FC2ブログ

・新日本建設の詔書(俗称:天皇人間宣言)

H26年10月18日初稿
今日は靖国神社の秋季例大祭。午後、もう勅使はお帰りになった後だけど参拝してきた。参拝客かなり多め。
先日15日、とある集まりで、俗にいう「天皇人間宣言」、正しくは「新日本建設の詔書」の話題がでた。この問題については詔書それ自体も有名だし、これをめぐるあれやこれやの議論も良質なものが数多く出回っていると思うので改めてわたしがなんだかんだいうことはない。そういえばこんなページがあったな↓
■■■ いわゆる「人間宣言」について(オロモルフ)■■■
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/ningen_sengen.htm
(↑オロモルフ先生(石原藤夫先生)のサイトより)

…といいつつ。以下は以前、日本についての知識がほとんどない外国人向け(具体的にはフランス人を想定)に、天皇の人間宣言について解説する文章を書こうとしていた友人に対して、叩き台として草稿を提出した時の文。あくまでも一般の日本人向けではないのでそこらは納得できる人だけ読んで下さい。↓H23年(2011年)の4月から6月の間(正確な日付は不明)に書いたものなので今では考えの変わったところもあります、念のため。

「無題」(内容:昭和天皇の人間宣言について)

(前略…)かつて天皇は「神」として崇められ、絶対的な権力をもって日本人に君臨したが、第二次世界大戦に敗北し、米国に占領された。その結果、民主主義を受け入れて国家制度を改変し、西側=自由主義かつ民主主義の国家として生まれかわることになった。この時、天皇は自ら自分は神ではなく人間であると宣言。
その中では「朕と国民との絆は、単なる神話に基づくものではない」と語られている。
これを通俗的に「人間宣言」と呼び習わしている。これで天皇は形式的な存在=立憲君主となり、権力は天皇から国民へ移った。
…以上が、一般的な「人間宣言」の理解である。しかし日本において、右翼よりな解釈としては、神とはキリスト教でいうような意味での神ではない、ここで否定されたのは「天皇が(キリスト教でいうような意味での)神である」ということがよく言われる。実際、「人間宣言」はGHQに対する「上手い言い逃れ」という側面をもつ。その文面を子細に検討すると、単ならざる神話「にも」基づくことは否定されてないか、少なくとも重きを置いてないのである。しかしこれは以下の重要項目を取り落とすと日本の右翼内部での辻褄合わせに堕してしまう。
「人間宣言」で重要なのは、「朕と国民の絆は、相互の信頼と敬愛によって結ばれたものであり、単なる神話や架空なる観念に基づくのではない」というところである。もし国民からの信頼と敬愛が、神話を否定した後でも天皇が存在し続けるための言い訳であるならば、この人間宣言は取るに足らない敗北宣言にすぎない。しかし、もし本当に天皇と国民の相互間に信頼と敬愛による絆があるならば、確かに個人を絶対神聖視する迷信的な個人崇拝よりもはるかに美しくかつ恐るべき国家であろう。それは、その後の昭和天皇の全国巡幸によって明らかになった。

とはいえ、戦前でも日本人一般が天皇を神であると信じていたか、神話を真に受けていたかは微妙である。微妙というのは日本人は信じるか信じないかに二分して受容するようなことはあまりしないから。そういう話があるってままに受容してそれが本当かどうかにはあまりこだわらない。なぜならわかりっこないから。追求されれば「そりゃ嘘だろう」というけれども、「虚偽だから信じるべきではない」という展開にはならない。「虚偽じゃないかな、と思う」のは「虚偽と確定した」という意味ではなく、まぁいいんじゃないの、という態度を許容する範囲内だと感じるらしい。日本人は仏教とキリスト教を同時に信じることが可能。ただし「信じる」の意味がクリスチャンやムスリムとは異なる。

明治以降の皇室は、西洋の国民国家におけるキリスト教の役割を期待され、皇室はその期待に応えてきた。キリスト教的な美徳を発揮することが、GHQに対する最大の防御である。日本ではクリスチャン人口が1%より増えたことはない。しかし聖書を読むことを楽しんだことのある人は人口のほとんどに至るであろう。神道の神としての天皇を信仰することと、キリスト教を信じてその美徳を我が物とすることは、日本人において矛盾しない。

このような日本人の独特な感性は、西洋を含め世界のほとんどの地域(中東・インド・シナ)においては部族時代の原始的な宗教を捨て去り合理的に構成された理知的な宗教に転向することで文明を形成したが、日本では原始的な感性を基礎に生かしたまま他国の諸々の高度文明を御都合主義的に輸入しては改変し、高度文明に同化されることを拒んできた歴史に由来する。西洋においてはゲルマン神話もギリシア神話も過去の異物で博物館に所蔵される死体にすぎないが、日本ではそれが「神道」として生きていて、論理に価値をおかない文化が根付き、それが長所にも短所にもなっている。(…後略)
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

カテゴリ
プロフィール

道三(どうさん)

Author:道三(どうさん)
どこから見ても平凡な、一介の町人です

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
検索フォーム