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・2仁徳天皇は非モテ

H27年1月31日投稿 H26年1月15日(水)初稿
「聖の帝の御世」
1聖帝(ひじりのみよ)」から続き

仁徳天皇の恋人たち(なのか?)
仁徳天皇は英雄で、英雄好色というぐらいでまた艶福家でもあったかのようにいう人もいるわけだが、本当にそうかな? そもそも仁徳天皇は英雄というほどの何かした人なのかというと、記紀をみるとそんな華々しい武勲をあげたという話はない。謀反の鎮圧にも自分が陣頭指揮をとったわけでもなく将軍を派遣するだけ。艶福家(=モテる人)だってのは歌物語があるからそういうイメージなのかもしれないが、よくみるとこれらの歌物語は「仁徳天皇がモテた」ということをいう話ではなくて、「石之日賣(いはのひめ)の嫉妬のすごさ」をいうための物語なのである。まったく意図が違う。一夫多妻のイメージも、后妃の多かった応神天皇と比べてみればわかるが、仁徳天皇は同時に複数の后妃をもったことはなく、石之日賣を納れてからは皇后以外の妃はおらず、形式的には一夫一婦の状態だった。歌物語もぜんぶ悲恋に終わっていて、石之日賣の磁力圏にだんなが引き戻される話ばかりだ。仁徳天皇とからみのあった女性は、石之日賣の他には以下の六人いる。
・日向髪長比賣(かみながひめ:九州の豪族の娘)
・吉備黒日賣 (今回のヒロイン、吉備の豪族の娘)
・桑田玖賀媛 (くはたのくがひめ:播磨の豪族の娘、日本書紀にしかでてこないが黒日賣と似たような話)
・八田若郎女 (和邇系の皇女:宇遅若郎子の同母妹)
・女鳥王   (和邇系の皇女:同上)
・宇遅若郎女 (和邇系お皇女:宇遅若郎子の母の妹の娘)
この6人だが、ロマンスが成就したのは1例もなく、ことごとく石之比賣によって阻止されている。仁徳天皇は「英雄好色」とか「艶福家」というイメージとは程遠いキャラクターなのである。

追い出された「髪長比賣・宇遅若郎女」、みずから逃げた「女鳥王」
このうち髪長比賣と宇遅若郎女(うぢのわきいらつめ)を除く4人は、石之日賣に妨害・阻止されたことが記紀に明記されている。宇遅若郎女には詳細な伝承はないが、石之日賣の犠牲になったと推定するのが自然だろう。また髪長比賣は、まだ大雀王(仁徳天皇)が若い頃におそらく最初に娶った姫で、記紀にある通り、もとは応神天皇の妃(つまり義理の母)だったのをおねだりしてもらった。しかし石之日賣が入内してからはイビリ出されてしまったと推測される。このことは記紀は明示はしてないが系譜部分を丹念に読むと仁徳天皇とは離婚して、応神天皇の妃へと出戻っていることがわかる。このことはブログでも以前に詳しく書いたので「仁徳⑯〜武烈㉕の系譜」をご参照あれ。そして、女鳥王は仁徳天皇の求愛を最初から拒否して速総和氣王とくっついたが、その理由は「仁徳天皇は石之日賣の嫉妬を憚って八田若郎女(やたのわきいらつめ)を収めることができないから」とはっきり言っている。石之日賣が原因なのである。
八田若娘女と宇遅之若娘女は、古事記は后妃リストに入れてはいるが二人とも子供が生まれてないし、物語部分を読むと八田若郎女は結婚までいけず、妃になることができなかったように書いてある。これもおそらくは形式的もしくは追号的な妃扱いであって実際に妃だったわけではあるまい。日本書紀では宇遅之若娘女は后妃リストに入ってないが、誤脱したわけではなくて、ここは珍しく日本書紀の方が正しい。古事記は女性視点で弱い立場にいた二人への好意(もしくは石之日賣への悪意)から、贔屓して后妃扱いにしている。むろんここは例外で、つねには日本書紀の方が間違ってることの方が多いのであって、たとえば書紀では都合よく磐之媛(いはのひめ)が薨去したので八田皇女を皇后にしたとあって、後半の物語の中の石之日賣の役まで八田皇女に差し替えてるが、これは仁徳天皇があまりに情けないので日本書紀が改作したのだろう。他のとこで書いたが、仁徳天皇は偉大な人物でないと都合が悪い事情が、日本書紀にはあった。それと仁徳天皇の在位期間は実際は30年程度で、約50年を日本書紀では追加しているのだが、書紀は磐之媛が30年すぎに薨去したとして、この追加分の期間を八田皇女の皇后期間として創作している。古事記はその前の古い段階の原資料に依拠しているため(表にあらわにはなってないが約30年在位)最後まで石之日賣が大后のまま(=古伝のまま)なのである。

政略結婚の標的だった高貴なる三人
上記の5人のうち八田若郎女、女鳥王、宇遅若郎女の3人は皇族女性。応神天皇皇女で、仁徳天皇とは腹ちがいの姉妹。もし入内すれば石之日賣より格上になってしまう。しかもこの3人の母は和邇氏の出身で、和邇氏は尾張氏と並んで代々后妃を出す家柄であって、和邇氏系の血を引く皇子が他の皇子より優先して天皇になることが多かった。大雀王(仁徳天皇)よりも正統の皇太子とされた宇遅若郎子(うぢのわきいらつこ)も同じ母から生まれている。つまり石之日賣もしくは葛城氏からみた場合、この3人の女性の入内はなんとしても阻止したいわけ。仁徳天皇としては正統な継承者だったはずの宇遅若郎子が薨去したためやむをえず皇位についたという形であったため、自己の正統性を確保するためにも、宇遅若郎子に少しでも血筋の近い女性との間に男子を儲けたいはずで、なにも色恋だけでこの3人の女性に近づいたのではあるまい。

「嫉妬」ではなかった?
石之日賣といえば「ヤキモチやき」でコミカルな側面ばかり強調されがちだが、ただの民話かお伽話と思ってるのならともかく、歴史事実として考えるのならば、なんでこんなに「ヤキモチやき」だったのかという問題がある。一つには石之日賣がブスだったためにことさら美女には焼き餅を焼いたのだという予想をする人もいるかもしれない。だがちょっと待て。石之日賣という名からは神話の石長比賣(いはながひめ)が連想される。日本人の平均的な名前として「太郎と花子」という決まり文句があるが、この花子は美女に育ってほしいという願いからつけられた名だろう。古くは岩と花が対概念であり、神話から察すると、岩が醜女だが丈夫で長持ちなキャラ、花が美女だが命儚いキャラの象徴だった。昔の女性の名は本名が伝わることはまずなく、ことごとくアダ名や称号の類だと思ったほうがよいとは、これまたよく言われることだ。「石之日賣(いはのひめ)」も健康長寿を祈ってつけられた本名などではなく、その身体の頑健っぷりからついたアダ名かもしれず、一概にブスだったと決めつけることはできない。が、たぶんブスだったんだろう。なぜなら健康だったとしても、ブスでないと「健康なイメージ」を岩に喩えられることはないからだ。彼女の個人的な性格だけでは「大后」の巨大な権力はやはり説明つかない。地位にともなう権力が強大でなければ、例えば女性の地位が奴隷なみで、皇后でも形式的に敬われるだけで権力がなかったら、いくらヤキモチを妬いても何の問題も起こらないはずで、コミカルな描写の効果もなければ、悲劇の歌物語も生まれない。そこで二つ目に、皇后権力の社会的背景としては、神功皇后以来、日本では全般的に女性上位の傾向が強くなっていたとも考えられる。三つ目には実家が当代きっての大貴族、葛城氏だということがある。他の女性はすべて皇族か、自家よりも目下の出身かのどちらかということになるが、実はこれは嫉妬ではないのではないか。女性皇族については自分より格上の女性だからなおさら嫉妬したんだと考える人もいるだろうが、そうではなく、格上の后が立つと自分は「大后」としての地位から降りることになるのと、自分の息子に皇位がいかなくなる可能性が高い。だから嫉妬にかこつけて入内を阻止しようとしたのである。また格下の豪族の娘が入内して、我が息子より優秀な男子が生まれるのも同様の危険がある。そもそも格下の豪族は自家の家臣筋であって、そんなところの娘が次代の天皇の母にでもなったら、葛城氏の地位と権力も危うくなりかねない。別に家臣筋の娘の分際で自分とだんな(男)を共有するなんて許せない、ベッドの中では家来の娘とわらわが同等に扱われるなんて許せない、なんていう嫉妬の問題ではなかろう(まぁそれもちょっとはあったかもしれんけど)。本質は政治的な駆け引き、権力闘争の一部なのである。ただ、語部としては石之日賣の「嫉妬」の問題だとしてストーリー構成をした方が都合がよかった。なぜなら、庶民がそれを望んだからである。葛城氏が当時の庶民から敵視される存在であったことはこのブログで以前かいたので今回はふれない。また仁徳天皇が儒教派で、大陸文化の導入に熱心だったことを庶民が揶揄していたとも考えられる。儒教的な男尊女卑の教えが、さっぱり実行できていないというわけ。「いやいや、聖帝として仰がれたのじゃないのか、庶民には人気あったはずだろ」という反論もあるでしょう。しかしあれは庶民人気ではなく、貴族層の中の葛城氏を支持する一派や、儒教の建前をありがたがる帰化人系氏族の人気なのである。なぜかというと、本当に貧民救済になった公共事業としての土木工事は、すでに応神天皇の頃から始まっていたのに、仁徳天皇の土木工事は合計すると応神朝ほどの規模ではなかった。日本書紀の応神天皇紀では韓人池の他に4つの池が作られている。韓人池は以前にこのブログの「百済の朝貢、大山守命の乱」で書いたように4つの池の総称だから全部で8つもあることになる。そして、掘り出した土の集積の山が御陵の素材になったと仮定しても、応神天皇陵の方が仁徳天皇陵よりも体積では大きいのだ(仁徳天皇陵が大きいのは全長だけ。後円部の直径も高さも応神陵の方が大きい)。しかも土木工事は長期的な国土計画が先行するので、仁徳朝における工事はほとんど応神朝における計画の継続にすぎず、オリジナルな功績ではない。むろんだからって偉大でないということにはならないのだが、そこが庶民感覚の浅はかさで、創業の君はなにかと華々しいが守成の君は地味でぱっとしないように思ってしまうのです、庶民は。それに前述のように、皇室が3年ぐらい貧乏ぐらししたからって、全国の貧民の生活水準が一斉にあがったりするわけがないので、もともと貧乏な人間にはアベノミクスが関係ないのと同じく、貧民にはそらぞらしいパフォーマンスにしかみえなかった可能性もあるんじゃないのか。金持ち階級とか生活に余裕のある階級は、最近の女性上位を苦々しく思っていて、儒教振興策を歓迎していたかもしれないが、当時の成り金は貴族も庶民もみな葛城系財閥の下請け産業みたいなものだから、いってみれば一味みたいなものと思われる。富の再分配が一度は適切化して中間層が厚みを増したのは反正天皇になってからだが、その議論はまたテーマ違いなので別の機会にする。

吉備の黒日賣の「立場」とは
黒日賣(くろひめ)という名の「黒」は、「黒々として美しい髪」のことをいってるという説と、歌物語の歌の中の「くろさや」を「くろさき」の誤りとして備中國小田郡「黒崎」を彼女の出身地と推定し「黒」という地名とする説がある。しかし単純に「肌の浅黒い姫」の意味でいいような気がする。洋の東西を問わず昔は日焼けした黒い肌は下層民のイメージが強かったろうから、黒日賣という名は悪い意味でのアダ名という側面もあったろう。しかし性癖とか趣味嗜好というものは常に矛盾を孕み、それゆえに逆説的な情念を掻き立てる。ほめていう時の「小麦色の肌」ではまだまだ黒いというほどではないが、健康的に日焼けした肌の娘が、上流社会の嫌味を知らぬ素朴な笑顔をみせた時、ズキュンとハートを射貫かれたなんてのも、これまたいつの世にもあること。タコに墨でもぶっかけられたような真っ黒けな肌が、輝く小麦色にみえたとて、まさに「アバタもエクボ」とはこのことだろう。利害関係ややこしく入り組んだ上流家庭で、幼児期から多方面・多種類のトラウマをくらって育った皇族・貴族の男子が、ちょっと変わった趣味をもってるのは当たり前でこれは平安朝までも同様だった。短所と長所がメビウスの輪のようにつながっているように、悪口と賞賛も表裏一体であることを知らぬ者が、粋(いき)も色気もわからず野蛮な言葉狩りに走ったりするんだろう。まさに「トラウマなくして文化なし」。仁徳天皇が「黒やある、黒はいづこ」と呼びかける時、そこにどれだけ深いフェティッシュな欲情が沸き起こるのか、それを女の直感で知るがゆえに、中傷の意味で「黒日賣」と名付けたはずの当人である石之日賣は逆撫でされ煽り立てられ、その嫉妬は燃え盛る。しかしこれは当時の民衆の推測だ。当時の民衆は葛城氏と、そこから輿入れした石之日賣を嫌っていた。現代でも皇后陛下とその実家について、あることないこと誹謗しながら忠臣を気取るアホは無数にいる。石之日賣の真意としては、前述のように嫉妬ではなくて、黒日賣の出身である吉備氏が葛城氏の家臣みたいなものだったから万が一優秀な皇子が誕生して立場が逆転するのを惧れたのだと思われる。ただ、これも自派閥の保身であって、嫉妬でないからって偉いわけでもないが、まぁ、主君のことも国民のことも眼中にない「権力闘争」としては正しいのだろう。ところで、仁徳天皇の趣味としてはあまり典型的な美女には興が湧かないタイプだったのかもしれない。石之日賣がはたして「岩みたいなブス」だったのかはわからないが、仮にそうだったとしても、田舎くさい真っ黒い娘を好んだように、岩ちゃんをも愛していた証拠に4人も子供つくってるわけだから。黒日賣の「黒」を肌の色ではなく「髪の美しさ」とする説をとると、日向の髪長比賣との共通性が浮かぶ。髪フェチか? 黒日賣という名は後に履中天皇の后にもでてくる(ちょっと思い出せないが他にもさらにいたはず)。こちらは大貴族の娘だから、下層労働で日焼けしてたわけではない。これも髪の美しさとの解釈が通説なんだろうが、そうとは限らんぞ。歌物語は後世に作ったのではなく当時の民間の語部が囃したのである。黒比賣の歌物語が流布したら、その結果としてファッション日焼けの流行があってもおかしくないだろう。

仁徳天皇の素顔
ともかく、仁徳天皇は(当時としては)格別に好色でもなく、英雄でも艶福家でもなく、仕事的に望んだ縁組ですら石之日賣に邪魔された。黒日賣の歌物語などは文学的にかなりの名作になってはいるのだが、これは悲恋に終わったからこそ文学的感興がなりたつのであって、「石之日賣の嫉妬」という前提がなくて「めでたく側室に収まりました、チャンチャン」という話だとぶちこわしになってしまい、物語自体が成り立たない。ここは葛城氏の権勢の犠牲になった女性と、その女性を救えない仁徳天皇の情けなさが描かれているのである。古事記を読んで「女だらけのハーレム状態、ロマンスいっぱい夢いっぱい、色気に満ちた仁徳天皇」というイメージを抱くのは完全なる間違いなのである。
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3石之比賣の嫉妬の本当の理由」に続く
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