母マリヤ」という女性と「クロパの妻マリヤ」(こちらは聖母マリヤの妹だともいう)という女性がいるのだがこの二人も同一人物とすると、「ヤコブとヨセフの母マリヤ」のヤコブとヨセフはイエスの従兄弟となるから、イエスの兄弟のヤコブとヨセフと同一人物とすれば、ユダを除く3人の兄弟はすべて従兄弟だったということになる。ただし聖母マリヤの妹のマリヤとヨセフの弟クロパとの間に生まれたのはヤコブとヨセフだけでシメオンはクロパと先妻の子ということになる。また兄ヨセフと弟クロパの兄弟は、姉妹で同名のマリヤ姉妹と結婚していたことになるし、さらにそれ以前ヨセフもクロパも先妻との間に子が生まれていたことになる。イエスの弟ユダとイエスの妹たちについてもカトリックは従兄弟従姉妹とするのだろうが、その場合その部分だけ系図線が不分明なので、ここだけ正教会の説でヨセフの先妻の子としてもよい。ただし、ユダだけは前述の「トマスと同一人物でイエスとは双子」って説があるから、先妻の子じゃなくてマリヤの子でないといけない。これはカトリック的にはまずいんだろうが俺はカトリック信者ではないのでスルー。従ってヨセフの先妻の子はイエスの姉妹たちだけとなる。

シュタイナーの「二人のイエス」説
ルドルフ・シュタイナーの「二人のイエス」説だと前述の去勢者イエスと女性イエシェが両立できるので便利だ。シュタイナーによると、父ヨセフ・母マリヤ・息子イエスの3人家族というのがナザレとベツレヘムにそれぞれあったという。ヨセフ、マリヤ、イエスという名は当時のユダヤにありふれた名前なのでここまではありうる話としていい。ベツレヘムのイエスは『マタイ伝』準拠で、父ヨセフはソロモンの末裔(王系)、生まれた時に東方の博士の訪問を受けた。ヘロデ王の幼児虐殺を避けるため一時期エジプトに逃げていた(『マタイ伝』では人口調査の登録のためにヨセフとマリヤがベツレヘムに出かけていた時に生まれたとしているが、この段階ではナザレからきたわけではなくどこの夫婦なのか明記していない。なのでシュタイナーはもともとベツレヘムの夫婦だったと解釈してるんだろう)。ナザレのイエスは『ルカ伝』準拠で、父ヨセフはナタンの末裔(司祭系)、生まれた時に羊飼いの祝福を受けた。ヘロデ王の幼児虐殺の後に生まれたというから、ナザレのイエスのほうが歳下になる(BC6年生まれとBC4年生まれか?『ルカ伝』でも人口調査の登録のためにヨセフとマリヤがベツレヘムに出かけていた時に生まれたとしているがナザレ人の夫婦でありナザレからでかけていったのだと明記している。当時のベツレヘムは寒村で、ここで生まれたという設定は救世主誕生の預言にあわせたムリヤリな創作だろうというのが定説だが、野暮なつっこみは禁止ってことでw)。
ベツレヘムのイエスはゾロアスターの生まれ変わりで、ナザレのイエスは仏陀のアストラル体が取り巻いていたという。ここでゾロアスターと仏陀が出てくるのはエッセネ派の関係だろうかね? 当時のユダヤ教の宗派にはサドカイ派とパリサイ派とエッセネ派があったが、エッセネ派というのは複数の派閥をごっちゃに総称したもので一つの教えではない。純粋のユダヤ教じゃなくてゾロアスター教や仏教の影響を受けたものもあったようで、かなり異教的な教派もあったようだ。「洗礼のヨハネ」の教団や、死海文書で有名なクムラン教団、そしてイエスの教団などもエッセネ派の一つだった可能性が高い。初期のキリスト教が普通のユダヤ教とちがって去勢や独身非婚に肯定的なのもエッセネ派からの影響だといってる人もいる。ゾロアスターがどうの仏陀がどうのっていう話はどうでもいいようだが、二人のイエスの性格の違いを推察するための(妄想するための?)参考にはなるやろ。
さて、ナザレのイエスは一人っ子だが、ベツレヘムのイエスには弟妹が何人もいた。ここでベツレヘムのイエスは12歳で死んでヨセフも死に、後家さんになったマリヤは子供たちを連れてナザレに引っ越し。その頃ナザレではマリヤが死に、ヨセフとイエスの男二人暮らし。そこで出会ったヨセフとイエスは再婚したと。だからイエスと他の兄弟姉妹とは血がつながってないことになる。うまいこと考えたなw
この際、ベツレヘムのイエスは死ななかったことにすれば、イエスはずっと二人いたことにできる。人智学のややこしいオカルト理論では、ベツレヘムのイエスは12才で死ななきゃ治らないわけだが、俺は人智学の信者じゃないんでそんなこたぁどうでもいい。イエスが二人いることになると、イエスをめぐる異説がいろいろ統合できる。男で去勢していた説と女性説も両立するし、二人のうちどちらかは、マリヤが娼婦やってた時のローマ進駐軍の兵士の子ってこともありうる。秦王国の王子だか天皇の皇子だかって御落胤説もあったw ベツレヘムのイエスの方がアーリア的要素に縁がありナザレのイエスのほうが女性的で優しそうだから、ベツレヘムのイエスが進駐軍と娼婦の子で去勢者、BC6年生まれだから兄。ナザレのイエスが本名イエシェ(女性)で御落胤、BC4年生まれだから妹。とキャラを割り振ったらどうか(御落胤説は「王子だか皇子だか」から「王女だか皇女だか」に変更になるけど)
このヨセフとマリヤの夫婦が2組いたって説は、カトリックでいうところの、ヨセフとマリヤ(姉)の夫婦とクロパとマリヤ(妹)の夫婦の2組からイエスとその従兄弟たちが生まれたという説にずいぶん似ている。だから両説を合成したら面白いと思うのだが、つまり兄ヨセフとマリヤ(姉)の兄姉夫婦と、弟クロパとマリヤ(妹)の妹夫婦は、お互いの配偶者と死に別れて再婚したというストーリーだ。この二人目のイエスは、カトリックの「従兄弟」説にあてはめた場合、クロパとマリヤ(妹)の間の息子ということになり、ヤコブとヨセフは第一イエスからは従兄弟だが第二イエスからは正真正銘の弟ということになる。
ただし、クロパとマリヤ(姉)が早く死去して、残されたヨセフとマリヤ(妹)が再婚したのか、それともヨセフとマリヤ(妹)が早く死去して、残されたクロパとマリヤ(姉)が再婚したのかが決められない。それが決まらないとベツレヘムのイエス兄とナザレのイエシェ妹、どちらがどちらの夫婦の子か特定できない。

ジェイムズ・D・テイバーの「再婚」説
ところでジェイムズ・D・テイバーの説では「ヤコブとヨセフの母マリヤ」も「クロパの妻マリヤ」も聖母マリヤと同一人物で、ヨセフの死後にマリヤがクロパと再婚して生まれたのがイエスの兄弟たちだという。再婚というアイディアはルドルフ・シュタイナーの「二人のイエス」説に似ている。シュタイナーの説では早く死去するのはベツレヘムのヨセフとナザレのマリヤで、再婚するのはナザレのヨセフとベツレヘムのマリヤだから、シュタイナーの説とテイバーの説との対応関係をみると、マリヤ(妹)がナザレのマリヤ、クロパがナザレのヨセフに該当することになる。すると、シュタイナー説でのナザレのイエスはクロパとマリヤ(妹)の間の子で、ヤコブとヨセフの兄となる。イエシェだから姉だが。ここまではよい。ただ、この組み合わせからだとユダ(トマス)と双子の兄弟はベツレヘムのイエスになってしまう。ユダはヨセフの子だから、娼婦をやってた時にローマ兵の胤で生まれたイエスと双子ではありえないことになってしまう。…と一見思われる。が、実は人間の精子は膣内で数日間も生きていることがあり、まれに胤ちがいの双子というのが生まれることは、今の世の中インターネットがあるので誰でもすぐいくつもの事例を確認して、これが嘘じゃないことがわかる。双子なのに見た目があまりに似てないからすぐわかったろうが、父ヨセフは器がでかいからそんなこた気にしないのだ。そうでないと救世主の父にはなれん。
大事なところはそこではない。夫婦が死に別れってのはあまりに哀しいので、ここは一つ、死に別れではなく一回離婚して、嫁さんを交換してから再婚したほうがめでたいのではないだろうか。こういうのは当時のユダヤ社会の倫理観ではどうなんだろうか、よくわからないが、多少は荒れた家庭とか爛れた関係とかの渦中にいたほうが宗教家としては思想性が深まるってもんでよろしいんじゃないでしょうか。それで聖徳太子も偉くなったって、豊田有恒もいってたろw 実際、喧嘩別れしたとは限らず兄弟姉妹カルテットで仲良しだったのかもしれんのだし。ただ、シュタイナー説にしろテイバー説にしろ一つの夫婦しか生き残ってないのだから、シュタイナー説で死んだことになってるベツレヘムのイエス以外の全部の子供たちをクロパ(ナザレのヨセフ)とベツレヘムのマリヤ(姉)の夫婦が引き取ったことになる。死んだことになってる人たちを俺が設定変更して生きてたことにしたのが、「ベツレヘムのヨセフとナザレのマリヤ(妹)それにベツレヘムのヨセフの連れ子ベツレヘムのイエス」の3人となる(ベツレヘムのイエスは形式上はベツレヘムのヨセフとは父子でナザレのマリヤとは叔母と甥だが、どちらも実際の血のつながりはない)。
…と、これで完成のはずだが、どうも釈然としないな。ベツレヘムのヨセフとクロパ(ナザレのヨセフ)の兄弟が、姉妹をそれぞれ嫁としただけでなく、兄弟ともマリヤ姉妹と結婚する前に先妻がいたってのがどうもな。偶然にしてはできすぎじゃね?
ここは逆転の発想が必要だ。ベツレヘムの兄ヨセフとベツレヘムの姉マリヤの夫婦、ナザレの弟クロパとナザレの妹マリヤの夫婦、この2組がまずあって、その後このカップルが離婚して嫁交換再婚したとばかり思い込んでるが、その前にヨセフにもクロパにも先妻がいたというのだから、つまりこのカップルはこれから離婚するのではなく、一度嫁交換した再婚後の組み合わせなのである。もともと兄ヨセフと妹マリヤとの間に娘たちが生まれ、弟クロパと姉マリヤとの間にシメオンが生まれていた。その後、兄の嫁が妹で弟の嫁が姉なのはおかしいって話になったかならないかわからないが何らかの理由で離婚して交換再婚。その後、ヨセフと姉マリヤの間にイエスと双子のユダが生まれ、クロパと妹マリヤの間にイエシェとヤコブとヨセフが生まれた、というわけだろう。
しかしそうなると、姉マリヤだけが聖母ではなく、妹マリヤも聖母っぽい感じになるな。シュタイナー説だとヨセフも二人、マリヤも二人だからどっちも聖母あつかいか? マリヤが二人いていいなら、前述の神夏磯媛と速見媛も、どっちがマリヤかで悩む必要がなく両方ともマリヤでいいw

キリストの伝記は太陽神話?
ところで、キリストの兄弟は、男がシメオン・イエス・ユダ(トマス)・ヤコブ・ヨセフの5人と、姉妹が最低2人で正確な人数不明ってことだったが、仮に姉妹は2人だったとする。で、イエスが二人いたという説で、かつ、二人のイエスのうち一人は女性のイエシェという説だと、イエシェが三姉妹の妹ということになり、5男3女の8人兄弟姉妹ということになる。…5男3女? と言えば、古事記関係者だったらすぐ思い浮かぶのが、雛祭の五人囃子と三人官女。じゃなくて、天照大神と須佐男命の誓約(うけひ)で産まれた五男神と三女神だろう。天照大神と須佐男命はお互いの物実(ものざね)を交換して8柱の御子神を生み、ベツレヘムのヨセフ(兄)とナザレのクロパ(弟)はお互いの嫁を交換して8人の子を生む。これ、偶然の一致なんだが、むりやり「偶然ではない」と言い張ってみよう。キリストが死んで復活するところは、太陽が死んで復活する冬至の祭儀がクリスマスの起源で、エジプトの太陽神ホルスや、イランの太陽神ミトラの、いわゆる太陽神話がもとになってるという説が大昔からある。ミトラは日本神話では天照大神にあたり、天の岩戸の神話とも共通している要素がある。シベリアの先住民の神話でも「昔、五本指の男の子と三本指の女の子がいて、その二人からこの部族(もしくは人類)が生まれた」という神話があり、「5男3女」という数字と性別の組み合わせは普遍的な古伝承らしい。

一度目の日本訪問と三年間の布教活動
イエスは、ヨハネから洗礼を受けて3年間の布教活動をする以前の経歴が不明だが、竹内文献は日本に留学だか修行だかしにきていたんだという。21歳の時、日本にきて12年間修行したという(つまり33歳で日本を去り帰国した時34歳ってこと? 12年間って数字にこだわるなら15歳か16歳で来てないと計算あわないような気がする)。前述のドリール博士によると、イエスは13歳(たぶん満年齢)で両親とエジプト旅行、16歳の時に単身で再度エジプトへ。そこからチベット(のシャンバラ)にテレポートw、20歳の時カシミールを漫遊。25歳でエジプトに戻り1年間ピラミッドで暮らす。ナザレに帰ったのが26歳、洗礼のヨハネの教団にアクセス。3年後の29歳の時に布教開始、33歳で磔の刑。ドリール博士はイエスの誕生をBC6~7年頃としているが、仮に刑死をAD33年とすると計算があわない。上記の年齢はBC1年かAD元年の生まれでの計算か、もしくはBC4年誕生として刑死をAD30年とする説と思われる(通説ではイエスの処刑はAD33年説が最有力で次いでAD30年説が有力)が、まじめに計算する意味はないかw 前述の宝瓶宮福音書によるとイエスがインドに来たのは12歳(以下すべて満年齢)。で、15歳の時にチベット入り。24歳の時、西へ戻ってペルシアに。そしてユダヤに帰国したのは29歳、翌年ヨハネから洗礼を受け、36歳で刑死、復活。宝瓶宮福音書は木星の周期にあわせて12年毎(12歳・24歳・36歳)に人生の大事件があったと設定し、十字架にかけられたのは36歳としている。がここではそれを問題にする必要はないし真に受ける必要もないだろう。宝瓶宮福音書もおそらくBC4年誕生説に準拠していると思われるが、それだとBC6年説であてはめると十字架で刑死したのは38歳の計算になる。ドリール博士の説でも宝瓶宮福音書でも日本にはきてないが、竹内文献では逆に日本以外に行ってないw 上述の通りイエスは2人いたんだから、この世界漫遊は一方のイエスの話であり、もう一人のイエスは日本でもいい。ペルシアやインドにいったのはアーリア要素の濃いイエス兄のほうだろうから十字架にかかった時をAD33年とすると、彼は38歳だったことになる。
で、3年間の布教活動の間、2人は同行せず別行動だったろう。なぜなら福音書には「もう一人のイエス」に該当しそうな人物がでてこないからだ。兄妹といっても血がつながっておらず、顔つきも体つきもぜんぜん似てなかったと思われるので影武者の役もできない。歴史事実に配慮すると(ここまでやりたい放題かきまくって今さら配慮する意味あるのかってツッコミもごもっともだが、思考実験ですからw)、性別を除けばイエシェのほうが史的イエスにやや近い。それは何もイエスはアーリア人だったというヒットラー説に反論するためだけではなく、顔面ブサイクという点だけからいってるのでもない。福音書のイエスの教説はゾロアスターよりは釈迦に近いという説があるからだ。『仏教とキリスト教』(堀堅士:レグルス文庫)によるとイエスの教説はほぼすべて仏教経典からのパクリでできてるからなw レグルス文庫だから創価学会系だな。逆のことをいってる本もあり『神道と仏教をただす(上・下)』(森山諭:荻窪栄光教会)によると仏教はほとんどキリスト教のパクリでできてるみたいだぞw ウィキペディアで著作欄みるとわかるけどこの人は異教や異端への攻撃に人生捧げたみたいな人。どっちがどっちのパクリでもいいけど結論としては「似たもの同士仲良くやれ」w 釈迦の伝記とイエスの伝記の似てる部分(全体のことではなくて、悪魔の誘惑と闘うとこ)ってのは、もともとどちらもゾロアスターの伝記をパクった部分で、仏教もキリスト教もゾロアスター教から影響を受けているのがわかる。まぁエッセネ派の中には仏教の影響を受けてるのもあったらしいのでイエスの言葉の中に多少仏教と似たような教説があっても別におかしくはない(そもそもインドいったのチベットいったのって話してるわけだしな、いやこの頃のチベットに仏教あったのかって話もあるが)。さて、じゃイエス兄はその頃なにをやっていたのかというと、『マルコ伝』第9章にイエスと自称して癒やしのわざを行っていた偽イエスの話がでてくる。こいつじゃね? 弟子のヨハネがこの偽ヨハネをシメてきたらイエスに逆に叱られたという。これは兄のイエスだったんじゃないのか。

磔刑と復活
で、すったもんだで十字架にかかって死んで生き返ったと。ただの仮死状態だったのか何らかのトリックを使ったのか、イスラム教のいうように身代わりになった人がいたのかキリスト教のいうように本当に生き返ったのかなんてことはこの際どれでもいい。「死んだ人が生き返るわけないじゃん!」と目くじらを立てる必要もない。中国でもインドでも大昔から死人が生き返ったなんて話はちょいちょいある話なんだから。日本でいうと、奈良県の石上神宮に伝わる「十種神宝」の秘法が有名だよね。「振るへ、振るへ。ゆらゆらと振るへ。かく為せば、既に死(まか)るもよみがへる」ってやつ。ようつべにインチキくさい動画がたくさんあるから検索してみ。
問題は、2人のイエスが同時に十字架にかかるまではありうる(同じような行動してたのなら同じ罪状になりうるから)。しかし2人のイエスが同時に生き返ったとすると偶然にしては確率的に珍しいことになるから、おそらく十字架刑に課せられたのは一人で、もう一人のイエスがその身代わりになったのではないか。だから当然、復活したのはその身代わりのほうなのであるw 福音書ではその2人が混同されて1人になってしまっているわけだ(復活してないとはいってない)。…と言いたいところだが2人のイエスは既述のごとく外見がまったく似ておらず影武者には到底なれない。3年間の布教期間の主役がイエシェだっていう話の流れからいうと十字架にかかって復活したのも当然彼女のほうだろうから、兄イエスは裏方で官憲への工作や、もし仮死状態説でいくなら介抱の段取りとかしてたのではないか。むろんオカルト的な復活説の場合は介抱は要らんが、キリスト教の復活説をそのまま信じた場合でも、死刑済みのはずの死刑囚が肉体をもったまま生きてそのへんうろつくわけにもいかんだろう。警察につかまって「あれ?生きかえったの? じゃ死刑やりなおしだね」みたいな話になっても面倒だからな。そこで隠れ家とかあれこれ段取りが必要になったはずだ。

復活後、二度目の日本行きw
復活後のイエスはすぐに昇天したわけではなくて、竹内文献によるとなぜかシベリア経由で日本にきて十字架事件から4年目の2月26日、八戸市の貝鞍の港に上陸(別の説では津軽側の蟹田から上陸)、戸来村(今の新郷村)に住み着いて106歳で没したことになってる。が、インドのカシミールにも墓があってキリストはここで112歳で死んだという。小説『ダヴィンチ・コード』の元ネタ、『レンヌ・ル・シャトーの謎』(これは小説ではなくトンデモ説の本、「ムーブックス」みたいなもんか)ではマグダラのマリヤがイエスの胤を宿したまま南フランスにきて娘サラを産んだのがメロヴィング朝の始まりとか、イエス本人がローマ経由でやってきたとかいうらしい。イギリスにもキリストがきたって話があるそうだ。モルモン教では北米にきたっていってるし、みんな自分のとこに来て欲しいんだなw これを全部まとめると、またもや世界漫遊の旅になりそうだが、まさにそういう説を唱えてるのが前述のドリール博士だ。
ドリール博士によるとイエスは復活後11年間グノーシスを弟子に教え(ドリール博士の考えではイエスはグノーシス主義らしいがそれはこの際どうでもいいので無視w)、(44歳の時?)ローマで半年、エジプトで2年間教育し、(46歳6ヶ月の時?)中国へ向かった。華北のユダヤ人に1年間布教、その後中国全土を旅行してからチベットに向かう(かなりタイトだが後々辻褄あわなくなるのでチベットへの出立を48歳の時と仮定)。チベットの超人が住む『エデンの園』で5ヶ月間毎日2回の説法、その後チベットのシャンバラに行き4年半滞在しシャンバラ144人の超人大師の首長となる(これはまとめて「チベットに4年11ヶ月=約5年の滞在」でいいだろうw この時点で53歳?)この後、南太平洋地下のレムリア大陸へ行き暗黒霊魂を解放、次いで地球中心核に入り最暗黒の霊魂を3ヶ月間指導(南太平洋の島に3ヶ月滞在したと解釈しとくw かなり厳しいが後々計算があわなくなるので往復で1年くらいとしてこの時点で54歳?)。(54歳から?)地表に戻り、ギリシア、パレスチナ、スカンジナビアをめぐった後、南北アメリカ大陸に渡る(1年で中東に戻ったと仮定して3国めぐりに1年間で計2年とすると米国への出立時点で56歳?)米国各地で9年間布教(移動時間は9年に含む。これで65歳となる計算)。この後、北極の北方シャンバラへ行き、35年間、地球第7黄金サイクルの秘密準備を行い、満100歳の日から10日目に全世界の弟子の面前で(?)アストラル体脱出による最後の教えを説く。その時、頭部から冷火を発し全身を燃焼し尽くして北極点から宇宙へ昇天。跡には大きな輝くダイヤモンドの塊のようなようなものが残り、これが北方シャンバラの塔に今も保管されている。ふぅ…。これによると54歳から65歳までギリシア、パレスチナ、スカンジナビア、南北アメリカをめぐったというからパレスチナ→ギリシア→[ローマ→南仏]→スカンジナビア→アメリカとコースの中にローマ南仏観光を割り込ませれば『ダヴィンチ・コード』も丸く収まるんじゃね? ただ100歳で死んだとは考えられないから、100歳の時インドにいってカシミールで112歳で死んだわけだろう。日本にはきてないが、これはイエス兄で、イエシェ妹は復活後すぐ日本にきたのだとすれば問題ない。

イエスの子孫
ただ、イエス兄は去勢してるからメロヴィング朝の先祖にはなれない。マグダラのマリヤが妊娠した状態でローマにきたというが父親は一番近くて双子のトマスかな。胤違いの双子でも遺伝子の半分は同じ母から継承しているし、その上もし一卵性だったらさらに共通になるんで、まぁこれで遺伝子的にはほとんど問題ないんじゃないか。つかマグダラのマリヤは育ての親で、生みの親はイエシェでもいいんじゃないか、だって兄妹といってもぜんぜん血はつながってないわけだし。その場合、10代か20代の時の子供としないといろいろ辻褄あわせにくいが、なんとかはなる。しかし、生まれたのはサラという娘だからメロヴィング朝にイエスの血が…っていっても女系での話なんだよな。アジア的な王権論では女系で入ってても有り難みちょっと薄れるけど…。つかヨーロッパだって「サリカ法」だから男系主義じゃんよw これ歴史にうとい現代人の創作ネタだからこうなってんのかね? 一方、青森県戸来村ではw、八戸太郎天空、または戸来太郎大天空と称し、ユミ子(または「ミユ」とも)という女性を妻として三人の娘をもうけたという(子孫は戸来村に三家が存在)。こっちも娘だよw でも本人が女なんでこれはおかしい。ユミ子ってのはイエシェ自身の日本名だろうw ずっと男のふりをしてたんだから男性名と女性名両方あってもおかしくないw あと十字架から4年目って設定だから40歳。経産婦ならまぁぎりぎり出産可能かね。それよりは一回目の来日で作った子供って設定に変更したほうが無難かね。八戸太郎ってのはだんなの名か? ここまできて性別を隠す必要はないはずだが、長年の習慣で男のなりがラクだから男性名と女性名を使い分けていたのか? だんなは誰なんだ? …そこで前述の豊城入彦命だよっ! 女だったってことなら、豊城入彦命との出会いも別な意味がでてくるw いや、俺の世代計算だとその孫の彦狭島王になるわけだが、彦狭島王は体弱かったみたいだから、キリストみたいな頑丈そうな女は好まれたかもしれないねw でもキリストには女児3人しか生まれなかったんだから、彦狭島王の息子の御諸別王(みもろわけ)はキリスト腹じゃないな。やはり外国人枠だと側室どまりだったか。それとも、やはりサラの父と同じでトマスかな、そしたら一回目の来日にはトマス同伴でないとおかしい。これもありうるけどなw いや、ありうるも糞も、それ以前に「八戸太郎」ってこの時代の名前じゃありえんけどなw こまけぇことは(以下ry
さらに、女児3人の他に男児も産まれた可能性がある。というのは京都にある地名の「太秦」(うずまさ)、ここが秦氏の本拠地だったわけだが、アラム語で「イエス・メシヤ」にあたる「イシュ・メシャ」が訛って「ウズマサ」になったというあれ。佐伯好郎が言ってたよw これ実はもとから地名だったわけではなく、もとは秦酒公(はたのさけのきみ)という雄略天皇の時代の族長に下賜された「称号」だった。秦氏の族長が「イエス・メシヤ」を名乗っていた、というのは彼自身がイエスの直系の子孫だと自認してりたということじゃないのか。古代ユダヤの氏族制からいって、男系でつながっていないと子孫だという自負はもたれないはずで、つまりイエスに男児が生まれてないとこの称号の話が成立しない。その前にイエス本人が生殖能力のある男でないと男系継承が成り立たないわけで、秦酒公の祖先は、母がイエシェであるかないかを問わず、父が去勢前の兄イエスか、双子のユダ(トマス)のどちらかでないと辻褄があわない。ただ、日本の秦氏がキリストの子孫ということになると、秦氏の子孫であるところの鹿児島の戦国大名島津氏もキリストの子孫ということになる。そういえば島津氏の家紋は「丸に十文字」…。鹿児島藩は水戸や会津と同様、明治以前、江戸時代にすでに神仏分離、廃仏毀釈を進めていた珍しい藩だが、神道の流派としては「造化三神だけ」を崇める国学の一派を信奉していた。造化三神…。三位一体の神かw ちなみに、これが天照大神だけの一神教を作ろうとしていた長州との妥協で明治政府の神道事務局の神殿に「天照大神と造化三神あわせて四柱」が祭られ、後々「祭神論争」の大騒ぎにつながっていくのは有名な話。

トマスは達磨大師だった!?
トマスはイエスの双子の兄弟で、イエスの子孫ってのは実はトマスの子孫じゃないのかとも思われるトマスだが、このトマスはキリスト死後にインドに布教しにいったことで有名だ。トマスの伝記には長い物語があり、その中で一度中国にも布教しにいって戻ってきてからまたインドでの布教をAD68~75年くらいまで続けて殉教したという。前述の森山諭はAD43年の冬、後漢の光武帝の時に西羌人(チベット系の民族)が漢帝国に武力侵入して将軍馬援に撃退されたが、その時にキリスト教関係の書物を残していったという話と、達磨大師はトマスをモデルに作られた(トマス伝を仏教風に改竄した?)のだという説を紹介している。いや、達磨って生存年代がトマスより何百年も後だけど…。むりやりだのぅ。どうもトマスは達磨で、チベット族の中国侵攻のどさくさまぎれに達磨が布教にきたのだと言いたいらしい。別にそれでもいいんだけど(いいのかw)、中国での布教はなぜやめたのか。うまくいかなかったのか、それとも弟子を残して任せてきたのか。そのへんもウヤムヤで釈然としない。やはりトマス程度が来ても、イエスキリストが来たって話ほど妄想を掻き立てる力が弱いのか、風呂敷の広げ方が中途半端な感じがするのがなんだかなぁ。達磨は禅宗においてはものすごく偉大な人物であるので、トマスっていうよりはるかにインパクトがある。キリストの双子の弟にして影武者、いや、もしなんならこの際キリスト以上に偉大で重要な人物としてリスペクトした何かおもしろい歴史妄想譚はできないものか…?

とりあえずこのブログでは今回、キリストの墓だのキリスト来日説の真相は問わないことにするw 来てるわけないんだけどさw まぁ堅いこと言わずに脳みそ柔らかくいこうよ、脳軟化症レベルでw 真相については大昔「地球ロマン」に連載した有賀竜太大先生のレポ以上に詳しいものなんかそうそうあるわけもないんで、今さら俺が細かいことあれこれいう気もない。
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