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・「造化」という言葉は正しくない

H27年10月27日(火)初稿
ムスヒ(産霊)と「造化」
造化三神というけれども、造化ってのは中国の道教の言葉だよね。神道の産霊(ムスビ)は「創造」と訳しても「造化」と訳してもいいけど、翻訳だから大雑把な言い換えにしかならない。「創造」というとキリスト教の神の創造とごっちゃになりやすいし、「造化」というと道教の造化とごっちゃになりやすい。太安万侶は序文を漢文で書いてるから、序文の中では中国風に造化といってるだけで、当たり前だが本文では造化という中国語は出てこない。ちょうど英語に訳す時に“create”と訳すようなのと同じような趣旨で「造化」と漢文訳してるだけ。
じゃ西洋の「創造」と東洋の「造化」と日本の「ムスビ」はそれぞれどう違うのか。

西洋の「創造」とムスビとの違い
ユダヤ教の創造説の場合、神は自分の中でなく自分の「外側」に世界を造る。ただし創造とはいうものの、一説によると、原語のもともとの単語のニュアンスは手工業のような意味の「工作」ではなく、心の中から作り出すという意味で、芸術作品のように「生む」と訳しても大きな間違いではないらしい。
キリスト教の創造説の場合、汎神論や理神論などといったややこしい話はさておいていうと、基本的にはユダヤ教と同様、神の中にではなく、神の外側に世界を作ったと考える。また、神と被造物の関係は、陶工と壺(作品)の関係である。これに対し、ムスヒは工作的に造るというニュアンスではなく「生み出す」という点で異なる。
イスラム教の創造説は、汎神論といって、この世界それ自体がアラーの現われであるという考え方。大雑把にいうと。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教いずれにしろ、何かの発生・出現・生成という現象の背後に、上位の存在者(=神)の「意志」を想定する点では、神道のムスヒと共通である。作られたこの世界とは別にその外側に神がいるっていうのは矛盾した考え方で神道はそんな不自然な考え方はしない。また汎神論というのは「唯一神=この世界そのもの」という考え方で、現代人好みな発想なのか時々こういうこと言い出す人は多い。しかしこれは山の神も海の神も福の神も疫病神も一緒くたに同じ神の現われだとして、いきなり世界イコール神とか宇宙イコール神とかに話が飛んでしまう点で一神教に近く、多神教とはぜんぜん噛み合わない。

東洋の「造化」とムスビとの違い
記紀は漢文文化全盛の奈良時代に編纂されたため漢文的表現を借用して書かれており「造化」という言葉が出てくる(ただし古事記の序文の中でだけ。日本書紀には出てこない)。西洋の創造説との差異を強調したいばかりにこの「造化」という言葉でムスヒを説明したがる向きもわかるが、ムスヒと造化の違いはあたかもムスヒと創造が異なる如くである。道教や儒教など中国思想では、世界は渾沌であった当初から本来の性質を内蔵しているという。その性質が潜在している状態から、自然と表出・展開していく過程が宇宙の生成である。天地大宇宙に限らず万物はそれぞれが内包する性質の自然の展開によって変化していく。これが造化である。これは一見ムスヒと似ているようであるが、「自然」が非人格的に展開するとする立場であり、それぞれの個性をもった特定のカミガミの存在はない。これは量的には「汎神論」、質的には「理神論」といわれるものであって、多神教である神道とはまったく相容れないものである。多神教=神道では、自然現象の背後には個性と自意識をもったカミガミの意図的な働きがあるのだと考えるのであって、なにか科学法則のようなものに基づいて自然界が自動的に駆動してるのだとは考えない。造化とムスビの相異なることかくのごとしだ。

ムスヒは「陰陽説」ではない
ムスヒは往々にして「陽/プラス/天」のタカムスヒと「陰/マイナス/地」のカミムスヒとの「ムスビあわせ」によって作用すると云われる。これは誰でも思いつくわかりやすい教説であり、よくいわれかつ流布もしていることで、とくに批判すべきこともないが、ただムスヒの観念やタカムスヒとカミムスヒの二元論が中国の陰陽説のコピーであるとはいえない。なんとなれば二元論は東アジアのみならず世界中にあり、高度文明圏のみならず未開部族の民俗文化にも男/女、善/悪などの二元論的構造が頻繁にみられるからである。これらはすべて人類の発想法の根本に由来する普遍的な現象であり、中国の陰陽説が太古に世界中に輸出された痕跡だとは誰もいわないだろう。
中国の陰陽説は歴史も古く様々な内容に詳しく考察されているので、妥当なところも多い。同質(陽どうし陰どうし)は反発し、異質(陰と陽)はくっつく、陰きわまって陽をなし、陽きわまって陰をなす、など。しいて差異をあげるならば、中国の陰陽説では易の八卦や六十四卦のように、二倍また二倍と分かれ増えていって万物に至るのであるが、最初の太極は二度と現われない。記紀神話でも天之御中主神は最初に登場するだけのようだが、高皇産霊・高皇産霊の後は常立神(独神)、イザナキ・イザナミの後は天照大神、というように段階ごとに「天御中主」の影ともいうべき「中極」が表われ、そこからまた下位の陰陽へ再分出する。結び目を作りながら広がっていく網状の展開であり、分離・細分化しながら広がっていくだけの中国的な陰陽説とは異なる。すなわち陰と陽の他に中心という第三のものが介在する。これをわたしの師匠の吾郷清彦先生は「ムスビ弁証法の網状展開」といってる。天地のはじめから何段階くだっても神話のどこでも常に中心軸が立ち、人間の時代になっても続く。これが「スメロギ」の概念の根本にもつながってるだろう。
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