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☆神武不殺☆平和の王権

2679年(令和元年)4月3日改稿 平成27年10月16日(金)初稿
神武不殺の剣戟士

「神武不殺」と周の文王
神武天皇の名前は本当は神武天皇じゃなくて神倭伊波余毘古命(かむやまといはれひこのみこと)であるのは皆様ご存じの通り。「神武」という諡号(おくりな)は奈良時代になって淡海三船(おうみのみふね)という人(弘文天皇の曽孫)がつけた名前だから神武天皇本人は知ったこっちゃないし『古事記』にも、もともと神武天皇とは書かれてない。「神武」という諡号の由来は『易経』の中に出てくる「神武不殺」(しんぶふさつ)という言葉からきてる。で調べてみると

『易経』繋辞伝上11

古之聰明睿知、神武而不殺者夫

いにしへの聰明睿知、神武にして殺さざるものか

とある。これは周の文王を讃えた言葉という。
黄河文明で有名な殷王朝の末期、殷の紂王は酒池肉林にふけっていた。
↓「爵」、酒器。殷代青銅器は酒をつぐ器と肉を盛る器ばっかでまさに酒池肉林w まぁ実は酒と肉ってのはお供え物で祭祀に熱心だったってことなんだけどね
Shang_wine_vessel.jpg
黄河文明で有名な殷王朝の末期、殷の紂王は酒池肉林にふけっていた。天下の衆望は周国の文王に集まっていた。周の文王の勢力は日々強大化して、すでに天下の三分の二を保ち、すなわち殷王朝を武力討伐するのに十分な軍事力を保有していたにもかかわらず、あえて戦争を避けて時を待った。軍事力や刑罰でなく、民が自ずから帰服するのを待つ。これが「不殺」。殺さずして戦争に勝ってしまうというのは、人智を超えた神秘的な武力だから「神のような武」で「神武」。まぁここまでは調べればわかる話。
問題はこれと神武天皇(神倭伊波余毘古命)の関係だが、奈良時代になってつけた名前だから生存してた当時のリアルタイムの神武天皇とは関係ないっちゃないんだが、しかし淡海三船もまるで無関係な名前を贈ったわけでもないだろう。それなりに考えて諡号を奉贈したにちがいない。

「東征」と「東遷」のちがい
神武天皇の東征は『日本書紀』では全行程が7年間に切り詰められてるが、『古事記』では筑紫に1年、安芸に5年、吉備に8年と長期滞在していておそらく全行程では20年ぐらいと思われる。
20年というと、モノスゴイ大戦争のように思うかもしれないがそんなことはない。20年間も休みなしに戦い続けるというのは経済的にも不可能なことで、実際の会戦は最後の数年の間に数回しかない。
そもそも神武天皇の東征は「東征」ではなくもともとは五瀬命(いつせのみこと)の「東遷」だったことは、『古事記』と『日本書紀』共通で書いてある。つまり日向国から大和国への「遷都」が本来の目的であり、那賀須泥毘古(ながすねひこ/長腿彦)を討伐することは遷都の大事業に付属する部分にすぎない。もし那賀須泥毘古を討伐することそれ自体が最終目的ならば、さっさと攻め滅ぼしてしまえばよかったはずだが、それは目的ではない。最終目的はあくまで平和と繁栄であって、さっさと敵が潰れりゃ後はどうでもいいってものではなかったのだ。

東征はどんな戦争だったのか
皇軍は那賀須泥毘古の支配圏である大和国の近辺に迫るまで、ぜんぜん誰とも戦っていない。つまり九州、中国あたりまでは完全に皇軍の支配圏内だった。天照大神の神勅は邇々藝命に豊葦原瑞穂国の全体を統治せよというものであって、一方、大国主は出雲一国だけの主ではなく、出雲一国を譲ったのでもなく、葦原中つ国の全体を譲ったので、両者呼応しており、邇々藝命から代々継承してきた五瀬命は当時すでに日本全体に君臨していたのです。
それに対して敵は大和一国にすぎないので、こちらには余裕があった。
これほどゆっくり進んだのは、はじめは那賀須泥毘古を刺激せず、徐々に近づき、その間も支配圏内の民生安定策と生産活動の傍ら、戦争準備をすすめたわけで、急激な戦争準備と違ってなるべく庶民に負担のかからないやり方だったといえる。急激に進軍すると賊軍を無駄に刺激して、防衛のために向こうから先手を打って攻めてくるかもしれない。仰々しい大決戦は華々しいが損害も大きい。敵は大和盆地とわずかに紀州の一部を支配してるだけなので、大和包囲網を敷くのは容易だったろう。問題は、この包囲網は八方からいきなり攻めるためのものではなかった。20年間もの間、包囲しただけで精神的な威圧は加えたろうが、糧道を断ったわけでもない。やがて、敵側の武将や庶民が、このままでは負けてしまうと思って逃亡を始める。そこで降伏をすすめる。敵も味方も苦しめず自主的に帰服するのを待ち、血ぬらさずに鎮圧しようという作戦。
しかし、どうしても敵が降伏しないので、このまま永遠にダラダラ続けるのは戦争が永続することとなりかえってよくないことなので、ある時期を区切ってついに合戦に及んだわけだが、その頃にはもう敵は最初の頃と比べてかなり弱体化していたと思う。

「神武」という諡号
このように、十分な軍事力がありながら、無駄な殺生を避けた征戦は、周の文王に通じるとして「神武」の諡号が奉られたのでしょう。ここまでの話(特に神武天皇の戦争がどんなだったか)は、淡海三船が考えたであろうことを推定したまでです。

雑談
神武の反対は「凶武」。ただし2chなどでは「神武不殺☆平和の王権」の対語として「武烈必殺★残虐の王権」ってパロディが昔あった。武烈天皇の素晴らしさについては言いたいことが山ほどあるが、いつかの機会にまた…。
神武不殺の剣戟士
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