FC2ブログ

☆中国や韓国の神話は記紀と似ているか

H30年10月改稿 H27年10月25日(日)初稿
H27年10月25日(日)は14時から15時半まで、東西線西葛西駅歩6分「江戸川区立西葛西図書館」3Fギャラリーにて、古事記に関する講演会を聴講。定員80名のところ85人もくる盛況だった。
会場のお客さんから「こないだ別の講演会で、日本の神話は韓国や中国の神話と似てるって話があったんですが中国や韓国の神話から影響を受けているってことはないんでしょうか」という質問があった。これは講話の中で、中国式を除去して純然たる大和言葉で書こうとしたのが古事記だ、というような趣旨の話が出ていたのでそれを受けての質問だろう。そして質問者がいっていた「似てる」ってのは中国神話で「盤古」という巨人の右目が太陽に、左目が月になったとか、朝鮮の神話で「桓雄」という天の神が天符印というもの(鏡・剣・鈴)を父神から授けられ妙香山にあまくだったとかの話をいっているのだろう。まぁ確かに似ています。それは否定できない。もちろん講演者は「中国や韓国の影響はまったくない、なぜならそういうのを排除して作ったのが古事記だから」と答えていた。その通りと思います、私もw 会場での質問はもう一人ぐらいあったが忘れた。

中国の神話や韓国の神話と「古事記が似ている」のはなぜなのか
ところで、似てるのならそれはなぜだ、と誰でも考える。もっとも安直な答えは「影響を受けたから」。もっとはっきりいえば中国や朝鮮の神話が伝わってきてそれが日本で変形して日本の神話ができたんだという説。これに対する反論として、朝鮮の神話は記紀よりずっと後に書かれた(上述の桓雄あまくだりの話が出てくるのは『三国遺事』で十三世紀、記紀よりも500年も後)のだから、そっちから影響うけたはずはない、ということをいう人がいるが、それなら中国神話が書かれた『三五歴紀』は三世紀だから記紀より500年も古いわけで、じゃすべて中国から来てるのか。
古くていいならギリシア神話の方が古い。『イーリアス』や『オデュッセイア』が書かれたのは紀元前六世紀頃だというから、中国神話より900年も前になる。なんでギリシア神話をもちだすかといえば、今「似てる」って話だから。日本神話とギリシア神話が似てるって話は有名で、朝鮮や中国の神話が日本神話にいくらか似たところもあるっていう程度の話とは段違いに激しく似ている。これに比べると中国や朝鮮は「あまり似てない」(似てはいるのだが度合いが低い)。これは騎馬民族がシベリア経由で神話をもってきたという説もあるが、じゃ書物に編纂された時代が後なだけで内容は中国神話や朝鮮神話より古いわけだ。
…と言いたいところだが、騎馬民族はギリシア人でもないのになぜ自分らの神話でなくわざわざギリシア神話をもってこなきゃならないのか、中国神話や朝鮮神話の影響が今度は比較の上で薄すぎるのはなぜなのか。それに日本神話が全部ギリシアからきたという話でもない。南洋諸島や東南アジアと似ているところもあって、単純に「ギリシアと日本が…」という話でもない。神話学では、全世界各地の神話が驚くほど似てる話が多いということはずいぶん前からわかっている。いろいろ説明つかない。格別に「中国と日本が…」とか「朝鮮と日本が…」という話では全然なくて、全世界なの。古代オリエントの粘土板にかかれた神話から、ケルト神話、北欧ゲルマン神話、インド=イラン神話、アフリカ、シベリア先住民、アメリカ先住民の神話…。
そもそも「伝わった」という場合、つい二千年前とか三千年前のことを想像する人も多いだろうが、そんなに最近のことなら名前とか粗筋とかはもっとそっくりでないとおかしくないか。日本の神様の名前は、朝鮮語でも中国語でもギリシア語でもない。日本では縄文土器の造形に日本神話の原形を見出す研究もある。全世界規模ということは二千年前とか三千年前とかではありえず、数万年前にわかれたのだと考えるしかないだろう。
ギリシアと日本を例にするなら、時代も地域も遠く離れた方がそっくりで、時代も近く同じ極東の方がかえって似てない。これはギリシアと日本に格別の交通ルートがあったからではないだろう。もしそうならそのルート上にはそっくりな神話がいくつもあって然るべきじゃないか。そうじゃなくて、もともと世界のすべての民族は同じ神話を共有していたのである。多くの民族は伝承が途絶え神話が断片化してしまったので、世界中の神話はどれも中途半端に似ているわけだが、たまたま日本とギリシアでは古い形のものが記録され伝承が途切れなかっただけなのだ。
そして数万年前ということはつまり石器時代、原始時代ということで、その頃はまだ日本人とかギリシア人とかインド人とかエジプト人とかの「民族」はまだ誕生していなかった。原始時代にすでに神話は存在し、それは民族に先行する。だからこそ世界中の神話は、民族を超えて「似ている」のです。だから、どこそこの民族の神話が元で、それが別の民族に伝わって…という話ではないわけ。
ちなみに平田篤胤がやろうとしたことは今でいう神話学の走りですよ。平田篤胤はキリスト教をパクったとか言われてるがトンデモないw まだ中国神話とインド神話と聖書神話ぐらいしか参考にできなかったというだけで、神話の原型を追求する上で海外の神話を参考にしなければならないというのは、神話学としてはまったく正しい。一例として、篤胤がいうには、大国主は閻魔様のようなもので、人間は死後、あの世で大国主神の裁きを受けるのだといってる。批判する人は、これは古代の日本にはなかった信仰で、江戸国学が作った教義だというのだが、比較神話学的には、インド=イラン神話のヤーマ(イマ)というのは日本神話の大国主神やエジプトのオシリス神に該当する神だと考えられる。さすれば、仏教伝来以降には薄れて消えてしまい記録からは辿れないだけで、本当に「死後のあの世は大国主神が統治している」ぐらいの信仰があった可能性が高いのではないか(記紀にはだいたいそれに近いことは書いてあるが、それがヤマト朝廷が勝手に作った話じゃなくて本当に当時の庶民を含めた人々の信仰だったということ)。こんなのはほんの一例で、江戸時代の国学神道の教義はでたらめに作ってたわけではない。ちなみに今でも出雲大社の公式な教義は江戸時代の国学のままですからね。
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

浅草橋キッド

Author:浅草橋キッド
どこから見ても平凡な、一介の町人です。

カテゴリ
最新記事
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブロとも一覧

新語拾遺
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
検索フォーム