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・6天翔ける巨大怪鳥ヤマトタケル

平成27年10月14日(水)初稿
5草薙剣と倭建命の最期をめぐる議論」から続き

「別」のカバネ
倭建命の系譜のところで「別」(ワケ)というカバネの存在が目立つ。http://2651023.blog.fc2.com/blog-category-8.html">「氏姓(うじかばね)制度」http://2651023.blog.fc2.com/blog-category-8.htmlの方に書いておいたのでそちらを参照。

白鳥ではない
さて今日の本題だが、御陵にたまたま鳥が止まったので、倭建命の遺族はこれを故人の魂だと思って追いかけたという話。この鳥、『古事記』には「白鳥」(しらとり)とも「白智鳥」(しろちどり)ともあり、白鳥(ハクチョウ)のことだという説が主流になっている。ハクチョウではなく、白いチドリだという説もある。
ハクチョウ説は「シロチドリ」の「チ」を「の」と同じ意味の助詞の「ツ」とみて「白の鳥」という意味に解釈している。しかし「白き鳥」(現代語なら「白い鳥」)ならわかるが、「白の鳥」はこなれない日本語でずいぶん不自然な感じがする。ハクチョウは垂仁天皇のところにもでてきたように古代語では「ククヒ」(鵠)であってシラトリではない。シラトリはただ単に「白い鳥」だというだけでハクチョウとは限らない。古事記には「智鳥」(ちどり)だとは書いてあっても「鵠」(くくひ)だとはどこにも書いておらず、しかも四つめの歌には「浜つ千鳥」とはっきり出てくる。この浜つ千鳥は前に出てくるハクチョウとは別の鳥だから、前後つながっておらずおかしい。そこでこれを解決するため3つの説がある。一つは序的な句つまり「浜つ千鳥」という言葉全体が次の「浜よ行かず」の「浜」にかかる序詞だとする説。二つめは白鳥の比喩とする説。三つめはもともとこの物語とは無関係な民謡をハメ込んだものだからつながってなくて当たり前という説。しかしそんなややこしいこと言わずとも最初からチドリならすんなり単純な解釈で読める。もともとこの千鳥という部分がハクチョウと無関係なら、なんで古事記は「白智鳥」などと紛らわしい書き方をしたのか。「白鳥」とも書いているのだからそれで通用するはずである。そしてなぜ「鵠」(くくひ)という言葉がまったく出てこないのか。
『日本書紀』は白鳥としか書いてないのでこれは今のハクチョウなのか単に白い鳥という意味で書いてるのか判断できないが、本当にハクチョウなら垂仁天皇のところと同じように「鵠」と書けばいいのであって、これは日本書紀がわざとハクチョウに誤解させようとして曖昧に書いてるのである。日本書紀は古事記とちがってヤマトタケル伝説を叙情的な悲劇ではなく偉大な英雄譚として描こうとしているので、可愛いらしいチドリではふさわしくない、ここは一つ雄大な大空を優雅に飛翔するハクチョウを想像してほしい、というのが日本書紀編集部の意向なわけ。だがそんな捏造創作に従う必要はない。
つまり、これはハクチョウではなく「白いチドリ」なのである。ハクチョウ説は間違い。

バァ、フラワシ、パビルサグ
人が死んでその魂が体の外に出ていくと鳥になって飛んでいくとされた。むろんその鳥は目には見えない鳥で、ごくまれに目に見える場合もあるというのはあたかも幽霊の目撃談がごくたまにあるようなものだろう。
魏志東夷伝によると弁韓では死者の魂を大鳥の羽根で空に飛ばしたという。中国の『神仙伝』には会稽の介象が死後、白鶴と化したとあり、『呉越春秋』には葬儀で鶴の舞が上演されたという。インドのアッサム地方(ブータン、バングラディッシュ、ミャンマーに囲まれた地域)のアオナガ族は死者の魂は青鷹の姿をしているという。古代イランのゾロアスター教では「フラワシ」は有翼の人間の姿で、これが東西に伝わり、東に伝わったものは仏教が取り入れて「天人・天女」となり、西に伝わったのはキリスト教が取り入れて「天使」になった。古代バビロニアの「パビルサグ」という神は上半身が人間で鳥の胴体と合わさった姿で表された(半人半馬のケンタウロスの馬を鳥に換えたような姿)が、実はこの「パビルサグ」はシュメール文明まで遡ると特定の神ではなく、「祖先の霊」のことだった。古代エジプトでは死後の人間の魂は「バァ」といって、人間の頭と首から下は鳥の体でパピルスに描かれていた。ヨーロッパの民話の中にも死者が鳥になる話が多い。北米のフルン族は死者の魂は山鳩の中に移るという。メキシコのトラスカラン族では貴族が死ぬとその魂は美しい歌う鳥になる。ブラジルのイカンナ族では勇者の魂は美味なる果実を食する美しい鳥になる。そのほか、魂が鳥になって飛び立つという説話は東南アジア、南洋、アフリカ等にも見られるという。昔は日本だけでなく全世界で、人が死ぬとその魂は鳥になって天に昇るという信仰があったことがわかってもらえると思う。
ただ、そういう信仰があったということと、たまたま見かけた鳥が必ずその葬儀の最中の人の魂なのかどうかということはまた別問題である。倭建命の御陵に、たまたま鳥が舞い降りたのをみて、遺族が、故人の魂の化身だと思い込んだわけだが、まぁいくら古代人でもその鳥が墓の下からでも出てこない限り、どっかから飛んできたぐらいではまさか故人の魂だなんぞとは普通は即断しない。…はずだったんだが、今回は「ある特別の事情」で、その鳥を故人の魂だと信じてしまった。その事情とは何か、以下に謎解きをしていこう。

「葬送儀礼の反映」ではない
この章に出てくる4つの歌が大葬の礼で歌われる「大御葬歌」になったということから、この説話自体が、葬送儀礼の反映であるという説があり、通説にもなっているようだが、疑問だと思う。田んぼに這いまわって大声で泣いたとか、笹の切り株に足を踏み抜いてもその痛みを忘れて鳥を追い掛け回したとかの描写を、葬送儀礼と関係する、あるいは葬送儀礼の反映である、等とする解説本がやたら多い。「関係する」とか「反映である」とかは具体的にどういうことなのか。古代に実際に行われていた葬送儀礼が描写されてるということだろうが、倭建命の遺族たちが実際にそのような儀礼を行ったのか? それとも彼らはそんな儀礼は行ってないのだが稗田阿礼か太安万侶が奈良時代の葬送儀礼に基づいてここの描写を創作したという意味なのか? おそらく後者の意味だろう。というのは、仰々しく泣き喚く葬送儀礼は中国大陸や朝鮮半島のもので、古い時代の日本にはなかったと思われるからである。『古事記』上巻の天若日子(あめわかひこ)の葬儀でも、「遊」(あそび)をしたとあり、このアソビというのは本居宣長がいうように「楽」=歌舞(うたまひ)のことである。ただし、本居宣長がいうには「死去というのは天照大神が天岩戸に閉じ籠ったのに似ており、天照大神を岩戸から誘い出すために神々が楽しげに歌い踊ったように、死者に生き返ってもらいたいという趣旨で葬儀の参列者が歌舞をなすのである」といっていることから、この歌舞は死者を悼むしんみりしたものではなくて、飲めや歌えやのドンチャラ騒ぎに近いものを宣長は想定しているようだ。また魏志倭人伝や後漢書東夷伝などに書かれた当時の倭国の風習でも、葬儀の参列者は「飲食」し「歌舞」するとあり。最近までも、地方の一部ではお通夜や本葬儀直後の会食や火葬の待ち時間の間などに飲めや歌えやのドンチャン騒ぎをやらかす風習はわずかながら残っていた。
天若日子の葬儀ではキジ(雉子)が「哭き女」(なきめ)役をやったとあり、これを朝鮮の「泣き女」(お金で雇われて葬儀で大泣きする職業)のようなものとする説があるが、鳥や獣や虫が「鳴く」のは何も悲しんで鳴くのではなく、一般的に声や音を出すのはすべて「鳴く」という。漢字は当て字なので「哭き女」と書いてあるからといって漢字の意味にとらわれてはならない。キジの鳴き声は「ケーン」という甲高くて勇ましい声であり、いわゆる職業的「泣き女」の声とはまったくイメージ違いだ。キジ(雉子)が担当したというナキメとはおそらく葬儀の司会者のような役だろう。どんちゃん騒ぎを仕切るには声のデカくてよく通る声でないと務まらないのである。
ただし天の岩戸がどうのこうのという宣長の説はやや理屈っぽい。そうではなくて単に死去は使命(ミコト)を受けてこの世に生まれた者が使命を終えて復奏(カヘリゴト)することでお目出度いことだからお祝いの宴会を張るわけだろう。死を悲しむという発想は仏教や儒教の影響で発生したものでもともとの日本人の文化ではない(http://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-7.html">「復奏(カヘリゴト)」http://2651023.blog.fc2.com/blog-entry-7.htmlを参照)。だがそうするとこういう反論もあるかもしれない、「確かに平均寿命を超えて天寿を全うしたのならめでたいが、不幸な事故や病気による死だったり、あるいは暴力事件に巻き込まれたり謀反の主犯として成敗されたり、死刑囚としての刑死、鬱病による自殺、神を侮辱したり冒涜したことによる祟りによる死、等もめでたいのか、と。そう考えれば天若日子や倭建命の例は、めでたくない方、悲しむべき方に入るのではないか、と。俺も確かにかつてはそう考えていました。天寿を全うした死はめでたくて葬儀は飲めや歌えやのドンチャラ騒ぎであっても、そうではない不幸な死は「穢れ」であり悲しみ悼む葬儀になるはずだ、と(戦死は名誉なのでまた別。これは戦前の軍国主義とは無関係に古代世界に普遍の信仰。ゲルマン神話のヴァルハラが一例)。しかし天若日子の死は謀反人の刑死であり、天若日子と誤認された阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ)が激怒してるぐらいに天若日子の死は穢れとされていた。にもかかわらずその葬儀では「遊」(アソビ=歌舞)があった。思うに、不幸な死に方をした人に対しても、天寿を全うした人であるかのように葬送してあげるのが慰霊ということだったのではないだろうか。だから死に方がどうだろうと、みな等しく飲めや歌えやのドンチャン騒ぎであの世に送ってあげたのだと思う。
よくありがちな解説書に出てくる「葬送儀礼」説はおかしい。だいたい赤の他人を金で雇って泣き真似してもらったり、儀式だからって大げさに這いまわって大声あげて泣く真似を形式に従ってやる、などという心の実の欠けた形式ばかりの悲しみを演じるその姿は荘厳な儀式などではなく常軌を逸した「痴態」というのであり、まともな日本人の感覚からいってそんな儀礼があったとも思えない。宣長は谷川士清からの伝聞として熊野地方の職業的「泣き女」の風習があったことをもって古代の風習の名残りかもといってるが、それは上古の帰化人村の子孫だろう。
とすると、倭建命の場合も「飲めや歌えやの『楽しい』ドンチャラ騒ぎ」になるはずだったのが、なぜ「田んぼに這いまわったり、笹の切り株に足を踏みぬいても痛みを忘れて鳥を追いかけまわしたり」ってことになったのか? 大陸式や半島式の葬送儀礼なら形式に従って大声をあげて泣く、というのはわかるし、遺体もしくは棺のそばで這いまわって泣くのも『礼記』問喪に「孝子(中略)匍匐して哭す」とあるが、わざわざ「田んぼに落ちて」それをやるとか「笹の切り株に足を踏みぬいて歩く」なんてのは中国大陸や朝鮮半島の葬送儀礼にも聞いたことがない。これを葬送儀礼だと言いはる学説はおかしいのではないか。これは明らかになんらかの突発的な異常事態が起こっているのであって、形式に従った葬送儀礼などではない。では一体なにが起こっているのか、その謎解きをしよう。

実在した巨大怪鳥
カギは「鳥」にある。通常、死者の魂が鳥になって飛んでいくという信仰はあったが、たまたま鳥を見かけたぐらいでは葬儀中の今この死者の魂だとは普通は即断しない。にもかかわらず何らかの事情で倭建命の遺族は白いチドリを倭建命の魂だと思い込んでしまった。…というところまでの話はした。
で、問題はこの鳥の「大きさ」なのである。この白い鳥、大きさが尋常じゃなかった。「八尋」というから15mにもなる。翼を広げた左右の幅をいってるのか、クチバシから尻尾の先までの長さをいってるのか不明だが、いずれにしろとてつもない巨大怪鳥であり、これなら古代人だろうが現代人だろうが仰天して動顛して正常な判断力を失ってしまうだろう。
現存種で最大の鳥はアホウドリで、全体的に白っぽい鳥なのでこれが『古事記』に出てくる「白智鳥」に当てはまりそうに思えなくもないが、それでも全開翼長が最大で2m半しかない。それ以上の巨大な鳥がいるのかといえば、それがいるのだ。現代のUMA(未確認生物)として、世界の各地で報告されている。それらの中には、古代の伝説や神話に出てくる巨大な鳥(名称は国や民族によっていろいろ)ではないかと言われるものもあるのだ。アフリカの中部から南部にかけて「コンマガトー」、「オリチアウ」、「アイラリ」、「バジ・クイ」、「ガゴウラ・ゴウパプア」等とよばれ、たびたび目撃されていて最大で3m半にもなるという怪物がある。コウモリや空飛ぶ古代翼竜に似ており、オオコウモリの巨大種という説もある。ニューギニアにも似たような目撃談が多く、ジュラ紀の翼竜のランフォリンリクスのような長い尾をもった「ローペン」(6m)と、白亜紀のプテラノドンのように後頭部に突起をもった「デュアー」(7m)の2種類がいる。ジャワ島にもこれの同類と思われる「アフール」という鳥がおり、ベトナムにも出現したという。北米では通例5m前後、最大で10mの目撃例もあるという巨大なコンドルらしき鳥に襲われたという事件が何例があって、北米インディアンの神話に出てくる鳥の名をとって「サンダーバード」と呼ばれている。これは530万年前の絶滅種で、全開翼長7m半もある「アルゲンタヴィス」という猛禽類の生き残りという説がある。こうも世界各地に存在しベトナムにも出るというなら、日本にもいそうだが、明治12年には愛知県安城市の三河安城で、全長八尺(2m半)、片翼のみで九尺五寸(3m)もある鳥が撃ち落とされ当時『安都満新聞』で報道された。両翼あわせて6mを優に超える大きさだから、上記のアルゲンタヴィスやデュアーに並ぶことになる。ただ、これらはいずれも8尋(=15m)に比べると小さい。15m以上ありそうなものというと伝説上のものではあるが中国では「鵬」という大きさ数千里もある鳥がいて、飛び上がると太陽が隠されてあたりが真っ暗になったという。数千里までくるといくらなんでも逆に大きすぎるが、「シンドバットの冒険」にロック鳥という、象をいっぺんに3頭も捕まえて飛び去る(しかもその象はヒナの餌)という巨鳥が出てくる。こっちならどうか。この鳥のことは古代ペルシア以来、インドから中東にかけての広い世界で知られており、古代ペルシアから伝わっていた。マルコ・ポーロの『東方見聞録』ではマダガスカルに生息するロック鳥の羽がモンゴルの大ハーンであるクビライ汗に届けられ、有名なイブン=バットゥータの『旅行記』にも出てくるという。16世紀にも英国人がインド洋でみたという目撃談がある。まぁそういうわけで、鳥なのかコウモリなのか翼竜なのか不明だが、その正体がいずれにせよ、巨大な鳥はともかく実在することはおわかりと思う。

ホフマンのラバー・ダック
ところで『古事記』にでてくるこの鳥は、前述の通りハクチョウでも猛禽類でもなく、チドリだという。白鳥なら巨大でも優雅で神秘性があるし、巨大な猛禽類なら怪獣みたいでサマになるが、千鳥は普通、クチバシが短く頭部が大きく全体的に丸っこくて、見た目が可愛い。群れを成している。たくさんの鳥が群れてるから1000羽もいる鳥で「千鳥」というのだという語源説は俗解(こじつけ)で取るに足らない。鳴き声に由来するという説か、単に「小さい鳥」だからチドリといったという説がマシ。その千鳥が、15mもの巨大さとなると、なんというか「ホフマンのラバー・ダック」みたいな印象がある。「ホフマンのラバー・ダック」が何かわからない人は適当に検索してみて画像を見て下さい。簡単にいうと巨大なアヒルです。イメージとしては巨大な「ひよこ」といったほうがよい。ちなみに香港のビクトリア湾でしぼんでしまって世界的に話題になったやつは高さ16m半。8尋=約15mなので、大きさは近い。
これだけでもかなりシュールでマンガチックな映像が浮かぶが、『古事記』に書かれた情況はもっと突拍子もないことになっている。ホフマンのラバー・ダックは海に浮かぶだけで空は飛ばない。これが空を飛んで襲ってきたら…?

真相の解明
倭建命の葬儀で、通常どおり「飲めや歌えやの宴会」が始まろうとしたその時、大きさが15mもある巨大なチドリが出現した。参列者は腰をぬかして驚き、ある者は「田んぼに落ちた」が腰が抜けてるので田んぼの中であたふたするだけで田んぼから出られない。またある者は悲鳴をあげて逃げまわった。必死で逃げまわるから「笹の切り株に足を踏みぬいて」血だらけになっても止まるわけにもいかず「痛みを忘れて」走りまわるしかない。これが真相である。
倭建命が鳥になったというのは『古事記』の本文に書かれてはいるが、登場人物の判断として書かれているのではなく、本文(つまりナレーション)だから稗田阿礼か太安万侶の判断であり、葬儀の参列者がそう思ったとは書かれていない。あるいはそもそも原文みると「於是、化八尋白智鳥」の直前にはとくに「倭建命」とは無いのだから、「化」の字は「出」の誤字だろう。倭建命が八尋白智鳥に化身したのではなく、倭建命とは無関係に八尋白智鳥が出現したのである。
つまり遺族=参列者はその巨大なチドリをみて倭建命の魂だとは思ったわけではなく、ただ驚いて逃げ回ってただけなのである。「忘其痛、以哭追」という原文も、写本をつくる際も思い込みで読みながら写してるから「追」の字の前に「被」の字がつい抜けてしまったか、あるいは「追」は「逃」の誤字だろう。本当は海の方へ逃げるのではなく陸の方へ行きたいところだが気が動転して冷静さを失ってるのと、チドリの方が素早い上にその動きが読めないから、先回りされて陸側から来られると勢い海の方へ逃げざるを得ない。葬儀会場はしっちゃめっちゃかで葬儀どころではなかったろう。だがこのチドリ自体は、格別、人間を害することを目的としているわけではないので、しばらく追い回した後はさっさと飛び去ってしまった。
この後、古事記によるとこの巨大怪鳥は河内國の志幾(今の大阪府羽曳野市の軽里大塚古墳)に現れた。日本書紀ではまず大和國の琴弾原(奈良県御所市富田)に現れ、次いで河内國の古市邑(古市郡は志紀郡の南に隣接するが昔は郡境線がずれており『古事記』でいう志幾と同じ場所。当時は志幾の中の古市だった)に現れたという。チドリのような小さい鳥一羽なら、そんな遠くに現れても同じ鳥だとは誰も思わないだろう。ハクチョウなら、あるいは垂仁天皇の時の先例があるから緊急総動員で追跡できたかもわからないが、それもかなり難しかったろう(垂仁天皇の時はハクチョウが神の使いで出雲に導くという目的のためゆっくり移動したと思われるが今回はそんな手加減はない)。そもそもハクチョウではないのだから、小さなチドリ一羽では追跡は普通に考えるとムリ。ハクチョウでもまぁ無理だろう。奈良県や大阪府にももともとハクチョウぐらいいくらでもいただろうし、チドリなんぞ全国に無限にいたろう。ハクチョウだろうがチドリだろうが、どれがその鳥なのかわかるわけないじゃん。これが15mもの巨大怪鳥だからこそ、次は大和國の琴弾原に出たの、次は河内國の志幾に出たの、と話題にもなり、追跡せずとも自らその移動が知れたわけなのである。
一般の学者は15mの巨大怪鳥だとは思わないから、ハクチョウを追いかけて3ヶ所に御陵を作ったというムリな話も「そりゃこれはただのお伽話だから」とみなし、何の疑問も抱かない。やつらはそもそも「古事記・日本書紀」は史実ではなく未開人の妄想ぐらいにしか思ってないから筋道立てて合理的に考えようとはしないのだ。歴史学者って生物学は素人のくせになんで事実じゃないと決め付けるのか、そんな凡庸な判断ならそれこそ素人にも出来るわい。じゃ15mもの巨大怪鳥が合理的なのかよってツッコミも、もっともだろうが、それは現代人だけではなく、当時の古代人でも同じであって、訳がわからないから「あれは倭建命の魂だったのだ」って納得するのがようやくやっとこすっとこのところだったと思われる。だから八尋白智鳥が出現してすぐ「倭建命の魂だ」と思ったわけではなく、八尋白智鳥がどこかに飛び去って一段落してから、やっとそういうことを思いつく余裕が「後から」できて、あんな怪物が何度も出現したらたまらんから鎮魂慰霊の意味で巨大怪鳥の止まったところに御陵を作ったわけ。現代人でも、ゴジラなんて映画の中のものだけど、太平洋戦争の英霊の怨念がどうのこうのって意味づけして楽しんでるでしょ。古代人も同じでいきなり怪獣でてきても意味わからんから、神の怒りだとかなんとか意味づけするわけよ。今回の場合は情況からして「ヤマトタケル先生の化身なのじゃ〜」という解釈がいちばん腑に落ちたであろうことはいうまでもなかろう。
そんな怪物が実在するのかよって言われても、それは俺が答える義務はない。一応なるべく古伝を尊重し、原文に沿って事実を想定するとこうなる、という話ですから。でも多分、わけのわからない怪獣は実在するよ。今でもな。そして地球上の何億人かの中の一人が、得体の知れない怪異生物に遭遇する事件の当事者になる。それはあなたかも知れんのですぞ(笑)。

【おまけ】古事記は文学ではない
さて従来、古事記の「天翔る白鳥と御葬歌」の章は「波瀾に富んだ英雄にふさわしい高潔でロマン的な終章であり、悲劇的英雄の最後を叙情的に語りあげた傑作」ということになっているのであるが、本当だろうか。この記事で書いてるわたしの解釈によれば、一見したところ怪獣スペクタクルか、へたすっとコメディタッチな話になってしまいそうだが。じゃ俺の解釈は古伝説をバカにしてるのだろうか? 俺は「と学会」系なの? むろんそうではない。そもそもヤマトタケル伝説を「文学的に素晴らしい」と持ち上げる言説は戦後左翼歴史観全盛の時代でも一貫していわれ続け、その文学的な価値は不自然なまでに称賛されてきた。要するに、「これは史実じゃないんだけどね」という話とバーター&セットになってたのである。別に、近代的な歴史学が成立する以前にできた資料に対しては、史実であるかないかという話と、文学的な出来がいいのかわるいのかという話は、無関係に両立するのだからどうでもいいっちゃどうでもいいのだが、問題はこの「文学的な価値」なのである。古事記の中のある部分が、たまたま文学的に素晴らしいってことは、あってもいいし、実際あるだろう。だが、古事記全体の本質を「文学」で総括していいのか? そもそも「文学」というのはただの「物語」とは違う概念なのである。文学という「ものさし」は西洋起源の、西洋文明の価値基準なのだが。語部(かたりべ)は、べつに文学を語り伝えたつもりはなかったろう。少年が、化石の恐竜や天文学の話にわくわくするのはなぜなのか。自然界のすべてに神々を感じるアニミズムの感性が、子供のうちはまだ枯れてないからではないのか。神話は、いや神話に限らず、広く上古の言説は、みな、「文学と自然科学と芸術と宗教と政治と私生活道徳」とが分化する以前の「原初の言葉」としかいいようのないものなのである。そのようなジャンル分けは後世のもので、ジャンル分けが細分化されるほど言葉は無力化していく。目先の具体的な問題には速攻で力を発揮する専門家の言葉ほど、存在することそれ自体に由来する本源的な苦悩にはまったく役立たない。ジャンル分けにとらわれてはならない。『古事記』を文学的な意味でばかり素晴らしいと称賛するのは、古事記に対する侮辱であり冒涜なのである。アニミズムの時代には文学は存在しないし、自然界と一体で生きていた時代にそもそも文学は必要ない。文学は、目の悪い人にメガネが必要、足の悪い人に杖が必要なように「現代人に必要」なのであって古代人の知ったことではなく、古事記が言いたいことでもなく、稗田阿礼が子孫に伝えたかったことでもない。80年代以降に増えてきた怪獣映画や特撮番組への批評も、文学批評のレベルに目線を落としたものばかりで、「おまえ本当に怪獣の魅力について本質いってんの?」ってものが多過ぎないか? さらにいえば文学はあくまで人間中心であってカミがいない。人間中心でないこととは、なんだかわけのわからないもの(悪なのか善なのかもわからない)を認めた上でそれを排斥するのではなく「畏怖の念」でもって崇敬するのである。まともな怪獣批評があれば、東日本大震災の時も石原慎太郎レベルの幼稚な物言いではないマトモな評論がありえたはずだったのである。ヤマトタケル伝説を文学として解釈して称賛する議論はすべて「悪」なのである。なぜならそれはすべてを整合的に解体して現代人の考え方の下に古伝承を隷属せしめようとするものだから。それは近代的な思考であり、聖なるものを残さない。神道の「死」に手を貸すものだから。文学という概念がすでに形式であって、古事記をそれに当てはめようというのは古事記を殺そうというのと同じことだ。何度でもいうが「古事記は文学でない」。文学的な出来の良さは付随的または派生的なものであって、どうでもいいことだ。

7景行天皇の系譜」に続く
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